第226話 煙草を持って
真理子は、とても手際よく料理を作る。
元々、お弟子さんが多い道場にあって、娘時代から大人数の食事を作る事に慣れていた真理子にとって、7人分の食事など朝飯前の事だ。
幸も、手伝いを申し出たが、大丈夫だと言って台所にすら入れてくれない。
夕食まで、まだ時間もあったことから、真理子以外はリビングに集まり、色々な話をした。
開口一番、まずは典明が幸に詫びを入れた。
「本当にすまない! 大森から情報が入った時点で、米軍側としては穏便に接触を図るつもりだったのだが、何を勘違いしたのか、調別(陸上幕僚監部調査部調査第2課別室)の連中が君を先に抑えようと動いてしまった。まさか、朝霞の実働部隊まで動員するなんて思わなかった」
「実働部隊?、あれは調別のメンバーじゃないのか?」
「当たり前だ、あんな目立つ情報部員は無い! 第一恥ずかしい事だ」
「じゃあ、あれは・・・・」
「ああ、多分近傍の普通科連隊あたりから、訓練名目で駆り出された一般隊員だ」
「・・・・マジか?」
「・・・・ああ」
沈黙が流れた。無理もない、いくら格闘戦とは言え、幸は結構本気で倒してしまった。まさか訓練名目で来ていた一般隊員だったなんて。
「私、結構強く殴っちゃいましたけど・・・・」
すると、宗明が大笑いしながら幸を諭した。
「ハハハ!、大丈夫、あいつら頑丈に出来ているから!」
本当にいいのだろうか?、頑丈と言っても、骨くらいは折れていそうだが・・・・。
「ところで曽我、ちょっと話したい事があるんだが・・・・」
「なんだよ、どうした、まだ謝り足りないか?」
「いや・・・・そう言う事じゃ無くてな」
そう言って、二人は煙草を持って外に出て行った。幸には、それが真理子の件についてだと、直ぐに察したが、もうこの異常な事態に成す術もなく、ここは大森に任せようと考えた。いずれにしても、まさか真理子に貴女はもう死んでいるのです、と言う訳にも行かないのだから。
二人が抜けた後、今度は宗明が幸に謝ってくる。
「大変申し訳ない事をしたようだね、私からも防衛庁へは釘を刺しておくよ」
「いえ、大丈夫ですから・・・・」
あまり大丈夫ではないものの、宗明のせいではないし、彼から悪意は全く感じられなかった。それにしても、防衛庁へ釘を刺すって・・・・どんなコネクションを持っているんだろうと、幸はそちらの方が怖くなった。
「あの・・・・、真理子さんは独身なんですか?」
本来であれば、かなり失礼な話ではあるが、幸にとって真理子はラジワットの妻、マリトの母親、そこははっきりさせておかなければならなかった。
「まったく、うちの連中は、どいつもこいつも結婚に疎くて困る」
うっかり典明も独身であることが判明してしまう。そうか、二人とも独身・・・・あれ? じゃあ大森も含め、この場で既婚者は私だけ・・・・?
まあ、もっともラジワットと幸は、正式な結婚もしておらず、約束を交わしただけではあるが、倫子には親友の幸が随分大人に見えていた。
正直、初恋も未だの倫子には、結婚がどんなものなのか、まだまだ謎の領域である。
そんなリビングの会話を他所に、大森と典明の喫煙タイムは微妙な空気の中で進んで行った。
「・・・・おい大森、それを俺に信じろと言うのか? さすがに奇抜過ぎるぞ」
「俺だって自分でもそう思う。立花君の記憶と現実が食い違うなら、未だ当事者だから理屈は通るが、俺は当事者じゃない。どうして俺の記憶と現実に乖離が起こるのか、さっぱりなんだ」
「姉さんがラジワットと・・・・もしかしたら、そんな世界があったのかもしれないが、姉さんは俺とこの16年間、ずっと一緒に居たんだ、それは紛れもない事実だ、お前の言っている事が正しければ、姉さんは二人存在することになる、それはどう証明する?」
「そんな事・・・・俺にだって解らない。だが、もしそれを証明するなら、俺の行動をどう説明するんだ」
「お前の行動?」
「ああ、俺が真理子先生の事・・・・惚れていたことは知っているだろ? この歳まで独身の真理子先生を、俺が放っておくと思うか?」
「・・・・」
典明は少し考え込んでいた。
確かに、高校時代、二人の通う高校の女教師であった姉に、大森はぞっこんだったはずだ。だとしたら、確かに姉が未だに独身であるのもおかしな話だ。自分も姉の結婚には、少し気になっていた。
大親友の大森も姉も、独身同士であって、今まで自分は、どうして大森に姉へのアプローチを勧めて来なかったのだろうか、と。
こうして、典明ですら時空間の歪みに違和感を感じるのである。
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