第3話 魔法学院に現れたミスプリンス(1)


 入学式当日。オリアーナは真新しい制服に身を包んで学校へ向かった。すると、街道のど真ん中で、突然目の前に女の子が近づいて来た。


「……好きです! 一目惚れしました……! 私と付き合ってください!」


 少しだけ目を瞬かせたあと、申し訳なさそうに眉をひそめるオリアーナ。


「まずはありがとう。とても嬉しいよ。けどごめん。君の気持ちには応えられない」

「そう……ですか」


(ちなみに私……女なんだよね……)


 ……とは、口が裂けても言えない。なぜなら自分は今、弟のフリをしなければならないから。恐らくオリアーナのことを男だと勘違いして告白をした少女は、しゅんと肩を落とした。

 オリアーナは――レイモンドとして笑顔を向ける。


「僕はレイモンド・アーネル。君は?」

「わ、私は……リシェールです」

「清廉な名だ。君にとてもよく似合う。恋人にはなれないけど、友だちとして仲良くしてくれるかな?」

「はい……! ぜひ……!」


 オリアーナが優美に微笑むと、リシェールは瞳にハートを浮かべながら頷いた。


「それじゃ、またね。リシェール」

「はいっ、レイモンド様っ!」


 爽やかに手を振って踵を返す。リシェールは頬を朱に染め、とろんとした表情でその後ろ姿を見送った。

 石畳の広い街道は、沢山の店が軒を連ねており、大勢の人々がひっきりなしに往来している。女も男も、通りを颯爽と歩く魔法学院の制服を着たオリアーナに目を奪われた。


 オリアーナは、自身が注目されていることなどつゆ知らず、物憂げにため息を吐く。

 一方で、絶世の美男子は零れる息さえも美しいと、それを眺める者たちは感嘆した。


(参ったな……。これで今日は四度目だ。入学式、間に合うかな?)


 しなやかな指を折り数えたのは――今日告白された回数。ちょっと家を出たらすぐこうなってしまうので、おちおち通学もできない。一度目は花屋の店員。二度目はパン屋の夫人、三度目は大きな荷物を抱え腰の曲がった老婆だった。そして、四度目はすれ違っただけのあの少女だった。


(こんな調子で、レイモンドが復学できるまで、目立たず平凡にやり過ごせるかな)


 しかし、『目立たず平凡』はオリアーナが最も苦手とすることだ。オリアーナはこれまでも無自覚に人を魅了し、注目を浴びてきたのだから。


 そして。入学したあと、彼女には平凡とはいいがたい学院生活が待っていた。




 ◇◇◇




「本日は私たち新入生のために、この様な素晴らしい式典を開催してくださり、ありがとうございます。私たちはこの学院の格式と伝統を守り――」


 オリアーナは、新入生代表として壇上で挨拶を行った。この学院では毎年、入学試験で最も優秀な成績を修めた学生が、代表の言葉を行うのが習わしだ。レイモンドは首席入学者だった。


「ねえあの人、凄い格好よくない?」

「あのレベルのイケメンは初めて見たかも。彼女いるのかな」

「馬鹿ね、知らないの? あの方は始祖五家アーネル公爵家のご子息レイモンド様よ。一般人はとても相手にされないわ」

「ああ、公爵家始まって以来の逸材と言われてる有名人だよね」


 壇上で毅然と言葉を紡ぐオリアーナに、生徒たちは見蕩れた。男も女も、教員さえもうっとりしている。オリアーナは緊張知らずの豪胆な性格で、こういった役もそつなくこなす。その場馴れした態度に、誰も『出来損ない』の姉の方だとは思いもしない。


「――我々一同は、文武両道の校風の元、真摯に日々の授業に励み、実りのある学院生活にすることを誓います。――新入生代表、レイモンド・アーネル」


 オリアーナは優雅に一礼し、舞台から降りようとした。


 しかし、そのとき――。壇上に控えていた女教員がよろめき、床に倒れ込んだ。反射的に彼女の元に駆け寄り、半身をそっと抱き起こす。


「大丈夫ですか?」

「ごめんなさい。貧血で……」


 彼女は青白い顔で、申し訳なさそうにそう答えた。同性として、女性の身体に起こる不調はよく理解しているつもりなので、そっと「医務室までお連れいたします」と囁き、彼女を横抱きにして立ち上がった。


「僕の首にお手を」

「こ、こうかしら……?」

「はい。少し辛抱してください」

「悪いわねぇ」


 教員はすっかり女の顔で、頬を赤らめながらオリアーナの首に腕を回した。


 ざわり。


 まるで劇の一場面かのような、紳士的な振る舞いをする美男子の姿に、入学式典の会場はざわめいた。

 軽々と中肉の女を抱え、颯爽と立ち去っていくオリアーナに、ほとんど全ての女子生徒が心を奪われた。


 学院の生徒たちの心を、一瞬にしてかっさらった魅惑の貴公子レイモンド・アーネル。この一件は後に、『魔法学院のプリンス誕生秘話』として後世に語られることになる。




 ◇◇◇




 他方。倒れた教員をお姫様抱っこして会場を沸かせた当人、オリアーナは己の行動が騒ぎになっていることなどつゆも知らない。

 女教員を医務室まで送り届けたあと、校舎内のだだっ広い廊下を歩いていた。


 養護教諭に状況を説明していたため、入学式典はもう終わったころだろう。式典会場ではなく教室へ直接向かっていると、途中で男子生徒が壁にもたれながら腕を組んでいた。オリアーナを待っていたらしく、こちらの姿に気づくと、声をかけてきた。


