ひみつのなにか。

はじめアキラ

ひみつのなにか。

 僕のおじいちゃんの話をしようと思う。

 つい先日亡くなってしまった、僕の母方の祖父の話だ。

 亡くなる半年ほど前に倒れて、それからはずっと入院して亡くなってしまったわけなのだが。そうなるまでのおじいちゃんはとても優しくて親切な人で、僕と弟もかなり懐いていたのだった。

 田舎の〇〇村というところ、大きな日本家屋に住んでいた。

 おばあちゃんの方が早くに亡くなってしまって心配していたものの、彼はあの年代の男性としては非常に社交的な人だったし、近くに親しい親戚や友達も住んでいたので晩年が寂しいなんてことはきっとなかったことだろう。

 お母さんは心配して毎朝のように彼と電話をしていたが、まるで大阪のおばちゃんのようによくしゃべる人で、近所づきあいもいいものだから話題に欠かない人だったと記憶している。


『実は、英語を習い始めたんだよ!ほら、最近の日本の歌って、横文字のものが多いだろう?韓国の男性グループとか、英語の歌もすっごく歌うじゃないか。私ももっと若い頃から英語を習っておけばよかったと思っててねえ……』


『はははは!そりゃ、男なら普通のことだ、あんまり叱ってやらんな!私だってなあ、子供の頃道に落ちてたえっちな雑誌を拾って、友達と回し読みくらいしたもんだぞ?』


『スマホを買うべきかやめるべきか、非常に迷ってるんだが……あれ、私みたいな年配者にも使えるもんか?文字がすっごく小さいんじゃないかと思って心配してるんだが……あ、というかこの辺鄙な村で、電波って届くもんなのかねえ?』


 まあこんな具合。

 バリバリネットをやるようなハイテクなおじいちゃんではなかったけれど、テレビで若い人の話題も取り入れるし、何より若い人の趣味を知ろうと頑張るところがみんなに愛される要因だったのだろう。

 優しくて穏やかで、ちっとも怒鳴ったりしない、僕達の大好きなおじいちゃん。ただひとつだけ、僕はそんなおじいちゃんに対して“得体が知れない”と思っていることがあったのだ。

 そう、おじいちゃんが住んでいた、あのお屋敷のことだ。




 ***




 自分で言うのもなんだが、僕と弟は幼い頃から結構な悪ガキなのだった。おじいちゃんが住んでいる田舎の村には自然がたくさんあって、山や川で遊ぶことも少なくなかったのだが。

 まあ、大人が言う“あそこに行くな”“あそこに上るな”“あそこに入るな”というのをちっとも守らなかったという記憶しかないわけで。むしろそういうことを言われると、面白がって挑戦するような面倒くさいガキだったわけだ。反抗期というより、悪戯心だったというべきか。駄目と言われたらやりたくなる。子供だから、大人がなぜ“入るな”というのか、その理由をちゃんと理解していなかったというのが大きいのだろう。まあ、大人も大人で“どうせわからないだろう”とタカをくくって、ちっとも理由を話してくれなかった気はするのだが。

 そんなわけだから、弟ともどもしょっちゅう怪我をしたのだった。

 川でスッ転んで溺れかけるくらいは日常茶飯事。崖から滑り落ちかけたこともあったし、木の枝が折れて木の上から落ちたこともあった。そうそう、あのおじいちゃんのお屋敷の屋根。登るなと言われていたのに、かくれんぼの時に屋根の上に上ったせいで滑り落ち、足を折るなんてこともしたように思う。今考えると、本当に危ないことばかりしていたと後悔している。親もさぞかし心配しただろう。


「あんた達はなんでそう、いつもそういうことばっかりするの!」


 僕達が怪我をするたび、お母さんはカンカンに怒った。特に兄の僕には。


「クウヤ!あんたは特に!お兄ちゃんが弟と一緒に悪いことばっかりしてちゃ駄目でしょうが!何回同じこと言わせるわけ!?』

「だって……」

「だっても何もないでしょ、毎回毎回こんな怪我ばっかりして、みんなを心配させて!」


 だって面白そうなものがたくさんあるのに、片っ端から禁止するからじゃないか。僕は怪我をしてもなお、不満げに口を尖らせてばかりいたのだった。

 そしてそんな時、いつも僕を庇ってくれるのがおじいちゃんだったのである。


「まあまあ、まだクウヤだって小学生じゃないか。多めに見てやれよ。男の子が自然の中で暴れるってのは、本来いいことなんだぞ?心配なのはわかるけど、その元気の良さはとっても貴重なことだって」

「おじいちゃん!」

「大丈夫大丈夫!そのまま動いちゃいけないよ。秘密の薬を塗ってあげるからね」


 その日は、木の上から落ちて足を脱臼するというのをやらかした日だった。弟も弟で、腕を結構ざっくり切ってベソをかいていた。今から思うと、どっちも病院に行かなければいけないような怪我だったことだろう。僕はめちゃくちゃ痛かったけどちっとも反省していなかったので、味方をしてくれたおじいちゃんの背中にぴったりとくっついていたのだった。

