フェイクピアス-残らない傷跡-

佐野詩乃

第1話 目覚め

私の目を覚ましたのは、小鳥のさえずりなんて洒落たものではなく、おかしな体勢で寝ていた自らの身体がバキバキと音を立てるのが聞こえたからだ。なんて不健康な朝だろう。


目を開ければ飛び込んできたのは見慣れない天井。残念ながら、この状況に至った経緯は鮮明すぎるぐらいにわかっていたから、隣でそれはすやすやと眠る家主に目をやる。


後輩の異性を家に泊めておいて、みじんも意識しないとはどういう了見だろうか。脈なしもここまでくると、いっそ心臓自体がないんじゃないかと思ってしまう。あんなことがあったのに、それを一ミリも感じさせない態度に、おもわず深いため息をこぼすが、身じろぎもせず先輩は寝入ったままだった。


今までに見たことのない、そのあどけない寝顔を、かわいいと思ってしまった私は、どうも手遅れらしい。苦笑をもらし、身支度を始めた。ぼんやりと、今までのことを思い出しながら。




 特段変哲のない大学生活だった。実家から徒歩五分の距離にあるそこそこ難しい国公立大学に、一浪して進学した私。


オールラウンドのサークルに入り、教員採用試験の勉強をし、塾で割に合わない、でもやりがいはあるバイトをする。そんなかわり映えのしない毎日を送っていた。


周りの子たちが、推しが、好きな人がなんて話で盛り上がる中、こちらに話を振られたときは、なんとなく考えたくもなくて受け流していた日々。そんな生活のすべてが変わったのはそのサークルで企画された新歓ドライブだった。


やたらと人の多いサークルだから、班分けも10班近くあって。メンバーがくじ引きで決まった時には、正直心配だった。しゃべったことがほぼない人しかいない。何なら一人は全く話したことない先輩。


でも、そんな懸念も嘘のように、ドライブは驚くほど楽しかった。ラフティングをして、砂浜でバーベキューして、温泉に向かって。なんの計画性もないからグダグダにはなっていたけど、そんなところも含めて、なんだろう、学生してるな、なんて思ったりしていたのだ。でも、


「一年生楽しめてる?特にゆあ、一女一人だから心配でさ。」


コンビニで休憩中、思案にふけってぼんやりしている私を心配してくれたのだろう、先輩に声をかけられた。大和さんに気を使わせてしまったことを申し訳なく思いつつ


「すみません、大丈夫です。何ならめちゃめちゃ楽しんでるので!」


そう返すと、大和さんは安心したように笑った。


「ならよかったよ、班のメンバーとは仲良くなれた?」


「はい、みんな仲良くしてくれてありがたいです。あ、でも」


いい淀み、一瞬曇らせた表情を、聡い彼が見逃すはずもない。


「誰か喋れてない人でもいる?あ、それとも俺らなんかまずいことしちゃった!?」


焦ったように身を乗り出す彼に一瞬たじろいだ。


「いえ!ただ、二年生の先輩、えっと、中島さんですよね。あの人だけ、ほとんどまだじゃ話してなくて」


「ああ、蒼唯(あおい)かあ。自分から積極的に話すほうじゃないからなあ。話しかけてみなよ、こっちから話しかければ絶対話してくれるし仲良くなれるから。いい奴だよ、俺らから見てもな。」


うってかわって柔和な表情をして私の背中をとんと押した大和さんは、気づくと車に戻ってしまった。押し出された私の視線の先にいるのは、もちろんその先輩で。私も自分から話しかけるのは苦手なくせに、ここで引き下がるのも癪な気がして、歩みを進めた。


そのまま、話しかけようとしたはいいものの、とっさに話題が思い浮かばなくて、立ち止まる。そんな私の気配に気が付いた中島さんはこちらを振り返ると、驚いたように少しだけ目を見開いた。


「優愛?どうかしたの」


「いえ、特にどうしたというわけではないんですけど」


「余計にどうしたん、車疲れた?」


そういって困ったように少しだけ眉根を寄せる先輩の表情は、普段から大きく動くことはない。でも、心優しい人だというのは、このやり取りだけでも分かる。対して話したこともない私のことを、純粋に心配できる人だ。きっと、少し不器用な人なのだろう。肩の力は抜け、自然に笑みがこぼれた。


「ほんとに何でもないんです。中島さんとだけ全然話せてないって大和さんに言ったら、話して来いって言われて」


言い訳に使ったことを心の中で謝りながらそう告げる。


「あぁ、なんだ。俺となんて、別にいつでも話せるやん。話しかけてくれたら普通に話すよ。俺が後輩に自分から話しかけんの、苦手なタイプだからさ。」


またいつもの真顔に戻り、淡々とそう告げるその人に、なんだか少し腹がたつ。こっちは必死に話しかけようとしたけなげな後輩なのだ、少しぐらい話をつないでくれても罰は当たらないんじゃないだろうか。


「私も話始めるの苦手です。だから、たしかにいつでも話せるかもしれないけど、今このドライブのタイミング逃したら一生まともに仲良くなれないと思ったので」

思わず言い放ってしまった言葉に、一瞬遅れて、まずい、言いすぎたとはっとする。でも


「言われてみればそうかもね、でも、別に俺なんかに頑張らなくてもいいのに」


なんてこぼす彼のことは、やっぱり無性に否定したかった。


「頑張ります、なんか逆に仲良くならないといけない気がします。」


「それなに、俺今なんか脅されてる?そもそも仲良くなりたくないって意味じゃないからね、頑張らなくても自然に仲良くなれるんじゃないってことで」


なぜだろうか、若干の焦りを見せる先輩の、表情の変化を、もっとみてみたいと思ったのは。


「とにかく、頑張るので!」


「わざわざ頑張んなくても大丈夫だって今言ったばっかやん」


ふっと笑った、切れ長の目。今まで似た中で、一番穏やかなはずのその目から、なぜか逃げられなかった。わからなかった推しの話、勢いについていけなかった好きな人の話。うるさいぐらいに高鳴る心臓が、その答えを示そうとしてくる。そうか、この世界が塗り替わるような感情をあの子たちは、もう持っていたのか。


「手始めに中島さん、あおいさんって呼んでいいですか」


「そんなもん確認しなくていいよ、気楽にして。てか多分みんな待ってる。そろそろ車戻るよ」


この時、私はこの感情まだに名前は付けられなかった。それをするには、私はまだ何も知らなかった。自分のことも、彼のことも。知らないほうが、幸せだっただろうか。

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