猫である
水無月 真珠
黒猫
「んー! 荷物の整理も大体終わったし、ちょっと散策がてらお散歩でもしに行こっかな」
大きく伸びをして部屋をひと眺め。
うん、大体片付いた。
私の名前は
今年から大学一年生!
JDだよJD!
一人暮らしがしたいという我儘を両親に聞いてもらい、大学合格を機に、一人暮らしをさせてもらえることになった。
まあその代わり、取る教科の単位は選択含め、全部取らなくちゃいけないんだけど。
一個でも落としたら、一人暮らしは即終了という約束になっちゃった。
一応言い訳は聞いてくれるらしいけど……。
仕送りはしてくれるし、ある程度お小遣いもある。
もしそれでも、もっとお小遣いが欲しいならアルバイトをしなさいと言われているので、大学生活と一人暮らしに慣れた頃にアルバイトを探して見ようと思う。
新居を飛び出し鍵をかけ、オートロックの自動ドアを通り抜け、私はこれからお世話になる街へと飛び出した。
コンビニもスーパーも近くにあるし、大学まで歩いて片道十五分。
もうちょっと歩けば有名なお花見スポットもある。
今年は例年よりも桜の開花が早く、もう見頃を迎えているそうだ。
「桜が散る前に、見に行かないとね」
どうせだったらお弁当を持って行きたいから、今日は見に行かない。
まだ風は少し肌寒いけど、お日様にあたるとぽかぽかと温かい。
息を大きく吸う。
少し前まで空気を吸うと、冷たい空気のせいで鼻がツンと痛くなっていたのに、今は元気に緑が芽吹く匂いがする。
「あ、ここの通りにも桜があるんだ」
当てもなく、何となく気分に任せて道を行く。
初めて見る景色に、心がウキウキしてくる。
「これから凄く良い事が起こりそう!」
私は、少しドキドキする予感を胸に抱くのだった。
そんな矢先。
「……迷った」
盛大に迷子になっちゃった!
「まあ、慌てる事なかれ。文明の利器スマートフォンにお任せあれ!」
ゴソゴソと鞄を探す。
……。
あれっ?!
上着のポケットにもない!
スカートのポケットにもない!
えーっと、最後に使ったのは……。
少しずつ記憶を巻き戻していく。
「あ”----っ! ベッドの上だぁぁぁぁぁぁっ!!!」
蒼と喋ってた後そのままだった……。
「まっまあ、落としたんじゃないから、何とかなるなる!」
そう気を取り直して私は、来た道を戻る。
「……あれ? さっきここ通らなかったっけ」
はい、ダメでした。
「こういう時に限って通行人いないし、コンビニもないし!」
さっきまでのドキドキした気分はどこへやら。
暗い感情がどよどよと湧き上がってくる。
こうなってくると不安が込み上げてきて、綺麗だと思っていた景色が、途端に不気味に見えてくる。
キョロキョロと周りを見渡しながら、知っている道を探す。
「――あっ」
目の前を黒猫さんが横切っていく。
その光景に、私は思わず口にする。
「黒猫が横切るとか不吉だなー……」
私が気になったのか、黒猫さんは私の方へ顔を向けて、私をじっと見つめる。
金色の眼だった。
黒猫さんは、少しの間私を見つめると、ふいっと顔を逸らし、壁を登って見えなくなった。
「なんか怖かった……」
少し背筋が冷たくなった私は、再び知っている道を探そうと歩きだした。
黒猫さんがいなくなったところを横切ろうとした時だった。
「お前さん、随分と失礼なことを言うな?」
どこからか、声が聞こえて来た。
「――え?!」
ビクっとして慌てて周囲を見渡すが、人は誰もいない。
「ここだよここ。壁の上だ」
視線を上げると、さっき私の前を通り過ぎた黒猫さんが、壁に座りながら私をじっと見降ろしている。
「いやいや、猫が喋るなんて……」
「喋ってはいかんのか?」
「――ひっ!!」
声は黒猫さんから聞こえて来た。
私はへなへなとその場にへたり込む。
「今の世になって、まだ黒猫が災いの象徴だと信じておるのか? そもそもそれは海外の伝承で、この国では黒猫は吉兆とされておったのだ。それを不吉の象徴のように言いおって。吾輩に失礼とは思わんのかな?」
渋い声で流暢に喋る黒猫さん。
私は頭が真っ白になって、口をパクパクとするしかなかった。
「……しまった。つい余計なことをしてしまった……」
黒猫さんはため息をつくと、ストっと壁を降り、私の所までテクテクと歩いてくる。
逃げ出したいくらい怖かったけど、腰が抜けて動けなかった。
「すまんな、怖がらせるつもりはなかったのだ」
そう言って、黒猫さんは私の足に前足をそっと乗せる。
「別に取って食うではないのだから、そう怯えんでくれるかな?」
「あ、は……はい……」
何とか返事を返す。
「まあ、吾輩が何を言いたかったのかと言うと、黒猫は黒猫でも、吾輩と言う黒猫に出会ったお前さんは、とても縁起がいいという事だ」
「……どっちかというと怖い思いをしているので、縁起が悪いほうで間違いないのでは?」
思わずぽろっとそんな事を言ってしまった。
黒猫さんは私の顔を、金色の眼をパチパチと瞬かせながら見る。
「ひっ! ごめんなさい!」
言って見たはいいけど怖くなって、頭を押さえて縮こまる。
「……はっはっはっは! そうだな! お前さんからしたら確かに不幸だったかもしれんな!」
「……ふえ?」
楽しそうな笑い声と、足に柔らかいものが当たる感触。
恐る恐る目を開いて見てみると、黒猫さんが私の足に前足を、テシテシと繰り返し乗せていた。
表情はわからないのだけれど、その仕草は凄く可愛かった。
ちょっとキュンとする。
「腰を抜かしておるようだが、立てるかな?」
低く渋い声だけど、その声はとても優しさを感じる声だった。
「よいしょっと……。大丈夫みたいです」
「まあその、なんだ。黒猫を見ても、不吉だなんて思わんでやってくれ。意外と思うかもしれんが、吾輩じゃなくとも人間の言葉を理解している猫は多いのだよ」
「ごめんなさい。気をつけますね」
「うむ、良い子だ。それでは吾輩はこの辺りで失礼するよ」
座っていた黒猫さんはゆっくりと頭を下げると、ぴょんとひと飛び、軽々と壁の上に着地する。
「あ、はい。さような――……。あ、あのっ!」
「ん? どうかしたかな?」
「私、最近ここに越して来たばっかりで、迷子になっちゃって……」
何を思ったか私は、自分が迷子であることを黒猫さんに話してしまった。
「ふむ。携帯……今はスマートフォンか? それは持っていないのかな?」
「あははは……。家に忘れてしまったみたいで……」
「携帯は、携帯するから携帯電話と言うのであって、持ち歩かんならただの据え置きの電話と変わらんだろうに……」
……この黒猫さん、人間の文明に明るすぎないかな?!
