第24話 依頼主 ジョウニ・敦 様 ②
俺は昔から、笑うことが下手くそだった。
そのせいでガキの頃は、よく同じクラスの奴らに馬鹿にされた。
「お前の笑顔は妖怪みたいだ」
誰もがそう言って、俺との関りを避けた。
だから友人なんてもんは、未だかつていたことがない。
何をするにも独りだったが、俺は別に独りの時間は嫌いじゃなかった。
むしろ誰の干渉も受けないその空間は、俺にとって唯一の落ち着ける場所だった。
好きな時に眠って、好きな時に食べる。
今思えば、あの頃の俺は恵まれていたんだと思う。
それもこれも優しい母さんが、俺の味方でいてくれたからだ。
「時間を無駄にするな。漫画なんて読む暇があったら勉強しろ」
そんな母さんとは相反して、俺の親父は厳格な人だった。
当時名の知れた企業の役員だった親父は、俺の自由な時間の一切を許さなかった。
母に買ってもらった漫画や雑誌は、知らぬ間に小難しい参考書に変わり、いつしか部屋の本棚から消えた。
身の回りから勉強以外の全てのものが排除され、いつしか俺の居場所は、何の色味も無い別の空間になっていた。
それでも俺は、特に何も思わなかった。
諦める癖、みたいなものが付いていたんだと思う。
だから俺は、親父に言われた通り勉強をした。
そしたら見る見るうちに成績は伸びて、いつしかテストで100点を量産できるレベルにまで成長した。
母は喜び、俺を褒めてくれた。
だが、親父やクラスの連中は違った。
「それくらい当たり前だ。満足してる暇があったらもっと上を目指せ」
親父は一言も俺を褒めることはなかったし、クラスの連中は、100点を量産する俺の事を気味悪がった。
居場所を捨てて、手に入れたものがこれ。
その現実を目の当たりにした時、俺は生まれて初めて自分の存在意義を疑った。
自分は親父の操り人形なんじゃないか。
そう思い始めてからというもの、俺は勉強することをやめ、自分の部屋に引きこもるようになった。
そんな行動を親父が許すわけもなく、3日も経った頃には、首根っこを掴まれ、無理やり学校に行かされていたのだが。
それから成績が悪化するまで、1ヶ月も掛からなかったと思う。
灰色のような毎日が続いていたある日。たまたまその日は親父が出張で家におらず、母と2人で夕食を作ろうという話になった。
当時中学生だった俺に、料理のスキルなんてものがあるわけもなく。母を真似て作った麻婆豆腐は、それはもう酷い出来だったと思う。
ただ辛くてしょっぱいだけ。
そんな出来損ないの麻婆豆腐を、母はとても美味しそうに食べてくれた。美味しい、美味しい、って何度も何度も呟きながら。
「敦には、料理屋さんの才能があるね」
そう言って俺の頭を撫でる母の顔は、今でもはっきりと覚えている。
テストで100点を取った時とは、比べ物にならないくらい純粋で、喜びに満ちたその顔。俺はその時、初めて心の底から嬉しいと思った。
ああ、もっと母の笑った顔が見たい。
もっと母を喜ばせたい——。
思えば、あの時だった。
俺が料理人になろうって決意したのは。
やがて高校生になった俺は、親父には内緒で飲食店のバイトを始めた。
そこで様々なスキルや知識を学び、空っぽだった日常を料理で満たす。
バイトで稼いだ金で、料理の参考書を買った。
高校の勉強そっちのけで、夜遅くまで料理の勉強をする毎日は、俺にとって幸せ以外の何ものでもなかった。
そんな日々が、しばらく続いたある日。
卒業後の進路を決めるというタイミングで、母が倒れた。
発見が遅れたことで、治療は困難だと医師は言った。
そんな残酷な現実を突きつけられたあの時、俺は絶望の底に突き落とされた。
今が現実かどうかも、区別がつかないほどだった。
生きている心地がしない毎日が続く中で、母は少しずつ、確かに衰弱していった。
一向に母の症状が良くなることはなく、病気の発覚から半年が過ぎた。
その間、親父が見舞いに来たのは、片手で数えられるほどだったと思う。
「お父さんはお仕事で忙しいから」
母はそう言って親父の事を庇っていたが、俺は病気で苦しむ母よりも仕事を優先する親父が許せなかった。
あんな人間が実の父親であることが、気持ち悪いとすら思った。
母の衰弱と共に募る、親父への憎悪。
それが限界に達そうとしていたその時——。
母は、帰らぬ人となった。
俺が泣いたのは、あの時が最後だった。
やがて高校を卒業した俺は、親父には何も言わず家を出た。
その日の寝床すらも決めずに、リュックサック一つで社会に飛び出した俺は、幾つもの飲食店に頭を下げ、働かせてもらえるように頼んだ。
