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棗御月

第1話



 猫は見ている。


「ひ……日向くん、よろしくね」

「ん、よろしく」


 やり取りだけを見ればかなりぎこちない。まさか、このやり取りをしている2人が中学1年生以来5年連続で同じクラスの古馴染みだとは誰も思わないだろう。

 それも、特別仲が悪いわけでも、話したことがないわけでもない。中学生の時の修学旅行は同じ班で行ったし、文化祭の制作では3回ほど同じ場所を担当している。同じ委員会になった回数まで考えたら、おおよそ知り合いの範疇は超えていると見て間違いないはずの2人だ。


 物静かでクールと噂の日向樹貴。

 小柄でどこか小動物っぽい三上春陽。


 なぜこの2人がこんなによそよそしい挨拶をしているのか。

 理由はただひとつ。


『ね、また日向くんと隣になったんだけど〜⁉︎』

『やったじゃーん! 5年越しの思いをそろそろ伝えなきゃ!』

『むり〜! 顔も見れないんだよ⁉︎』

『逆にこれまでどうしてきたのさ』

『あとまだ4年と3ヶ月だから! 5周年までにはどうにかするから!』

『5年目ではある時点で結構ギリギリじゃない?』

『もー! 応援してよー!』


「……まだこんなこと言ってるよ、あの子」

「相変わらずだねぇ……」


 春陽が日向のことを好き。それだけ。

 ちなみに当事者以外は春陽の気持ちに気がついている。というか、どれほど疎くても気がつけるくらいには春陽がわかりやすい。新クラスになって2週間後にはクラスの全員から見守られていたほどだ。

 ちなみに、俺こと村瀬亮介、そして春陽とのメッセージのやり取りを見せてきた浦原楓も5年間連続で同じクラスだったりする。つまり、春陽の可愛らしくて健気な恋愛を見続けてきた戦友でもあるのだ。


 俺は良い加減はよくっつけ派、楓はもう少し見てたいけどそろそろくっついても良いよね派。


「俺たちは慣れてるから良いけどさ、初めて同じクラスになった奴らは大変そうだよな……」

「んねー。絶対手を出したくなるっていうか、助けたくなる感じの恋をしてるんだよね、あの子」


 案の常、春陽と近くの席になった女子が声をかけようか悩んでいるのが見える。春陽の行動や表情がいじらしすぎてどう声をかけるか迷っているうちに流れちゃうんだよな、わかるわかる。

 1年もしたら俺や楓と同じ見守り隊になっていることだろう。


「あ、ギブアップした」

「なんで庇護欲をくすぐるのはあんなにも上手いんだろ……天然なのが恐ろしいよね」


 あうあう、と声をかけるのに悩み、結局独力では諦めたらしい春陽の懇願の視線を受けて、2人で席を立つ。

 俺は日向の方に、楓が春陽の方に。この4人で固まっていつも通り。


「おっす。いい席引いたな」

「これから夏場なのに窓際はいい席じゃないだろ」

「そう言ってお前が焼けたり萎れているところを見たことがないんだよなぁ」


 春陽を小声で励ましていた楓がパスを引き継ぐ。


「そーそー、羨ましいっていうか、ほんと気になるわ。スキンケアとか汗の処理ってどうしてんの?」

「別になにも」

「んなわけないでしょうが、おい。おーしーえーろー! 春陽ちゃんの卵肌が焼けても良いと申すか! ね、春陽ちゃん!」

「ぇ⁉︎ っと、その……!」


 そこで私に振るの⁉︎ という心の叫びをそのまんま表情にしたような顔をしていた。

 相変わらず日向の顔は直視できないらしい。ただ、進展こそないものの、5年は共に過ごしているだけあって会話は流石にできるわけで。


「……どんな日焼け止め使ってるの……?」

「これ。よく伸びるし馴染みやすいから普段使いしやすい」


 へぇ、名前は、と目をまんまるにしてわたわたしながら受け取っているのが1人。

 別になにも、じゃあないやんけぇ……! といいそうな顔で鼻息を荒くしているのが1人。


「使う?」

「い、いやっ、いいよ! 減ったら日向くんに悪いし!」

「気にしない」

「……ほんと?」

「ん」


 日向が頷いたのを見て、嬉しそうに春陽が蓋を開ける。

 そして、控えめも控えめ、ただでさえ細くて折れそうな指先にちっちゃく乗るくらいの量だけを出して、大事そうに、必死に伸ばしている。それだけの量じゃハンドクリーム代わりにもならないだろうに。

