第21話 新たな聖女の目覚め(3)
修行開始から二週間が経過した。
才能があるのか、あるいは要領がいいからかは分からないが、オリアーナの成長ぶりは目覚しいものだった。
枯れた植物を復活させ、怪我人の治癒も成功させ、神官たちを驚かせた。魔法石を拠り所にしていながらここまで聖女の力を扱えるのはすごいことらしい。
人間の肉体を回復させられたということは、魔力核の移植も現実的になってきたということだ。
オリアーナが学院内の廊下を歩いていると、遠くから囁き声が聞こえて来た。
「今日も殿下は麗しいですわ。惚れ惚れしてしまいます」
「本当。なんだか最近、神々しさ増してない?」
「分かります。何かあったのでしょうか。以前にも増してキラキラしているような……」
噂話をする女子生徒は、そう言って目を擦った。彼女たちの気のせいではない。聖女の修行をしたことで神聖な気配がより強くなったのだ。しかしまだ、肝心な魔力の供給源を、自分の魔力核ではなく魔法石に依存している状態。聖女というには未熟、不完全もいいところだ。
(未熟でもいいから、魔力核の移植だけは成功させないとな……)
施術を行う日までの残りの日数を指折り数えながら歩いていると、視線の先に。校舎と校舎を繋ぐ開放廊下で、女子生徒の一人とセナが話をしていた。
盗み見るつもりはなかったが、女子生徒が手紙を送っている場面をたまたま目撃してしまう。赤らんだ彼女の表情と、ハートの封蝋が刻まれているのを見て、告白の現場なのだと理解した。手紙を渡した生徒は、嬉しそうに去って行った。
(セナは……令嬢に人気があるんだ)
セナはオリアーナと違って愛想がいい訳ではないが、端正な顔立ちをしているし、能力にも恵まれている。それに、冷たく見えて実は面倒見がよくて優しい。女子生徒たちは、そんな掴みどころのないセナに憧れていた。
(分かるよ。セナはすごく素敵だもんね。好きになるよね)
今まではあまり気にしていなかったが、彼への恋心を自覚した今なら、セナのファンに共感できる。うんうんと頷いていると、セナがオリアーナに気づいた。
「リアか。次移動教室だっけ?」
「うん。はい、これセナの教本」
「助かる、ありがと」
ついでに持って来た彼の教本を渡し、一緒に教室を移動した。
「それ、ラブレター?」
「うん」
「君はモテるね」
「お前ほどじゃないよ。つか、人並み」
オリアーナは毎朝学校に来る度に、下駄箱から手紙が雪崩のように溢れて来る。下駄箱だけではない。ロッカーや机の中にもぎっしりだ。
「リアはさ、なんとも思わない? 俺がこーいうの貰っても」
「……それ、どういう意味?」
セナは立ち止まり、真顔でこちらを見下ろした。
「あの子の気持ちに応えたとして、ほんの少しも嫌じゃない?」
「…………」
もし、セナが彼女の告白に応えて、恋人になったら。想像しただけで胸がぎゅっとなる。
(セナが幸せならそれでいいって、決めたばかりなのに……駄目だな。少し……いやかなり――嫌だ)
友人ならば、「大丈夫」「平気だよ」とここは答えるべきだろう。でも、嘘がつけない。顔に出てしまう。ポーカーフェイスは得意なはずなのに、セナのことになると急に下手になる。泣きそうな顔を浮かべながら、セナの服をちょこんと摘んで弱い声を絞り出す。
「誰にも――取られたく、ないかも」
「…………!」
すると、彼は藍色の瞳を見開いて固まった。まるで、オリアーナの返しが想定外というように。オリアーナも、弾みで口を衝いて出てしまった言葉にはっとして、顔を赤らめる。
「ごめん、今のは……忘れて」
「…………」
オリアーナは頭が真っ白になって、その場から逃げ出した。
一方セナは、一人でその場にしゃがみこみ、両手で顔を覆う。
「何あれ、反則……。あーもう、ちょっとやばいかも」
セナの心は最初からただ一人のものだ。彼女がもしも望んでくれるなら、本当に何もかも全部捧げたっていい。そんな風に思うセナだった。
◇◇◇
次の授業は、魔法基礎学だった。この科目は全ての生徒が必修で、複数のクラスが合同で講義を受ける。長机が沢山並ぶ講堂で、オリアーナはセナから一番離れた席に座った。ちょうど隣でリヒャルドが熱心に予習をしている。オリアーナは机の上に項垂れた。
(恥ずかしすぎる……)
先程セナに対して口走ってしまった言葉を思い出す。
『誰にも――取られたく、ないかも』
これでは、完全に嫉妬しているみたいだ。自分らしくなかったと反省する。するとリヒャルドがオリアーナに言った。
「浮かない顔してどうした? レイ……いやオリア――でもなくて、レイモンド」
苦虫を噛み潰したような顔をするリヒャルド。どうやら彼は、目の前にいるのがオリアーナという事実にまだ慣れていないようだ。
「おかしなことを友人に言ってしまって、反省していたんだ。……ああ、どうしよう。たぶん引かれた……」
「何やらかしたかは知らねーけど、起きたことをくよくよしたって仕方ないだろ。俺は全く悩まないタイプだ」
「……だろうね」