今思えば、凄い行動力だったなと思う。
当時はまだ若かったということもあって、働き口は意外にもあっさりと見つかった。
最初は確か、洋食を提供するレストランだった。
新人ということもあって、ホールが主な担当場所だった俺は、ある日突然、店の責任者からクビを言い渡された。
理由は単純。
俺は笑うことが下手くそだったのだ。
「愛層が悪い奴はうちには要らない」
その一言でその店を追い出された俺は、諦めずに違う場所で頭を下げた。
だが、どこも1ヶ月も持たずにクビにされた。
母の死によって、より一層笑顔が下手になっていたあの時の俺には、何をどうしたらいいのかわからなかった。
わからないからこそ、なかなか夢を諦め切れなかったんだと思う。
ああ、俺には無理だ。
ようやく諦めがついたその頃には、俺はもう30半ばのおっさんだった。
ろくな職歴もない。資格もない。
そんなおっさんを雇用してくれる会社なんてあるわけがなく、俺は見事に社会からドロップアウトした。
それから10年。
俺は未だに、バイトで稼いだはした金で飢えを凌いでいる。
頼れる相手なんて誰もいない。
唯一言葉を交わす相手がいるとするなら、バイト先の男子大学生くらいだ。
とはいえ彼らも、俺の事をろくでもない人間だと思っているらしい。
つい先日、その学生を含む同年代の子らの話を耳にした。
ああはなるまい。
誰もが口を揃えて、俺をそう表現した。
まあ、若者の反面教師になれる分、俺はまだ幸せ者なのかもしれない。
つい先日、あのクソ親父の訃報が届いた。
それで久々にこの家に帰って来たけど……。
なんだろう。
随分とあっという間の30年だったように思う。
何一つ変わらない灰色の中で、世界は驚くほどの進化を見せた。
ケータイがスマホになった。
メールがラウィンになった。
そして更には——。
実家だったはずの建物は、ダンジョンになった。
ダンジョンクリーナーとかいう、謎の業者に電話をした。
料金は、俺のバイト代約3ヶ月分。
あのクソ親父の為に捨てるには、あまりにも大きな出費だった。
やって来たのは、スーツを纏った2人の若者だった。
料金が相場よりも安い代わりに、配信活動をすると言う彼ら。
その片一方。やけに大きなアタッシュケースを背負った、貧相な胸の嬢ちゃんは、俺にこんなことを言った。
「そう思うなら、就活してみたらいいじゃない」
これにはつい、ため息が漏れた。
現実を知らない若者の為に、ここは一つ反面教師にでもなってやろう。
僅かに残された存在意義から、俺はありのままの事実で自分を卑下した。
「俺みたいな人間はさ、社会にとって必要のない存在なんだ。就活なんてやるだけ無駄。このまま人知れず朽ちていくのが定めなんだよ」
あのクソ親父のようにな——。
どうせこの子らも、不幸な俺を笑い貶すのだろう。
むしろそれを期待していた自分がいた。
それなのに。
「だったら、価値を見出せばいいだけの話ですよ」
「えっ……」
青年から出た言葉は違った。
「あなたがどんな人生を歩んできたのか、俺は知らない。こんな若造には、想像もできないほど過酷だったのかもしれない。それでも、あなたには未来があるでしょ」
「未来……」
「例え今のあなたが、必要のない存在だったとしても、未来のあなたがそうとは限らない。これからの頑張り次第で、人間いくらでも変われるんです」
真剣な面持ちで語った青年は、おもむろにネクタイを外した。
「観ててください。俺たちの配信を」
「あ、あんたらは、前に進むのが怖くはないのか……?」
「もちろん怖いですよ」
でも——。
「前に進まないと、人は何者にもなれませんから」
そう言って、ダンジョンと化した家に入っていく。
俺はこれまで、未来ある若者からの励ましを何度も受けた。
でもそれらは全て、その場限りの社交辞令に過ぎなかった。
彼らが俺を見る目は、まるで捨て犬を見るような目で、誰一人として俺を対等な存在として見てはくれなかったのだ。
だから、響かなかった。
せめて反面教師に……そう言い訳して、行動することから逃げるしかなかった。
だが、あの青年の目は……言葉は違った。
「人間いくらでも変われる……ね」
彼は俺を一人の”人間”として見てくれていた。
その上で、あんな言葉をかけてくれた。
前に進まないと、人は何者にもなれませんから——。
もうとっくに、俺の心は死んでいると思ったのに。
どうしてだろうな……。
青年の言葉が、心の奥深くまで響いている。
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