7-5
ナツメと檜は家を出て、朱姫葛の家に身を寄せることになった。不気味な水路に繋がっている家に住み続ける気になれず、かと言って行くあてもない姉弟に、朱姫葛が手を差し伸べたのだった。
「私、一人暮らしなんだよね。そんなにきれいでも広くもないけれど、良ければどうかな」
提案に乗らない選択肢はなかった。
家は、町の北東の田園地帯にぽつねんと佇む古い平屋だった。この辺りは前に住んでいた街と違って、家々の並ぶ住宅地でも家と家の間に余裕があったり、空き地があったりしているのに、なぜだだっ広い田畑の間に家を一軒だけ建てたのだろう。これもワケありの家なのかと勘ぐりたくなる。
けれど、他に行くあても頼る相手もいない。多少怪しくても、地下水路から他人の出入りできる家よりはましだ。
朱姫葛は自分の家の鍵を開け、ナツメたちを迎え入れた。最初にしたのは、住居の案内だった。猫の額ほどの玄関から始まり、生活雑貨を収納するための棚やテレビなどを詰めこんだ小ぶりな居間、三人並ぶのが精一杯の台所、年季は入っているものの手入れの良い洗面所や風呂、自動で蓋の閉まらない手洗い、朱姫葛の寝室、空き部屋と一通り見て回った。
「不審なところがないか、好きに見てもらっていいよ。むしろ、妙なものがあったら教えてほしいくらい。私の家ではあるけど、良々木の持ち物だから」
姉弟は家をくまなく見て回った。特に檜は念入りで、居間の絨毯を持ち上げて床を確認したり、冷蔵庫や棚の裏を覗いたり、それぞれの部屋を確認して不審な空間がないかを確かめたりしていた。ナツメと違って、檜は朱姫葛と初対面だ。彼なりにこれまでのことから学習し、警戒している様子だった。
地下水路に繋がる扉も、不審な空間もない。それを確認すると、ナツメはほんの少しだけ安心した。
「あなたたちの部屋はここ。悪いけど、二人で一緒に使ってね」
朱姫葛は自分の寝室の北側にある空き部屋を姉弟に貸した。卓袱台と押し入れがあるだけの、とてもシンプルな畳の部屋だ。押し入れの中には、人数分の枕と布団が入っている。十分生活できそうだった。
夕飯はコンビニの弁当で済ませた。
朱姫葛は、ナツメが何か話しかければ答えはしたものの、一切無駄口を利かなかった。
食べ終わるなり、彼女は言った。
「今日はもう疲れたでしょ。当日の準備をしたり、行動を話し合ったり、そういうことは明日にしよう」
ありがたい提案だった。今日一日で色々なことがあったから、精神的に疲れきっていた。
風呂の使い方を教えてもらって入浴し、借りている部屋へ行く。先に風呂を済ませていた檜が、ドアを開けてすぐ正面の壁にもたれかかって座りこんでいた。部屋の中心にあった机は端へ避けられて、二組の布団が敷いてある。
まさか弟が布団を敷いてくれているとは思わなかった。
「布団敷くの、上手いね」
皺なくシーツを掛けられているのを見て、ナツメは褒める。けれど、檜は大したことなさそうに言う。
「林間学校で習ったから、当たり前だよ」
檜はドアの方を一瞥し、声の大きさを絞った。
「それより、あの人はどうしてる?」
「朱姫葛ちゃんのこと? あたしと入れ違いで、お風呂に入ったみたい」
自分のことは気にせず先に寝ていてくれていい、別に寝なくてもいいけれど、と言っていた。
檜はもう一度開いたままのドアを見て、仕草のみで閉めるよう指示した。ナツメは引き戸を閉める。
何か言いたげな空気を察して、目の前に座る。檜はぼそりと言った。
「あの人、何か隠してるよ」
「どうしてそう思うの」
「何となく」
ナツメは首を傾げた。
「隠してるじゃなくて、話してないの間違いじゃない? 今日会ったばかりなんだから、話してないことがあるのは当たり前だよ」
