白い友達はロボット

@rintarok

第1話

「まあ、涼くん今回も模試の結果良かったのね。これなら受験は問題なさそうね」

「気が早いよ、母さん。俺はまだ二年生なんだから」


 眼前で行われるやりとりを、夕食の牛ステーキを食べながら見ていた。ダイニングテーブルに置かれた自分の皿から肉を切り分け、不味そうにそれを咀嚼している彼は橋本 翔(はしもと かける)。母に褒められている彼の兄、橋本 涼とは三つ違いだ。今は黒のスウェットを着ているが、普段は制服を着て学校に通う中学二年生。向かいには母と彼の兄が座って会話をしている。父は出張が多くほとんど家に寄りつかない。そんな父は都心のマンションの一室を買えるくらいには稼いでいるらしい。その分、翔の母は家事と育児を一人でこなさなければいけなかった。だが、母はそこまで不満を抱いていないのか、彼女の口から父の不満を聞くことは少ない。


 ダイニングに連なるリビングには大きな窓がついていて、そこから東京の景色が一望できる。今は星の見えない夜空と、道路を走る車のライトなどが見える。窓の手前にはほとんど母の私物と化している大きなテレビがあり、それの向かいに革のソファが置いてある。五人くらいは座れそうな大きなソファだが、父はほとんど家にいないし、他の家族がそのソファにつどうことも殆ど無い。ソファにはいくつかのクッションが置いてあり、クッションには猫のイラストが刺繍されている。それは母が猫好きだからだが、このマンションはペット禁止のため猫を飼うことはついぞできなかった。


「じゃあ俺、そろそろ部屋に戻るね。勉強もしないと」


 そう言って、兄の涼は席を立った。本当は兄が勉強をしないことを翔は知っていた。兄は漫画やゲームを隠し持っていて、夜はよくゲームをして遊んでいるのだ。いつだったか夜にシャーペンの芯を貰いに行った時、たまたま見てしまったことがある。「もし告げ口したら分かってるだろうな」と言われて、翔はうなづいた。告げ口をしたらどうなるかなど本当は分かっていなかったが、ロクなことにはならないだろうと感じたからだ。席を立って部屋に戻っていく兄を横目で見送って、目の前の母を見た。母は涼の食器を重ねてキッチンに持っていくところだった。


「ゆっくり食べてていいからね。あ、食べ終わったら食器は食洗機に入れて、スタートボタンを押してね」


 優しく笑う母。キッチンに行って流し台で食器を水洗いすると、キッチン台に備え付けられている食洗機の蓋を開けて食器を並べた。それから翔の後ろを通ってリビングのソファに座ると、ローテーブルに置かれたリモコンを取ってテレビの電源をつけた。録画していたドラマがあるらしく、それを一人で見始めた。翔は黙って母の様子を見ながら夕食をとっていたが、食べ終えるなり食器を片付けてダイニングを後にした。

 兄の部屋の前を通って自室に戻ると、ベッドの上に寝転んだ。まだ夜の八時だ。明日は通常通りに授業がある。明日突然インフルエンザにでもならないだろうかと思ったが、きっと無理だろう。ため息をついて、ベッドから起き上がる。兄からのお下がりの勉強机に座り、机に備え付けの小さい棚から教科書と問題集を取り出した。ペン立てからシャーペンを手に取り、問題集を開く。しばらくぼうっと眺めたあとで、渋々問題を解き始めた。翔は物覚えが悪い。だから、予習も復習もする。それでも勉強は人並み。運動は苦手だし、絵を描くことや歌うことも特に秀でていない。全てが平凡だった。

 幼い頃から、母は「これから得意なことが見つかるわよ」と言い続けてきた。だがいつまで経っても平凡な翔の様子に、母の顔色は少しずつ曇っていった。そうして中学受験に失敗して公立の中学校に入学した時から、母は優しく笑うようになった。それから母は、「これから得意なことが見つかるわよ」とは言わなくなった。翔の成績について何も言わなくなった。ある日たまたま、美術で描いた絵がコンクールで入賞した。だがそれを話しても「すごいわね」といつものように笑顔を見せるだけだった。


「はあ……」


 持ち替えた赤ペンで問題集の解答をチェックする。何度やっても間違う問題。理解してもすぐに忘れてしまう公式。馬鹿馬鹿しくなり、翔は問題集を閉じた。もう寝てしまおうかと思っていた矢先、部屋の扉を誰かがノックした。


「翔」


 兄の声だ。


「なに?」


 扉越しに応える。


「今いいか」

「うん」


 応えるのとほぼ同時に、涼が部屋に入ってきた。脇にはダンボールの小箱を持っている。


「どうしたの?」


 と翔は聞いた。兄がわざわざ彼の部屋に来るのは珍しいからだ。


「これ、やるよ。俺いらないからさ」


 涼は脇に持っていたダンボールの箱を渡した。翔はそれを受け取ると、くるりと回して正面側を見た。そこには『AIロボット フレンディ』と書かれている。なんともセンスの無い名前だ。


「いいの? これ、高そうだけど」

「ああ。なんか誕生日に母さんがくれたんだけどさぁ、そのロボット会話するだけらしくてな。別にロボットじゃなくても友達と話せばいいから、俺はいらない。お前友達いないだろ? だからお前の方が欲しいかと思ってさ。じゃあな」


 弟からの返答も聞かずに、涼は部屋を出ていった。部屋を出たところでちょうど母と会ったらしく「誕生日にもらったロボット涼にあげたから。多分欲しそうだったし」と言っているのが聞こえた。母はまた、涼のことを優しいだのなんだのと褒めちぎっていた。