「お前さ、なんでここにいんの?」


 黒髪に深い海の底を思わせる藍色の瞳。そして、何を考えているか分からない無機質な表情……。彼は幼馴染のセナ・ティレスタムだ。ティレスタム公爵家も始祖五家のひとつ。彼は、五つの魔法属性で最も危険とされる闇魔法の使い手だ。


「なんでって……ここに入学したからでしょ?」


 すると、彼はオリアーナを壁際に追いやって片手を壁に付いた。いわゆる壁ドンというやつだ。


「違う。お前、レイモンドじゃなくて――リアの方だろ」

「……!」


 やばい。さっそく見破られてしまった。レイモンドとは顔がそっくりなので、大抵の人は分からないはずなのだが、よく見知った幼馴染に入れ替わりは通用しないようだ。


「何言ってるんだ。僕はレイモンドだよ。ほら、よく見て」


 しかし、オリアーナはちょっとやそっとじゃ動じない。にこりと爽やかに微笑んで答える。すると、彼はオリアーナの顔を覗き込み、片手を頬に添えて、唇の下を親指の腹で撫でた。


「な……にを――」


 突然肌に触れられ、目を見開く。さすがのオリアーナも、これには少し狼狽えてしまった。対してセナは、相変わらずの無表情で言った。


「――ほくろ」

「は?」

「唇の下にほくろがあるのはリアの方だ。それに、レイモンドとは話し方も所作も何もかも違う」


 オリアーナはセナを押し離して、唇の下を手でごしごし擦った。


「これは汚れがついただけだから。……口調と所作はその――あれだよ。イメチェン的な」

「そんなに擦ってもほくろは取れないと思うけど」


 苦しすぎる言い訳を口にすると、セナはため息をついた。そして、人差し指でオリアーナの額をこつんと弾いた。


「痛っ」

「馬鹿だよな。俺がお前たち双子と何年一緒にいたと思ってんの? 今更見間違える訳ないから。上手くなりきってるつもりかもしれないけど、見る人が見たら分かると思うよ」

「…………やっぱり?」

「うん」


 観念して彼の指摘を認め、肩を竦めた。

 替え玉入学がバレたら、退学どころかアーネル公爵家の名誉も大きく傷つくことになるだろう。そしたら両親にどれだけ責められるか分からない。

 しかし、身代わりを見破られてしまったからには諦めるしかないと思い、潔くここまでの事情を話した。


「お前、また両親の言いなりになってんのか」

「…………」


 そういう生き方しか、オリアーナは知らないのだ。痛いところを突かれて俯く。


「ひどい仕打ちを受けても家を出ないのは、レイモンドが心配だから?」

「……どうだろうね」


 もちろんレイモンドの存在は大きい。けれど、オリアーナには、どこに逃げたらいいのかも分からないのだ。でも、はぐらかしたところでセナには何もかもお見通しな気がした。


「俺を頼れよ。リア」

「え……」

「嫌なことは嫌だって言え。誰にも言えないなら俺だけには話して。困ったときは俺を逃げ場にすればいい。何があっても俺はリアの味方だから」


 俺はリアの味方だから。その言葉で心がふっと軽くなった気がした。彼はオリアーナの頭をわしゃわしゃと搔き撫でる。彼に撫でられるのは、すごく心地がいい。


「……ありがとう、セナ」


 でもきっと、替え玉なんて間違ったことをしてはいけないと咎められるだろう。そう思って覚悟していたが、返ってきた言葉は予想と違った。


「とりあえず、目つぶって」

「目……?」

「いいから早くしろ」


 突然そんなことを言われて不審に思うが、大人しく従って瞼を閉じる。すると、閉じた瞼の向こうで、低く透き通るような声が呟く。



 《――認識パーセプション操作・コントロール



 詠唱と共に、ほのかな熱が身体を包み込む。まもなく、セナに許可されて瞼を持ち上げたが、自分に変化が起きた実感はない。彼に、何をしたのかと尋ねた。


「リアの姿を見た人間が、一切の疑いを持たずレイモンドと認識するように魔法をかけた」

「それ禁忌魔法じゃ……」


 人の精神を操作する魔法は、倫理的な問題で禁忌とされている。そして、人の精神に干渉する魔法は、闇魔法を操るティレスタム公爵家の専売特許だ。


 セナは口元に人差し指を立てて「これで共犯だな」と口角を上げた。あろうことかこの人は、オリアーナを咎めるどころか、不正の片棒を担ぐつもりのようだ。


「ほら、教室行くよ。――レイモンド」


 オリアーナは頷き、セナの背中を追いかけた。

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