あの日の夏美ちゃん
星宮ななえ
あの日の夏美ちゃん
夏美ちゃんって覚えてる?
もう何度目になるのだろう。
当時、同じ小学校に通っていた同級生に会うたびに、私はその名を口にする。
決まって返ってくる言葉は「覚えていない」
どうしてなのだろうか。
夏美ちゃんとは、クラスは同じになったことはなかったけれど、低学年の時によく遊んでいた記憶がある。
放課後の校庭や家の近くの公園で一緒に遊んだ。
私の記憶の中の夏美ちゃんは、小柄で兎のように色の白い女の子。深い栗色髪のショートカットで、少し吊り上がった目をしていた。夏美ちゃんは「魔法少女なつみん」が大好きだったから一緒によく魔法学園ごっこ遊びをした。夏美ちゃんは、その魔法少女なつみんの描かれたピンク色のTシャツがお気に入りで、それをよく着ていたと思う。
私の通っていた小学校は、一学年三クラス。
そこまで大きいわけでもない。
私以外、全く覚えていないという子が、出てくるものだろうか。
夏美ちゃんのことを思い出したのは、来年の春、その母校が隣町の小学校と合併されて閉校になるというので「その前に連絡がとれる人には声を掛けて、みんなで集まって学校に行こう」という話が持ち上がったからだった。
閉校後は福祉施設となる予定の為、その後には母校だからといって気軽に足を踏み入れられなくなる。
それで私は、遠い日の記憶の中で、放課後に夏美ちゃんと一緒に学校の桜の木の下に、タイムカプセルを埋めたことがあったのを思い出したのだ。
自分の大切な物や手紙を箱に入れて、埋める。一時期、誰が始めたことかは知らないが、私たちの学年でそれが流行っていたので、皆が校庭のあちこちにこぞって埋めていた。
でもある日、先生にそれが見つかって「勝手に校庭に私物を埋めるな」とすごく怒られた。先生は該当者を呼び集めて、それらは掘り返されてしまったみたいだけれど、ちょうど私はその日、風邪をひいて休んでいたので、その事の顛末は後日になって知った。
しばらくして、公園で会った夏美ちゃんにそれを言うと
「私たちのは先生には掘り返されなかったよ」
とあっけらかんとしていた。
「二人だけの秘密ね。二十年後まで埋めておこうよ」
そう言って、夏美ちゃんはいらずらに笑った。
だからあのタイムカプセルは、まだきっと校庭に埋まったままなのだ。先生の目を逃れた折角の思い出の品。福祉施設になる前に、二人で掘り起こしたい。
だから、夏美ちゃんと連絡を取りたかった。
けれど、名前を出してみても、みんな首を捻る。
訝しげな顔をして、知らないと言う。
「幽霊なんじゃない?」
その話を聞いて、同僚の亜希子が言う。
「やめてよ。ちゃんと足もあったし」
「だって、誰もその子のことを知らなくて、その子とは放課後とか公園とかで遊んでいた記憶しかないんでしょ? ほら、やっぱり幽霊なんだよ」
そんなわけないと思っても、これだけ誰も覚えていない、知らないとなると、少しだけそうなのかもとも思ってしまう。
たとえ夏美ちゃんが不登校児だったとしても、いくらなんでも名前くらいは覚えている人がいてもいいものだ。
やっぱり夏美ちゃんは、幻か幽霊か物の怪だったのだろうか。
結局、私はそのまま、夏美ちゃんと連絡をとることも出来ずに、その日を迎えた。
でも、夏美ちゃんは来た。
やっぱり夏美ちゃんは存在していた。
十五年ぶりに会った夏美ちゃんの栗色の髪は伸びて、絹のように艶やかに靡いている。
白い肌にピンクのリップ。すらりと伸びた手足。
とても綺麗になっていた。
「久しぶり、冬花ちゃん」
そうか、みんなが覚えていないのも無理はない。
私たちは体育館で集合したあとに、十五年ぶりということもあって一人ひとり改めて自己紹介をした。その時、理由がわかった。
彼の名前は、近藤四季。
まず名前が違う。声は少しばかり低い。そしてそう、なによりも「彼」なのだ。
