独り立ち

 サリィが振り向くと、カタカタ動き、サオリさんに接近した。

 サオリさんは目をカッと開いて、睨みつけている。


「まあ、404号室って時点でおかしかったけれど。目が覚めたら屋上はないでしょ。虫には刺されるし、寝覚め悪いし。あと、屋上まで直通のエレベーターとか、構造までメチャクチャ。おかげで、一瞬だけはぐれちゃったじゃない」


 ボクは巻き添えを食らわないよう、端に寄る。

 これだけ気持ちの悪い異形を相手にしても、サオリさんは怯える様子がない。


「……あ……泥棒猫だ」

「悪い子だ」


 サリィの口調が荒さを増していく。


「淫売」

「悪魔の子」


 舌打ちをすると、サオリさんは一歩、二歩と近づく。


「どうせ痛めつける目的で。アンタを寄こしたんでしょう」


 サリィとの距離は、見た分だと僅か50cm。

 いや、40cmか。

 至近距離に立ち、片手に持った脇差に手首を掛けている。


「やってみなさいよ」


 耳を劈く金属音が、辺りに響いた。

 サリィが上体を仰け反らせ、大きくバランスを崩したのだ。

 片腕の鉈は、皮一枚で繋がってる状態。

 目にも留まらぬ速さで斬りつけたのだ。


 脇差は納めることなく、頭上に振り上げられた。


 ガン。


 振り下ろした軌道を見るに、胸元の顔を斬ったはず。

 だけど、辺りに響いたのは、硬い鉄を叩いたかのような異音だった。


「い、ひ。ひひ」

「うぶぁ、いだい、いだいよぉ」

「悪い子。悪い子」


 カタカタ揺れ出したと思いきや、もう片方の鉈がサオリさんに目掛けて振り回される。


 ――ズドン。


 次の瞬間、常人には理解できない現象が起きた。

 鉈の長さは、人間の肘から指先くらいまで。

 人間の腕がそのまま鉈に変わっている風だ。


 ところがサリィが鉈を振るうと、エレベーターの扉に深い傷ができた。

 どれだけの腕力で振るえばそうなるのか。

 鉈を振り切った直後、空間には大きな揺れが生じた。


 壁からエレベーターの扉二つに掛けてできた溝は、縦の幅といい、長さといい、デタラメである。


 サオリさんは咄嗟に屈んだ事でかわしたが、傍で見ているボクは開いた口が塞がらない。


「……のろまが」


 回避と同時に納めた脇差は、悪態と共に再び抜かれた。

 振り切った体勢から向きを直す際、サリィの首は真後ろに飛んでくる。

 サオリさんは、本気で頭に来ているらしく、動作が荒っぽかった。


 首の取れたサリィを蹴り飛ばすと、片腕を踏みつけて、肩に先端を突き刺した。


「ギャアあああッ!」

「バラ、ばらにしてやる!」


 胴体の顔を冷たい目で見下ろすと、折り曲げた膝を乗せた。

 体重を掛けて喋れなくすると、サオリさんは黙々と解体を始める。

 両手両足を刺した後、残る胴体の顔に目掛け、最後の一刺しを振り下ろした。


 パキ。と、殻を割るような音だ。


 顔からは赤黒い液体が溢れ、サリィの体が一気に溶けだしていく。


「チッ。……逃げやがって」


 液体化したサリィは、廊下の絨毯に染み込んで、姿形を消してしまった。


 ズボンのポケットから、懐紙を取り出すと、手慣れた様子で汚れを拭き取る。脇差を納めてから、不機嫌そうにサオリさんが聞いてきた。


「大丈夫?」

「は、い」

「はぁ……。覚悟してたけど。眠ってる時まで来るのよ」


 欠伸を噛み殺し、サオリさんがボクの手を引く。

 立ち上がったボクは、ショックの連続で疲れてしまい、ボーっとしてしまう。


「ハルト君。考える事は、後にしましょう。今は、生きること」


 寝ぼけているのか。

 サオリさんが抱きしめてくれる。

 年上のお姉さんといった風に、後頭部に手を添えられ、ボクは夢で見た時は違う、柔らかい感触に顔を埋めた。


「ハルト君には、ハルト君の事情がある。けれどね。ここまで、町中で暴れて、人に危害を加えた以上、あなたのお母さんであれ、わたし達は祓わないといけない。……分かるでしょう?」

「はい」

「独り立ちするつもりでいなさい」


 サオリさんの凛とした声色で、中身が正されていく。

 お母さんと向き合う機会なのかもしれない。

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