 そんな僕達の頭を撫でて、おじいちゃんはリビングを出ていく。廊下に出て、突き当りを右へ。――僕はいつもそこで不思議に思っていた。あの廊下は、ひっくり返したLのような、変な形をしている。右に曲がったところには何もなく、ただ壁があるばかりのはずなのだ。ところが、おじいちゃんはその壁を曲がって暫くすると、必ず小さな薬瓶を取ってくるのである。

 それは、錠剤でも入ってそうなちょっと大きめの茶色の硝子瓶だ。でも、中に入っているのは錠剤じゃない。どろっとした、紫色の液体が詰まっていることを僕は知っている。

 おじいちゃんは瓶の中に綿棒を入れて、ちょんちょんと漬けると、脱臼した僕の足首に塗って包帯を巻いたのである。それから、ざっくり切れた弟の腕の傷にも同じことをした。


「この秘密の薬を塗って半日もすれば大丈夫!どんな傷も治るからね!」

「このお薬ってなんなの?」


 本来は病院に行かないといけないような怪我をしても、僕たちはこの村で病院に行ったことが一度もなかった。それはおじいちゃんのお屋敷から病院までが結構遠かったことと、この秘密の薬があったからだ。

 その薬を塗ると、どんな怪我でもすぐに治ってしまう。切り傷も擦り傷も、骨折さえもたちどころに、だ。お母さんもそれをわかっているから、おじいちゃんに強くものを言えなかったのだろう。

 しかし、切り傷擦り傷の化膿を止めるだけならまだしも、脱臼や骨折まですぐに治るような薬なんてあるものだろうか?特に脱臼ならば、本来すぐに嵌め直して固定しなければいけないはずなのに、僕はそういったことを一度もやったことがない。薬を塗っておくと、半日どころか数時間もしないうちに足が元の戻っていることを知っているからだ。


「どんな怪我も治っちゃう薬なんて、本当にあるの?おじいちゃんは魔法使いなの?」


 子供心に不思議だと思っていた。だから僕はその日、おじいちゃんに尋ねたのである。

 しかしおじいちゃんは、ニコニコと笑うばかり。そして言うのだ。


「秘密は、秘密さ。おじいちゃんの家に、代々伝わる特別なお薬があるんだ。ご先祖様からずーっと引き継いでるんだよ。作り方は、誰にも教えられないんだ。我が家の跡取りとなる人以外にはね……」




 ***




 そもそもお祖父ちゃんは何かにつけて“秘密の〇〇”と言うのが口癖だった。

 今日のカレー美味しいねと言えば、“秘密のスパイスを使っているからね”と言い。洗濯ものがいい匂いがすると言えば、“今日はとっておきの秘密の洗剤を使ったんだよ”みたいなことを言う。特におじいちゃんは料理が得意で、僕達が遊びに行くたび自前の料理をご馳走してくれたから余計、この言葉を聞く機会が多かったのだ。

 ゆえに、“秘密のお薬”に関しても、深い意味はないのかもしれない。

 僕達の好奇心を煽るために“この家に代々伝わる秘伝の薬なんだよ!”的な意味でお茶目なことを言っているだけのつもりなのかもしれないと。

 ただ、やっぱり“骨折さえ即座に治るし、縫うほどの怪我をしてもすぐ綺麗に治る薬”というのは凄すぎるような気がする。ある日僕は、ついに気になって弟に言ったのだった。


「なあ、ウミヤ。じいちゃんが持ってくる秘密の薬の正体、知りたいと思わないか?今日はこっそり、じいちゃんの後をついていってみようぜ!」

「え、ええ……いいのかな?」

「いいよいいよ!だって気になるだろ、ウミヤも!」

「そりゃ、そうだけどさあ……」


 いつもなら乗り気な弟が、この時ばかりは随分渋った。僕が小学校四年生、弟が三年生の夏のことである。僕達は、おじいちゃんが例の廊下を右に曲がるのを見て、こっそり後ろからついていってみることにしたのだった。あの廊下の先に、きっと秘密の棚か何かがあるに違いないと思ったのである。

 しかし、見つけたものは予想を上回る存在だった。なんとお祖父ちゃんが壁の一か所を押すと、音を立てて壁が開いていったのである。どうやら壁だと思っていたものは、大きなスライドドアのような形状になっていたらしい。そして、その向こうは地下への階段が続いている。まるで秘密基地だ!と僕達がテンションを上げるには十分だったというわけだ。

 おじいちゃんは、この先に何を隠しているのだろう?薬を作る不思議な研究所でもあるのだろうか?この時は、純粋にわくわくしていた。そう。


「うううう、ああああ、ああああああああああああああ」


 階段を降りて、廊下を進んだ先。

 その奥にある地下牢のような場所から、うめき声が聞こえてくると気づくまでは。


「今日は一際うるさいねえ」


 僕達がついてきていることに、おじいちゃんは気づいていないようだった。牢屋の中のうめき声が大きくて、僕達の足音なんかがかき消されていたからだろう。この頃にはもうおじいちゃんもだいぶ聴力が落ちていたからというのもあるのかもしれないが。


