第28話 問題山積1
少し時間が遡る。
冬真とハチは京都人妖警察統括本部に緊急招集されていた。
「異常事態が発生した」
統括本部長室でそう語り出したのは部屋の主である安倍晴信だ。
晴信は元実務部隊出身であり、人妖警察のトップである統括本部長に若くしてなったエリートでもある。50歳を過ぎて戦いの第一線からは退いているが、引き締まった身体や鋭い目つきは変わらず、戦場を駆け抜けた軍人のような威厳がある。
「今日の夕方、酒呑童子の首が持ち去られた」
「酒呑童子の首ですか?」
酒呑童子。平安時代に大江山に棲みつき、部下と共に悪行を行なっていた鬼の大将である。討伐に向かった源頼光と藤原保昌らは、その名の通り酒が大好きだった酒呑童子に毒酒を煽らせ、寝所にて首を刎ねたと言われている。
その首は平等院に納められたが、後に安全性の観点から人妖警察に引き渡され、こちらが保有する倉庫に何重にも結界を張って厳重に保管していた。
「犯人は蘆屋充だ」
冬真とハチは自分たちが呼び出された意味を知った。
「やはりあの男」
「力を取り戻したんだな」
「君たちからは以前に2つ報告を受けていた。1つは蘆屋充が復活した可能性があること、もう1つは蘆屋充が『傀儡の術式』を会得している可能性があること」
ここで晴信は溜息を一つ吐いた。
「そして今日、疑念は確信へと変わった。奴の復活と『傀儡の術式』、この2つの情報はどちらも正しかった」
できれば両方とも外れてほしいと願っていた可能性が2つとも当たっていたのだ。溜息の一つも漏らしたくなるだろう。
「念のための確認ですが、『傀儡の術式』を正しいと言い切るその根拠は何ですか?」
「酒吞童子の首を守るセキュリティーの1つに生体認証を取り入れていた。その鍵となる人物を取り押さえ尋問したところ、資料通りの意識障害が見られた」
しばしこの場の誰もが閉口した。
『傀儡の術式』は禁忌術式であり、失われた術式だと考えられてきた。それは相手の霊魂を縛ることでその者を意のままに操るという術式である。
活力術式は微力な霊力で霊魂を縛り身体能力を向上させるのに対して、傀儡の術式は相手の霊魂を無理やり縛り付けて行動させるという非道な術である。
しかし、あまりにも高度な術式であるため会得が難しく、長い人妖警察の歴史資料においてもこの術式を扱える人物は片手の指で数えられるほどだ。
禁忌術式であるそれは風化させるべき、失うべき術式だった。
それを復活させてしまうとは、しかもそれがよりにもよって人妖警察現代史の中でも凶悪犯の筆頭に上げられる蘆屋充が習得してしまうとは。
3名ともその絶望的な事実に押し黙ってしまったのである。
なお傀儡の術式における資料自体極めて少ないが、その資料の中に術式をかけられた者は術中の記憶が一切ないと記録されている。恐らく今回生体認証の鍵になっていた職員も記憶が飛んでいるということなのだろう。
「蘆屋充の目的はやはり前と変わらないだろうか?」
「恐らく以前と変わっていないと思いますが」
執拗な男ですからと冬真は嫌悪感を隠そうともしない。
『百鬼夜行をしたいんだ』
あの日の充との会話が冬真の中で蘇る。
『何を馬鹿なことを言っているんだ。現代で百鬼夜行なんか起こってみろ。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。大体、棲み分け法の考えを真向から否定する話じゃないか』
百鬼夜行とは妖怪が夜に群れ歩き、行列となって徘徊することであり、平安時代や室町時代などで多く目撃された。百鬼夜行に遭遇すると取って食われたり、死に追いやられると言われており、人間にとっては非常に危険なものである。
『そうなんだけどさ。ほら見える人間も随分と減っただろ?それって妖怪と触れ合う機会が減ったからだと思うんだ。それを進化というのか退化というのかは分からないけど、何て言うかな、人間本来の生の輝きを取り戻すために必要なことだと思うんだよ』
通常の倫理観で蘆屋充を理解できる人間はいない。恐らくサイコパスと呼ばれる狂人の類である。
晴信が冬真の物思いから現実に引き戻す。
「しかし疑問だな。何故酒呑童子の首なんだ?酒呑童子を復活させて、百鬼夜行を行うつもりなのか?」
それについては冬真も疑念を持っていた。
(あいつはずっと『ぬらりひょんの湯呑』を探していたはずだ。何故今更酒呑童子の首なんか)
確かに酒呑童子は全盛期の頃、ぬらりひょんが主導していた百鬼夜行に参加していた。見越入道と並ぶ実力で、ぬらりひょんの片腕として多くの妖怪から恐れられていた存在ではある。
(『ぬらりひょんの湯呑』は諦めて酒呑童子と見越入道を起こすつもりか?)
