第12話 大きい餌を好む魚2
呼び鈴を鳴らすと直ぐに黒川さんが扉を開けて現れた。
「おはようございます。調度今、コインランドリーから戻ってきたところです。上がってください」
「おじゃましまーす」
相変わらず、下着で散らかった部屋に上がる。
「沢村さん。早速ですが餌の取り付けをするので手伝ってください」
「餌の取り付け?――ああ、洗濯物を干す手伝いですね?」
「――そうです」
俺が隠語をわざわざ言い換えたのが気に食わなかったのか黒川さんは少し不機嫌そうに返事した。
黒川さんは洗濯物でいっぱいになったカゴを持ってくると床にぶちまけた。
「うわ! そんなことしたら元から散らばってるのとゴチャ混ぜになっちゃうじゃないですか!」
「乾いていないのが今散らかしたやつです」
――散らかしてるって自分で言っちゃったよ。
黒川さんがぶちまけてしまった洗濯物を手に取り、一つずつ洗濯ばさみに止めていく。できる限り下着類は手につけないようにして、他の衣類を選んで作業をする。
「――沢村さん。下着を避けてませんか?」
変なところで鋭いのは、
「いや。避けてないですよ」
「――そうですか」
下着を避けているのがバレていそうなので、仕方なく下着にも手をかける。
「沢村さん。ブラジャーは外側にとめてくださいね。そうしないと、魚が食いつきづらいですから」
「了解です」
手に取ったブラジャーを洗濯ばさみにとめる。ブラジャーの大きさを見て改めて黒川さんは胸が大きいなと思う。
俺だって本当はこのブラジャーをまじまじと眺めたいのだ。
紳士な俺はそれを理性で抑える。
「それじゃ、干して来ますね。」
「俺も手伝いますよ」
「沢村さんはゆっくりしていてください。沢村さんが洗濯物を干しているのを魚たちに見られたら警戒されてしまいますし」
「分かりました」
黒川さんはベランダに洗濯物を干し終えると、カーテンを閉めて、なぜか部屋の電気を消した。
「あれ? 何で部屋の電気消すんですか?」
締め切られたカーテンから差し込む光が薄暗い部屋に光の線を作り出していた。
「留守を装うためです。部屋の電気が点いていたら魚も警戒して来ないかもしれないので今日はこの状態で張り込みをします。ここからは少し声を下げて話しましょう。他は好きにしててください」
「えっと、何時まで待機するつもりですか?」
「そうですね……15時くらいまでは様子見たいです。疲れてしまったら、無理しないでいいですからね。それと遠慮なく寛いで下さい。冷蔵庫に飲み物はいっているので好きに飲んでください」
「本当に寛いじゃいますよ?」
「ええ。全然かまいません」
流石に数時間の間、気を張って待機するのは辛すぎるので、黒川さんの言葉に甘えて足を崩した。
「黒川さんはいつも張り込み中、何してるんですか?」
「――スマホを見たり、本を読んだりしてます。あとメモ帳をまとめたりします」
「今日はしないんですか?」
「折角、二人で張り込みしてるのにそれではつまらなくありませんか」
「たしかに……」
「時間はたっぷりあるんです。
女子と二人っきりで薄暗い部屋にいるこの状況のせいか、黒川さんの言葉が少し卑猥に感じた。
「沢村さん。私はここに来てからずっとこの趣味を続けています。下着が盗まれるたびに自分が必要とされているような気がして嬉しいんです。私は変なんでしょうか?」
黒川さんは真剣な顔をして俺を見つめた。
黒川さんの目を見て、この話題は安易にはぐらかしてはいけないものだと感じた。
「――正直、変だとは思います」
「やっぱり、そうですか」
黒川さんは思っていた通りの回答が帰ってきたというような顔をしていた。
「――これはあくまで俺の意見ですけど、下着を持って行く男たちは身勝手な理由で黒川さんの下着を盗んで行くわけですし、そんな奴らに必要とされていると思うのは無理があるんじゃないかと思います」
「――確かにそうですね。それでも嬉しく思ってしまうんです。おかしいですね」
黒川さんの顔が少し曇ったような気がした。
俺はべらべらと自分の意見を述べてしまったことに少し後悔した。
黒川さんは何か言うわけでもなく、カーテンから差し込む光を眺めている。
「――あの。黒川さん。すみません。俺、別に黒川さんの趣味を否定するつもりじゃないんです。ただ――俺には簡単に理解できるものじゃないなと思っただけで……」
「別にいいんです。分かってますから」
黒川さんが微笑んだ。
黒川さんが用意してくれた昼食のカップラーメンを食べ終えたとき、ベランダで物音が聞こえた。
黒川さんもその音に気づいたようで、俺と目が合った。
黒川さんはゆっくりとカーテンに近づくと静かな声で俺に指示した。
「沢村さんは反対側のカーテンの端から覗いてください。あまりカーテンに近づき過ぎないように気をつけてください」
俺は黒川さんを真似るようにカーテンの端から外を覗く。
ベランダの外から身長の高い男が干されているブラジャーを手に取っていた。
男は薄笑いを浮かべながら、ブラジャーを次々と洗濯ばさみから外していく。
俺はその不気味さに恐怖を感じているというのに、反対のカーテンで男を見ている黒川さんに恐怖を感じている様子は無い。それどころか、熱心に男を観察し、どこか嬉しそうな顔をしている。
それを見て俺は不安を感じた。
――俺が黒川さんのブレーキを見ていて上げないと。
男は干されていたブラジャを全て取るとどこかへ消えていってしまった。
黒川さんは男が去ったことを念入りにカーテン越しから確認すると部屋の電気をつけた。
「沢村さん。今日はありがとうございました。釣りはしたことありませんが友だちと釣りをしたらきっと楽しいんでしょうね」
「楽しいですよ。なんなら今度行きましょうよ」
「そうですね」
「黒川さん。――言わないといけないことがあります」
「なんですか?」
黒川さんが首を傾げている。
「――俺は、黒川さんの趣味にどうこう言いたくはありません。でも、黒川さんは友だちですから間違った方向や危ない方向に向かったら俺は止めます! それだけは言っておかないといけないと思いまして!」
「そうですか――」
黒川さんは一拍空けて、
「――沢村さんと友達になれて本当によかったです」
黒川さんはにこりと笑った。
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