 春陽が置いたチューブを楓が掴み、興味深そうに商品名や成分を眺める。


「アタシも試していい?」

「いいけど浦原は1回500円な」

「なんでよ! ちょっと! ちょっとだけだから!」


 いつも通りのやり取り。なんの確証もないけど、たぶんこの4人の繋がりは長く続くんだろう、という妙な確信がある。そう感じたくなってしまうくらいには居心地がいい。

 ……まあ、俺と楓は、春陽の秘めきれていない恋心の行方を見たいという野次馬根性が少なからずあるのは事実なんだけど。

 そんなやり取りの最中に、楓がふと思い出したように。


「あ、そうだ。今日の昼はアタシと亮介は遅れるから」

「なにか用事?」

「そーそー。もう6月じゃん? 部会が忙しいっていうか、先輩たちが割とヒリヒリしてるんだよね」


 部会。ざっくり言うと昼の部活間での集会みたいなものだ。

 生徒会とかから各部長たちに通達があった場合や雨の日の体育館の利用権などの相談をする場所で、楓や俺みたいな運動部の人はまあまあの頻度で昼の時間に少し呼ばれることになる。

 話は長くても15分くらい。短いと十数秒で終わる。

 ただ、古馴染みの4人でいつも食べている昼食には少なからず遅れることになるわけで。


「がんばれ、春陽ちゃん」

「え、ええ」

「腕の見せどころだな」

「なんの技の披露を求められてるの⁉︎」


 どのくらいの時間になるのかは分からない。下手したらほとんど同時に席に着くかもしれない。

 けど、少なからず春陽は日向と2人で動かなくてはいけないわけで。なんなら席取りと待機をしている間は完全に2人っきりで話すことになるわけだ。

 隣の席になるだけでノックアウト寸前の春陽と、慌てていることに気がついているのかどうかも分からない日向。正直見ていて面白いから、早く終わっても少し遠くから眺めていようか、とさえ思っているほどだ。


「よろしくね!」


 席替えに昼の約束。

 グルグルと動く状況に涙目の春陽を見て、隣の席の人が萌えているのが見えた。


 正直気持ちはよーく分かる。



◇ ◇ ◇



 お昼。

 結局、部会は思ったより時間がかかってしまった。

 今は6月。先輩たちは最後の大会まで1ヶ月と少ししかない。練習場の使用権や部費に遠征費、学校所有のバスの割り振り決めと、生徒会役員を交えて小騒ぎになっていた。

 結局、本当に拗れている一部の部活以外はあらかた決まり、俺たち後輩は解散。弁当を拾って、いつもの場所に向かう。


「待っててくれたわけ?」

「わざわざ別で行くのも変でしょ」


 楓と一緒に食堂に向かう。

 いつも使っているのは隅っこの方の机。数人が座るようの少し低い場所。

 慣れた廊下を進み、人波の向こうにそこを見つけると。


「わーお」

「ありゃ近づきにくいな……」


 普通さ、机を挟んで向かい合わせの4人掛け、そこに男女2人ずつって言ったらどう座る?

 たぶん男女で向かい合わせじゃん。カップル2組でもない限りさ。


「う、うぅ」

「……」


 なんで2人で隣に座ってるの?

 しかも本当に5年目の仲なのか気になるくらいに春陽の方だけぎこちない。会話はしているけど、初対面でももう少し上手に話せるだろう、というくらいには肩に力が入っているのが見えた。

 反対に日向の方は驚くくらいに普通。いつも通りにご飯を食べて、質問をされたら答えて、ほどほどに話題を振っている。緊張した様子も、女子と2人という状況への動揺もない。