ただそれだとその大妖怪たちは充には従わないだろう。
(傀儡の術式で無理やり従わせるのか?いやしかし流石にあれほどの大妖怪を操ることはできないだろうな)
だとしたらやはり最も効果的なのは『ぬらりひょんの湯呑』のはずだと冬真は思う。
とここで部屋に統括本部の者が入ってきた。緊急の用事らしい。晴信に耳打ちをすると晴信の顔が見る見るうちに真っ青になっていった。
「何?ガラクが行方不明だと?」
言伝の者はさらに二言三言晴信に何か話した後、紙を渡して退室した。
「おい、まさかバレたんじゃねェか?」
「そんな、まさか」
流石の冬真も狼狽する。
「聞こえたと思うが、ガラクが行方不明だ。部屋にはこれが置いてあったそうだ」
晴信が先ほど渡された紙を冬真とハチに見せた。紙には拙い文字で「たびにでます さがさないでください」と書いてあった。
「家出か?誘拐か?」
「これだけでは何とも…。いつからいなくなったんでしょうか?」
「確認中だ」
「今日の夕方なら誘拐の線は大いにあるな」
問題はまだ続いた。
冬真の携帯に実務部隊副長の大庭より緊急連絡が入ったのだ。
晴信に断りを入れてから冬真は電話に出た。
「どうしましたか?」
「先ほど、雪女と天狗と河童がそれぞれ暴れ出して多くの班が緊急出動しました」
「緊急出動ですか。3箇所同時となると署内が一気に手薄になりましたね。『ぬらりひょんの湯呑』が狙われたのでは?」
「はい、すぐに私とツムジで確認したところ、第一の錠は開錠されていました」
「第二の錠は?まさか扉は開いていないですよね?」
冬真が第二の鍵を持っているのでそんなことはないと思ったが念のため聞くことにした。
「第二の錠の開錠形跡はありませんでしたが、その代わり別の錠がかけられていました。しかも付喪神つきの錠で全く開錠できず、我々が部屋に入ることもできなくなりました」
「そうきましたか」
充は冬真たちが部屋の中の物を移動させないよう自分も錠をかけたということなのだろう。
「ちなみに大庭さんとツムジさんと支部長たちはここ最近で不審な人物に声をかけられたり、記憶の一部が欠如していることはありませんでしたか?」
「幸いなことに私もツムジも、支部長たちにも確認しましたがありませんでした」
そうですかと冬真は考え込む。
「聞き忘れていました。防犯カメラには何か映っていましたか?」
「正体不明の鬼が映っていました」
てっきり充が映りこんでいると思った冬真は驚いて聞き返した。
「鬼?人間ではなく?」
「小柄な鬼でした。眉目秀麗の青年といった容姿で裃を着こなしていましたよ。例えるなら小姓のような感じです」
「分かりました。ご報告ありがとうございます、大庭さん。後で帰ったら様子を見に行きますね。それから事態の沈静化も骨が折れるでしょうが、各小隊長と連携して頼みます」
「承知しました」
「何が起きた?」
電話が切れると晴信がすぐに訊ねてきた。
「『ぬらりひょんの湯呑』が狙われたようです」
「何?」
冬真は先ほどの大庭のやり取りを説明した。
「正体不明の小姓のような鬼だと?」
ハチの頭には大きなはてなマークが浮かんでいるようだった。
「その鬼は蘆屋充と何か関係があるのだろうか?」
晴信も必死に考えを巡らせているようだ。
「私は関係があると思っています。これだけ立て続けに問題が起きているのはあまりにも不自然です。考えられることとして、以前私が蘆屋充を捕縛した際、永久霊力封じの術式を施していたにも関わらず護送中に逃亡されたのは、蘆屋充に手を貸した者がいたと考えるのが自然です。その小姓の鬼が共犯者である可能性は十分にあると思います」
「ではその鬼の正体と何故酒吞童子の首が奪われたか、そしてガラクは家出か誘拐かだな」
晴信はここで席を立った。
「少し自分のバディにガラクと何かあったのか聞いてくる。成宮君とハチ君は前者2つについて仮説でも何でもいいから考えていてくれ」
「畏まりました」
ここで考える時間が設けられるのは冬真にとっても有難かった。
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