第8話 コインランドリーの魚を探れ2

 警戒心の強い魚の中には、人の影を瞬時に察知して逃げる魚もいるという。       

 相手に危険を察知させないこと。それが重要なのだと思う。

 ――だから、俺は、

 コインランドリーのソファで、泥酔して寝込む若者の真似をすることにした。

 左手に拾ってきた缶チュウハイの空き缶をだらしなく持ち、足元には拾ってきたビールの空き缶を数本並べた。寝息を大げさにかいて、絶対に起きない泥酔者を演じる。

 泥酔者の真似をしながら、かれこれ二時間弱は下着泥棒を待っているというのに、下着泥棒はおろか、利用者すらも来ない。

 人生で一番、馬鹿なことをしている自信がある。

 そろそろ、利用者がきて注意されるか、オーナーに見つかって警察を呼ばれてもおかしくない頃合だと思う。

 あまりにも暇で、ボロボロのソファの裂け目から、黄色のスポンジをほじくっていると、

 男が現れた。 

 いそいで泥酔者を演じる。

 目を閉じていて見えないが、男が俺の様子を伺っている気配を感じる。

 しばらくして、男の気配が洗濯機の方向へと移動した。

 半目を開けて男を見る。

 身長180センチを超える、日に焼けた大柄の男が黒川さんの洗濯物が入っている洗濯機を覗いている。

 男は洗濯機を開けると、中からそそくさとブラジャーとパンツを掻き集めて背負っていたリュックサックに詰め込んでいった。

 下着泥棒の犯行を目にするのは二度目だというのに、今回はとてつもない恐怖を感じた。下着泥棒を警戒させないようにと、寝たふりをしているのに、今はまるで獣の前で死んだフリをしているような気持ちになっている。

