序 ユーゴとカレワラン

 創世暦2847年10月、ユーゴ・レブラントは北米大陸の東部を縦走するパラマリヌ山脈の街道を乗合馬車で北に向かっていた。

 彼は御者席の横に陣取り、黄金の季節を堪能していた。

 急に馭者が手綱を引いた。

「先生、ガーランドの露払いが来ますぜ。馬が暴れる前に眼隠ししてやらんと」

 南方から微かに地鳴りのような音がした。ユーゴと馭者が布で馬の頭を覆うや、3機の機械人形が上空を疾駆した。轟音が空を切り裂き、黒い光沢に金の縁取りを散りばめた人型飛行体、トール・スピリッツは浮き船ガーランドの先導者だ。

 馭者は馬を手で撫でてやっていた。

「もうすぐオルシニバレ領国で調停開始式があるんでさ。マリラ女王さまが浮き船からご降臨なさるさまはそりゃあ荘厳でございましょうが、儂らの馬は驚かずにいられませんよ」

「そうだね。

 あの低空飛行には意味があるんだ。一つは私たちアナザーアメリカンに『争いは血でなく調停で収めよ』であり、また一つは『争いをけしかける玄街に警戒せよ』という女王の戒めだ。浮き船のヴィザーツたちは時に荒っぽいが世界の守護者なのは間違いない。

 馭者殿、他に何が手伝えるかい?」

「さすが高名なレブラント先生だ。早速ですが、沢の水をちょいと馬に汲んでやってくれると助かりまさぁ」

「高名は余計だよ。アナザーアメリカにはいくらでも治水技術者がいる。桶を貸してくれ。馬車のお客たちも肝を冷やしたろうから、一息入れよう」

 この時、ユーゴが沢で発見したのがカレワラン・マルゥ、カレナードの母である。

 彼女は水色の服に白いマントを巻きつけ倒れていた。ユーゴの気付け薬で開いた眼は鳶色に透きとおっていた。金色の髪が帽子からこぼれた。

 ほっそりして芯の強そうな彼女はユーゴの腕に寄りかかった。

「私には事情があるとしか申せません。どうか外れのヴィザーツ屋敷に連れていって下さい。子を宿しているのです」

 はらはらと色づいた木の葉が舞った。トール・スピリッツの次に来るのは浮き船ガーランドだ。パラマリヌ山脈上空に全長3000メートルの巨体が悠々と流れていく。秋の陽が船体に連なる花のような大窓に輝いた。

 不意にカレワランがつぶやいた。

「アナザーアメリカの諸領国と広大な緩衝地帯に与えた私の罪は私の命で贖います。代わりにお腹の子にはお許しと御加護を……女王マリラ・ヴォーよ」

 浮き船を見上げるまなざしに一切の迷いも揺らぎもなかった。

 ユーゴはカレワランに一切の詮索をしなかった。

 彼は次の仕事先であるパラマリヌ第七外れ屋敷に彼女と共に逗留し、新水路設計と基礎工事の監督をして過ごした。

 創世暦は2500年に迫り、北米大陸の住人は自らをアナザーアメリカンと呼び、11の領国と領国間の広大な緩衝地帯を住処とした。

 また、ヴィザーツと呼ばれる特別な人々がいた。浮き船ガーランドのヴィザーツ、各領国の主要地に広大な屋敷を構える地上ヴィザーツ、それらをカバーするように点在する外れ屋敷のヴィザーツだ。

 ガーランド乗員は女王と共に調停任務にあたるエリートと考えられていた。それを地上で補佐するヴィザーツも同様だ。それに対し、外れ屋敷のヴィザーツは産院と施療院を兼ねた療養所を営んでいる。

 それら全てのヴィザーツの共通点は誕生呪を唱えることだった。アナザーアメリカではヴィザーツの誕生呪を与えられない新生児は3日しか生きられないのだ。

 カレワランの訴えはもっともなことであり、ユーゴは彼女を静かに守ることにした。

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