(5)


――


「おおっ……こ、これは……!」


「ふっふっふ。どう?ルーちゃん。初めての温泉は」


「広い……なんだこれは……!幾つ風呂があるんだ……!?」


 ルーティアは、女性浴場の入り口に立って驚きの声を上げた。

 裸は恥ずかしい様子で、入り口で借りたハンドタオルを身体につけている。小さいサイズではあるが……各所を隠すのに、事は足りていた。


 大浴場は湯気に包まれ、視界は良くはないがその全貌は把握できる。

 10人は余裕で浸かれるであろう風呂が、室内にずらっと並んでいる。その数、五つ。

 それぞれ壁を背にして湯船があり、『源泉』『水風呂』『ジャグジー』など書かれた札が壁に下がっていた。


「さー、まずは身体を流して」


「あ、ああ……。身体を、流す?」


 気付けばマリルは入り口の隅にある『かけ湯』というコーナーにいる。

 備え付けてある手桶を持つと、壺のような小さな入れ物から湯をすくって自分の身体に2、3回かけていた。

 ルーティアも慌ててマリルについていき、その真似をした。


「どうしてこんな事を?」


「ほら、大衆浴場っていうのはさ、色々な人がお風呂を使うわけじゃない?その色々な人のうちの一人が、極端な話泥まみれだったりしたらそのお風呂に入りたくないでしょ?」


「ああ、まあな」


「泥まみれは流石にいないだろうけれど、汗とか汚れとかついた状態で入られたら嫌な気持ちになる人も多いワケよ。だからまず、身体を流す事。お風呂に入る前の礼儀、ってとこかな」


「うむ……成程。試合前の礼のようなものだな」


「うーん、武人らしい例え。アタシは先に身体洗うけどルーちゃんもそれでいい?」


「ああ、そうだな。身を清めてからの方がいいだろう」


「修行かなにかかな?」


――


 洗い場は数えきれないほどあり、それぞれの間には仕切りがついていた。

 初めて大浴場にくるルーティアには新鮮なもので、おどおどした様子でマリルの隣で髪を洗い、身体をボディソープと小さなタオルで洗った。

 いつも凛々しく兵を率いて先陣をきる騎士の姿とは正反対の、不安でぎこちないルーティアの様子を、マリルは仕切りの隣からニヤニヤと眺めたのだった。


 ルーティアの言葉で『身体を清めた』二人は、再び大浴場の入り口に立つ。


「さ、それじゃお風呂に入ろうか、ルーちゃん」


「う、うむ……しかし、こう数が多いとどこから手をつけていけばいいのやら……」


「もうあとは自由なワケだしね。身体も洗ったし、熱いお湯にどっぷり浸かるも良し、ぬるめのお湯にまったり浸かるも良し……好みなワケよ」


「好み……」


 しかし、『身体を洗う場所』程度にしか風呂の事を認識していなかったルーティアにとっては好みという言葉すら存在しないのであった。

 そんな様子を理解してか、マリルはルーティアの手をとって歩きだす。


「な、お、おい……!?」


「それじゃ、アタシのオススメコースにしよっか。いくよー」


「ど、どこに行くつもりだ!?ちょ、そ、そっちは……!?」


「ふっふっふ……温泉といえば、まずはコイツを堪能しなくちゃねー」


 マリルはルーティアの手を引いて入り口から真っ直ぐに進み……大浴場の窓の近くへとたどり着く。

 大きな窓の端にはよく見るとガラスのドアが一つあり、それを開けて再び歩きだした。


「なにッ……!?外、だと……!?」


「ふっふっふ……これぞ、このドラゴンの湯の醍醐味……『露天風呂』よッ!!」


――


「そ、外になんか出たら他の者に見られてしまうではないか……!?」


「あっはっは。流石に温泉の外からは見えないようになってるから平気だよー。……うー、寒いねー。これこれ、これよー」


 マリルの言う通り、外の景色は大きな木造の壁によって塞がれ、外界からののぞき見は遮断されている。

 その代わりにあるのは、上空の青い空と白い雲。

 春の初めの今日は衣服を着ていないと流石に震えがくるほど寒い。

 しかしマリルは、その寒さを楽しんでいるようにも見えた。


「さ、寒い……」


「ふっふっふ。だからこそ、温泉が気持ちいいワケよ。見よ、ルーちゃん。これがドラゴンの湯名物の、大露天風呂よ」


「おおっ……!?湯気が……」


 屋外のスペースの床は、全面石造り。その中央には、大きな岩を円を描くように並べた巨大な温泉……『岩風呂』が湯気を放ちドンと構えていた。


「か……身体が、冷えてきた……。早く入ろう、マリル……!」


「慌てない慌てない。ドラゴンの湯の岩風呂は源泉かけ流しで、ここのはちょいと熱めなのよ。まずは備え付けの桶でしっかりと身体を慣らせて……」


 マリルとルーティアは、岩風呂の近くにある桶を手に取り、お湯をすくって身体にかける。


「あつっ……あ、っつ……!」


「うふふふふ……熱がる感じもいいねー、ルーちゃん」


 普段は全くと言っていいほど表情を変えないルーティアも、熱い温泉に少し見悶える。

 肌にピリピリとくるほどの熱湯。だが慣れてくれば、その温度が冷えた身体に少しずつ染み込むように伝わる。


 そしてそんな様子を、これまた愉悦といわんばかりにマリルは眺めるのだった。


「さ、それじゃ……入ろうか、ルーちゃん」


「う、うむ……では……!」


 ルーティアは、足のつま先を。そしてふくらはぎ、太もも……下半身から上半身へと、ゆっくり岩風呂に入っていく。

 熱い。たまらなく熱いが……我慢できない程ではない。

 いやむしろ、冷えた身体はその湯を求めている。

 少しずつ、少しずつだが……ルーティアは岩風呂へと身体を沈めていった。

 そして、全身を風呂へと浸からせた時…… 腹の底から、小さくルーティアは呻くのだった。


「く、ゥゥゥゥゥ~~……!!」


 今までに感じた事のない、幸福感。

 洗い場で綺麗になった身体に浴びた外気の冷たい風。そして、その後のこの湯。


 外。足が伸ばせる巨大な岩風呂。

 そして……日ごろ、騎士としての激務を全うするルーティアの身体に、温泉の湯がこれでもかというくらい染み渡る。


「あああああああああ……!!」


 思わずふやける、騎士の表情。

 その顔は、普段の凛々しいルーティアからは想像できないほど、ゆったりと和んだ表情だった。


――

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