第140話 来客


 「はぁ……」


 時刻は午後九時を回った頃。

 俺はため息をつきながら、自室のベッドに腰を下ろす。


 <月の庭>を出て、寄り道もせずに帰った俺は、ダイニングにちょうどよく集まっていたみんなに今日あった出来事を話した。

 俺も多少疲れていたこともあり、内容は簡潔に纏めて今に至るのだが……


 「全然眠くないな……」


 ベッドにごろんと横になり、瞳を閉じるが睡魔が来ない。

 ただ、その理由を俺自身は自覚していた。


 あの少女の泣き顔と少女のお姉ちゃんの亡骸が、目を瞑れば浮かんでくるのだ。


 そんな状態で眠れる人なんて、この世に居るのだろうか。


 夕食は済ませたし、お風呂にも入ってしまった。

 これならミリカの話を聞けば良かったな……


 今日は何も考えずに眠りにつきたかったので、ミリカの報告を明日の朝に回したのだが、こんな事ならさっき聞けばよかったと少し後悔する。


 ん~、とりあえず武器の手入れでもするかぁ。


 そう心に決めた俺は、異空間ゲートを行使しようとした。

 その時、


 「ん? 誰だ?」


 突然鳴ったチャイムに反応する。


 なんだか前にもこんな事があったな。

 確かあの時は、ジャンビスの件でシャルが訪れたけど、それ以降こんな時間にチャイムが鳴るなんてことなんてなかった。

 ……少し様子を見に行ってくるか。


 ベッドから起き上がり、一階に降りようと自室の扉を開ける。


 すると、


 「あっ、レンくん」


 一階から上がってきたレティナと目が合った。


 「誰だった?」

 「えっと……ね?」


 歯切れの悪いレティナの言葉に首を傾げる。


 「……レンくんが今日あった女の子」

 「え?」

 「行ってあげて?」


 普段のレティナとは違う真剣な表情。

 その様子に俺は何も言わず、一階へと駆け降りる。


 ずっと気に病んでいた。

 あの少女がどうなったかを。


 玄関の前まで着いた俺は、ゆっくりと扉を開けた。


 「……っ」


 目の前に立っている少女の顔を見て、思わず唇を噛み締める。

 本当にこの子が今日出会ったあの子なのか?