 ついでに、そんな2人の向かい側の空いている席を遠くから狙っている人がチラチラ見える。2人とも容姿がすごくいいからね。


 色々な意味で助けてぇ、とぽやぽやのオーラで春陽が訴えているのが遠目でもよく分かった。


「早く行かないとあそこで潰れちゃいそう」

「変な声でぷちってね」


 向かいの席に2人で座る。

 露骨に安堵したような顔をする春陽を見て笑みが溢れた。


「ごめん、お待たせ」

「待ったよぉ」

「ご飯は進めてたんじゃないの?」

「進んでたぞ」


 春陽の弁当は小さいにも関わらず全然進んでいなかった。15分近く先に食べ始めていたとは到底思えない様子だった。ずっと見ていたわけでもないのにどういう様子だったのかが手に取るようにわかってしまう。

 当然のように日向の方はほとんど食べ終わっていたけど。


「なに話してたの?」

「数B難しいねって話。今日の授業でわからなかった場所があったらしいから教えてた」


 日向の返答に楓と目を合わせて、すぐに春陽の方を見る。

 たぶん俺と楓の視線は「こんなチャンスに数学の話⁉︎」と雄弁に物語っていることだろう。少なくとも恋する女の子の振る話題としては間違っているはず。

 それはよく分かっているようで、春陽は俺たちからも視線を逸らしていた。


「……それで、数学は分かったの?」

「分かんなかったらしい」

「ノートか教科書があったら分かったもん……」


 照れ臭さを隠すようにおかずを口に放り込んでいる。きっと味はわかっていないのだろう。

 もう一度、楓と視線を交わす。


「じゃ、ちゃんと教えてもらったほうが良さそうだね」

「えっ」

「お昼の時間じゃ足りないかもねー」

「えぇっ」

「一番頭がいいのは日向だよな、この中だと」

「村瀬くん⁉︎」

「日向は帰宅部だし、夕方か休日なら空いていそうよね」

「楓ちゃん⁉︎」


 目をグルグルとさせながら、それでも丁寧に箸を置く。

 隣に座っているのにわざわざ向きを変えて、まっすぐ顔を見ることはできないのか下を向きながら。


「ひ、日向くん」

「ん?」

「今日の帰りって、空いてる……?」

「空いてるぞ」

「じゃ、じゃあっ」


 ひと息溜めて、顔を上げる。


「今日、数学、教えてくれない……?」

「ん、いいよ。どこでやる?」

「いいの⁉︎ ……じゃ、なくて。えっと、図書室……?」

「オッケー」


 日向が最後の一口を口に入れる。

 あっさりと締結された約束に目を白黒させている春陽を眺めつつ、これまで何度もしてきたサポートの数々を思い出すと、この後どうなるかは目に見えていた。

 たぶんだけど、普通に数学を教えて、普通に今日を終えるはず。関係を進展させるどころか、次の約束を立てることもできないままだろう。


「日向」

「ん?」

「夜、俺にも教えてくれ。俺も正直全く分からんかった」

「オッケー。いつもの時間?」

「だなー」


 実際どうなるかは見なくても分かっている。

 けど、やっぱり聞くのと想像するのでは違うわけで。


 勉強と聞き込みの約束を立てる俺を見て、楓がちいさくため息を溢していた。



◇ ◇ ◇



 放課後。

 部室に行く準備をしていると、日向が先に席を立った。


「先行ってるぞ」

「う、うん!」


 アホあいつ、先に行くことないじゃん。

 楓と目配せしてその後ろを追いかける。すぐにその背には追いついて、横に並んだ。

 俺が追いついたのを分かって、そのまま誘うように別の廊下に入っていく。


「そっちは図書室じゃないぞ」

「まあまあ」


 静かにしろって、というジェスチャーをする。

 普段女子2人の前では、正確には春陽の前では見せない、年相応の男子っぽい顔だ。いたずらっ子そのままの顔で脇の廊下に隠れて耳をすませていた。


「──でね、すっごい緊張して……!」

「はいはい。そんな感じで日向とも話せばいいのに」

「それは……っ、むり、かも!」

「なんでよ」

「だって、その、うん……楓ちゃんは知ってるくせに……」


 近くでにんまりしている日向の顔を見遣る。


「お前も知ってるくせに」

「静かにしろって」


 そう。こいつは、春陽の気持ちを知っている。

 ……女子2人の話は続く。


「言えばいいのに」

