2.優等生に渦巻く疑念

 体育祭までのおよそ2週間は1日の最後の授業が体育に変更され、各クラスで体育祭に向けた練習時間が設けられる。

 とは言え、全学年で12クラスもあれば練習場所は限られる。

 グラウンドと体育館はそれぞれ2箇所ずつあるが、そこでの練習日はローテーションで回され、充分な設備で練習ができるのは1箇所につき1回まで。つまり合計4日間しか満足な練習は望めない。

 最初の練習日となった今日。俺たち1年1組は早速第1体育館を使わせてもらえることになった。

 本番の会場は第1グラウンドと屋外ではあるものの、体育館にもそれなりに必要な備品は揃っている。

 リレー用のバトン。障害物競走で使用されるハードルや網。綱引き用の大綱。これらの備品が使用できる日にどれほど練習を積めるかが課題となりそうだ。

 体育館に集まった俺たちは、話があると言う周防を取り囲み、作戦会議の時間を設けていた。


「最初に体育館を使える、というのはあまり利点とは言えない。練習内容は絞っていこうと思うんだけど、みんなの意見を聞きたいな」


 周防の問いかけに皆が概ね賛同する。

 本来であれば、こういった話は練習が始まる前に済ませておくのが時間効率の面でも良いだろう。

 しかし、部活動や委員会の仕事で放課後に時間を取れる生徒は少なく、全員が集まれる時間は限られる。

 こうしてせっかくの練習時間に意思統一から始めなければならないだけでもデメリットと言える。

 では話し合いなどせずに練習を始めれば良いかと言えばそうでもない。

 がむしゃらに体を動かしても体力は無駄に消費し、クラス内の連携も取れなくなる。

 初っ端が体育館というのも俺たちにとっては逆風だ。


「んなこと気にせずさっさと始めようぜ! 俺100メートル走のフォームとか確認してえんだけど」


 そう不満を述べたのは、先日、間藤先生に質問をして一蹴されていた金髪の生徒。君下きみしたかがりだ。

 良くも悪くも目立つ生徒で、思ったことはすぐに口にしてしまうタイプのようだ。

 校則に規定はないとは言え、金色の髪はやはりよく目に留まる。おかげで昨日の今日でも名前は覚えられた。

 君下の意見に周防は困ったように眉を顰めた。


「そうだね。みんな、自分の出る種目の練習が第一だと思う」


 そう肯定するだけで、周防は何か言いたげではあるものの何も続けなかった。

 周防は俺と同じ意見を持っていると思っていたが、どうしてそれを口にしないのだろうか。何だか焦れったい。

 少し迷った様子だったが、クラスメイトたちの視線を受けて笑顔を振りまく。


「じゃあ、早速だけど練習を始めよう。同じ種目に出る人と集まって、不安や疑問があれば同じグループの人に聞く。それでいいかな?」

「よっし! そんじゃ、始めようぜ!」


 君下が解散を促したことで他の生徒たちもパラパラと散っていく。

 中にはチラチラと周防に視線を送る生徒も居たが、周防は軽く手を振って彼らを見送るだけだった。


 俺が出場する競技は棒倒しと借り物競争。棒倒しの大木は体育館には用意されていないし、借り物競争はその日の運によって左右されてしまう。

 どちらも体育館ではまともな練習ができないな。

 個人種目の借り物競争はまだしも、棒倒しは少しでも練習しておいた方がいい。

 例えば陣形。誰が攻めて、誰が守るのか。誰が全体を指揮するのか。棒倒しと他の種目を掛け持ちしていて、今は別メニューの練習をしているクラスメイトも気がけなければならない。同じチームの他学年とも合同で行われるため、その辺の擦り合わせも必要だろう。