 そう思わせるほどに少女の表情は疲れ切っており、瞳は光を映さないほどかげりを帯びていた。


 「えっと……とりあえず上がりなよ」


 俺が滅入ってしまってはいけない。

 できるだけいつもの声色を作るように意識する。


 「いえ、大丈夫です。お礼を言えてなかったので、それを言いに来ただけですから」

 「そ……っか」

 「ありがとうございました。お姉ちゃんを連れて帰ってくれて……」

 「……うん」


 無理やり微笑む姿は、見てられるものではなかった。

 視線を外し、何か言わなければと会話の内容を必死に探す。

 このまま帰らせてしまえば、少女は壊れてしまう。

 それは憶測でもなんでもなく、事実だと確信出来るものがあった。


 「それ……」


 ふと、少女の持っているある物に目が引かれる。

 それは出会った時には身に着けていなかった、女の子らしからぬ質素な巾着袋だ。


 「あっ、これですか? 凄いんですよ!」


 空元気に嬉しそうな声を上げる少女は、巾着袋を開き、中身を見せてくれる。


 「ほらっ、凄いでしょ?」


 拠点の中の光が反射して、キラキラと輝く金貨。

 おそらく二十枚程はあるだろう。


 「どうしたのそれ」

 「騎士団の皆さんがくれたんですよ。お姉ちゃんが”役に立った”みたいなので」

 「……役に立った?」


 どっと黒い感情が溢れ出す。


 「はい。最初は役に立たなかったって言ってたんですけど、綺麗な女の人が来て、その人が少し騎士団の人と話してたら、これをくれたんです」

 「……」

 「お姉ちゃんの死は”価値のあるもの”だったって。”役に立った”って」


 抑えろ。

 抑えろ。抑えろ。抑えろ。


 ……俺が怒ったってどうしようもないんだから。


 「金貨は確か二十三枚ですね。レオンさん要ります? あっ、冗談ですよ?」

 「もう……無理しないでいいんだよ」

 「あはは。もう~そこは乗ってきてくださいよ~」

 「ここに騎士団なんていない。ごめんね……あの場から抜け出すんじゃなかった」


 今度はもう視線を逸らさない。

 真っ直ぐに見つめる俺に、少女の表情が揺らぐ。


 「あ……っはは。何謝ってるんですか?」

 「ごめん。もう大丈夫だから」

 「だいじょう……ぶって……」

 「大丈夫だから」


 つーっと一筋の涙が頬を伝う。

 すると、わなわなと震え出した少女は巾着袋を強く握った。


 「レオンさ……ん。これ……やっぱり上げます……上げますから……」


 俺の胸に巾着袋を押し付けて、少女は続けた。


 「お姉ちゃんを……っ蘇らせて……」

 「……っ」

 「私っ……こんなのいらないっ……お姉ちゃんが……っいい」


 これほどまでに自分が無力だと感じた事はない。

 少女の悲しみが癒えるのは、時間を置くかお姉ちゃんを生き返らせることの二つしかない。

 ただ、後者に関してはこの世界でできるものではないのだ。


 「うっ……うっ……お姉ちゃんっ……お姉ちゃんっ」


 布巾着を地面に落とし、泣きじゃくる少女。

 そんな少女に胸を貸してあげると、


 「うっ……うわぁぁぁぁん」


 溜まっていた感情が決壊したように大声で泣きだした。


 拠点のみんなにもこの悲痛な声は届いているだろう。

 それでもみんなは様子を伺うようなことはしなかった。


 この子が泣き止むまで側に居てあげよう。


 そう誓った俺は、ただ胸を貸すくらいしかできない歯がゆさを唇を噛んで耐えるのであった。






















 「すみません。取り乱してしまって……」

 「いや、別に気にしてないよ」


 泣き腫らした目を伏せ、気まずそうに俺から離れる少女。


 「じゃあ、私帰りますね」

 「え? 帰るって何処に?」

 「もちろん私の村です」


 いや、流石にそれは危なすぎる。

 少女の村がどこにあるかなど定かではないが、この時間に王都外を出歩けば、魔物や賊に襲われる可能性があるのだ。


 「なんか用事でもあるの?」

 「いえ。ただ……お父さんとお母さんが心配していると思うので」


 なるほど……

 確かにそういう理由なら、今からでも帰りたいと思うよな。


 娘が二日連続で行方不明になった。

 そう両親が思えば、今も少女のことを探しているかもしれない。


 「……ちょっと待ってて」

 「え?」


 ぱっと顔を上げた少女を横目に、俺は自室に向かう。


 ランド王国は年中、過ごしやすい気温である。

 ただ気候の変動や早朝、夜が更けるにつれて、気温が下がっていく。


 少女の服装から少し肌寒そうだなと感じた俺は、自室にあった外套を手に取る。

 こんな時の為にとは言わないが、外套の予備はまだ何着かある。

 これを少女に着てもらおう。


 自身も外套を羽織り、念のため腰に剣を携えた俺は、少女が待つ玄関へと向かった。


 「お待たせ。はい、これ」

 「え? これは……」

 「少し大きいけど、寒いだろうから」

 「あ、ありがとうございます」


 ぺこりと一礼した少女は、そのまま受け取った外套を羽織る。


 「じゃあ、行こうか」

 「あ、あの、行くって?」

 「君の村だよ」


 呆気を取られたのか、少女は意識を何処かに持ってかれたような表情をする。

 そんな少女の横を通り過ぎ、ごく自然に俺は歩き出した。

 すると、


 「ちょ、ちょっと待ってください」


 少女が歩き出した俺の腕を取る。


 「そ、そこまでご迷惑を掛けれません」

 「いや、迷惑だなんて思ってもないし、俺のことは気にしないでいいよ」

