羅雪
春羽 羊馬
羅雪
その日もこの山には雪が降っていた。
私が生まれた日の翌晩と同じ、次の日に跡を残さないほどの大雪が積もり初めていた。
「さみぃ~」
震える自分の身体を抱きしめ縮こまる男。そんな状態でも男は、真っ暗なこの山の中でゆっくりと足を進める。
空を覆うほどの成長を見せる木々が、前後ろ右左の至る所で映り込む。
地面には、ずっと先まで続く真っ白な雪景色が広がっている。
「…ったくアイツら、
雪道に足を取られる男が愚痴をこぼす。
男が何故、真夜中のこんな山奥を歩いているのか?それは数時間前の出来事まで遡る。
「ねぇ、もう帰ろうよ」
淡いオレンジ色の光がまだ、木々の隙間から差し込まれてた時間。一人の男が口にする。
「やだよ。ここまで来たんだから。大体、そのセリフ今日何回目だよ」
後ろから聞こえてくるその言葉に先頭を歩く男が足を止め振り返る。
「でも…もう時間が…」
上から投げられる男の威圧に委縮してしまう最後尾の男。
「こいつの言う通りだ
二人の間に立つ三人目の男が先頭の男へ向け声を上げる。男のその言葉にギュッと拳を握りしめる刹那。
「刹那、お前の気持ちもわかる。けど、ここまでだ諦めよう」
そう言うと男は、山の
「…いやだ」
麓へ向け歩き出す二人の耳に刹那の声が届く。
「いやだ!俺はまだ探す」
「刹那っ…」
「明日には本州を出る。だから今日しかないんだよ」
二人を見下ろす刹那の顔は、今にも泣きだしてしまいそうほどだった。
「刹那!そもそもあの話が本当かどうかも分からない。嘘かもしれないんだぞ」
「だから確かめに来たんだろ!」
反抗を見せる刹那。
「お前は、その嘘に命を懸けるつもりか」
「ああ、懸けるよ」
二人は、刹那の口から出た思いもよらねそのセリフに表情を凍らせる。
奥歯に力を入れる一人の男。やがてその男の表情に怒りの感情が浮かんでくる。
「ああ、そうか。…じゃあ、勝手にしろ!俺たちは先に帰らせてもらう」
睨み合う刹那と男。ふんっ、とやがてお互いに踵を返す。二人は山の麓へ、刹那はさらに山の奥へ進んで行く。
「ぜってー見つけてやる。例の雪女」
そうして決意を新たにする刹那。別れ際のその後ろ姿を一度だけ振り返っていた二人の眼に映る。
これが山奥に今、彼・刹那がいる理由である。
友人二人と分かれてからも歩き続けること数時間。
「ん?あれは…」
真っ暗な雪道を進む刹那の目に映った一つの小さな明かり。
雪道で重くなった足を上げ、刹那はその明かりへ向け走り出す。
明かりへ向け駆けること約十数歩。そこには、ポツンっと一軒の小屋が建っていた。刹那の前に現れた明かりは、小屋の窓から漏れ出ていた
「もしかして…」
小屋を見る刹那の顔にゆっくりと笑みが浮かぶ。その顔はまるで、待ちに待っていたプレゼントを目にした幼い子供のようだ。
刹那は小さく一つ咳払いをするとコンコンコンっと3回、小屋の扉を叩く。
「夜分遅くに失礼いたします。自分はとある事情でこの山を訪れたのですが、帰り道が分からなくなってしまい。もしよろしければ今晩、泊めていただけないでしょうか?」
刹那は慣れない丁寧語に加えどこか芝居がかった話し方で、小屋の中にいるであろうモノに呼びかける。
少しすると小屋の扉が内側からゆっくりと開けられる。開いた扉の向こうには女性が一人。女の姿が刹那の眼に映る。
冷たい風になびく銀色の長い髪。結晶のように透き通った瞳。雪よりも真っ白な着物に身を包む。袖から伸びる溶けてしまいそうなほどに薄い肌。女のその姿はまさに、刹那が探し求めていた雪女と呼ぶ存在そのものだった。
「どうぞ」
女は一言だけ口にし、小屋の中へ刹那を招き入れる。刹那も女へ会釈し、小屋の中へと足を踏み入れる。