 俺と同じ棒倒しに出場予定の生徒たち6人も1箇所に集まってはいるものの、何をしていいかわからず談笑にふける始末。

 その中には周防の姿もあった。

 ちらちらとこちらを見て、何かしなければと思いながらも会話から抜け出せないといったところか。

 このまま放っておけば敗北は必至だろうな。団体競技の配点は高く、棒倒しの敗北はチームの敗北に繋がる可能性も高い。MVPを狙っている生徒には手痛い失点だ。

 まあ、俺は勝ち負けに興味はないし、手助けしてやるつもりもないが。

 体育館の壁にもたれかかって練習の様子を観察していると、俺を見つけた男子が1人、こちらに駆け寄ってきた。


「よっ。お前らの練習、大丈夫か?」

「見ての通りだ。万全だな」

「それはお前がサボれるからってだけだろ」


 そう言って岩下喜一はけたけたと笑い声を上げた。

 中学時代からの親友で、俺がこのクラス……いやこの学校で唯一まともに話せる相手だ。


「喜一が出るのは騎馬戦と障害物競走だったか」

「あと100メートル走もな」

「走るのは嫌いじゃなかったか?」

「長距離はな。短距離なら結構走れるぜ」


 付き合いが長いと言えど、互いに深く干渉する性格でもないため、特技や趣味などを熟知しているわけじゃない。

 言われてみれば、前にもそんな話を聞いた気がする。際限なく走り続けることに虚無感を抱くから長距離は嫌いなのだ、と。

 弓道部に所属している喜一は、一本一瞬の世界に生きている。彼にとっては100メートル走も似たようなもので、親近感を持つのかもしれない。


「つか、練習しなくて大丈夫なのかよ。体育館とかグラウンドって使える回数が決まってんだろ? もう残り30分くらいしかねえぞ」

「練習と言っても、護るべき棒も倒すべき相手も居ないからな。今できることもあるが、俺が率先して意見を出す人間じゃないことはお前も知ってるだろ」

「それもそうか。んでも、このままじゃ負けるんじゃね? ほら、君下も棒倒しに出るだろ?」

「出るだろ、と言われても知らん」


 喜一の出場種目すら知らなかった俺が他のクラスメイトの種目を逐一記憶しているはずがないだろうに。

 雑に切り捨てると、喜一はじっとり瞳を細めて「もっと他人に興味持てよ」とため息をつく。


「で、君下がどうしたんだ?」

「あー、あいつ、MVP狙ってるらしいんだよ。短距離走と長距離走、あとリレーと団体競技が2つ。全部勝つって気合い入れてたんだよな」

「そうか。だったら、現状それは不可能だと言ってやれ」

「言えるか! あいつキレさせると面倒くせえんだよ」


 喜一は君下のことを知っているような口振りでそう言い、頭を抱えた。


「君下は怒らせると怖いのか?」

「お前ほどじゃねえよ。ただ、他のやつに当たり散らしたり……なんつーか、和を乱すっての? そういうところがあんだよ」

「君下と知り合いだったのか? やけに詳しいな」

「いや、俺も噂で聞いただけだぜ。隣のクラスに同じ地区出身のやつが居てさ。地元じゃ有名なワルだったらしいんだよ」

「このご時世にもそういうやつが居るんだな」


 どんな時代にもヤンキーや不良と呼ばれる学生は存在するらしい。

 君下は見た目も決して素行の良い生徒には見えないが、それは中身にも該当するようだ。


「んな呑気なこと言ってる場合かよ。棒倒し組が何もしてねえって知ったらお前もターゲットにされんぞ」

「それは……面倒だな」


 想像しただけでわかる。会話の余地がない相手に一方的に絡まれ、罵倒される。俺たちにも非がある以上言い返すことはできないし、火に油を注ぐだけだ。何よりその光景は目立ってしょうがない。

 他所で争う分にはどうでもいいが、俺がその対象となるのは避けたいところだ。


「周防に話がある。喜一、呼んできてくれ」

「おい。親友を普通にパシらせるな。自分で行けよそれくらい」

「俺から話があるとは言わず、自然に呼び出してくれると助かる」

「俺が行くことは決定かよ。俺は祈織のことすげえやつだとは思うけど、そのコミュ障だけは治した方がいいぞ」


 小言を垂れながらも喜一は周防の元へと向かう。

 なんだかんだ言いながらも喜一は最終的には必ず俺の言うことには従う。

 これを親友と呼ぶかは甚だ疑問だが、互いにウィンウィンな関係であることは間違いないし、俺はこの関係性をそれなりに気に入っている。

 喜一は不満の方が大きそうだけどな。

 程なくして、喜一が周防を連れて戻ってきた。


「放ったらかしにしてごめん、天沢君。僕も現状をどうにかしなきゃとは思ってたんだけど……って、これは言い訳だね」


 いきなり謝罪したかと思えば、彼は暗い表情を浮かべて俯く。

 喜一が余計なことを言ったのではないかと疑いの目を向けたが、そうではないらしい。


「謝ってる暇なんてねえよ。そんなことより、今後の方針を立てようぜ。団体競技は作戦が大事だろ? さっき祈織と話してたんだけどさ、良い案があるらしいんだよ」


 なるほど、そうきたか。

 俺が周防を呼び出したのではなく、あくまで喜一がクラスの中心である周防を呼び出し、俺をアドバイザーとして立てたわけだ。

 これはこれで厄介な状況だな。的確すぎるアドバイスは俺を探られるきっかけになり得る。

 妙な勘繰りで俺の生活が脅かされても困る。周防を上手く誘導してやる他ないな。


「現状の整理だが、俺たちが大きな会場を借りて練習ができるのは、今日を含めて4回だけ。今日はもう諦めるとして残りは3回。その時間を無駄にしないためにも今日中にクラス内の方針や団体競技の戦略は決めておかなければならない」


