第17話 子分の失態

 このようになんだかんだ毎日楽しく幸せに暮らしていたアンヌだったが、唯一の子分が大失態を犯した。

「ごめんなさい」

「ごめんですめば警察はいらないわね」

「警察って?」

「まあ、それはいいわ。どうしてペルシエ侯爵からここに手紙が来るの!」

 居場所が知られていないはずの父からロッシュ家の別邸に手紙が届いたのだ。

「その……僕の外出が多いって怪しんだ父上が調べさせたみたいで。どうやら僕が通っている先に姉上がいると見当をつけたみたい。なぜ黙っていたと僕も叱られちゃった」

「叱られちゃった……じゃないわよ。困ったわね」

 アンヌは考え込むふりをしているがとっくに心は決めていた。

「ごめんなさい。でも、姉上に会いに行ってるわけじゃないと言ったんだよ?」

「いいわ、仕方がない。いずれはばれたでしょうから。今日はもう帰りなさい。私はフェリクス様と色々相談があるから」

「……はい。また来ます」

 肩を落として帰っていく弟を見送ると、アンヌはさっさとカバンに荷物を詰め始めた。


「アンヌ?」

「フェリクス様、急で申し訳ありませんがこちらを出て行くことにしました。どうやらここに匿っていただいていたことが父にばれたようです。ご迷惑をおかけするわけにはいきませんので……もし苦情を言われたら私の事は平民と思っていたと、それで通してくださいね。アベルの事は歌を聞きに来ていたとかなんとか誤魔化してください。それでは!」

 それだけ言うとアンヌはさっさとカバンを片手に玄関へ向かおうとした。

「ちょっと、ちょっと! 待って! 一緒にまさし様を普及する同志じゃない、水臭いよ!」

「だからですわ。私亡き後も普及活動よろしくお願いします」

「縁起でもないこと言わないで! 行く当てあるの?」

「王都を出るつもりです。どこかでまた働きますので心配はいりません」

「だめだよ、どこにも行かないで。僕も兄上もアンヌのこと本当に大事に想っているんだよ。僕達がどれだけ救われたと思っているの」

「え? 私まさし様を普及しているだけで何もしていませんが。それに家で他家の令嬢をかくまっていたなんてロッシュ家にご迷惑をおかけしますわ」

「そのまさし様だよ。旅人が舞姫のもとに帰ってこないあの歌。アンヌは、旅人は帰りたくても帰れない理由があるって教えてくれたじゃない。それなら僕たちの母上も僕たちを捨てて出て行ったのではなく、出て行かざる事情があったかもしれないって……帰りたくても帰れないかもしれないって……そう思えたんだ」

「フェリクス様……」

「僕たちは母が僕たちを捨てたと聞かされてきたから……。本当にそうだとしても、僕たちが捨てられていないと思っている間は捨てられたことにはならない。そうでしょ?」

 アンヌは今にも泣きそうなフェリクスをそっと抱き寄せた。

 フェリクスたちの母親は、彼らが幼いころに家を出て行ったきりだそうだ。

「迷惑じゃないから。どこにも行かないでよ」

「……かしこまりました。ありがとうございます」

 アンヌはうっすらとたまった涙を拭うと、カバンを置いたのだった。


 しかしこのままロッシュ公爵家別邸にいるのは非常にまずい。

 父本人が来る前に出て行かなければならないのだ。

 ここにいたのはあくまでも食堂で働いていた平民のアンヌ。アベルが会いに来ていたのもその娘。嘘と分かっていても言い通してもらうしかない。

 

 自分の半身がいなくなったあの時、彼女をそこまで追い詰めた家族を憎まずにはいられなかった。彼女の代わりに私がこの家族に思い知らせてやろうと思っていた。

 しかし、父が見て見ぬふりではなく、ただ気がつかなかっただけ、気づこうとしなかっただけの愚かな男に過ぎないことがわかり、許せないとは思うもののペルシエ侯爵に対してあの時ほどの憎しみは消えていた。

 もしかしたらそれは心の奥底に眠っているかもしれないアンジェリーヌの願いなのかもしれないけれど。

 しかし、今更離婚されたところで自分には何の関係もない。マノンに対していい仕返しになったのかもしれないが、そんなものが帰る理由にはならないのだ。

 とにかく父に対するわだかまりは消えずに残っており、会いたくもないし、帰るつもりもなかった。

 

「でもアンナが逃げなくてもいいと思う。せっかく築いたこの場所を奪われる必要ないよ。お父上と話し合いをするのも駄目?」

「……意外と根に持つタイプかもしれませんね、はは」

「大事な十数年奪われていたのだから恨んで当然だよ。ごめんね、アンヌの気持ち考えなくて」

「いいえ、本当なら私の為に離婚までした父のもとに帰るべきなのでしょうね。許せないという気持ちもあるのですが……それよりも懲らしめたいというか、困らせてやりたいという復讐心みたいな方が強いかもしれません。……いやな女ですね」

 復讐心は無くなったと思っていたが、ちょっと嫌な気分を味わってもらいたいという黒い思いは健在だったようだ。

「まさか、そんなこと思わないよ。アンヌはいままで我慢することが当たり前だと思ってきたから自己嫌悪に陥っちゃうんだ。本当だったら虐待されていたって訴えてやりたいくらいだよ。それに僕だって父上が嫌いだからずっと別邸にいるんだ、アンヌ以上にひどいでしょ?」

「そうだったのですか? 不思議には思ってはいたのですけど……」

「兄上も初めはここで暮らしていたんだよ。だけど後継者として学ばないといけないからと本邸に戻ったんだ。だからさ、アンヌの気持ちはわかるしいくらでも匿うから」

「ありがとうございます」

「ところでペルシエ侯爵からの手紙にはなんと?」

「まあ、とりあえず無事を聞いて安心していること、屋敷にはもう私を冷遇する者はいないし、ロッシュ家にも迷惑をかけているから戻ってこいということと、お礼に伺うみたいなことを書いてありました」

「居場所が分かったら貴族令嬢が婚約者でもない男の家に暮らすなんて外聞が悪いもんね」

「そうなんですよね、やはり出て行くしか……」

「僕達だって親が連れて帰るっていうのを止められないし……。やはり人違いだったということにした方がいいんじゃないかな。そうしようよ!」

「でもすぐにわかってしまいますわ」

「大丈夫だよ、影武者を立てよう。アンヌを仕立て上げて、弟君は姉の面影と歌に惹かれてやってきたということを押し通そう」

「大丈夫でしょうか」

「大丈夫だよ。その間、アンヌは貴族用の宿や別荘とかでゆっくりすればいいんじゃない? そこでまた新しい歌を書いたりしてさ。毎日きっとすごく楽しいよ」

 二人はワクワクしながら今後の逃走生活を思い描いたのだった。


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