ダンジョンバァバ

ジョン久作

『バァバの武具屋』1/3

 緊急脱出魔法エバキュートでダンジョンから戻ったメイジ魔法使いは、全身にまとわりつく炎を消そうと石床に身を投げ出して狂ったように転げまわった。

「……あれ?」

 困惑したメイジは、臥したまま動きを止めた。熱くない。炎も、まるで最初から燃えていなかったかのようにすっかり消えている。自分の顔をぺたぺたと触り、両手を確かめてみる。火傷はない。焦げ跡ひとつない赤銅しゃくどう色のローブの袖を撫でながら、メイジは安堵の息を吐いた。


(これの……おかげか)


 父の形見。【耐火の】ローブが守ってくれたのだ。

 メイジは仰向けになって、遺棄された修道院の崩れかけた天井を見つめた。半壊した屋根の隙間から覗く空は、ダンジョンに潜る前に見上げた晴天を忘れさせるように、冷たい雨粒を落とす鉛色の雲に覆われている。


(クソ……!)


 氷のように冷えた石床が体温を奪うにつれ、悔しさと怒りがふつふつと沸き上がってきた。歯を食いしばり、拳を床に叩きつける、叩きつける。心の叫びと共鳴する鈍い音が、無人の空間に響き渡る。


(クソクソ! チクショウ! だから欲張るのはやめようって言ったんだ。もう帰ろうって。なのにあいつら! 雇われの身で勝手に……いや、私も他人のことは言えない……か)


 メイジはゆっくりと上体を起こして、胡坐をかいた。


(マンビョウゴケを見つけたとき、私は帰ろうと主張した。目的は達成できた、と。……だが、あの隠し部屋を見つけたとき、私は反対したか? いや。順調すぎて、いつの間にか私も欲に駆られていたのだ。財宝、裕福な生活……。だから私は……扉を開けるのを止めなかった)


 扉を開けた瞬間の光景が、鮮明に蘇る。

 隠し部屋の中にいた敵はひとり、人間の男。しかしその顔は死人のように灰色で、目は闇に呑まれたように真っ黒だった。

 ゲボク。

 噂に聞いていた、冒険者成れの果て。まるで誰かが入ってくるのをずっと待っていたかのような速さで、火炎スペル魔法を放ってきた。炎に包まれた前衛3人の絶叫と焼け焦げる臭いを思い出し、胃の奥から苦い液が込み上げる。雑貨屋で買っておいた緊急脱出魔法のスクロー巻物ルと、父のローブが無ければ、間違いなく同じ目に遭っていた。


(よし……よし、落ち着け。ロストした戦利品はどうでもいい。しかしマンビョウゴケだけはもう一度採取して持ち帰らねば。ピピコのために。そうだ。私はそのために危険を承知でここまで来たんだ。手ぶらで帰るなんてありえない……! 場所は覚えている。もう一度潜ればいい。だが……ひとりじゃ無理だ)


 腰巻きにしていた革のポーチを開いて、中身を確かめる。数種類のハーブと水筒、魔素の石。そして……ピピコがくれたお守り。金は、無い。大半は、雇いの前払いで消し飛んだ。残ったわずかな金も、4人分の道具と食料の調達に費やされた。しかしそれらも「チカラ持ちがまとめて運べば」などという迂闊な考えで任せていたせいで、すべて灰になった。


(同行者を雇うにもまた金が要る。まとまった金。金……)


 4日前、メイジが集落に到着してまず驚いたのは、ダンジョン・ハンターの少なさだった。宿屋の主人によれば、ダンジョン発見の噂が大陸中を駆け巡った当初は来訪者が殺到し、熱気が渦巻いていたらしい。しかし月日が流れたいまは「老練のハンターでさえあっけなく死ぬ過酷な場所」として恐れられ、二流、三流の者たちはほとんど姿を消してしまったという。そして、敗走する際に仲間の死体から金品を回収する余裕などないという理由により、金で人を雇う場合は全額前払いが暗黙のルールになっていた。


 メイジは身に纏ったローブをじっと見つめ、逡巡する。


(……これのおかげで命拾したけど、売れば結構な金に……父さんあの世で怒るだろうな。ゴメンよ。時間が無いんだ。酒場で誰かに売る……いや、宿屋の近くに武具屋があった。ちょっと怪しいお婆さんの店……買い取りもやっていると言っていたな……よし)


 メイジは意を決して立ち上がり、荒れ果てた集落の中央通りに向かった。


 ――ここはどの王国領にも属さず、半ば忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。

 歴史書にも地図にも記されていなかった名無しの廃集落は、ダンジョン発見の噂とともにいつしかドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになっていた。


◇◇◇


「3000イェン」

「エッ!? やすっ!」

 肌着姿のメイジは耳を疑い、声を上擦らせた。

「3000……間違いありませんか?」

「100回鑑定したって3000イェン」

 ちょいと押せば倒壊しそうなボロ小屋の店内。腐りかけた一枚板のカウンター越しに座る老婆が、表情を変えずに答えた。薄汚れたグレーのローブ、浅く被ったフード。先ほどまで不気味な光を放っていた琥珀色の左眼は白髪まじりの前髪に隠れ、いまは白黒の右眼だけがメイジを見据えている。