「でも、何か変だよ」
「どこが」
「いくら親戚と不仲でも、中学生が一人暮らしするかな」
「あたしたちが知らないだけで、そういうこともあるんじゃないの」
「あの人が暮らすのに必要なお金は、誰が出してるのかな。アルバイトをしてる感じもないし、そもそもこの町でアルバイトを募集してる店を見たことがないのに」
「別の場所にいる誰かが払ってくれてるとか」
「その良々木本家って人たちのこと? だとしたら、全然はみ出し者じゃないよね。気にかけてもらえてるんだから」
「朱姫葛ちゃんのことが信じられないの?」
檜は大きく頷いた。
「自分の家の話とか妖怪みたいなものの話も、いまいち信じられない。結局、俺の質問にもちゃんとは答えてくれなかった」
「明日なら答えてくれるかもしれないよ」
ナツメは目を伏せる。
「信用できてもできなくても、他に行き場はない。ここにいるしかないって分かってるでしょ」
「いや。道路沿いで野宿して、外から来た車をヒッチハイクして早く出て行った方がいいんじゃないかな」
「前にも言ったでしょ。町の人のものじゃない車を絶対拾える自信はある? それに、無事そうやって町を出られたとしても、その後は分からないよ」
親の一緒にいない、連絡手段もない子ども二人だ。どう扱われるか分かったものじゃない。
仮に良識的な運転手に巡り会えたとしても、交番に連れて行かれて町へ戻される可能性もある。自分たちのような未成年を、警察がそう易々と東京へ送り出してくれるとは思えなかった。
「なら、やっぱりこの家で電話を借りて羽子おばあちゃんに連絡して、迎えに来てもらおうよ」
「今日はもうこのくらいにしようよ、檜」
ナツメは立ち上がり、布団の片方に横たわる。
「今からヒッチハイクしたって、この深夜にこんなところまで来る車なんて、地元の人くらいしかいない。おばあちゃんだって寝てる。一晩くらいここで休んでいったって変わらない」
「でも、姉ちゃん」
「おやすみ」
ナツメはさっさと話を切り上げ、背中を向けた。檜はそのままじっとしていたようだったが、やがて溜め息を吐いて、隣の布団に寝転がる気配がした。
翌朝、朱姫葛に電話を貸して欲しいと頼んでみた。彼女はあっさりと了承した。
「うん。使ってみるといいと思う」
固定電話は居間の隅に置いてあった。ナツメは受話器を取り、戸惑う。
番号を押そうと思うのに、思い出せない。もしもの時のためにと、両親と祖母のスマホの番号を暗記していたはずなのに、頭の数字すら思い浮かばなかった
「ねえ。羽子おばあちゃんの電話番号って何だったかな」
「ええ? 忘れちゃったの」
「そうみたい。檜のスマホの連絡先に、登録してあったよね。教えてくれるかな」
檜は呆れた顔でスマートフォンを取り出す。操作していくうち、その顔から血の気が失せていった。
「電話帳のデータがない」
「うそ」
ナツメはスマートフォンを覗きこんだ。檜は連絡先を登録するアプリを開いていたが、誰の名前も見当たらない。連絡先と記された下には、空白があるだけだった。
二人であれこれいじってみる。けれど、連絡先が表示されない以外、何も異常が見つからない。
「待って。頑張って思い出すから」
ナツメはもう一度記憶に縋る。けれど、頭に浮かぶどの数字の並びもしっくりこない。
「あんたが俺のスマホを勝手にいじって、連絡先を消したんじゃないのか」
檜が朱姫葛に食ってかかる。朱姫葛は首を横に振った。
「そんなことしないよ」
「本当かよ。証拠はあるのか」
「あるわけないでしょ。昨夜からこの家の中にいるのは私たち三人だけ。あんたたちが寝てる間のことなんて、誰も知りようがない。第一、そのスマホは、私が寝てるあんたたちを起こさないようにしながらでも操作できるような場所に置いてあったの?」
