頭文字(initial)-K-

夏目 漱一郎

第1話Kさんとの出逢い

少なからず不安であったのが、その時の僕の正直な心境だったのは確かでした……


「来月から、新車センターの方に行ってもらうから」


「は……?

新車センターですか?」




僕が勤めている会社は某自動車メーカー系列の自動車販売ディーラー。


その中で僕は、会社内では比較的大きな規模の店舗でサービス課の一員……いわゆる、メカニックとして働いていました。


自動車整備の専門学校を卒業後、この会社のメカニックを8年。


点検、車検、一般修理……一通りの事を覚えて中堅の整備士として仕事に励んでいた矢先の異動でした。



新車センター……

文字通り『新車』のセンターです。


もっと分かり易く説明すると、メーカーから送られて来た新車をお客様に届けられる状態に仕上げる施設であります。


ディーラーで新車を買った事のある方ならご存知だと思いますが、車を注文する際、お客様はご自分の好みに合わせ色々なオプションを合わせて注文します。


例えば、ナビゲーションや盗難防止装置、スポイラーetc…


そういったオプション部品の取付を行うのが、新車センターの主な仕事です。


そして翌月になりました。


今までとは内容の異なる職場に不安を覚えながらも、僕はいつもより少し早い時間に会社へと着き新車センターの建物へ向かいました。


新車センターの所在地は、僕がそれまで仕事をしていた店舗の敷地内にあります。


車5台位の作業が出来るスペースに、プレハブの事務所がくっついたようなその場所は、ピカピカの新車を扱うのには似つかわしくない何とも古びた建物でした。


「あれっ、シャッターが開いてる……もう誰か来ているのかな?」


見たところ、作業場の方にも事務所の方にも人の姿は見当たりませんでした。


「変だな……」


僕は釈然としないままシャッターをくぐり、ひとり作業場に立ち尽くしていました。


すると……


ピコッ…ピコッ…ピコピコッ…


「ん、……この音はなんだ?」


どこからともなく聴こえてくる、小さな電子音。これは一体どこから聴こえてくるのでしょうか?


不審に思った僕は、その電子音の音源を探すべく作業場の中を歩き始めました。


(一体何の音だろう?……何かのテスターの作動音か?…でも、誰も作業なんてしていないしなぁ……)


何とも不可解な謎の電子音……耳をすませて作業場をうろうろと歩き回っているうち、僕はついにその音源を探し当てたのです。


実は、誰もいないと思っていたその場所には、僕の他にひとりの人間が居たのでした。


作業場の間を仕切る作業台に隠れて見えなかった、ある人影。


その人は、折りたたみ式の小さなイスに座って誰も居ない早朝の新車センターで……





ひとり背中を丸めて、携帯ゲームのテトリスをやっていました……


ピコッ…ピコピコッ


まだ、ケータイ電話の無料ゲームなんて無かった頃の話です。


その人がやっていたのは、当時小中学生の間で流行っていた、千円弱の値段で売っていたキーホルダータイプの携帯ゲームでした。


「あっ!クソッ!ズレた……」


(朝から何やってんだ……この人は……)


そのシュールな光景に戸惑いながらも、僕は思い切って背中越しにその人に声を掛けてみました。


「あのぅ……」


その人はゲームから目を離し、おもむろにこちらを振り向きました。


「ん?…誰だお前…?」


歳の頃は四十台後半から五十台前半、オールバックとリーゼントの中間のような髪型に、浅黒い顔、そしてその大きな顔とはなんともバランスの悪い小さな目……


それが、僕とKさんとの運命の出逢いの始まりでした……


今まで、すぐとなりの建物で仕事をしていたのにも関わらず、僕はそれまでKさんの存在を知りませんでした。


これまで、新車センターには殆ど用事が無かったせいもありますが、社員名簿などでもその名前を見かけなかったのは、Kさんが会社の正社員で無いからだったようです。


話を聞くと、Kさんは《常駐外注業者》という立場で、会社の依頼を受けこの場所でもう三十年近くも働いていたらしいのです。


三十年といえば、どこそこの店舗の店長の入社よりも古い……まるで主(ぬし)のような存在と言えるでしょう。


一緒に仕事を始めてすぐ、僕とKさんは仲良くなりました。


何しろ、Kさんといると毎日がとても楽しいのです。


本当に有り得ないような出来事が次々に起こり、話題に尽きる事がありません。


そんなKさんの伝説的な数々のエピソードを、これから皆さんにご紹介しましょう。







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