 この状況を打破しなければならないという考えは周防も喜一も同じのようで、2人はこくりと頷いた。

 時間は有限だ。どのように過ごしても必ず終わりは来る。

 だからこそ後悔しない道を選び、目的達成のために努めなければならない。


「方針っつっても、もうバラバラに練習してんだし、複数の種目に出るやつも居るだろ? それってかなり難しいんじゃねえのか?」


 喜一の言う通りだ。

 練習時間は限られている。種目によっては体育館やグラウンドじゃないと満足な練習ができないものもある。

 限られた時間で効率よく練習を積むためには全員がその考えを持っておかなければならない。

 しかし、個別の練習が始まった以上、再び全員を集めて無策に話し合いの場を設けようものなら反感や不信が生まれ、今よりも無駄な時間を過ごすだけだろう。

 だからこそ、周防が最初に全員を集めた時点でその工程はクリアしておく必要があった。


「人間が30人居れば、30人とも思考や戦略は異なる。彼らの意思を統一するには、1人の先導者が必要だ。俺は周防がその人物に相応しいと思っている」


 積極的に人の前に立ち、皆を引っ張り、入学してそこそこで既に彼の人柄だけはクラス全員が知っている。

 そんな人物の扇動であれば、大きな反感も生まれにくい。

 そう考えて周防の名を挙げたが、当の本人はまさか自分が選ばれるとは思っていなかったと言いたげに目を丸くしていた。


「僕が、みんなを?」

「何か問題か?」

「……ううん、大丈夫」


 妙な間があったな。大丈夫だと答えはしたが、本心か強がりかは決め兼ねるところだ。

 先日の種目決めの時にも違和感はあったが、周防はどうにも人前に立つことに忌避感を抱いているように思う。

 その割に率先してクラスを牽引している点は彼の様子とはちぐはぐで、奇妙なズレを感じてしまう。

 先程の間が気になったのは俺だけらしく、喜一は何事も無かったように「頼んだぜ」と周防の肩を叩く。

 笑顔で応える周防にも特におかしなところはない。俺の思い過ごしか?

 どうにもスッキリしない蟠りが胸につっかえているが、その違和感に気付かない喜一は勝手に話を進める。


「じゃ、明日もう一回全員が集まった時に周防が方針を提案するってことで。それまでに俺たちである程度決めとかなきゃなんねえよな」

「……そうだな。特に他学年が絡む団体競技は、いつ合同練習を始めるのか、1組の先輩にも意見を聞いておいた方がいい」


 周防が全体の指揮を取り仕切る以上、他学年とのコミュニケーションも周防が取り持つ方が齟齬が生まれにくいだろう。

 しかし、このまま彼に全てを押し付けてはいけない気がしたため、俺は喜一に目をやった。


「そこは喜一、頼めるか?」

「俺が? 周防の方がいいだろ」

「周防はクラス内のことに専念した方がいいだろ。種目は団体競技だけじゃないんだ。リレーや障害物競走のように、実際にグラウンドで走らなければ感覚が掴みにくい種目もある。その辺の時間の割り振りも決めていかないといけないからな」


 少し雑な言い訳ではあったが、喜一は納得してくれたらしく「わかった」と受け入れた。


「弓道部に1組の先輩もいるし、今日のうちに聞いとくぜ」

「ありがとう、岩下君。天沢君」

「俺は何もしてないけどな。まだ方針も固まらないままだ。やることはたくさん残ってるぞ」

「うん、そうだね。でも、君たちのおかげで少し気が楽になったよ」


 何が彼の重荷となっているのかはわからないが、少しは肩の荷が下りたらしい。その笑顔は自然に出た微笑みに見えた。

 その後は周防の提案の元、暇を持て余していた棒倒し組の生徒を集めて話し合いが行われた。

 当然俺が出る幕はなく、輪の端っこで彼らの様子を静かに見守った。

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