檜が黙る。
──私たち以外の人間がスマートフォンに触るのは、ほとんど無理だったんじゃないかな。
ナツメは考える。何故なら、弟のスマホは彼の敷布団の真下にあったからだ。例によって警戒せずにはいられなかった弟が、自分なりに寝ている間でも誰かに奪われたり操作されたりしそうにない場所を考えて隠したのである。それだけでなく、慣れない状況だと眠りの浅くなりがちなナツメが昨夜も何度か目を覚ましていたのだが、その時に部屋の物の配置や扉の閉め具合が変わっていた様子はなかった。足音なども聞こえなかったと記憶している。
「朱姫葛ちゃんじゃないよ。だって、昨夜はよく眠れなくてちょくちょく起きていたんだけど、ずっと変わった様子はなかったから」
ナツメが言うと、いよいよ檜は困惑した表情になった。
「なら、なんで連絡先がなくなっちゃったんだろう」
それは分からない。
姉弟が途方に暮れていると、朱姫葛が口を開いた。
「そもそも、どうして今まで外に助けを求めようとしなかったの」
「だって、迷惑をかけたくなかったから」
「だとしても、一度くらい、連絡しようか迷いながら電話しようとしそうなものだけど。最後に連絡先を開いたのはいつ?」
「分からない」
「あんたは?」
朱姫葛がナツメに問いかける。
「あたしのスマホは、六月頃にママに壊されちゃって」
その頃までは友人たちと仲良くしていたから、外に連絡する必要性も感じていなかった。
朱姫葛は眉根を寄せた。
「スマホを持ってないからよく分からないんだけど、家電が壊れたらすぐに次のものを用意するものじゃないの?」
「それが、注文したのにまだ届かないんだ」
「本当に注文したの?」
問いかけられるうちに、気づく。
新しいスマートフォンを発注すると言ったのは両親だ。昨日の母の異常ぶりや、家を出たのに弟へ何の連絡もして来ない父の様子から考えるに、彼らはこの町に棲む隣人に取って代わられてしまったに違いない。
だとしたら、スマートフォンは届かなくて当然だ。この町にナツメたちを居つかせたいなら、買うわけがない。
ナツメは項垂れる。朱姫葛はどこか労わるように言う。
「あんたたちの親、約束を守る親だったんだね。それもあって、まんまと子どもの非力さに付けこまれたわけだ」
ナツメは溜息を吐く。
「それだけじゃないの。ママと喧嘩してスマホを壊された後、友達──志乃たちが変だって気づいた。だから、新しいスマホを持っているとまたメッセージのやりとりをしなくちゃいけなくなるから、ない方が都合がいいような気もしちゃって」
「そうだ、アプリ!」
檜が叫んだ。
「アプリの電話はまだ試してない。ばあちゃんとも繋がってたはず」
ナツメは檜の手の中を覗く。液晶画面にメッセージアプリのウィンドウ。連絡先の項目を檜の指がタップする。
一覧には、やはり何もなかった。
「最後に外の人間と連絡を取ったのはいつ?」
肩を落とす姉弟に、朱姫葛が聞く。ナツメは落ちこんでばかりもいられないと考え、答える。
「ここに着いたばかりの頃だったかな。前の学校の友達とやりとりしてたんだけど、あたしが転校の話ばっかりしてたせいか、返事が来なくなっちゃった」
「それって本当に、話題のせいなのかな」
ナツメは首を傾げる。
「どういうこと?」
「友達以外からの連絡は、まったく来なかった? それこそ、おばあ様とは一度もやりとりをしなかったのかな」
「しなかったよ。東京にいた頃はよく会ってたから、スマホでやりとりすることが全然なくて」
話しながら、はたと気づく。
──あんなによく会っていたのに、こっちに越してきてから全然連絡してないなんて、おかしくない?