夏美ちゃんじゃなかった、四季君だ。
私は彼を見て、目を丸めていた。
「やっぱり、わかっていなかったんだね」
夏美ちゃん、こと四季君はそんな私を見て、そう言っていらずらに笑う。
私は首を捻った。私の記憶はいったい何がどうなっているのだろう。
「ごめんね、冬花ちゃんを騙すつもりはなかったんだけど……」
四季君は、そんな私を見ると、少し肩を窄めて当時の状況を説明してくれた。
──あれは、小学校二年生の時。
母に何度もお願いして大好きな「魔法少女なつみん」のTシャツをやっと買ってもらえたんだ。色も大好きなピンク。
母には家の中で着るだけにしなさいって言われていたんだけど、どうしても外でもそれを着たくて、ある日の夕方、こっそり着て、家の近くの公園に行った。一瞬で帰るつもりだった。
でも、ちょうどその時に冬花ちゃんに会ったんだ。
どうしようって思ったけれど、冬花ちゃんはすぐにこっちに気が付いて、一緒に遊ぼうって誘ってくれた。男の子だって全然気が付いてなかった。服もすごく褒めてくれた。その時、自分の存在を初めて肯定されたようで、嬉しかった。
だから不意に名前を聞かれて、どうしてもその時間を壊したくなくて、つい、大好きななつみんから名前をとって夏美って名前が口から出たんだ。
それから、冬花ちゃんと女の子の遊びで遊べるのがすごく楽しくて、本当のことを言うタイミングもなくなっちゃった。
クラスが違かったから、学校で男の子の服を着ていれば冬花ちゃんも気が付かなかった。
でも、学年が上がってくるにつれて体は男の子になっていく。
怖かった。変わっていく体と、その中にある変わらない夏美。
本当の自分はどっちなんだろうって、わからなくなった。
それに嘘つきな自分を、冬花ちゃんに受け入れてもらえる自信もなかった。
だからあのタイムカプセルを一緒に埋めたあと、公園に夏美として遊びに行くのをやめた。
冬花ちゃんと遊ぶのを、やめたんだ。
……ごめんね。
夏美ちゃんはそう言って頭を下げた。
「謝ることなんて何もないよ」
私はそう言って「夏美ちゃんにまた会えてよかった」と言った。
四季君のことはよく知らないけれど、私も夏美ちゃんと遊んでいる時がすごく楽しかった。
私たちはその後、桜の木の下に埋めたタイムカプセルを掘りに校庭に出た。
そして、なんとなくこの辺、というところを何度か掘って、無事にそれを見つけることが出来た。
それは、ビスケットが入っていたと思われる大きなブリキの缶。
少しだけ錆びて、砂で汚れていたけれど、ちゃんと残っていた。
少しドキドキしながら私たちは、ブリキの缶の蓋を開けた。
当時、缶の中に、さらに封筒に名前を書いて、各々がその中に入れたい物を入れた。
私は二十年後の自分宛の手紙とお金、それと貝殻。
夏美ちゃんも自分に宛てた手紙と、口紅が一本入っていた。
「これ、お母さんの口紅だ」
夏美ちゃんがそう言って笑う。そして手紙を開く。
「あたし、自分宛の手紙に、女の子になれますようにって書いてあるわ。短冊かよ」
私は「なれたじゃん!」と言って親指を上げる。
さて、私の手紙には……
二十年後も夏美ちゃんと仲良しでいられますように。
そう書いてあった。
「少し早めに掘り起こしちゃったから、二十年後まであと五年。私の願いもしっかり叶えないと」
私は夏美ちゃんにそう言って魔法少女のポーズをとった。
「短冊かよ」
夏美ちゃんはそう言って、はにかんだ。
私の携帯電話の連絡先に、やっと彼女の名前が登録された。
もちろん、登録名は夏美ちゃん。
それは、それから私の携帯電話の履歴によく載る名前となった。
夏美ちゃんは今、私のいちばんの親友の女の子だ。
あの日の夏美ちゃん 星宮ななえ @hoshimiya_nanae
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