第25話 依頼主 ジョウニ・敦 様 ③
ダンジョン内部は、概ね想像通りと言えた。
まず一番の問題はカビだ。
前回の居酒屋ほどではないにしろ、散在するカビのせいで有毒なガスが発生しているため、今回も迅速な作業が求められる。
次は迷宮化だ。
今回は二階建ての一軒家が丸々ダンジョン化しただけあって、迷宮化もかなりの規模だと想像がつく。
ダンジョン因子も、一つだけとは限らないだろう。
そして最後。
これが地味に厄介な問題だった。
「ね、ねぇ。このダンジョン臭くない?」
「おそらく腐敗エリアがあるんだと思う」
「腐敗エリア?」
「刺激臭の元である腐敗物が、大量に発生した場所だよ」
食べ物のカスや色の付いた飲み物など。腐敗エリアの原因になる物は様々で、独り暮らしの男性の家によく起こりがちな現象だ。
今回の現場は、ジョウニさんの父親が長らく独り暮らしをしていた家。
ご老人の独り暮らしともなれば、掃除の行き届かないところもあって当然だ。
腐敗エリアの出現にも納得がいく。
それに——。
「ジョウニさんの父親、この家で亡くなってたって聞いた」
「つまり孤独死ってこと?」
俺は静かに頷いて続ける。
「遺体がどれだけの期間放置されていたか知らないが、おそらくそういう要素もこのダンジョン化に繋がってるんだと思う」
「ま、まさかだけど、幽霊とか出たりしないよね……」
「さあ」
「さあって……嘘でもいいから出ないって言って……!」
俺の腕を掴み、執拗に身体を揺らすまおりぬ。
どうやらそっち系が苦手らしい。
「ねぇ! 出ないって言って!」
「出ない……出ないから……」
「ホントに……⁉ 嘘ついてないでしょうね……⁉」
嘘でもいいからとは……。
「本当に出ないから……」
「そ、そう」
呆れながら言えば、まおりぬは安堵の息を漏らした。
それにしてもビビりだ。
気が強い女子に限ってこうなのは、何かの法則なのだろうか。
「んなことより、まおりぬもこれ舐めといて」
「え、何この飴」
俺は懐から、とある飴を取り出しまおりぬに渡す。
「これを舐めれば毒に耐性がつく」
「へぇー」
「あくまで耐性だから、長居は禁物だけど」
その名をアンチポイズン。
これはつい先ほど、セイサ博士に頼んで用意してもらった飴だ。
「それと、多少臭いも気にならなくなると思う」
「え! めっちゃ万能じゃん!」
そう言って、飴を食べるまおりぬ。
ちなみに言うと、今のは真っ赤な嘘だ。
しかし、俺の言葉を完全に信じ込んだ様子のまおりぬは、
「確かに。さっきよりも臭いしなくなったかも」
見事にプラシーボ効果の恩恵を受けていた。
「これなら普通に頑張れそう」
ガリッ。
早速、飴を噛み砕いたまおりぬ。
ボリボリという音が、ダンジョン内に響く。
「え、何」
「いや、別に」
飴を舐めずに嚙み砕く人は、ストレスが溜まっていると聞いたことがある。
今日の事を思い出すと、色々と合点がいった。
「それにしても、何も起こらないわね」
「まあ、必ずしもモンスターがいるわけじゃないからな」
カビや汚れ、埃なんかがダンジョン因子の可能性もある。
むしろ割合的には、そういった現場の方が多いだろう。
とはいえ——。
気を緩めた時に限って、厄介事が起こるのがダンジョンだ。
「ねぇ、なんか聞こえない?」
噂をすれば。
モンスターが現れたらしい。
チッチッチッ——。
暗闇の奥から、鳴き声のような音が響いている。
毎度のごとく、敵は一体だけじゃなさそうだ。
「こ、これってモンスターだよね?」
「ああ」
しかもこの独特な鳴き声……。
これまた随分と珍しい奴が居たもんだ。
「俺が前線を張るから、まおりぬは後方から支援を頼む」
「う、うん」
俺の指示に頷いたまおりぬは、背負っていたアタッシュケースを開いた。
セイサ博士自慢のスナイパーライフルを取り出す姿を尻目に、俺は腕に巻いていたネクタイを解き放った。
宙をひらひらと舞うネクタイは、一本の剣になる。
「配信開始するよ!」
「ああ、頼む」
やがて薄緑色のモニターが、まおりぬの目元を覆った。
直後、小さなドローンのような物が射出される。
おそらくあれがカメラ役だろう。
やがて前方左手に表示されたのは、配信のコメント欄。
:お
:お!
:始まった
:待ってました
:こんまお
:こんまお~
:急に始まるやん
:こんまお
流石はセイサ博士だ。
こんな便利すぎる機能は、その道の天才でもなければ作れないだろう。
「リスナーのみんな、こんまお! 今からゴミヤ……じゃなくて、漆黒の剣士と一緒にモンスターと戦うの! 今回はあたしの初陣でもあるから応援よろしくね!」
:漆黒の剣士様や!
:漆黒の剣士!
:漆黒の剣士様!