 「で、でも、私の村はここから一時間以上掛かるんです。だから……」


 一人になりたいのかもしれない。

 お節介だと思われているかもしれない。


 それでも……


 「早く行くよ。西門から出るのが一番近いの?」


 俺は退かない。

 それは少女の為でもあり、ご両親の為でもあり……亡くなった少女のお姉ちゃんの為でもあるから。


 俺が何を言われても聞かないことを悟ったのか、少女はこくりと頷いた。



 もう歩いて三十分程は経っただろうか。

 あれから一回も会話を交えずに、ただただ坑道を歩いていく俺たち。

 恥ずかしいからだとか、気まずいからだとかではなく、俺は純粋に少女を守るためにここにいる。

 少女が何か話したいなら付き合うし、話してほしくないなら無言を貫く。

 それが一番いいと考えていた。


 闇夜の静寂の中、ふと少女がそれを破る。


 「レオンさんは、こんな体験いくつもあるんですか?」

 「こんな体験……?」


 言葉にした後、少女の顔を見てしまったと思う。


 「私みたいな……人を見るの……」


 足取りが重くなった少女は、遠い目をする。


 言ってしまったことを取り消すことは出来ない。

 なので、少女の問いに素直に答える。


 「……まぁ、それなりにね。どうしてそう思ったの?」

 「接し方が慣れてるなって思っただけです……私はそれで少し楽になりましたけど、よく考えれば悲しいですね。私みたいな人が世の中にたくさんいるだなんて」

 「……そうだね」


 俺が今まで少女のような者を見るのは、これで何度目かは分からない。

 数えるのも失礼に当たるし、思い出すのも嫌な光景ばかりだからだ。


 それでも覚えている限り、今日のように二人っきりで長く一緒に居るということは今までなかった。

 だからだろうか。

 普段この状況下では言わないことを、俺は口走る。


 「俺が言うのもなんだけど、君は強い子だと思うよ。だって、今の心情で他人を想えるんだから」

 「……」

 「きっと俺だったら何も考えれなくなる……自分を恨んで、一生自分の殻に閉じこもったまま、死んでいくかもしれない」


 拠点のみんなの……レティナの身にそういう事が起こったとしよう。


 ……

 …………いや、そんなの考えたくもない。


 想像するだけで心臓がぎゅっと握られるように苦しくなる。

 横に並ぶ少女などそれ以上の苦しみを味わっているに違いない。


 ただ、思ったんだ。

 他人事かもしれないが、この子なら立ち直れるって。


 「冒険者になったのもそれが理由ですか? 自分の大切な人たちを自分の手で守るために……そんな想いで頑張ってきたんですか?」

 「……どうだろ」

 「え?」

 「はっきりと思い出せないんだ」


 何故思い出せないのか。

 そんなの正直深く考えてもいなかった。


 きっとレティナに誘われて、渋々了承したのだろう。そう思っていたからだ。

 ただ、少女に改めて聞かれて、本当にそうだったのかと疑念が宿る。


 「そうなんですね。どんな理由でも私は良かったなって思います」

 「ん? どうして?」


 少女は歩き出し、立ち止まっている俺を振り返る。


 「私はお姉ちゃんみたいに強くないから……一人で帰ってたらきっと歩けなくなっていました。でも、レオンさんがいるおかげで、何とか歩けるんです」




 ザザザッ。




 ノイズが走る。


 ただ、今までのような頭痛が伴うノイズではない。


 なんだ……これ……




 「だから、レオンさんが冒険者になってくれて良かったです。私以外にも、きっと弱い人を沢山救っていたんですよね」





 ザザザザッ





 (レンちゃん。冒険者になろ?)




 不意に聞こえたその声に、身体が震える。




 ザザザザッ




 (弱い人間が罪人に搾取される世界なんて……私は見て見ぬ振りできない)




 ノイズと共に懐かしい景色が広がった。

 アガッゾ村の……それもこの部屋はレティナの部屋?

 でも、誰の……記憶だ? これは。

 ……こんなの俺は知らない。




 ザザザザッ




 (人を守れる力があるから……冒険者になりたいの)





 モヤがかかり、声の主の顔を確認することができない。

 ただ、今分かるのは一つだけ。

 これはおそらくみんなが隠している……




 ザザッ





 (レンちゃん。好き。大好きだよ)


















 「レ、レオンさんどうしたんですか!?」


 あたふたとしている少女を見て、はっとする。


 「あっ……ごめん。ボーっとしてた」

 「えっと……涙出てますよ?」

 「え?」

 

 そんなわけ……と思いながら、頬を拭う。


 「……ほんとだ」


 きっとこれは先程のノイズのせいだろう。

 今でも胸がズキズキと痛んでいる。


 「俺、どうしたんだろ」


 ノイズが来た。それは覚えている。

 そして、冒険者になった理由も思い出した。

 レティナではない誰かが言い出したんだ。

 でも、その肝心な誰かを思い出せないし、先程のノイズの内容もまるで記憶から消されていくように、上手く想起できなくなっていた。


 そんな俺を心配そうに見つめる少女。

 自分が心配されてどうするんだ、と雑念を振り払った俺は笑顔を取り繕う。


 「ごめん。気にしないで。もう行こうか」

 「は、はい」


 とりあえず少女を送り届けることが先決だ。

 そう割り切った俺は再び少女の村へと歩き出すのであった。

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