人間と妖し怪物の決まりごと

あいうちあい

第一章

第1話 序

 3月初旬、北海道のとある雪山。


「ぁあああああ!!!!さみぃいいいいい!!!!」


 暁は山中を疾走していた。


 そこまで標高のある山ではないが、何せ試される北の大地、3月初旬はまだまだ冬である。氷雪は未だ分厚く山肌を覆っているため走りにくい上、今は午後11時過ぎ。気温も軽々と零度を下回っており、自然の山中では月明りしか寄る辺がないため視界も非常に悪い。


 暁は一応この事態を見越して服を何枚も重ねて着込み、その上からスキーウェアを着用、さらに帽子、手袋、ネックウォーマーの3点セットをつけ、背中にはカイロを貼っていた。にもかかわらず寒さを凌げないのは山中を走り回っている時は汗ばみ、じっとしている時にはその汗が冷えて体温が奪われてしまっているからだ。


「寒いし、足元悪ぃし寒いし、暗くて何も見えねぇし寒いし、散々だなおい。これで不合格だったら承知しねーぞ」

 

 悪態を吐きつつも暁は走るスピードを緩め、先ほど感じた気配を探っていた。


(確かこの辺だと思ったんだが…)


 暁が大声をあげたのに驚いて逃げたか、あるいは。


(いや、さっき倒した奴と同等の気配だった。ということは一番上等の奴なんだから逃げるわけないよな。間違いなく近くにいて、俺を狙っているはずだ)


「そうじゃねぇと、大声出した甲斐がないからな」


 暁は比較的木々が生えていない視界の開けた場所に出て、じっと身構えた。



 しばしの静寂。



 どれほど息を殺しても、口の端から白い吐息が零れる。

 外気に晒されている露出した肌と、呼吸をする度に冷たい空気が流れ込んでくる肺は、寒すぎるが故に針で刺されているかのような痛みを感じている。

 聞こえてくるのは己の呼吸と、しーんという耳鳴り。あとはたまに木の枝から落下する雪の音。他の生物の息遣いは雪が吸収しているのかあるいは冬眠しているのか、聞こえない。


 しんと張りつめたその空気が、暁の緊張と集中を極度に高めていった。


 やがて、寒さという痛みさえ感じなくなり。

 真っ白だった吐息が闇に紛れるほど細くなったとき。

 

 ヴォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!


 相手は暁の真後ろから思いっきり突っ込んできた。

 暁は自分の左側、斜面の下りに向かって受け身を取り、その攻撃を躱した。間髪入れずに態勢を立て直し、相手を見やる。相手もまた打ち損じた暁の方をギロリと睨みつけた。


「ラッキー、俺、お前のこと狙ってたんだよ」


 暁はニヤリと口元に笑みを浮かべた。


 相対したそれは周囲の木々と同じぐらいの大きさの一つ目の鬼だった。口裂け女のように開いた大きな口からは鋭い歯が覗き、頭には立派な角が一本生えている。それ以外はぎょろりとした目が一つ、これが顔の大半を占めているほどに大きい。体全体は赤黒くゴツゴツとしていて生半可な刃物は通さないほど硬そうなことが推測される。何ともおどろおどろしい姿だ。


 そして手には鬼の得物である金棒が握られていた。


「鬼って本当に金棒持ってんだな」


 一般人ならば姿を見ただけで失神するだろうが、暁は微塵も臆することなく、それどころか大胆不敵に笑い、鬼の金棒にきちんと突っ込みを入れる余裕さえあった。


 少しの睨み合いの後、先に攻撃を仕掛けたのはまたしても鬼の方だった。両手で金棒を振り上げたかと思うと、暁に向かって縦一閃に勢いよく叩き込んだ。衝撃で大地が轟く。


 暁はその攻撃を真横に受け身を取ることで回避していた。その間に素早く手袋を外し、代わりに金属性のメリケンサックを両手に嵌め、手早くカンカンと打ち鳴らしながら呪文を唱えた。


「汝は我の幻影。影武者となれ」


 鬼は音のした方に反射的に振り向き、己に向かってくる物体に対して咄嗟に金棒を薙ぎ払った。


「甘ぇよ」


 鬼が打ち砕いたのは暁が創り出した靄の影だった。影のすぐ後ろにいた暁は、鬼の腕に素早く駆け上がり、その大きな一つ目に向かってメリケンサック付きの拳を思い切り叩き込んだ。


ギィヤァアアアアアアア!!!!!!!!


 先ほどの咆哮とは比べるべくもない悲痛な叫びが辺りにこだました。

 暁は振り落とされる前に地面に着地した。鬼は手に持っていた金棒を落とし、潰れた目を両手で覆う。その手の隙間からは青い血が伝った。


 すかさず暁は畳みかける。


「我乞うたるは陰の化身。我に仇なす者を捉えよ!」


 暁が呪を唱えると、痛みに悶絶している鬼の足元の闇が一層濃くなった。次の瞬間、黒い蛇のような影が2頭、地面から勢いよく飛び出してグルグルと鬼を縛り上げる。鬼はバランスを崩し、なす術もなくどうっと地面に倒れた。その隙を逃さず鬼の額に妖怪の力を封じる札を貼る。


「ふぅ、鬼の簀巻き一丁上がりぃっと」


 暁はそう独白してみるが、寒いからでは済まされないほど手足の先が酷く冷たくなっていることに気が付く。


(結構緊張してたんだな、俺)


 暁は深呼吸して自分を落ち着かせた。そして捕縛した一つ目鬼を見やる。この妖怪は実技試験でも一番点数の高い獲物だ。この山に全部で3体放たれていると最初に説明されていたが、暁はその3体を全て捕縛し、さらにその道中で何匹か雑魚も狩っていた。


(筆記はボロボロだったからな。実技で頑張らねぇと)


 暁が次の獲物を探すべく歩き出した時だった。


「受験番号9番、試験用妖怪捕縛12匹目、61点、現在1位。試験用妖が全て捕縛されたので実技試験を終了します。繰り返します……」


 暁を上空から監査していた鳥のような記録用式神が、試験の終わりを告げた。

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