「ごめんなさい」
内心ツッコミを入れつつ、その通りなのでしょぼんとして謝る。
「ふむ。家の特徴は? 近くに何があるとか、わかるかね?」
「えっとえっと――!」
あれやこれやと、思いつく限りの事を、身振り手振りを交えて説明する。
「オートロックのマンションと言われてもな。山ほどあるぞ……? まあだが、見当はついた。案内するからついてくると良い」
そう言うと黒猫さんは、くるりと踵を返し、ゆっくりと壁の上を歩きだす。
「わっ! ありがとうございます!」
思いもよらず帰る手掛かりが見つかり、さっきまで怯えていた自分はどこへやら。
少し気分も良くなって、黒猫さんの後ろをついて行く。
「あのー、猫さんはこの辺りに住んでいるんですか?」
「敬語じゃなくてかまわんよ。色々歩きまわってきたが、ここには長く居ついていおる。お前さんに道案内できるのは、そう言う事だ」
「猫さんは妖怪? 猫又? 幽霊?」
少し猫さんとの会話が楽しくなってきた。
猫又は確か尻尾が二本だっけ?
でも、この猫さんの尻尾は一本だけだ。
今もピンとお空に向かって伸びている。
「はっはっは! 妖怪と言われたら、お前さんは信じるのかな?」
「違うの?」
「さあどうだろうかね?」
「あ、誤魔化した」
猫さんに案内されて、街を歩く。
少しファンタジーの世界に足を踏み入れたみたいで、ドキドキしている私がいる。
「じゃ、じゃあ猫さんのお名前は?」
「吾輩か? 色々と呼ばれておるが、名はないな」
「じゃあ私がつけてあげようか?」
「さっきまで怯えておったのに、今は随分楽しそうじゃないかね。で、お前さんはどんな名前を吾輩にくれるのかな?」
「ナツメ! ナツメさんが良いと思う!」
「……お前さん。自分の事を吾輩と言っているからだろう? もしかせんでも、吾輩は猫であるの作者である、夏目漱石からとったな? あれも確か黒猫がモデルだったはずだ」
「バレた。っていうか、猫さん人間の文化に詳しすぎない?! 私、夏目漱石は知ってるけど、吾輩は猫であるって読んだこと無いよ? 黒猫がモデルなのも初めて知ったよ」
「では、その話に出てくる黒猫が、最後は死ぬことも知らんのかな?」
「え”っ?! ……知らない」
「はあ。酒を舐めて酔った猫が、水をはった瓶に落ちて溺死してしまう。これが吾輩が猫であるに登場している猫の最後だ」
人と出くわさない事を良い事に、私は黒猫さんとの会話をずっと楽しんでいる。
時折黒猫さんは地面におりて、反対側の壁へ渡ったり、横断歩道を悠々と渡る。
「うう、あんまり縁起の良くない名前だったか……。ごめんなさい」
「いや、お前さんはナツメと呼ぶと良い」
「えっ?! いいの? どうして?」
「色々と呼ばれておるが、そんな安直な名前を付けようとしたのはお前さんが初めてだからだよ」
「……それってバカにしてない?」
頬をちょっと膨らませて抗議する。
「……ふ」
猫さんは私の方へ振り返り、小さく笑った。
表情はわからないけど、笑われたというのははっきり理解できた。
「あー! 絶対バカにしてる! いいもんいいもん! ナツメさんってずっと呼んじゃうもん!」
「ハッハッハ! 好きにすると良い」
そして……。
「あ、この道はわかる!」
「ふむ、そうか。それじゃあここまででよいか」
「うん! ありがとうナツメさん!」
「これで、怖がらせてしまったことは、許してもらえるかな?」
「あ、そう言えばそんなことあったね。うん! 許しちゃう!」
「それはそれはありがたい。それでは、吾輩は失礼するとしよう」
「あ、ナツメさん! 私、
そう言って私は黒猫のナツメさんに、頭を下げてお礼を言い、大きく手を振った。
ナツメさんは何も言わず、尻尾をフリフリとゆっくりとふると、踵を返して去って行った。
喋る黒猫さん、ナツメさんとのこの出会いが、これから始まる私の大学生活を、ほんの少し不思議なものへと変えていくことを、今の私は知る由もなかった。
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