狸 呪い 手摺り

@ironlotus


ある時分、さる高貴なお方からの依頼で、とある洋館を訪う事になった。

何でも、人跡離れた郊外にぽつんと建てられたもので、洋館でなく"妖館"と表現して差し支えない荒廃ぶりで、人も住めなくなっている処らしい。

旧主人は既に往生して久しく、道楽で建てた館には親類一同寄り付かず、年月に任せるまま放置されたものらしい。


金子が袖の下から湯水の如く湧く現主人は、文化保全を顧みずこの古い洋館を建て直すことにしたそうだ。

だが、不幸が相次ぎ工事が難航した。


工夫(こうふ)曰く、妖怪が祟るらしい。


祟られたという親方は、工事に際し玄翁で自らの指を叩き潰し仕事にならない。

さらに工夫の一人は、妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘が死に、これも祟りだ、呪いだとわめき、工夫全員の士気を大いに下げているらしい。


弱りに弱った処、こういった話に多少の知見のある私の噂を聞いて、「ぢゃ任せてみよう」と御鉢が廻ってきた次第である。

"妖館"は、瀟洒な二階建てで、観音開きの玄関から入ると大広間で、手すり付きの大きな階段と踊り場が正面に現れる。




私は過去の栄華をそこかしこに覗かせる館の探索もそこそこに、この大広間で、妖怪が来るのを独りぽつねんと待った。


館に入るなり、顔を蒼くして怯える工夫達には「ぢゃ明朝迎えに来るように。」と言い渡した。

言われた工夫達というと、沈む陽光に負けることなかれという速度で我先に山道を転げ落ちていった。

髭面の丈夫共が雁首揃えてみっともないことである。


当然だが、人の住まない館に明かりは無い。夕刻といえど、油断無き暗闇がそこかしこから私を睨んでいるようでもあった。

斜陽が姿を消すと、館は真の暗闇に包まれた。


私はというと、Lampを取り出して火を入れ、夜を徹す為の明かりとしていた。

先の見えぬ断崖の暗闇に、丸く浮島の光が浮かぶ。


―ひとつ、欠伸。



はじめの半刻は、幽かな明かりを頼りに書き物などしていたが、待つばかりの私の中で、次第に物憂い無聊が勝ち始めた。平たく言えば、私は退屈だったのである。

出てくれるならサッサと出てくれたほうが、話が早くて良い。


そんなわけで「鬼が出るか蛇が出るか」と拍子を付け放吟していると、暗闇から何かを引きずるような音がする。

そのうち、暗闇から生えるようにぬうっと大きな人影が伸びてくる。

人影は筋骨たくましく、もじゃもじゃと込み入った頭髪からは一角が生えているようだ。

すなわち、鬼の様相である。


抜き差しならない状況ではあるが、虫の知らせとも言うべきか、「おや」と思って振り返ると、背後には掌大のふたつの光玉が宙に浮いている。


玉はやはりぬうっと近づいてくると、ひとつの影を表した。


影は鬱蒼とした鱗に覆われ、光る玉をふたつの頂点に押し戴き、大きく開いた腭からは収まりきらぬ牙と長い舌を剥く。


すなわち、蛇の様相である。

どうも、鬼が出て、蛇も出たようである。

近来の凶事極まれりだ。



しかし…フム。

私の中で推論が繋がる。


「狸か。」

鬼と蛇が同時に動きを止める。Corkの抜けるような音がして、姿が消える。

消えたあとには、小さく蹲るむくむくの毛玉だけが残っていた。


毛玉には目玉が付随して、こちらをぢっと窺っているようでもある。

ひとまず、今すぐ逃げ出す様子はない。


「驚かした事は謝ろう。まずは話をしよう。こっちへおいで。」

毛玉は、目玉の位置を変えず、おずおずと近づいてくる。

私の言葉に、こうも素直な化物ばかりであれば、この生業ももう少し楽なのだが。


―ひとつ、溜息。



はじめこそたどたどしく話し始めた毛玉は、勧められ(わたしが勧めた)舐めた酒の勢いも乗り、実に雄弁に、時に情に訴えるかの如く前主人について語り続けた。

(ちなみに言葉の綾で「雄弁」といったが、どうもこの狸は雌であるらしく、主人に恋着していた様子が端々に見て取れた。)


「お前の言う主人は死んだそうだ。今は新しい主人が私の雇主だ。」

私がありのままを告げると、狸は悄然として、しかし恥じ入るようでもあった。

おそらく長い時を待ったのだろう。狸や人がそれを語らずとも朽ち果てた館が物語っている。

わかってはいたんです、と狸は鼻をずぶずぶに濡らしながら呻いた。

そうして、それからは言葉にもならない嗚咽が続いた。

私は夜が明けるまでずっと、lampの反射でぺかぺかに光る狸の顔を、ただ眺めていた。




ありがとうございました、と狸は憑物が落ちたような顔で言った。

(但し彼女自身が憑物であることは、この際言うべくもない。)


「これからどうするつもりかね。」

狸は、ただ鼻を鳴らす。何の答えも持ち合わせていないというように。

人であれ獣であれ、急に生き方は変えられないものだ。

この狸は、他に生きる場所を知らない。


であれば。



「私と来るかね。」

狸が顔を上げた。既に涙は止まっていたが、目も鼻も毛も、朝日に照らされ顔全体がぴかぴかに光っている。

報告がてら主人には会わねばならない。旧主人の詳しい去就について、聞いてみることも出来るだろう。



「狸に遺した言葉など、あるかは知れんがね。」

―ひとつ、点頭。

獣は、迷う素振りも見せなかった。

すぐに私の頭に飛びつくと(この際に大変芳しい匂いがしたことは付記しておく)、たちまち一つの簪に変ずる。

飾る趣味も、狸を頭に載せる趣味もどちらもないが、まあいい。


遠くには、どよめきながら坂を駆け上がってくる工夫の群れが見えた。

私は手を振って、この騒ぎの帰結を告げた。



斯くして、"妖館"は調伏され、私は旅の道連れを一匹増やした。

以後のことは、いつか気が向いたときにまた綴ろう。

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