「それは……分かってるけどぉ〜!」

「言えてたらこんなに経たないかぁ。年季入ってるもんねぇ」

「……いつか、いつか、ちゃんと言うもん。だから、だからね?」


 動く人がたくさんいる中でも、その声は妙にはっきりと聞こえた。


「秘密、だよ。ちゃんと私が言うから!」


 目の前の男の、日向の目を。表情を。

 しっかりと見て、言う。


「お前さ、どうすんの?」

「知ってることと俺が言うことは違うだろ。それともなに、俺のこと好きだろって三上に言えばいい?」

「それは、違うけどさ」

「だろ。……踏み出してもらうまで分かんないよ、どうなるかなんて。できることはアイツが大切にしている秘密を守ることぐらいだ」


 正直ずっと不快というか、不満というか。やるせなさを感じていた。

 でも、コイツなりに春陽のことを考えてのことだったのだ。


「でもさぁ、もう少し言いやすそうな雰囲気とか流れにしてあげるとかさぁ」

「亮介は相手にお膳立てされてるなーってなったらちょっと嫌じゃない?」

「それはまぁ……分からんくもないけどさ」

「そゆこと。ぶっちゃけ、いい反応するからつい揶揄っちゃうってのもあるんだけどさ」


 面白いじゃんね、という表情はどこか愛おしげだった。

 その表情に毒気を抜かれてしまう。


「お前なんかフラれちまえ」

「告白される側なんだって、俺が」

「うるせー。早く行けよ。先に出たのに後に入るつもりかよ」

「お、そうだった」


 んじゃまたなー、と言い残して去っていく。

 その後ろ姿を見送り、人波の向こうに消えた後も、なかなかその場から動けなかった。

 毒気と一緒に気勢まで持って行かれてしまった気がする。


「──あの2人は今何してるんだろうなー、とか考えてる?」

「……楓。いたのか」

「アンタらが隠れてたのに気が付かないのは春陽ちゃんだけだって。あんなバレバレの隠れ方しちゃってさ」


 日向が行って空いた隙間にそっと楓が収まって、壁に背を預ける。


「そんなに気になるなら先に告白しちゃえばいいのに」

「言えるかよ、そんなの」

「春陽ちゃんには、早く告白しろよーって揺さぶりをかけるくせに?」


 思わずムッとしてしまって、目元に力が入る。


「言えねえだろ。日向に恋をしてるあなたを見て好きになりました、なんてさ」

「そー? 恋をしている女の子は3倍は可愛くなるし、仕方ないんじゃない?」

「だとしてもだよ」


 悔しいことに。悲しいことに。情けないことに。

 春陽が日向に向ける感情を向けてもらえる自信が、これっぽっちもない。

 この4年の間にとっくに消えてるんだよ。そんなものは。


「別に亮介がそのまんまかどうかってのと、あの2人がどうなるかは別でしょ? 当たって砕けてみたらいいじゃん。踏ん切りつくかもよ?」

「俺はつくかもしれないけどさ。春陽は気にするだろ」

「それもそっか」


 この問答は初めてじゃない。

 ずっと、何度も確認して。何度も考えて。それでも答えはいつだって"秘密"だった。


 春陽はどこか小動物っぽい。

 小さくて、可愛くて、目が丸い。いつもどこか少し怯えたような動きで周りを見る。慣れない人がいると反射的に隠れようとして、そこまで臆病なのにどこか抜けていて目が離せない。

 そんな春陽が自分たちには──俺には、安心した顔を見せる。

 壊したくない。


「もう行くわ。体動かしてスッキリして、頑張って忘れる」

「そうやって打ち込み続けた結果の新人戦抜擢だもんねー。すごいよ、亮介は」

「なんだよ気持ち悪りぃ」

「なによー。事実でしょ、じ・じ・つ」

「楓が素直に俺を褒めるってのが変なんだよ。……んじゃな」


 廊下の影から、また1人が消える。

 恥ずかしさを隠すような少しだけ乱暴な足取りはすぐに廊下の奥へと消えていった。

 残された1人が、誰にも聞こえない声で。


「アンタの恋が終わんないと、アタシの恋は始まりも終わりもしないんだってば」


 小さくつぶやいて、ため息を溢した。


 ねぇ、どう思う? と言われても。

 猫はあくまで、見ているだけ。無愛想に、にゃあ、と小さな声で泣くだけだった。


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