 半目で男の行動を見ていると、男が急に俺の方を向いた。

 男がジリジリと距離を詰めてきて、

 「お兄さん。起きてる?」

 問いかけてきた。

 脇汗がにじむのを感じる。

 男の気配がすぐそこにある。

 永遠かのようなに感じた、その瞬間を男の言葉が終わらせた。

「――気のせいか」

 男の足音が遠ざかっていき、ついにはコインランドリーの外へと消えていった。

 男が消えたことを確信できず、俺はそこから10分寝たふりを続けた。

 ガチガチになった体を起こして、手に持った空き缶と足元に並べていた空き缶をゴミ箱に投げ込む。

 怖くて撮影まではできなかったが、魚の正体を掴むことはできたので帰ろうと思った。

 俺の洗濯物もとっくに洗濯が終わっていたので、ダッフルバッグに次々と詰め込んでいく。

 ――他の利用客に迷惑がかかるようでしたら、取り込みをお願いします。

 ふと、黒川さん言葉を思い出した。

 利用客なんて下着泥棒以外だれも来なかったが、洗い終えた洗濯物を放置しておくのも忍びないので黒川さんの洗濯物も一緒に取り込もうと思って洗濯機の蓋を開ける。

 黒川さんの洗濯物を見ると、いくつかの下着が無事に残っていた。

 少し躊躇ちゅうちょはするものの、すぐに洗濯物の取り込みにかかった。

 目に付く黒川さんの洗濯物取り終えて、念のため洗濯槽を覗き込むとパンツが一枚だけ取り残されていたので手を突っ込んで取り上げた。

 薄いピンク色をした可愛らしいパンツだ。

 ふと、視線を感じてコインランドリーの入り口を見ると洗濯籠を持ったおばちゃんが立っていた。おばちゃんは俺が手にしているパンツを見るや否や大声で、

 「下着泥棒ーーー!!」

 叫んだ。

 どこからか現れたおじさんも加わり、俺は完全にコインランドリーに閉じ込められる。俺の行く手をふさぐおじさんたちの隙間にどこかに電話しているおばさんが見える。

 間違いなく警察だ。

 「違う! 俺は下着泥棒じゃない! 勘違いです!」

 「うるさいぞ! じゃあ、その手に持っているのは何なんだ!」

 ――パンツだ。

 「いや! これは――」

 「あたし、見ていたわよ!」

 釈明しようと口を開くと、電話を終えたおばさんが口を挟んできた。

 「あんたが自分の洗濯物を取り込んだ後に、よそ様の洗濯物をバッグに詰め込んでいるところ」

 「これは知り合いの洗濯――」

 「言い訳をするなーーーー!!」

 俺を睨んでいたおじさんが大声を上げた。

 ――理不尽だ。

 まったく聞き入れられない俺の釈明が何度か続いた後、警察官が来た。

 「あなたが下着泥棒ですか?」

 ――その聞き方はおかしいと思う。

 「いや、違いますけど」

  嘘をつくな下着泥棒、と外野が野次を飛ばしている。

 「皆さん静かにしてください。私はこの男性に聞いているんです。それで手に持っている下着は誰のものなんですか?」

 警察官が冷静に問いかけてくる。

 「これは知り合いの女性の洗濯物です。取り込んでおいてくれと言われたのでそうしてるだけです」

 「そうですか。その女性を呼ぶことはできますか?」

 「もちろんです。――――!?」

 ――俺、黒川さんの電話番号知らないじゃん!

 「どうしましたか? 呼んでいただけないんですか?」

 「――いや。電話番号を知らなくて……」

 「洗濯物を任せる程の仲なのに、その女性の連絡先を知らないんですか?」

 「――はい」

 外野がまたざわざわとしている。

 警察官の疑いのまなざしが熱い。

 ――まずい。

 「沢村さん?どうしたんですか?」

 天使の声が聞こえた気がした。

 外野の後ろで俺を眺めている黒川さんを見つけた。

 「ぐろかわざーーん!」

 大の大人に詰め寄られて、半ば泣きかけの俺は情けない声で黒川さんを呼んだ。

 黒川さんはぐいぐいと外野を掻き分けて俺の前に来ると口を開いた。

 「沢村さん。どうかしたんですか?」

 「く、黒川さんの洗濯物を取り込んでいたら、警察に通報されまして……み、みんな俺の言うこと信じてくれないし……お巡りさんに説明しようとしたんですが裏目に出ちゃってがんがん詰めてきて……」

 まるで意地悪してきた子を先生に言いつける幼稚園児のように俺は黒川さんにべらべらと説明した。

 事情を理解した黒川さんは、警察官と外野の方へ振り返るといつもよりはっきりした口調で口を開いた。

 「彼は私の知り合いです。洗濯物の取り込みも私が頼みました。彼は何も悪いことはしてません」

 それを聞いたおじさん、おばさんたちは納得したようで散り散りに消えていった。

 「そうでしたか。ここらは下着泥棒の目撃情報が非常に多い地域なので何かあったらすぐ通報ください。それでは失礼します」

 そう言って警察官も去っていった。

 急に静かになったコインランドリーに俺と黒川さんは取り残された。

 「沢村さん。私のせいでごめんなさい」

 最近は俺の顔を見て話してくれていたのに、今の黒川さんは初めて話したときよりも深くうつむいている。長く伸びた髪のせいもあって、顔色は伺えない。

 それでも、彼女が落ち込んでいるのは雰囲気で理解できた。

 「いやいや。大丈夫ですよ。黒川さんが来てくれて助かりました!」

 「沢村さん……。本当にごめんなさい。こんなことになるとは思わなくて……もう、こんなことは頼みません。でも安心してください。過去問とかはこれからも提供しますので……」

 ――俺にとっては都合のいい話だと思う。

 これで黒川さんの不思議な趣味に関わらなくても済むのだから。それでも過去問は手に入るのだから。

 黒川さんの持っていたビニール袋が目に入る。

 その中に缶コーヒーがごろごろと詰められている。

 「黒川さん。そんな缶コーヒー好きなんですか?」

 「え?」

 「そんな、たくさんコーヒーを持ってたんで」

 黒川さんは手に持っていたビニール袋の覗き込んで、

 「好きですけど流石に一人では飲み切れません。もしかして沢村さんは缶コーヒあまり好きじゃありませんか?」

 と言う。

 「――――いや。缶コーヒー好きですよ」

 「それなら良かったです」

 黒川さんの微笑みを見た。

 都合のいい話しは保留にしようと思う。

 「んじゃあ。帰ったらそれ飲みながら今日の成果を伝えますよ!」

 「魚釣れたんですね」

 「はい。あと、黒川さんへの強力は継続しますんでこれからもよろしくお願いします」

 「――いいんですか?無理しないほうが……」

 「いいんです。そのかわり、今回みたいなのは勘弁なんで連絡先を教えてください」

 「わかりました」

 俺は黒川さんの連絡先を手に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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