祓除

 あまりにもショッキングな光景を前に、ボクの思考は停止した。

 不気味なくらい整った顔立ちの御堂は、ボクを覗き込んで、こう言ったのだ。


「君をイジメる虫は、……ワタクシがから」

「こんなの、おかしいよ」

「おかしくないわ」


 ボクの胸元に口元を付けた後、首が90度に曲がり、こっちを振り向く。


「ワタクシ、……恋をしているの」


 ボタンを歯に挟んで、器用に舌と口の動きで外していく。

 御堂の艶めかしさには、色濃い闇が漂っていた。


「愛する殿方を蔑ろにする輩は、何人たりとも許さないわ」

「あの人たちが、何をしたって言うの」

「ハル君を笑った」

「わら、……え?」

「ただ、玄関を歩いているだけで、あの子たちは笑った。その笑顔にどういう意味が含まれていたのか。ワタクシにとっては、どうでもいい。悪意を感じたもの」


 シャツを歯で破き、御堂が口元を擦り付けてきた。

 鼻から息を吸って、喘ぎ混じりに熱い息が漏れる。


「でも、大丈夫。ワタクシがいるから。今日から、ここで永遠に暮らすの。ここなら、料理を作る部屋もあるし、ベッドだってある。永遠に暮らせる」


 ゆっくりと下ろされ、御堂が肩の紐をずらした。

 本来は真っ白な肌なのだろう。

 滑らかな皮膚は、夕暮れの日差しに照らされ、血のように赤く染まっていた。


 コツ。


 小さな音だった。

 後ろから足音が聞こえると、ボクの見ている前で、御堂は柔らかい目の形を鋭くした。


「……あら。どういう事かしら」


 振り向くと、ボクの後ろにはサオリさんが立っていた。

 筒袋から出した脇差を手に持ち、気だるげに見下ろしている。


「不純異性交遊は、関心しないわ」

「どうして、動けるのかしら」


 相変わらず優しい仕草でボクは御堂に抱きしめられる。

 だが、万力のように強い力で体を抱かれ、身動きができなかった。


「あなたの事は、招待していない」


 サオリさんは、一歩だけ近寄った。

 親指は、細長くて小さい鍔に掛けている。

 見るからに、全身から力が抜けて、どことなくだらしない風体だ。


「正直、驚いたわ。世界って広いのね」

「質問に答えなさいな」

「動ける理由は、明白。わたしは、あなたの影響を受けていない。ハルト君のも見失っていない」


 二人は見つめ合っているだけなのに、空気はヒリヒリとしていた。

 ラップ音というのだろうか。

 辺りから床や天井の軋む音が頻発する。


「あなたの故郷を悪く言うつもりはないけれど。日本の怪異は話の分かる者が多い。……という事を思い知らされたわ」

「へぇ」

「本来なら、交渉から入る。粘る。それでも、聞く耳を持たず、危害を加えるのなら、初めてわたしのような祓除師が動く」


 いつの間にか、幅30cmもないところまで、サオリさんは近づいていた。が、だらっとした構えは変わらず、動こうとしない。


「こちらの言葉を話すのに。まるで話が通用しない。挙句に、……とてもエッチ。いけないことだわ」

「愛する者と交尾をするのは当然のことよ」


 サオリさんは目を伏せ、少しだけぷくっと頬を膨らませた。


「異国の人は、色気が強いわね」


 カン。――と、鹿威しのような音が廊下に響く。


「な――」


 ボクは目だけを上に向けた。

 いつ、のだろう。

 ボクの頭上には、刀身の短い刃が置かれていた。


 サオリさんは何てことない風に脇差を引き、スカートのポケットから懐紙かいしを取り出した。


 刀身の根元から先端に掛けて血を拭い取り、適当な仕草で宙に放り投げる。その際、紙は何もしていないのに赤い火の玉となり、灰になって消えた。


「……ぁ……っ……ぐく……」


 前後に揺れを感じて、視線を御堂に向けると、ボクは思わず口を手で塞いでしまう。

 御堂の首から上は、どこにも見当たらなかった。

 断面は赤い日差しで染められているため、ハッキリとは見えない。


 そして、御堂の体は力なく後ろに倒れた。


「ひ、ひぃ……っ」

「本当に災難だったわね」

「さ、サオリさん。この人……」

「死んでないわよ。ほら」


 サオリさんの手を借りて立ち上がり、すぐに後ろへ隠れる。

 御堂だったものは、ボクの見えている前で、徐々に黒い煙を上げ、空気に溶け込んでいく。


「刀やしめ縄が通用するだけ、ありがたいわ。でも、実体がないってことは、命懸けのいたちごっこが、まだ続くでしょうね」


 怖すぎて、ボクはサオリさんの腰にしがみついたまま動けない。

 反応に困ったのか、サオリさんは辺りを見回した。


「適当に、その辺の扉から出ましょう。来たときは、どっちからきたの?」

「わ、分からないです。階段上がってる途中で、変な音が聞こえて。下りて……」

「階段を下りたのね。だったら、もう一度来た道を引き返しましょうか」


 手首を掴まれ、サオリさんが歩き出した。

 残った残骸を爪先で蹴飛ばし、階段のある方へ向かう。


 ボクは恐怖がピークに達し、両手でサオリさんの手を握った。


「まあ。……こんな世界に放り込まれたら。普通は狂うわね」


 階段を見上げて、サオリさんは言う。

 後に続いて、段差を上がり、ボクも階段の上を見た。


「うう!」


 どうやったら、そうなるのか。

 階段の踊り場には、生徒達が吊るされていた。

 踊り場の天井辺りには、杭のようなものが打ち込まれていた。

 そこに太い縄を括り、もう片方を生徒たちの首に巻き付け、宙づりにしているのだ。


「半分は幻覚よ。憎しみで顕現けんげんされたものだから。気にしなくていいわ」


 何てことない風に言い捨て、サオリさんはボクの手を引いた。

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