43.銀髪エルフさん、そして帰還




 小首を傾げて可愛らしく、だけどちゃんと笑ったことがないのか、恐ろしくぎこちない笑顔を見せている銀髪エルフのレティーさん。


 一見すると、セシリーお姉ちゃんと歳は変わらないように見えるがそこはそれ。エルフの実年齢など考えるだけ無駄である。


 聞いた話によると、エルフは十八歳ぐらいまでは人間と同じ成長速度で大人になっていくらしいが、そこからは見た目の年齢がストップし、二百歳ぐらいになってから十年で一つ、見た目年齢が増えていくそうだ。


 そういったわけで、彼女がいくつなのかは謎である。

 そんな美人エルフさん。それを見上げていた隣のお姉様がしばらく複雑な表情を浮かべていたが、やがて、どこか照れたような笑みを浮かべた。



「ただいま、レティー。ちゃんと挨拶できていなくてごめんなさい」

「いえ。お気になさらず。それが私の務めですから」



 そう応えたあとで、美人エルフさんはじ~っと、俺のことを見つめてきた。

 何か探りを入れるような、それでいて、訴えかけてくるような、よくわからない眼差しだった。


 この熱視線には覚えがあった。夜会の最中、なぜかカーテンの陰に隠れるようにして俺のことを見ていたあのとき。

 そう。あれと酷似していたのである。

 あのときは何してるのかよくわからなくて、本当に意味不明だったのだが。



「オルフェン様」

「うん?」

「その、喉渇いておられませんか?」

「ん~? そう言えば、乾いているような、いないような?」



 なぜ彼女がそんなことを聞いてきたのかわからなかったが、やっぱり伯爵家に仕えるメイドだし、その辺は気配りができるようにしつけられているのかな?

 などと思っていた時期がありました。



「でしたら、早速わたしのをお飲みください!」



 なんだか妙に嬉しそうに、今まで見た中で最も自然で愛らしい笑顔を花咲かせたかと思ったら、この人、何を考えているのか。

 いきなりワンピースのような寝間着の胸部分についているボタンを外すと、そのまま左胸を露出させようとしたのである。



「わぁ~~~! だめぇ! 何してるのよっ」



 それに気がついたお姉ちゃんが大慌てで俺とレティーさんの間に割って入ると、すかさず組んずほぐれつの争いをおっぱじめてしまった。



「私はただ、オルフェン様におっぱいをあげようと……」

「何言ってるのよっ。そんなことはしなくていいのよっ。私たちはもう、赤ん坊ではないのだから!」

「ですが、私はまた出るようになりましたので……」

「だからダメだってばっ」



 …………。

 俺は夢を見ているのだろうか?

 あの美人エルフさん、もしかして俺に授乳させようとしていたのではなかろうか?



「は……?」



 この伯爵領に来てからと言うもの、本当に意味不明なことばかりが起こってきたが、今回のこのエルフお姉さんの謎行動が一番理解に苦しむ言動だった。


 ひょっとしてこの人も、お姉ちゃんたち家族と同じで頭がおかしいのか?


 そんなことを思っていたら、お姉ちゃんの包囲を破ったレティーお姉様が正面から俺の頭を抱きしめるように飛びついてきた。

 お陰で、例によって思いっ切り胸の谷間に顔が埋もれる。

 幸いなのか残念なのかわからないが、そのときには既に彼女の大気に晒されかけていた豊満な左胸は服の中に戻されていた。



「ちょっと、レティー……!」



 お姉ちゃんが悲鳴じみた声を上げていたが、エルフさんは意に介さず。



「あぁ、私の可愛い坊や。またいっぱい甘えさせてあげますからね?」



 ぎゅーっと抱きしめてくるエルフの姉さん。

 どこかで聞いたことのあるような台詞を吐く彼女に、もう一人のお姉様が、



「いい加減に離れなさい! ルーフェはリューじゃないのよっ」



 そう言って引っぺがそうとする。

 俺はその台詞を聞いて、なんとなくわかってしまった。



「あ~……うん、察し」



 口をもごもご動かす度に揺れ動く柔らかい胸の感触に顔すべてを包まれながら、俺は「この人もかっ」と、残念な気持ちになるのであった。




◇◆◇




「なるほど。てことはこの人はお姉ちゃんたちの乳母だったってことか」

「えぇ。そうなるわね」



 さんざか俺を愛玩ペットのように愛撫できたからか、大分気持ちが落ち着いてきたらしい銀髪エルフのお姉さんからようやく解放された俺は、再度俺の左隣に座ったお姉ちゃんに事情を話してもらっていた。


 ここより遙か南東の地に、レグリア聖王国と国境を共にする禁断の地キルリリックと呼ばれる大樹海が存在しており、そこには白エルフたちの隠れ里があるのだとか。


 どうやらグレンアラニス伯爵家は昔からそこと親交が深かったらしく、人も物も多くが互いに行き来していたらしい。



「それでか。それでこのお屋敷、エルフのメイドさんたちが多かったのか」

「はい。そうです」



 俺の右隣にがっつり張り付くような形で座っているレティーが、俺の右腕を胸に抱え込みながらそう答えた。



「それで、今から言うことはあまりおおっぴらにできないことだから、内緒にしておいて欲しいのだけれど」



 お姉ちゃんはそう前置きしてから話してくれた。



「実は彼女たちエルフは私たち人と違ってとても魔力の密度が高いのよ」

「魔力の密度?」



 あぁ、そう言えばそんな話あったっけなぁ。

 白エルフは体内に宿す魔力量が他の種族より遙かに多く、それゆえにすべてを抱えることができずに体液すべてに魔力が循環しているのだとか。細胞一つ一つ、血液の一滴だけでなく、それ以外のものにまで。



