料理人彼氏とメンヘラ彼女

ざるうどんs

第1話

私には少し年上の彼氏がいる。隣で小さく寝息を立てているのが、愛しの彼だ。イケメンで優しくて料理が美味しい。私はそんな非の打ち所のない彼を世界で一番愛している。


 なので、この手で殺したいと思っている。話を聞いたほとんどの人は私に指をさし、「お前は変だ」と言うと思う。それでも私は構わない。彼が私だけのものになるのなら……


──私たちが初めて出会ったのは数ヶ月前の事であった。私はいつもと同じ退屈な日常を送っていた。そんな日常から解き放たれたかった私は、普段は通らない道で帰路についていた。


 その路地は薄暗さと人気のなさが相まって、薄気味な雰囲気を放っていた。そのため、人攫いが横行しているなどの良くない噂が立っていた。今思うと、その人攫いにどこか違う世界に連れて行って貰いたかったのかもしれない。


 その薄暗い路地を、淡い期待と恐怖心と共に歩みを進める。少し進んだ所に、ポツンと明かりの灯った小さな屋台が佇んでいるのを見つけた。私はいい香りに釣られ、吸い込まれるように暖簾を潜っていた。


「いらっしゃい」


 これが私と彼を繋ぐ産声だった。私は彼に促されるまま席に着く。


「料理は僕のおまかせでいいですか?」


 私はこくりと頷く。さっきまで不気味に感じていた路地であるのに、彼の微笑みがそんな不安を打ち消していた。それ所か私は彼の料理姿に魅了されていた。一目惚れと言うやつなのかもしれない。


 料理が提供されるまでの間、私は片時も彼から目を離すことは無かった。彼は小さく微笑みを浮かべながら、前菜であろう鮮やかな料理を差し出してきた。


 丸く切られたパンの上に、彩り豊かな野菜やチーズが盛られ、視覚だけでも満足感にかられる料理であった。私は料理に引き寄せられるように、一口、また一口と味わってゆく。食材の旨みがハーモニーを奏で、体が喜びに浸っているのを感じていた。


「こちら、ワインリストになるのですが、どちらになさいますか?」


 見たことのない長い名前のワインが紙一面に書かれていた。


「すいません。私、そんなにお金持ってきていないんですが、今日お幾らくらいかかりますか?」


「いえ、お代は大丈夫です。今日いい肉が入ったので」


「でも……」


「私はまだ料理人の端くれでして、お金を取れるような料理は提供できません。ですので、お気になさらないでください。お代の代わりと言ったらなんですが、毎日この時間にここで料理の感想を頂けませんか?」


「分かりました。是非お願いします」


 私は悩むことなく即答していた。美味しい料理を食べられることもそうだが、彼と毎日会える約束をできたことが何よりも嬉しかった。


 彼のオススメだというワインを頼み、イタリアンのコース料理を楽しんだ。コースが終わるまで、彼は私の悩みや愚痴を親身になって聞いてくれた。普段、周りに話せないようなことを私は話していた。気づいたら彼に胸の内を全てさらけ出していた。私はすでに彼の虜になっていたのだ。


──客と料理人の関係を続けて数ヶ月が経っていた。今日も、彼の屋台に足を運んでいた。今まで着ていた洋服がきつくなっていて、幸せ太りと言うやつを実感していた。彼と出会ってから、退屈だった日常が、幸せで溢れ、彩り豊かな異世界が広がっていた。


「今日も食べに来たよ」


「いらっしゃい。待ってたよ」


 彼のいつもとどこか違う雰囲気が、世界のトーンを少し暗くした。


「なんかあった?」


「実はそろそろいい頃合いだから、お別れしなきゃならないんだ」


「そうだよね……ずっとここにいる訳にも行かないもんね……」


「本当に今までありがとう。今日は腕によりをかけて作るから」


「分かった。楽しみだな」


 私は溢れそうな涙を無理やり押し戻す。始まりがあれば終わりが来る。そんなこと私が一番分かっていたのに……また退屈な日常に戻るだけ……彼の姿を目に焼き付けるかのようにじっと彼を見つめ、最後の晩餐を待った。


「お待たせ」


 初めて会った時と同じ、思い出の味であった。口へ運ぶ度に、涙が溢れ出して止まらない。彼の腕前が、高みへと躍進しているのを実感していた。


「美味しい……美味しいよ」


「いつも美味しそうに食べてくれたから頑張れたよ。本当にありがとう」


 私が涙ながらに伝えると、彼は嬉しそうにいつもの笑みを浮かべていた。その後も初めてあった時と同じコースが続いた。どの料理も素人舌でも分かるくらいに躍進していた。デザートが、彼との時間の終幕を告げていた。


「もうお別れなんだよね……」


「うん」


 沈黙が訪れる。さっき食べたコース料理がとても前の事のように感じる。彼との日々が走馬灯のように脳内を流れ、ある一つの想いが胸を掴んで離さない。「彼とずっと一緒にいたい」その感情だけが渦巻いていた。


「あのさ……私あなたの事が好きなの。だから、どこにも言って欲しくない。これからも一緒にいて欲……」


 私が言い切る前に彼が抱きしめてきた。どのくらいそのまま居たのだろう。とても長い時間が過ぎた気がする。


 店の片付けを済ませると、私達は彼の家に向かった。玄関に入るや否や、お互いを求め合った。彼の温もり、鼓動、彼の全てを近くに感じる。深く唇を重ね合う。幸せな気持ちで満ち満ちていた。


 2人で横になると、他愛もない会話をした。こんな日常が続けばいいなと思った。だから、私達のこれからについては触れられずにいた。多分彼はいなくなってしまうから……


 彼は気が付くと眠っていた。彼の寝顔を眺めながら私はカッターを彼の首に当てる。今殺してしまえば、彼はどこにも行かずに私とずっと一緒にいられる。私はカッターを振り上げる。


「愛してるよ。これからもずっと一緒だよ」


──「……次のニュースです。多発していた誘拐事件の犯人の男性を逮捕しました……容疑者の部屋で複数の女性の骨が発見されています。また血の付いた調理器具が見つかっており、事件との関連性を調査しています。詳しい犯行動機は分かっていませんが、「お互いの利害が一致していた」などと意味不明なことを繰り返しています……」

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