谷底の出会い

第6話 テンペスト

「……んぅ」


 気を失っていたらしい。セルフィアは目を閉じたまま、ゆっくりと記憶を呼び起こす。何者かに後ろから押され、龍が住まうと伝わる谷底へと落ちたはずだ。本来ならば、目覚めることなく死んでしまっていただろう。

 自分は生きている。セルフィアはゆっくりと瞼を上げ、自分が何処にいるのかを確かめようとした。土やカビのようなにおいがして、更にその中に不思議なにおいが混ざっている。その正体を知りたいと思ったのだ。


「ここは……谷底?」


 横になっていると目の前の地面しか見えなかったが、上半身を起こすと周囲がよく見える。周りは背丈の低い草や苔の生えた土壁であり、ところどころに石や岩が散らばっている。日の光がなかなか届かない谷底にあっても、植物は力強く生きていた。

 その時セルフィアは、自分が比較的草の多い場所に横たわっていたことに気付く。


「この草地だから、落ちても生き延びた? って、そんなことはないよね」

「――ああ、目覚めたんだね。よかった」

「誰!?」


 突然聞こえた、青年の声。セルフィアが恐怖を覚えて振り向くと、そこには一頭の龍が這っていた。灰色の鱗で覆われた巨体は、優に十メートルはあるだろう。

 青色の目は切れ長で鋭く、セルフィアを萎縮させるには充分な圧を持っている。しかしその奥にある瞳はこちらを案じる色を持ち、不思議な魅力を放っていた。

 セルフィアは後退を一歩で踏み止まり、顔を上げて灰色の龍に問う。


「貴方は、誰?」

「……我が名は、テンペスト。この谷底で、永き冬の終わりを待ち焦がれる者」

「テンペスト」


 名を呼んでみると、テンペストはふっと目を細める。その仕草が不思議と人らしく思え、セルフィアはそっと龍の頬周辺を撫でた。

 撫でられ、テンペストは目を見開く。


「……怖くないのか?」

「怖くないと言えば、大嘘です。龍を見たのも触れたのも初めてだし、とても怖いし緊張しています。だけど、貴方とは意思疎通が出来るから」

「そうか」


 しばらく撫でられるに任せていたテンペストだが、セルフィアの手が離れて頭を持ち上げる。


「私は、ここから龍の力を使って地上世界を眺めることが出来るんだ。だから、きみが贄姫として儀式に出ていたことも知っている。落ちて来たきみを助け、横たえておいたのも私だ」

「そうだったんですね……。ありがとうございます」


 ぺこりと素直に頭を下げたセルフィアに、テンペストは軽く目を見張った。しかし何も言わず、セルフィアから少し離れてとぐろを巻く。


「……きみは、贄姫になることを受け入れてあの場にいたわけではないだろう? 少し見させてもらったが、かどわかされたか」

「はい。本来贄姫を担う予定だった人に。……わたしは、これから貴方に食べられてしまうんでしょうか?」

「随分と率直だな」


 言葉の割に、言い方は優しい。テンペストは首を横に振ると、息を吐く。


「龍が……私が贄を欲するなど迷信だ。少なくとも今はまだ、私は私であり続けている」

「……今は、?」

「聡い娘だ。どれ、少し昔話に付き合ってくれ」


 そう言うと、テンペストは遥か遠くを眺めてから口を開いた。


「昔々、この国には気弱な王子がいた。彼は幼い頃から婚約者がいたが、成長してある人と出会ってしまう」


 王子が出会ったのは、当時まだ存在した魔女だった。父である国王が国防強化の助けを求めて招いた魔女で、彼女は確かにその当代随一の魔力の持ち主で使い手だった。


「魔女は、王の求めに応じて強固な防御壁を構築した。その壁は敵意のある魔法や武器による攻撃を跳ね返し、善良な人々は自由に行き来出来るという代物だ。王を始めとした人々は喜び、魔女に王城に自由に入る権利を与えた」


 魔女はその権利を使い、王城の図書館に通った。彼女の知識欲は凄まじく、いつか国内全ての知識が詰まっていると言われる王城図書館に行ってみたかったのだと言った。

 王城に通う中で、魔女は王子や王女、使用人たちとも交流を深めていく。その中でも特に、第一王子とは話が合った。


「王子は魔法に興味があり、研究したがっていた。本人には魔力などなかったから、魔女が教えてくれる魔法に関する知識を聞くことは、彼にとって素晴らしく楽しいことだった」


 魔女と王子は共に過ごすことが多くなり、王子は勉学や鍛錬、仕事の合間に図書館へと通った。

 そんな中で、魔女が王子に惹かれるのに多くの時は必要なかったらしい。ある時、王に褒美を尋ねられた魔女はこう言った。王子のもとへ嫁ぎたい、共に歩みたいと。


「当時、魔女は希少で珍重され重んじられた。同時に、その不可思議な力を恐れられ、遠ざけられてもいた。利用され、恐れられる存在だった。……だから、王は己の王家に魔女の血が入り込むことを嫌悪して断った」


 しかし、魔女は王を脅しにかかった。自分を王子に添わせなければ、シャルガータ王国は永遠の冬に閉ざされる、と。


「永遠の冬など、誰も経験したことがない。王城では何度も会議が開かれたが、結局いくら偉大な魔女でも永遠の冬など作り出せるはずがないという結論に至った。魔女は王国から追放され、王子はかねてから決まっていた隣国の姫君と結ばれた」

「……シャルガータ王国の昔話ですよね。その後、最初の冬が来て、

「そう。人々が待てど暮らせど、春が来なかった。雪が舞い、薄暗い空が続き、半年が経過した。そうなって初めて、人々は魔女の呪いが本当になったのだと気付いた。けれど、気付いた時にはもう遅かった。……何もかも」


 冬は何年も続き、人々は夏を思い出すことが出来なくなっていった。

 王は自分たちの選択を悔やんだが、魔女の所在を明らかにすることも出来ずにいた。そして、事態は更に悪化する。


「ある時、王子は人の姿を失った。夜中に魔女の存在を感じた直後、体が異変を起こして龍の姿になってしまったんだ。もうこの場所にはいられない、と王子は自ら城を出て住まいを探し、この谷へたどり着いたんだ」

「……ということは、貴方は」


 セルフィアが目を見開き、テンペストを見つめる。すると龍は頷き、悲しそうに目を伏せた。


「その通り。私は、昔話に出て来る王子……タルタリア・シャルガータだ」

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