「だから彼女たちが分泌する母乳にも高密度の魔力が宿っているって言われていてね。それでエルフたちの子供たちはそれを与えられて育つから、子供たちすべての魔力濃度が高くなり魔術師や精霊魔法使いの適性が高くなると言われているの。しかも、栄養価も高いから子供たちは病気知らずで、元気に大人になっていくと言われているのよ」

「なるほど。ということは」

「えぇ。彼女たちに乳母になってもらった方が、人が育てるよりも子供たちは健やかに育つし、魔力量も常人より遙かに高くなるということね。必ずというわけではないのだけれど」

「なるほど。だからかぁ。それでお姉ちゃんは高火力――」

「こらっ。それ以上言ったら怒るわよ」



 そんなことを言いながらもニコッと笑いかけてくる怖いお姉様。



「しかし、てことはそういった経緯でお姉ちゃんたちはレティーに育てられたってことか」

「そうね。まぁ、厳密に言うと私と亡くなったリューだけだけど」

「え? どういうこと?」



 その質問にはレティーが答えた。



「私たちは妊娠していなくても、強い母性を感じると出るようになるのです。ですので、たまたま私の場合はお嬢様とお坊ちゃまだったという話です」

「なるほど。そういうわけか。だから二人の育ての親だったと。だけど、じゃぁなんで今、僕に飲ませようとしたんだろう?」



 赤ん坊でもない俺を見て、なぜこの人は母性を感じたんだ?

 しかし、それは愚問だった。



「決まっております。オルフェン様を見て、昔のことを思い出してしまったのです。オルフェン様はあの方とは違いますが、なんだか母性をくすぐられてしまって、それで愛おしく感じてしまったのです。ですから、オルフェン様。是非、私のをお飲みください! 胸が張って苦しいのです!」



 そんなことを言って、残念なメイドさんは再び胸を露出しようと大慌てでボタンを外しにかかった。

 しかし、それを許すお姉ちゃんではない。



「だからダメって言ってるでしょ~!?」



 弾かれたようにベッドから立ち上がるや、懸命に阻止しようとするお姉ちゃんと、そうはさせじと部屋の中を走り回る銀髪エルフさん。

 俺はそんな二人を眺めながらロングブレスを吐き出すのであった。




◇◆◇




 翌日早朝。


 屋敷の玄関前に横付けされた馬車に乗り込む俺とお姉ちゃん。

 大勢のメイドさんや執事さんたちを従えるように、伯爵夫妻やお姉ちゃんの妹のレナちゃん、それから昨日の夜遅くに仕事から帰ってきたもう一人の妹さんが、俺たちを見送ってくれていた。

 そんな中、伯爵様の前には例の銀髪メイドエルフのレティーさんがいた。



「旦那様。それでは行って参ります」

「あぁ。くれぐれもセシリーのこと、頼んだぞ」

「はい」



 彼女は身体の前で手を揃えて頭を下げると、馬車の中へと入ってきた。



「ねぇ、本当に来るつもり?」

「はい、勿論です。旦那様には許可をいただいておりますから」



 俺とお姉ちゃんの前のシートに座った彼女はそう言って、ぎこちない笑みを浮かべた。

 どうやら、子煩悩が刺激されてしまったらしく、どうしても俺たちと一緒に暮らしたいようだった。

 お姉ちゃんに対する愛情だけが再燃したのか、それとも俺が原因なのかはわからないが。



「オルフェン!」



 一人今後の生活がどのようなものへと変わっていくのか、やや不安になって思いを巡らせていたら、いつの間にか閉められた扉の向こう側に、伯爵が立っていた。



「はい」

「よいか? 俺はまったく認めておらんが、戸籍上、貴公は既に俺の息子として養子縁組されてしまっておるのだ。くれぐれもそのことを忘れず、迂闊な真似だけはしてくれるなよ?」

「はい。わかっていますよ」

「本当だろうな!? よいか!? もし我が家の名前に傷を付けるようなことがあったら――て、おい! 待たんかっ。まだ話は終わっておらんぞ!」



 なんだか知らないが、更にヒートアップしそうな感じの伯爵様の小言に嫌気が差したのか、お姉ちゃんが御者を務めている執事に合図を送って馬車を走らせてしまった。

 そのせいで血相変えて追いかける形となっている哀れなお父様。

 なんとも笑える姿だった。



「だけど、本当に、どうしようかなぁ……」



 俺は頭の後ろで両手を組んで、背もたれにどっぷりと倒れ込みながら、聖都に戻ったあとのことを考え、色々思考を巡らせたのだが、



「うっふふ。ようやく帰れるわね。これで誰にも気兼ねなく、たっぷりと二人っきりの時間を味わえるわね」



 そんなことを言いながら、瞳に妖しい光を宿して俺の肩に頭を乗せてくるセシリーお姉様がいたかと思ったら、



「オルフェン様――いいえ、お坊ちゃま。これから、よろしくお願いしますね。あなた様のために、いっぱいお仕え差し上げますので」



 銀髪お姉様の方も、どこか陶然としたような表情を浮かべながら、大きな胸を揺するのであった。



「はぁ……前途多難だなぁ……」



 溜息を吐きながらぼそっと呟いた俺に、



「みゃぁ」



 俺の膝の上で寝ていた白猫ちゃんが可愛らしく鳴くのであった。




 ――こうして、お姉ちゃんの里帰りはなんだかんだでようやく終わりを告げた。しかし、ある意味、本当の苦難はここから始まることになる。


 そう、裏主人公として大活躍しようとしている俺の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。

 今後、どのような試練が待ち構えているのか。

 それはまた別の物語である。




―― セシリアーナお姉ちゃん編 了 ――

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