ある仕事

森川 朔

第1話

 5月中旬に入ろうかという日曜日、私は久々の休日ながらPCの前に座っていた。

 指定された時間の5分前に会議チャットに入ると、そこには既に3人入っていた。男性2人に女性1人。全員20代ぐらいだろうか。


 簡単に挨拶をしていると、11時丁度に会議チャットに1人入室してきた。最初にいた4人と違い、その人はカメラを有効化していない。デフォルメされた太った猫が地べたにだらりとしているアイコンが印象的だ。


「皆さん揃っているようですので早速始めさせていただきますね」

 太った猫は落ち着いた穏やかな声でしゃべり始める。

「あの、1つ聞いてもいいですか?」

 大学生ぐらいの青年が恐る恐る声を上げた。


「なんでしょうか?」

「その、今日って何をすればいいでしょうか?」

 青年の問いに私を含めた全員が頷く。

 私たち全員、指定された時間にこの会議チャットに入るようメールを貰っただけで、何をするのか全く聞いていなかった。


「ああ、そう言えば伝えていませんでしたね。失礼しました」

 太った猫は悪びれた様子なく謝罪の言葉を口にする。明らかに誠意が感じられない。少々ムッとするが、だからといってどうこう言うわけにもいかないので、ぐっとこらえる。


「あのさ、それよか本当に日当3万貰えるんだよな?」

 今度は眉間にしわを寄せながら金髪の男性が口を開く。

「ええ、それはもちろん。そういう契約ですので」

「ならいいけどよ」

 金髪は金が貰える言質を取ったことでほっとしたのか、座っていた椅子に深く腰掛け直す。


「それと、何をするかという質問についてですが……」

「は、はい」

 ピシッと背筋を伸ばした青年が返事を返す。

「難しいことはありません。皆さんにはこれから私が話すある仕事についてどう思ったのか率直な感想を述べていただくだけですので」


 は? 太った猫が話す仕事についての感想を伝えるだけで日給3万? 

 いよいよ胡散臭くなってきた。私以外の3人も表情が一瞬にして険しくなっていく。


「皆さんが胡散臭く思うのも無理ありません。なんだったら今すぐ退出していただいても構いませんよ。まぁ、その代わり、申し訳ありませんが日当についてはお渡しできませんけどね」

「「「「……」」」」

 

 皆一様にどうするべきか考えているのか無言の時間が数秒流れる。

「どなたも退出されなそうですね……では、始めさせていただきます」

 1分ほど待って誰も会議チャットから退出しないのを確認して、太った猫はまた口を開く


「そうそう、最初に言ったように率直な意見が欲しいので、私が話している途中でも気になったことがあれば遠慮なく発言してくださいね」


 では、と前置きした上で太った猫は話始めた。

「その仕事に従事している人は世界中に大勢いらっしゃいます。どんな国にも一定数いらっしゃいますね。もちろん私たちが暮らしているここにも大勢の方がその仕事に従事しています。勤務時間は人によって様々ですが、基本的に休みはありません」

「休みがないんですか?」


 思わず口を付いた。

「ええ、そうですね」

「ただの1日もですか?」

「はい」

「元旦とかもですか?」

 ずっと口を閉じていた女性が小さな声で問いかける。

「ええ、残念ながらこの仕事に従事するようになると、丸一日休みを取るというのは難しいですね」


「相当ブラックだな」

「ですね」

 金髪の言葉に頷く。かなりの圧政を敷いている国ならばまだしも、民主主義をうたっているこの国にもあるのだから驚きしかない。


「話を続けますね。この仕事をこなすには卓越した財務能力、交渉力、時にはリーダーシップも求められます」

 休みがない上にそんな技能まで必要になるのか……。


「あっ、すいません」

 ふと、青年が何かに気づいたように声を漏らす。

「いえ、何かあれば言ってください」

「そ、その、もしかしてその仕事って社長ですか?」


 なるほど。確かに社長であればどの国にもいるし、急に仕事の連絡が来ると思えば休みがないと言えなくもない。


「いえ、よく間違われる方がいらっしゃいますが、残念ながらこの仕事は社長ではありません」

「そうですか……」

「ええ、それに社長と違って無給ですので」

「はぁ? そんなことあるか?」


 金髪がそう言うのも無理はない。私もそう思う。休みがなく、財務能力、交渉力、リーダーシップが求めらるのに無給。そんなもの存在するわけがない。


「それと、これが一番大事なことですが、その仕事に従事される方には、何よりも愛情が必要になります。時には無償の愛を与え続けることもあるでしょう」


 いよいよもってやばい仕事だ。そんな仕事少なくとも私だったら1週間と持たないだろう。


「さて、これで大体のことはお話しました。……どうやら彼女は気づいたみたいですね」

「はい、たぶんですけど……」

 彼女は笑みを浮かべながらしっかりと頷く。


「この仕事に従事している方は女性の方が多いですよね?」

「ええ、一般的に女性の方が多いでしょうね」

 

 女性の方が多い……あっ、なるほど、そう言うことか。私が気づいたのと同じタイミングぐらいで青年も答えに辿り着いたようだ。確かに太った猫が言っていたことは言い様によってはどれも当てはまる。少し口角が上がってしまう。


「どういうことだよ。わけわかんねぇ」

 唯一まだ分かっていない金髪が苛立つように声を上げる。


「まぁ、中には職務を放棄してしまう方もおられますが、それでも本当に多くの方が懸命にその仕事と向き合っています」

 太った猫の言葉に3人が深く頷く。


「さて、皆さんには契約通り本日の日当を振り込ませていただいております。このお金をどのように使うかは皆さんの自由です」


 えっ? PCのカメラから映らないようにスマホで口座を確認すると、確かに3万円が振り込まれている。


「あの、最後に1つだけ聞いてもいいですか?」

「なんでしょうか?」

「あえて今日にしたんですか?」

「……さぁ、どうでしょうかね?」

 太った猫はとぼけたように答える。


「今日? ……あっ!?」

「では、本日はありがとうございました」

 金髪が声を上げたのを遮るように太った猫が締めの言葉を告げ、会議チャットを抜ける。


 それに続いて私も会議チャットを抜け、持っていたスマホの電話帳をスクロールしていく。ちらりとPC後ろにある卓上のカレンダーに目を向ける。

 本日は、5月の第2日曜日。


 そう言えば、電話するの久しぶりだな……。

 そんなことを考えながら、私は通話ボタンをタップした。


 



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ある仕事 森川 朔 @tuzuri246

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