バレてはならぬ(『霧向こうのキリヤ君』③)

喜楽寛々斎

バレてはならぬ

 澤山ほとりにとって、この世は誰にも言えない秘密で満ちている。


 それは例えば、通学路にある四辻よつつじ。一見してただの十字路だけど、ここは明るいうちしか通りたくない。夜の闇が様々な境界線をあやふやにすると、得体の知れないものがうろうろし始めるから。


 それは例えば、坂の中腹にある小さな公園。亡くなった仲の良い友達がそこでたたずんでいるのを見つけた時には、思わず自分に課した禁を破りそうになり必死でこらえた。それでも放っておくことはとてもできなくて、苦肉の策でこの町の拝み屋として有名な家の息子にそれとなく伝えておく。もちろん、〝自分が見た〟ではなく〝人から伝え聞いた〟というていでだ。


 それは例えば、西校舎の三階と四階をつなぐ階段。ここはごく稀に一段増える。普段は踊り場から十二段で三階たどりつくが、十三段ある時には絶対に降りきってはいけない。たとえどんなに急いでいても、四階まで戻って別の階段へ回った方がいいのだ。なぜならいつもと違う三階へ出て、授業に少し遅れるくらいでは済まなくなってしまうから。


 それは例えば、クラスにいる霧向こうのクラスメイト。彼とは一年生の頃から同じクラスだったが、その顔をまだ一度も見たことがなかった。なぜなら彼の周りにはいつも霧が立ち込めていて、その細部がまったく見えないから。正直、人間なのかそうでないのかさえわからない。ただ、くだんの拝み屋の息子とつるんでいることが多いから、たぶん大丈夫なのだろうと思う。


 それは例えば、そういう説明し難いものがほとり自身。気味悪がられるのも、構われたくて嘘をつくのだと陰で言われるのも、もううんざりだった。そんなわけで、中学三年生のGW明けに父に転勤の話が持ち上がった時、ほとりは二つ返事でついていくことを快諾したのだ。これは新しい生活にシフトするチャンスであると。調べたら転勤先にあるこの高校は学力が高めだったので、そこから一心に勉強して合格を勝ち取った。


 せっかく新天地に来れたのだ。今度こそ、平穏無事に普通の女子高生らしい生活を送ることが、ほとりの第一目標だった。間違ってもおかしなものが見えるだなんて、決して誰にもばれてはいけない。


 ちなみに今のところ、〝見ない、見えても関わらない〟を信条に、目論見もくろみはなんとか成功している。このままいけば、きっと卒業まで無事に辿り着けるだろう。


 そんなことを考えながら選択美術の教室に入ったほとりは、自分が引き当てたクジでとんでもない危機に陥ったことを知った。


 今日はペアになり、互いの顔を描くデッサンの練習だ。しかし今、ほとりの目の前には———室内だというのに、思いきり霧がけぶっていた。


「澤山さん、どうかした?」

「う、ううん。私、人の顔描くのが下手くそなんだよね……変になっちゃったらごめんね?鈴ケ嶺君」

「それを言ったら僕の方が下手だと思うよ。澤山さん、美術部だし……」

「うーん、人によって得手不得手があるからなぁ。私が描くのは風景画とかが多いから……」


 困ったことに君の顔が見えないんです、まるで見えないんです、なんてどうして言えるだろうか。そんなことを言えば、なぜ見えないのかという点に触れないわけにはいかず、誠心誠意説明したところで不思議ちゃんに逆戻りだ。


 ———それだけはダメ!せっかく表面上だけでも普通に過ごせるようになったのに……!


 向かい合わせに腰を下ろして、同じように画板を持った彼をチラチラと観察する。


 やっぱり顔なんて見えないが、それでも今日はまだマシだ。新学期が始まって割とすぐの頃、これまでになく霧が濃くなっていたことがある。あの時は顔どころか、彼が今何を着ているのかさえ見えない有様だった。それと比べれば、ぼんやりとでも学ランが見える今ならば、当てずっぽうでジャージ姿にして絶句されるという事態だけは避けられる。


 ———さぁどうしよう……見えない顔をどうやって描けばいい……?


 新年早々に訪れたピンチに、ほとりは平穏無事な高校生活を絶対に守るという決意と共に、ぎゅっと鉛筆を握ったのだった。

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バレてはならぬ(『霧向こうのキリヤ君』③) 喜楽寛々斎 @kankansai

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