「静かにしてくれ、カンダ。ほら、さっさと今日の分を絞り出してくれよ」

「ううううううううううう、ううううううううううう、ぐうううううううううううう」

「いくら叫んでも、私以外誰も来ないよ、ここにはね」


 おじいちゃんがスイッチを入れると、牢屋の中に明かりが灯った。僕は息を呑む。牢屋の中には、髪の長い女の人のような存在が磔にされているのだ。髪の毛で隠れて顔はわからない。ただ、白い着物から覗く両手両足が、人間にはあり得ない肌の色をしていたのをよく覚えている。そう、紫色なのだ――あの薬と同じように。口元からはチューブのようなものが伸びていて、そのチューブのさきっぽは牢屋の外に飛び出しているようだった。飛び出したチューブの先には、何やらバケツのようなものが置かれている。

 そして、さらに異様なことが一つ。彼女のお腹の前には、杭のようなものがせり出しているのだ。僕が思い出したのは、お寺の鐘付き堂だ。鐘を突くための太い杭が、女の人のお腹の前にせり出しているのである。

 その杭の端は牢屋の外に張りだしていて、歯車とクランクに接続されている。これはまさか。


「さあ、行くよ」


 おじいちゃんは、女の人が呻くのも気にせず、クランクに手をかけて回し始めた。すると、女の人の前の杭が、ぐぐぐぐ、とせり出し始めたのである。――壁に磔られている彼女の腹を、ぎゅうぎゅうと押しつぶすような形で。


「ぐううううう、うううううううううううううううううううううううううううう!」


 濁った声が響き渡った。縄で固定された両手両足を震わせ、女の人が髪を振り乱して苦しがる。やがて、その喉がごぼごぼと音を立て始めた。お腹を潰されたことで、何かを嘔吐しかけているのだと気づく。

 ぶちゅうう、と。湿った音が響いた。女の人が何かを吐き出し始めたのだ。それはチューブを通って、牢屋の外のバケツの中へと落ちていく。それは、どろどろの、紫色の液体をしている――。


――嘘、だろ。


 バケツの中に、紫色の吐瀉物が溜まっていく。ある程度溜まったところでおじいちゃんはクランクを再び緩めると、その紫色の液体を持ってきた瓶に流し込み始めた。そう、僕達がよく使ってもらった、あの“秘密のお薬”の瓶へ。


「今日はもう少し欲しいなあ」


 おじいちゃんは、朝食の献立でも考えるような気安さで続けた。


「なあ、カンダ、お前まだまだ頑張れるだろう?やろうな、もう一回」

「ふぐ、ふぐうううううううううううううううううううううう!」


 僕が見ることができたのは、そこまで。気づけば僕は弟の手を強引に引っ張って、その地下室から逃げ出してきたのだ。




 ***




 誰かに言えるはずもなく。僕達は恐ろしい秘密に震えながら、それから数年間おじいちゃんと接することになったのだった。おじいちゃんの家にもう行きたくない、なんてことは言えなかった。言ったら最後、僕達がアレを見たことがおじいちゃんにバレそうで怖かったのだ。

 ただ、おじいちゃんの家で食事を取ることだけは極力避けるようになった。おじいちゃんの口癖――秘密の〇〇。あの気持ち悪い紫色の液体が、薬以外でも使われているなんてどうして保証できるだろうか。

 それから僕達は成長し、僕が高校一年生になった今年。おじいちゃんは入院先の病院で亡くなることになる。誰も住まなくなったあの家は、おじいちゃんの唯一の娘だったお母さんに相続されることになった。お母さんはこの家の土地を売ることも視野に入れているという。ただ、どうしても気になることが一つある。


『秘密は、秘密さ。おじいちゃんの家に、代々伝わる特別なお薬があるんだ。ご先祖様からずーっと引き継いでるんだよ。作り方は、誰にも教えられないんだ。我が家の跡取りとなる人以外にはね……』


 おじいちゃんのあの言葉が本当ならば、跡取りというのは唯一の娘であるお母さんのことであるはずだ。

 だったら、お母さんも知っていたのではないか。あの薬の正体を、そして地下で監禁されていた“ナニカ”の存在を。


――なあ、母さん。母さんはアレ、知ってるのか?知ってるなら、アレをどうするつもりなんだ?


 おじいちゃんはカンダ、と呼んでいた。どう考えてもまともに扱えるような存在ではない。

 母が知らないなら知らせなければいけないが、母がとっくに知っていた場合。その秘密をこっそり暴いていた僕と弟は、果たしてどうなってしまうのか。

 ああ、最近怖くて仕方ないのだ。僕はどうすればいいのだろう。

 あの薬を塗った手足に時々――紫色の妙な痣が浮き上がるのである。

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