第9話 餌の調達1

 「あれ? 黒川さんじゃないですか。こんなところで何してるんですか?」

 大学キャンパスのベンチでスマートフォンを見ている黒川さんを見つけた。

 大学で黒川さんに声を掛けるのは初めてだ。

 「――沢村さん。大学で会うのは初めてですね。ちょっと、調べ事をしてるところです」

 「あーそうだったんですね。大学の課題か何かですか?」

 「違います。あるデパートのバーゲンセールを調べてます」

 「お! バーゲンいいですね! 何のバーゲンですか?」

 「下着のです」

 「し、下着ですか?」

 「そうです。餌の調達は大切ですから」

 ――また、そっち目的か。

 「沢村さん。明日予定開いてますか?」

 「え? 開いてますけど」

 「それなら、バーゲン付き合ってくれませんか?」

 「俺がですか? 別にいいですけど」

 「それじゃ、明日8時に駅前集合で」

 


 ――ハァハァハァ。息が切れる。

 「沢村さん! バーゲンの時間まで後8分です。頑張ってください!」

 「く、黒川さん! べ、別にそんな走らなくてもいいのでは!?」

 「だめです! いつもすごい人気ですぐに売り切れるんです! 出遅れれば負けです!」

 全ては黒川さんのせいだった。駅での待ち合わせに30分遅刻して来たのだ。こんなことになるのなら、家が隣なのでわざわざ駅集合になんかしなければ良かったのにと思う。 

 改札からデパートまでノンストップで走り、バーゲンセールをしている店がある3階まで小走りで向かう。

 時計を見ると8時58分を示している。

 「沢村さん! ここです!」

 黒川さんの指差す方向を見ると、とある衣料品店の下着売り場に人ごみができていた。

 「すごい人ですね」

 「いつもこんな感じです。沢村さん。9時になると店員さんがセール品の台から離れます。そこからは戦争開始です」

 「戦争って、俺どうすればいいですか?」

 「私はブラジャーを取るので、沢村さんはパンツを取れるだけ取ってください。サイズはMです。ブラジャーとパンツは台が違うので別行動ですが頑張ってください。それではよろしくお願いします。では」

 「え!ちょ!ちょっと待ってください黒川さん!」

 黒川さんは俺の言葉も聞かずに人ごみへと消えていった。

 ――1人で女性用パンツの取り合いに参加しろってこと!?

 パンツの台を囲っている人だかりを見ると、男は1人もいなかった。大半は中年女性でぽつぽつと若い女性が混じっている。

 その集団に近寄ると、数人が俺の方を振り返って、いぶかしげな目で俺を見てきた。

 「ここ女性用下着よ?」

 パーマのおばさんが俺に言った。

 「わ、分かってます」

 「分かってるなら何でここにいるのよ」

 おばさんと俺の会話を周りの数人が聞き入っている。

 「えっと……知り合いの女性に頼まれてまして……」

 「下着を知り合いの男に買わせに行く女なんかいる?」

 おばさんは訝しげに俺の目を覗くと、

 「いないわよねぇ。みなさんはどう思いますぅ?」

 周辺の女性に聞くように訪ねた。

 訪ねられた多くは、首を傾げたり、苦笑いをしたりしている。

 「本当ですよ!? 隣の台で他の下着を買うために待機してるんです!」

 「本当かしらねぇ」

 おばさんは薄笑いを見せた。

 ――それではー!! セール開始しまーーす!

 唐突に店員さんがセール開始の合図をした。

 その声を聞いておばさんを含め、群集が中央にある台に押し寄せた。

 俺もその波に加わる。

 ふと、周囲の人より自身が身軽に動けることに気づく。

 ――俺、買い物カゴ持ってき忘れた!

 しかし、それが優位に働いた。買い物カゴがぶつかり、うまく前進できない群衆の中を俺は身一つでスルリスルリと交わしていく。最後尾に近かったはずが、台にまで辿り着くことができた。

 台には大量の女性用パンツが乗せられていて、今からこれをあさりながらMサイズのパンツを探さなければならないと思うと変な汗が出る。

 「ちょっとあんた! さっさと取らないなら後ろに回りなさい!」

 隣の女性に怒られて振り返ると、さっきのパーマのおばさんだった。

 おばさんに怒られたことで、幸いにもパンツに手を突っ込むという躊躇とまどいがどこかえ飛んでいった。

 ――やってやるよ!

 パンツを片手で鷲づかみにしてその中から、その中からMサイズのみを残して、他はもう片方の手でポイポイと台に戻していく。

 手に持っているパンツは次第にMサイズだけになっていくが、それをキープするためのカゴがない。

 ――それなら、こうしてやる!

 俺は手に持ったパンツを腕に通していった。

 それを見ていたパーマのおばさんは俺の目を見てなぜか頷いていた。

 ここまでやってしまえば怖いものなど何もない。Mサイズのパンツを見つけては、左右の腕に通していく。次第に俺の前腕はパンツに覆われていった。

 さすがにもういいだろうと思うぐらいにはパンツを手に入れたので、俺は台から離れることにした。

 台を囲う群集を見ると、未だに熱の冷めない客たちが下着を取り合っている。

 「あ。沢村さんも取り終えましたか」

 声のほうを見ると買い物カゴにブラジャーをたくさん入れた黒川さんが立っていた。

 「はい! 俺頑張りましたよ!」

 「おつかれさまです。――ところで沢村さん、それはどういう状況ですか?」

 黒川さんの視線の先を追うと、

 パンツで武装された俺の腕があった。

 「――!! これは……カゴを持っていくの忘れてしまって……あはは」

 「そうでしたか。 じゃあ、このカゴに入れてください」 

 「はい……」

 腕に通したパンツを黒川さんの持っているカゴに入れていると、

 「あら。あんた本当に連れがいたの!」

 パーマのおばさんがいた。

 「ええ。だから言ったじゃないですか!」

 「あはは。ごめんごめん。それよりあんたやるじゃない! カゴなしで突撃するなんて。 それに下着を腕に通してキープするなんて感心したわ!」

 「――あはは。ありがとうございます」

 「でも、そっちの彼女さん!」

 「はい? 私ですか?」

 「いくら彼氏だとはいっても、男の子を単独で女性用下着のセールに突撃させるなんて残酷よ」

 ――このおばあさん、俺のこと理解してくれている!

 「そうでしたか……。 沢村さん。これからは気をつけますね」

 「え? ああ――はい!」

 挨拶を終えて、おばさんの前から立ち去ろうとすると、おばさんは黒川さんが背中を向けたタイミングで俺にサムズアップした。

 ――あんた、がんばりなさい!

 そう言われたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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