「私の故郷なら10000イェンはくだらないはずですが……」

「しつこいね。ここはアンタの故郷じゃない。3000」

 老婆はメイジが持ち込んだローブをカウンターにポイと放り、パイプ煙草に火をつけた。

「特殊効果がついたマジック・アイテムですよ?」

 メイジはもう一度食い下がる。

「【耐火の】ね。【耐炎の】ならもう2000出していいが。この程度のブツに金を出す低級冒険者はすっかり減っちまってね」

 老婆が「嫌なら帰れ」と言わんばかりに、煙をメイジに吹きかける。

 交渉の余地無し。集落に武具屋はこの一軒のみ。たしかにメイジの故郷は血生臭い戦いとは長く無縁で、マジック・アイテムは貴族が大枚をはたいて蒐集する骨董品でしかない。本来その価値決めるのは、性能と需要だ。返す言葉が見つからない。

「……わかりました」

「ヨロシ」

 老婆は商談が成立するや否や、ローブを背後のカゴに放り込み、金の装飾が施された小箱から分厚い札束を取り出した。指を舐め……1、2、3枚。

「ヒヒ……。2000もありゃ酒場でテキトーに3人雇えるさ。2日くらいはね。アンタはメイジだから前衛ふたりと……今回は後衛にひとり加えるといい……」

「え? なぜ私のことを」

「簡単。アンタは一昨日、ウォリ戦士アー3人とダンジョンの入り口がある修道院に向かって行った。そしてひとりショボくれ顔で帰ってきたと思えば一張羅のローブを売却。わかりやすい。はい、3000イェン」

 3枚の紙幣を受け取ったメイジは下唇を噛み、悔しさに震えた。

「順調だったんです。雇った3人が肉弾戦でどんどんモンスターを倒して。でも地下5階で隠し部屋を見つけて……欲張ってしまった」

「欲張りはいけないよ……ヒヒ。5階ね。敵の強さもトラップも厳しくなるあたりだ。戦い方や役割分担に気を配らないアホはあっさりポックリ間違いナシ」

「行ったことがあるような口ぶりですね」

「ヒヒ……。この商売をやっているとね、いろいろ詳しくなるのさ。ま、くれぐれも人選には注意しな……口先だけのザコを雇ったらアンタも終わり」

「人を見る目は……あります」

「そうかい。とは言えそんな身なりじゃ誰も話を聞いてくれないよ? これ、買うかい? 安くしとくから。誰も買ってくれなくてね」

 老婆が言いながら、飾り気のないローブをカウンターの上に置いた。ひと目でノーマル・アイテムと分かる。ただの服と言ってもよい。

「……幾らですかそれ」

「大特価500イェン」

「たかっ……!」

「じゃ、肌着姿でがんばりな」

「ほかに選択肢は……」

 メイジは手ごろな品を求めて、あらためて木製のボロ小屋……武具屋の店内を見渡した。壁、床、天井、いたるところに武器、防具、装飾品が展示されている。広さの都合で数はさほど多くないが、値が張りそうなものばかりだった。老婆の背後には、張り紙が2枚、貼られている。それぞれ『当店のルール(絶対)』『オトクな特典が魅力』という見出しは読めるが、その下に続く文字は極小かつビッシリで、なにが書かれているのかまったく分からない。

「買うのかい?」

「あっ、はい……お願いします」

 メイジは1000イェン札を老婆に渡し、代わりにペラペラのローブと、お釣りの500イェン硬貨を受け取った。

「マイド。ついでと言っちゃなんだが、アンタのブレスレット……なかなかの代物だ。5階でヒーコラしてる低級メイジにはもったいない」

 老婆は、白髪に隠れていた琥珀色の左眼をふたたびギラリと覗かせて、メイジの右手首に視線を注いだ。

「こ、これはダメです! これは嫁いでくれた妻が、妻の一族が、私に贈ってくれた大切なもので……」

「20000イェン」

「ノーです」

 メイジは首を横に振った。

「25000」

「譲れません」

 メイジはもう一度はっきりと首を振る。

「チッ。売っちまえばその金でアレコレ揃えて5階なんてラクショーなのにね。価値をわかっているとも思えない」

「すみません。世間的な価値は知りませんが……とても大切な物です。売らずにやり遂げて、故郷に帰る」

「どこ」

「え?」

「故郷」

「あ、イムルックです」

「イムルック! そりゃ遠路はるばるご苦労さまだ。馬の脚でも10日はかかる」

 老婆は大袈裟な声を立てて目を丸くし、パイプを咥えなおした。

「ええ、ここのダンジョンでマンビョウゴケが採れると聞いて」

「奥さん病気かい」

「いえ、娘です。ピピコって名で。そりゃもう可愛くて……まだ6歳ですよ!? 明るい未来が待っているはずだったのに、なんであんなやまいに……なんで私の娘が」

 治療法を探し求めて彷徨った日々が、メイジの脳裏をよぎった。妻とともに書物を漁り、四方八方に助けを求め、絶望と希望の狭間で過ごした2年間。希望を失いかけた暗闇に差した一筋の光が、薬草に造詣が深い薬師から教えてもらったマンビョウゴケという名のコケ植物だった。