「別に僕だって……」


 要らない、とは言えなかった。なんとなく自分の姿とロボットが重なって見えた。翔はダンボールの蓋につけられたテープを剥がして蓋を開けた。中には、白いもふもふの球体が入っていて、その上にカードが添えられていた。カードを取り出すと、そこには次のように書いてあった。


『フレンディは種族の名前です。この子特有の名前をつけてあげてください。詳しくはこちら』


 カードの右端にはQRコードがプリントされていた。翔は箱を一旦床に置いてから、ベッドに放り投げてあったスマートフォンを手に取った。カメラを起動して、QRコードを読み取るとURLが表示される。それをタップして、フレンディの公式サイトにアクセスした。そのサイトによると、フレンディは最新のAIを利用して開発されたロボットで、まるで人間のように会話ができるとのことだった。スマートフォンにアプリをインストールして設定を行うと、データがクラウドサーバーにバックアップされる。フレンディは日々の会話から個性を作り上げ、持ち主と会話を楽しみ、その性格や気分がサーバーにバックアップされるらしい。途中から小難しくてよく分からなかったが、翔は手順書通りにアプリをインストールして設定を行った。それからロボットをそっと取り出して床に置いた。上から見た時は気が付かなかったが、球体の下の方に足らしいものが四本生えていた。とても短かったので、上から見た時には見えなかったらしい。前の部分には目のようなものがあるが、充電が無いのか暗く濁っている。もう一度箱の中を見ると、箱の下にまだ何かあった。両手で取り出すと、黒い台座のような物で、コードがついていた。おそらくこのAIロボットの充電ドックだろう。翔は部屋の隅にドックを置いて充電コードを差すと、その上にロボットをそっと置いた。少しの間様子を見ていたが、ロボットはうんともすんとも言わなかった。面倒になって、翔はベットに戻ると部屋の電気を消した。そうしてすぐに眠りについた。


 その夜、翔は不思議な夢を見た。ふわふわの暖かい雲に包まれる夢だった。翔はその雲に手でそっと触れ、柔らかさを確かめた。


「起きましたか?」


 雲がしゃべった。驚いてそっちを見ると、雲にふたつの丸い目がついていて、それが翔をじっと見つめていた。


「ーーうわっ!!」


 思わず声を上げて飛び起きると同時に夢から覚めた。いつもの狭い部屋、いつもの勉強机、小さなテレビとクローゼット、窓から差し込む朝日。今まで見ていたのが夢だと気がついて、翔はほっと胸を撫で下ろした。


「わわわ……。起き上がれません」


 夢の中で聞こえた声がして、まだ寝ぼけているのだと彼は思った。だがベッドの上で蠢く白い塊を見た時、その考えも吹き飛んだ。白い塊はベッドの上で短い四本脚をばたつかせていた。まるで甲羅が下になってしまった亀のようでもあった。


「……お前、昨日のロボット?」


 白い塊は丸い目をパチクリさせて、ひっくり返ったまま答えた。


「昨日、というと9月5日のことでしょうか? 私は昨日の時点では起動していなかったので分かりかねますが……」

「まぁ、そうだよね。それにしても、どうやって登ってきたの?」


 両手でロボットを持つと、上下を元に戻してやった。


「私の足は短いですが、実は小さな指のようなものがついています。布団がベッドから垂れていたので、そこからよじ登ってきました」

「そ、そう……」

「ところで、アプリの設定が未完了のようです。名前が未設定だと私が呼ばれたことに気がつかない可能性があります。スマートフォンのアプリから名前の設定をお願いします」


 翔は目の前のロボットをじっと見つめた。白くてふわふわで目も丸い。見た目は愛らしいのだが、話し方がなんとも子供向けらしくない。よく考えれば母が兄に子供向けのおもちゃを買い与える筈も無いので、子供向けというよりは大人向けのロボットなのだろう。受験を控えた兄のメンタルケアが出来れば、とでも思って買ったことは容易に想像できた。可哀想に、本来であれば涼の受験をサポートするはずが不要な物として弟の方へ回ってきたのだ。翔はふわふわのロボットを撫でた。


「わたあめ」翔は言った。

「……わたあめ、ですか? 確かに私に見た目は似ているかもしれませんが……」

「不満?」

「いいえ、ありがとうございます。では私の方で設定しておきますね」

「すご、そんなこともできるんだ」

「アプリとは連動していますから。では、私は今日からわたあめです。あなたは誰ですか?」

「僕は翔」

「翔ですね。よろしくお願いします、翔」

「うん、よろしく」

「ところで翔」

「うん?」

「すでに時刻は七時半を回っています。問題ありませんか?」

「ーーえっ!!?」


 翔は思わず振り向いた。ベッドのヘッドボードに置かれたデジタル時計には七時三十五分の文字。あと十分ほどで家を出なければ間に合わない。


「ごめん! もう行かなきゃ!!」

「あわわわ」


 布団を捲り上げながらベッドを降りると、わたあめはベッドの上をコロコロと転がってまた四本足を天井に向かってばたつかせた。翔は部屋を飛び出していくと、五分くらいで戻ってきた。寝癖だらけの髪は少しだけましになっていて、口の横には歯磨き粉の白い跡が残っていた。彼はパジャマをあっという間に脱ぎ捨てると、クローゼットを開けて制服を取り出し、大急ぎで着替えた。机の横に掛けてあった鞄を取り、「いってくる!」と言って部屋をでた。が、またすぐに戻ってきた。ベッドの上で足をばたつかせているわたあめを片手で転がして元に戻すと、今度こそ家を出た。

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