:期待してるぞ漆黒の剣士!
:うおおおおおお!漆黒の剣士や!
:漆黒の剣士さまあああ!!!
「い、一応あたしがこのチャンネルの主なんだけど……」
:草
:お前らやめてやれよww
:これが人望の差か
:貧乳なんやから仕方ないやろ
:てかまおりぬ戦えるん?
:まおりぬガンバ
:一応まおりぬも応援したるわ
:俺は知ってた
「ぐぬぬぬ……」
コメ欄に煽られ、なぜか俺を睨むまおりぬ。
そもそも俺ってなんで、まおリスにこんなヨイショされてんだっけ……。
「こうなったら、何が何でもいいところ見せてやるから!」
一つ意気込んだまおりぬは、銃を構えた。
色々と気になることはあるが、今は目の前の敵に集中しよう。
チッチッチッ——‼
鳴き声が、さっきよりも荒々しくなった。
どうやら向こうも、警戒態勢を取っているようだ。
「て、敵の姿が見えないんだけど」
「いや、すぐそこに居る」
「で、でも、モニターも反応しないし……」
するとまおりぬは、円を描くように首を動かした。
天井を見上げたその瞬間、「うわっ!」と驚きの声を上げる。
「コココウモリ……⁉ デカッ……‼」
「アブラコウモリ。しかもこの規模は群れだろうな」
天井を覆いつくすように張り付いていたのは、家屋を住処にするアブラコウモリだった。別名をイエコウモリとも言い、巨大化した今の状態で翼を広げれば、その全長は3メートルにもなる。
数はざっと15体ほどだろうか。
翼をマントのように纏う巨体が、天井で逆さ吊りになっている。
「コウモリとの戦闘は基本空中戦だ。そういう意味でも、スナイパーのまおりぬには絶好の相手だと思うぞ」
「つまりは、あたしとこの子のデビュー戦にはもってこいってことね」
「そういうことだ」
今のところ、向こうから動き出す気配はない。
ならば……遠慮なく先手を打たせてもらおう。
「ということで、景気づけに一発よろしく」
「簡単に言わないでよ……」
カチャッ、というコッキング音が響いた。
:やったれまおりぬ!
:スナ専の力みせたれ!
:いっけぇぇぇ!!!!
:ぶちかませえええ!!!
「スゥゥ……」
長く息を吸う音が聞こえたその直後。
バヒューンという破裂音が鳴り、俺の頭上を一発の弾丸が通過した。
漆黒のオーラを纏ったその弾丸は、逆さ吊りのコウモリ目掛け一直線に飛んでいき——先頭に立つ巨体の眉間を見事にぶち抜いた。
ギュギュゥゥゥ——‼
断末魔を上げながら落下するコウモリ。
:当たった!
:うおおおおおおおお!!!!!
:さすがまおりぬ!!!!
:マジか
:れっつごおおおおお!!!!!
:うおおおおおおお!!!
これには、コメ欄が最高潮の盛り上がりを見せる。
「ふぅぅ、何とか当たった……」
「安心してる暇はないぞ」
しかし、戦いはまだ始まったばかりだ。
こちらが先手を打ったことで、コウモリたちは一斉に翼を広げ飛び立った。
巨大な黒の残像が、視界全てを覆いつくす。
「まおりぬは俺の援護を頼む」
「わ、わかった」
:漆黒の剣士キタコレ!
:やっちゃってください!
:数ヤバすぎww
:こんなん倒せるんか?
:ぶったぎれええええ!!!!
:いけえええええ!!!!
コメ欄をチラ見した俺は、思いっきり地面を蹴った。
そして無造作に宙を舞うコウモリの群れに、正面から突っ込む。
群れに到達した俺は、剣の持ち手をギュッと引き絞り、空中で回転しながらその黒い残像風穴をこじ開けた。
確かな手ごたえを感じた俺は、天井を足場とし態勢を立て直す。
そしてもう一度、コウモリの群れに突っ込んだ。
地上、天井、地上、天井……と、ジグザグに空間を反復しながら、俺は無造作に飛び回るコウモリを撃ち落としていく。
5往復もすれば、約半数が地に落ちていた。
:今何が起こった?
:めちゃくちゃで草
:おーまいがーだわこれは
:漆黒の剣士最強!
:おいおい強すぎか!
:早すぎて目で追えないんだが
リアルの反応を見ながら仕事するのは、何だか新鮮だ。今初めて、ゲームしながらコメントを読む配信者の気持ちがわかった気がする。
「ゴミヤッ……! 後ろッ……!」
と、まおりぬの声と同時に、ライフルの発砲音が聞こえた。
俺は剣を振るおうとしていた手を止めた。
直後、背後から近づいていたコウモリに、まおりぬの放った銃弾が直撃した。
:連携もばっちりですと
:かっけぇな
:まおりぬもやる!!!!
:うおおおおおおお!!!!
:漆黒の剣士ならやれたやろ
「さすがソドスナ配信者」
「感心してる場合⁉ 今死ぬとこだったんだから‼」
今ので死ぬとか、舐められちゃあ困る。
「さっさと片付けて先に進もう」
「ええ」
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