「ま、がんばりな。マンビョウゴケは実際効く……ヒヒ……はい、これ」

 老婆が3枚のコインをカウンターに置いた。

「これは?」

 メイジは問いながらその1枚を摘みあげ、両面を確認した。イェン硬貨に似たサイズだが、質感が明らかに違う。片面には『1』と数字が刻まれ、反対の面には『B』の文字。

「うちのポイントサービス。1000イェン取引すると1ボル。今日のアンタは3000イェンの買い取りだから3ボル。貯めれば貯めるほど豪華な特典」

 老婆が親指を立てて背後の張り紙を指したが、やはり文字が小さすぎてよく見えない。

「ま、貯めるまえに死んじまうヤツが多いけどね。ヒヒ……」

「なるほど。私には不要なものです。マンビョウゴケを採取して、病を治して、家族3人で幸せに暮らしたい。それだけです」

 メイジはコインをカウンターに残し、ペラペラのローブを羽織りながら踵を返した。

「うまくいくといいね。ヒヒ……」

 パイプを燻らせる老婆の声を背中で受けながら、メイジは小屋を後にした。


◇◇◇


 メイジが急ぎ足で立ち去ってから半刻。小屋で居眠りしていた老婆は、大地を蹴る馬蹄ばていの音を察知して静かに瞼を上げた。街道を集落に向かって走りくるその数は――4頭。

「お客さま4名……商売商売……ヒヒ」

 老婆はカウンターをヒラリと飛び越えて小屋から出ると、集落の入り口に目を向けた。ぬかるんだ土を跳ね上げながら疾駆する馬には、無駄に豪華な甲冑が着せられている。その馬を駆る4人もまた、遠目にも眩しい煌びやかな装備に身を包んでいる。ただしその装備のほぼすべてが見かけ倒しのノーマル・アイテムであることを、老婆は一瞬で見抜いていた。

「金持ち御一行……クク」

 老婆がほくそ笑んでいるあいだにグングンと近づいてきた一行は、馬の歩調を緩め……彼女を見下ろす位置で停止した。先頭を駆けていたパラディ聖騎士ンが樽型のフルヘルムを脱ぎ、笑顔を繕う。蒸れた金色の長い髪をかきあげるその青年の顔には、傷ひとつ見当たらない。

「ヒヒ……シャーマ呪術師ンに高く売れそうなブルーの瞳。1本も欠けていない真っ白な歯……」

「老婆よ、ボソボソとなにを言っている? 宿の場所を――」

「宿屋はそこ。酒場はこの先しばらく行って右、ニューワールドって名前の溜まり場さ。店先にアンタの兜みたいな形した酒樽が山積みされてるからすぐにわかるよ」

 老婆が不愛想に答えると、旗手を務める中年ウォリアーの顔がサッと赤く染まった。

「貴様! 何たる無礼! この御方はプラチナム王国の第5王子――」

「よせ。場所が場所だ、いちいち気にするな。ゆくぞ」

 王子と呼ばれたパラディンはスマートに中年ウォリアーを諫めて、馬の腹を蹴った。

「ヒヒ……ここは武具屋。買い取りもやってるからよろしく」

 老婆の声を無視して、王子パラディンが駆けてゆく。続いて、シルクローブの上に外套を羽織った女プリース僧侶トが、すまし顔で馬を走らせた。周囲に目を配っていた若男レンジャ狩人ーも警戒を解いてショートボウを背負い、馬を方向転換させる。中年ウォリアーは、まだなにか言いたそうに老婆を睨み続けている。老婆は素知らぬ顔でパイプ煙草に火をつけ……プカプカポッポと音を立ててから、口を開いた。

「アタシの顔にパン屑でもついてるかい? アンタもさっさと宿屋でキレイサッパリして、酒場で美味いもんでも食うといいさ。あそこのドワーフが造るエールはウマイよ。酔ったままダンジョンに潜って死ぬアホがいるくらいさ……ヒヒ」

「薄汚いババアめ……!」

 中年ウォリアーは旗竿をドンッと地面に突き立てて威圧し、老婆に向かって痰を吐――こうとした瞬間、とつぜん馬が二足立ちになっていなないた。

「おっ、ちょ、ま、ああっ」

 情けない声とともに振り落とされた中年ウォリアーが、背中を強く打って悶絶した。馬は、軍旗の上に糞をひり落として去っていった。

「おやまあ、お馬さん急にどうしたのかねぇ。腰が痛むなら診療所へ行くといい……それとアタシはババアじゃなくてバァバ。ここじゃそう呼ばれてるからヨロシク……ククッ」

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