「だろうねって何だよ」
リヒャルドが神経質だと言ってきたら逆にびっくりしてしまう。リヒャルドは再び教本に視線を落として、ペンを動かし熱心に勉強し始めた。
「予習なんて偉いね」
「別に、フツーだろこれくらい」
彼はあまり勉強を熱心にしそうなタイプではなさそうに見えるのに、かなり真面目だ。そういう意味ではジュリエットと真逆。彼女は真面目そうに見えて全然真面目じゃない。
するとまもなく、魔法基礎学を教えるマチルダが教壇に立った。
「では皆さん、本日の授業を始めます。今日は杖の扱いの続きです。より親和性の高い杖を選ぶために、皆さんには精霊について知ってもらいます」
そう言って彼女は、教卓の傍の机に十本の杖を並べた。精霊といえば、神殿で修行中のオリアーナにとってタイムリーな内容だ。
なんの変哲もない杖十本に見えるが、それぞれに色が違う精霊が宿っているのがオリアーナには確認できた。
(私には見えてるけど、普通の人はどう区別するんだろう)
マチルダが言う。
「神木を使って作る杖には、しばしば精霊が宿ります。精霊もまた、それぞれに固有の特徴があり、使用者の属性に一致する杖を使えばより力を発揮できるのですよ」
彼女の解説を聞きながら、オリアーナはなるほどと思った。杖の色は、赤、黄、黒、緑と分かれており、それは魔力属性の象徴的な色だ。アーネル公爵家出身のオリアーナはたぶん、光属性の象徴色である黄色の杖との相性がいいはず。
マチルダはそれから目を閉じながら杖の一本一本に手をかざしていき、緑の光をまとった杖の前で止まった。その杖を手に取り、穏やかな口調で言う。
「私は風魔法を得意とするので、こちらの杖が合います。私に精霊は見えませんが、親密度の高い杖と、そうではない杖では歴然とした差がありますよ。――ほら、この通り」
彼女は精霊が宿っていない杖と、親和性の高い精霊が宿った杖をそれぞれ振るって魔法を唱えた。全く威力が違う風が、講堂の中に吹いた。
精霊が見えるリヒャルドが隣で呟いた。
「俺はあの一番右だな。活発なのが宿ってる」
「……本当だ。リヒャルド王子の属性にも一致していますね」
右の杖は、小ぶりの緑色の光の玉が飛び回っていた。
すると次の瞬間、マチルダと視線がかち合う。オリアーナは嫌な予感がして頬をひきつらせた。
「では。どなたかに代表して杖選びを実践していただきたいと思います。アーネルさん。前に来なさい」
「はい」
(……やっぱり)
こういうとき、教師たちはオリアーナを指名しがちだ。品行方正で真面目なので扱いやすいのだろう。
(また変に悪目立ちしないといいけど)
中間テストのときは、意思を持った珍妙な生き物を生み出したせいで注目の的となった。それ以外でも、聖女の才能を無自覚に発動させて、生徒や教師陣から必要以上に過大評価されている。
「また殿下ご指名だ。きっとまた何かすごいことするぞ」
「いつも私たちの想像を軽々と超えてきますからね」
男子生徒たちが会話しているのが聞こえる。変にハードルを上げないでほしい。
壇上に上がり、オリアーナはずらりと並ぶ杖の前に立った。
「では、アーネルさん。さっそくご自分に合うと思う杖を選んでみなさい。触っていただいても構いませんよ」
「分かりました」
青、赤、黒、緑に黄色。それぞれの杖に触れていくが、なぜかどれもしっくりこない。仕方がないので、無難に光属性の精霊が宿った杖を手に取る。
「では、その杖を使って魔法を唱えてみなさい」
「はい。――
そう唱えた直後。十本の杖に宿る精霊たちが、オリアーナの持つ一本に集結し、虹色に輝き出した。
「ええっ!?」
当惑に重ねる当惑。これにはマチルダもあんぐり。その光は、精霊が見えない普通の人たちにも確認できた。虹色の光は辺りに離散し、幻想的な森の風景の幻が見えた。小鳥のさえずりまで聞こえる。
「これは……すごいですね。長いこと教師をしてきましたが、初めて目にしました」
生徒たちは皆感動していて、お馴染みのオーバーリアクションでオリアーナのことを持ち上げてくる。オリアーナが杖を机に置き直すと、精霊たちは役目を終えたかのように元の杖の場所に戻った。
(聖女の力って……すごい)
席に戻る間、オリアーナは盛大な拍手を送られた。項垂れるように席に座ると、リヒャルドがからかうように言った。
「やっぱすげーのな。アーネル公爵家の逸材は格が違うぜ」
彼はここにいるのがレイモンドではなく、出来損ないと言われる姉の方だと分かって言っている。
「からかわないでください」
「はは、悪い。この調子だと、レイモンドに席を譲ったあとであいつ苦労するだろーな。無駄に期待値が上がってて」
「……まだ平凡な学生生活を取り戻す可能性はある……はず」
「諦めろよ。お前はそういう星の元に生まれたんだから。偉大な次期聖女殿?」
「…………」
オリアーナははぁと大きくため息をついた。
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