外回りのことを得意とする祖母は行動的で、孫とも積極的にコミュニケーションを取ろうとするような人だ。それが、どうしてこの三か月間、全然音沙汰なかったのだろう。それに、どうしてまた、自分や家族の誰もが、引っ越しという一大イベントを終えたのに、祖母に連絡しなかったのか。
「檜。スマホを貸して」
弟は訝しげな様子ながら、素直にスマートフォンを手渡した。
ナツメは思いつく限り、外からのメッセージが入ってくるだろう場所を探る。電話の着信履歴は両親やナツメの名が並ぶばかり。祖母からの電話は、三月に駅で待ち合わせをした時のものが最後だ。メールフォルダは、四月当初に契約している通信会社からのメールを受け取ったきり、何も受信していない。システムやアプリの更新履歴を見てみると、四月の頭でアップデートが止まっている。この時代に、三か月も情報更新がないなんて滅多にないことだ。それも、一つのアプリだけならともかく、すべての更新がないのである。まずありえない。
「どうして。ブラウザは開けるのに」
ナツメは試しに適当にブラウザを開き、ニュースサイトに飛んでみる。今日の日付で出来事が羅列されている。記事の中の一つを選んで中をざっと読んでみるが、ごく普通のコラムだ。
──大きな通信障害が起きているなんてことはないかな。
ナツメはブラウザのトップに戻り、検索窓に通信障害と打ちこもうとする。しかし、反応がない。何度細長く白い四角をタップしても、カーソルが現れない。
「どうしたの」
姉のこわばる顔を見て、異常を察したのだろう。檜が訊ねた。
ナツメは今気づいたことを話す。檜は自分もやってみると言ってスマホを取り戻し、
あれこれ操作する。だが結果は芳しくないようで、真剣な表情がすぐに曇っていった。
一方、朱姫葛は相変わらずの冷静な様子で呟く。
「そっか。そういう通信みたいなものまで閉鎖されてるとは知らなかった」
何か知っているような口ぶりだった。
檜が作業をやめ、朱姫葛を見つめる。朱姫葛はあのね、と切り出す。
「ここは生け簀なんだよ」
生け簀。ナツメは、咄嗟に何のことか察せなかった。
しかし、釣りや動植物などに興味を持ちがちな檜は、すぐに理解したようだった。
「生け簀って、食用の魚を放しておくための施設だよな。捕まえた魚を、海中の網で囲ったところとか、水槽とかに入れたりする」
「うん。合ってる」
朱姫葛は頷く。
「じゃあ、ここが生け簀っていうのは」
「我気逢の土地は、目に見えない網で覆われている。これに絡めとられてしまった人間は、いつか隣人になるまで出ていけない。隣人になってしまえば、衣食住全部困ることがなくなる。そのうち、生け簀の持ち主に掬い上げられるまではね」
生け簀の持ち主。
昨日聞かなかった存在が仄めかされた。ナツメがそれについて聞こうとする前に、檜が声を上げた。
「どういうこと。おかしいだろ。町から出て行けないのもそうだけど、通信まで遮られるなんて、ありえない」
「でも、ありえちゃってるからにはありえるんだよ。慣れない環境で動揺する気持ちは分からなくもないけど、早く今の状況を認めて対策を考えた方がいいと思うけど」
朱姫葛はどこまでも落ち着いている。彼女にとってはこれが日常なのだろうが、それにしても落ち着きすぎているような気もする。
「今日は学校を休んで、作戦会議をしようよ。どうせこの分だと授業なんて頭に入ってこないでしょ」
「そうだね。欠席の連絡をしよう」
ナツメは同意した。
「中学校の方は、生徒本人が連絡しても大丈夫。でも小学校はそうはいかないから、振津さんが連絡してね」
「分かった。連絡が済んだら、朝ご飯にしようか」
そう言ったところで、別の問題が思いあたる。ナツメは朱姫葛の顔を窺いながら、問いかける。
「あの。私たち、あんまりお金を持っていないの。だから、海の日までの食費が」
「あ、そっか。いいよ。私が出してあげる」
思いの外、朱姫葛はあっさりと了承した。
「またコンビニで良い?」
「朱姫葛ちゃんって、自炊しないの?」
「自分一人のご飯だもん。面倒くさいでしょ」
ということは、普段ずっと出来合いの弁当や総菜を食べて暮らしているのか。
ナツメは悩む。住むところと食費を借りられるだけでもありがたいのだが、ずっと出来合いのものばかりでは体の調子が狂いそうだ。母が食事に気を遣う方だったせいだろうか。ナツメもまた、食生活に重きを置かずにはいられないタイプだった。
「朱姫葛ちゃん。他人の作ったご飯を食べるのに、抵抗はある?」
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