第258話 合衆国からの

「遠藤さん! 朗報だ!」


 2月に入り、依然情報の無い閉息感を破るように、典明が倫子のマンションを訪れた。

 典明が、偶然すら装うこともせずに、直接マンションを訪問するのは初めてのことであった。

 

「あら、珍しいですね曽我さん・・・・もしかして、幸ちゃんが見つかったんですか?」


「いや、そうではないのだが・・・・ちょっと時間、あるかい?」


 典明は、ここではマズいと言う表情を浮かべ、倫子をドライブに誘った。

 2月のバンコクはとにかく暑く、同じ北半球とは思えないほど、日本とは季節が逆だ。

 エアコンの効いた車内に入ると、典明はバンコク市内を、何処へ行くとも言わずに車を走らせるのであった。


「・・・・曽我さん?、どうしたんですか?、今日はちょっと変ですよ」


「そうだな、今日は少し・・・・変だ」


「ごめんなさい、もう少し解りやすくお願いしてもいいですか?」


「君にとっては、多分朗報になると思う。だが、合衆国として、これがどこまで朗報と言えるか・・・・」


 どうしたんだろう。竹を割ったような性格の典明が、なにか歯切れの悪い物言いだ。

 こんな典明を見るのは、初めてだ。


「大丈夫です、私、幸ちゃんの為なら、大概の事は飲み込めますから」


「そうか・・・・実はね、イラク側から非公式ではあるが、こちらに協議の申し出があった。もちろん情報機関同士のだけどね」


「はあ・・・・」


「向こうの情報部が、バグダット郊外での接触を希望している、もちろん我々は赴くつもりだ」


「ちょっ、危険じゃないですか? これから大きな戦闘になるんですよね」


「ああ、極秘事項だが、いよいよ明後日に攻撃が開始される。近代戦史に残る、大規模な地上戦になるだろう」


「大丈夫ですよね、アメリカは勝てますよね」


「解らない、負ける事は無くとも、相手はイラク軍だ、こちらもただでは済まないだろう」


「でも、どうしてこんな時期に?」


「そうだな、そこがアメリカの諜報機関を納得させた一因でもあるんだが、大規模な地上戦よりも前に交渉の話をしている時点で、かなり正確な現状分析が出来ている人物が、イラク側の深い所に居るのではないか、と評価したようだ」


「それって・・・・幸ちゃん?」


「解らない。こちらの情報でも、イラク政府内に立花さんの目撃情報が全く無い。ただ・・・・」


「ただ?」


 倫子は、あのイラク国内にすら、アメリカの息のかかった人間が送り込まれている事実に驚愕するとともに、幸の身を案じた。


「正体不明の女性の存在が確認されている、彼女はまるで、予言者扱いだそうだ」


 イスラム世界で予言者扱いされる女性、倫子は俄に信じる事が出来なかった。それは宗教上の理由から、少し考えにくい所である。その女性の発言が、よほど精度よく的中でもしない限り、現イラク国内で、そのような扱いを受ける女性が居るとは思えない。


「それと・・・・遠藤さん、これはお願いなんだが」


「お願い? また珍しいですね、曽我さんが私になんて」


「いや、私からのお願いではなく・・・・合衆国からの、なんだ」


「合衆国・・・・って、アメリカ合衆国ですか?!」


 倫子は、そのスケール感に思わず開いた口が塞がらなかった。アメリカと言う国家が、直接倫子に「お願い」をする、一体なにを要求されるのだろうか?


「・・・・あの、私、ちょっと怖いんですけど、一体、どんなお願いごとなんでしょうか?」


「私と一緒に、バグダットへ行って欲しいんだ」


「・・・・はい?」


 急転直下の出来事である。まさか、これから大きな地上戦が始まるその最中に、よりにもよって火中のバグダットへ行けなどと。


 そして、2月24日、イラク東部地域を戦場とした、大規模な地上戦が開始されたのである。

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