「よろしければ、そちらの囲炉裏であったまってください」
「ありがとうございます」
女の言葉通りに刹那は玄関で靴を脱ぐと目の前に広がっている居間へ進み、中央に設置されている囲炉裏の傍に腰を落とす。
囲炉裏の中で広がる一面の灰景色。灰景色の至る所では小さな火が姿を見せている。外の寒さを忘れさせるほどの温かさが小屋の中を包み込む。
「はぁ~あったけ~」
温かい囲炉裏の思わず顔がにやける刹那。
そんな刹那の傍に女が腰を下ろす。しかし女は刹那に声をかけず、傍でじっとにやけ顔の刹那を眺めている。
そのうち自分に向けられている視線に気づいた刹那は、そのほうへゆっくりと首を動かす。自分へ向く視線を確かめようとする刹那の目と刹那の横顔を眺める女の目が合う。
女が刹那に微笑む。
女からの急な微笑みに刹那は顔を赤くする。無理もない清楚と呼ぶに相応しいほど女は、刹那にとって良い女性なのだから。
段々と近づいてく互いの距離。温かい部屋で刹那と女の唇が重なる。
……
重なった唇が離れる。見つめ合う二人の傍で囲炉裏の中の火の粉が舞う。
また優しそうに刹那へ微笑む女。
「…っ!すいません。急に」
我に返ったように刹那が女に謝る。
「いえ、大丈夫ですよ」
女が刹那に怒ることは無かった。
「優しい口づけで、むしろ可愛らしかったですよ」
女は着物の袖を口元に当てながら刹那のことをからかう。可愛いと言われどぎまぎする刹那。
ぐぅ~
照れている刹那の腹からふと気の抜けた音が鳴り出す。空腹の知らせだ。
目的のために昼過ぎから山奥を歩いているのだから無理も無い、とっくに刹那のエネルギーは切れている。
「ふふ、本当に可愛らしい人ですね。今お食事の用意をしますので、しばしお待ちください」
腰を上げた女が部屋の奥に見える台所へと足を運ぶ。
暫くすると台所から女が戻って来た。女は持ってきたお盆を刹那の前に置いた。お盆には、塩むすびが二つと美味しそうに湯気を立たせる味噌汁が乗っていた。
「いただきます」
用意された食事に刹那は手を合わせる。
「ん、ん~」
目が覚める刹那。気がつくと部屋の中は真っ暗で、囲炉裏の火も消えていた。
「え~と飯食って、そのあと…あ、寝落ちしたのか」
目を擦りながら寝落ちする前の記憶を遡る。
「あら、おはようございます」
真っ暗な部屋に徐々に目が慣れてきた刹那の耳に女の声が聞こえてくる。
「お…姉さん…」
寝起きの刹那に跨るように女は立っていた。
「お姉さんなんて、そんな他人行儀に呼ばないでください。
着物の帯を解きつつ雪と名乗る女。
「雪女…」
着物の中から
「やはり…ご存じだったんですね」
雪の肩から流れる様に着物が落ちる。
真っ暗な部屋で悲しげな表情を見せる雪。彼女の顔が刹那の目に鮮明に映る。
「わたしが…怖いですか?」
刹那を押し倒し、覆いかぶさる雪。
「わたしは…不気味ですか?」
雪の瞳から溢れ出した涙が、ぽつぽつと刹那の頬に落ちる。
そんな雪の後ろに腕をまわし、そのまま彼女を抱き寄せる刹那。
「俺は……」
刹那は、雪の耳元で彼女に対する正直な気持ちを告白する。
目を合わせる刹那と雪。やがてまた二人の唇が重なる。この時、刹那は自分の足元に広がり始める温かい液体を感じていた。
「最後に名前をお聞かせください」
目元がまだ赤く腫れている雪が刹那に聞く。
「刹那。俺は……刹那」
額から……を流す刹那が今にも消えそうな声で、雪の問に答える。
「ありがとう。刹那さん」
冷たい風のように流れる雪の言葉を最後に、小屋から物音が聞こえてくることは無かった。
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