23.享楽主義者の道楽

「どうしてこうなった」


 件の騒動が決着して3日。

 俺はと言うと、平日の昼間にも関わらず寮の一室で天井を仰いでいた。


「あの結末ばかりは予想外だったな」


 郷田先生や緋衣を交えて丸山を退学へ追い込んだ日曜。

 あれから郷田先生と面談を行った後、丸山の退学が確定した。

 翌月曜には丸山はこの学校を去ったと聞いた。

 どうも、神条先輩は丸山との会話履歴のバックアップをパソコンに残していたらしく、それが明確な証拠となり丸山は呆気なく退学となった。

 俺はてっきり、神条先輩が既に諦めてしまっているのだと思っていたが、存外強かな性分らしい。

 きっと刺し違えてでも丸山を退学に追い込む算段だったのだろう。

 危惧していた神条先輩の秘密の機密性に関しても、外部で秘密が暴露されようものなら法的措置辞さないと学校側が念押ししてくれたらしい。

 これで全て丸く収まった。とはいかないのが現実だ。

 丸山が退学した同日。あろうことか神条先輩は郷田先生の元を訪れ、彼女が抱える真実について打ち明けた。

 神条先輩の素顔が学校の理念に反することは明白。彼女は罰を受ける覚悟で事の顛末を語った。

 その場には喜一も同席したそうだ。思うに、神条先輩と共に過去を清算し、ゼロから恋愛を始めるために必要だったんだ。

 当然、神条先輩は罰を受けた。ただし、情状酌量の余地ありという判決により『男子生徒への謝罪』と『2週間の謹慎処分』で済んだのは、彼女らの熱意と変化によるものだろう。

 真に欲していた愛を手に入れた神条先輩と、本当の恋を知り成長した喜一。

 まだ互いのことはほとんど知らない2人だが、彼らならこの先苦楽を共にし、どんな困難も乗り越えてゆけるはずだ。

 ……それで終わればただのハッピーエンドだったんだけどな。

 彼女らの行動で割を食ったのは俺だ。

 神条先輩を庇うために仕方がなかったとはいえ、教員に対し虚偽の弁護を働いたとして、俺も1週間の謹慎処分となってしまった。

 ひとつの恋愛相談から始まった騒動は、俺が一番損をするという形で幕を閉じたのだった。


 謹慎中の課題も早々に終わらせてしまった俺は暇を持て余していた。

 喜一たちの行く末も気になるが、俺には他にも懸念すべき点がいくつかあった。

 それらがどう結論付けられたのか、早く結果が知りたいところだ。

 しかしながら、俺は謹慎中の身。軽率に外へ出ようものなら処罰が重くなるのは請け合いだ。人を部屋に呼びつけるのもグレーゾーンだろう。

 学業で遅れをとることはないが、娯楽のない部屋で呆然と過ごす日々はどうも性に合わない。3日目にして気が狂いそうになってきた。

 と、俺の心の叫びが誰かの耳に届いたのか、部屋をノックする音が静寂を破った。

 来客がこうも嬉しいとは。俺は少し浮かれた気分で扉を開ける。


「よっ。元気か?」

「なんだ、喜一か」


 見慣れた顔は不満げに目を細める。悪態をついてはみたが、話し相手が現れただけでも少し感謝している。


「なんだってなんだよ。せっかく遊びに来てやったのによ」

「そりゃどうも。上がるか?」

「いや。すぐに学校に戻らなきゃなんねえし、ここでいい」


 頭の後ろをポリポリと掻いた喜一は、どこか畏まったように背筋を伸ばす。


「悪かったな。迷惑かけた」


 柄にもない真面目な姿に俺は呆気に取られた。

 驚きと面白さ。それなりに長い付き合いだと思っていた喜一が初めて見せた態度を俺はどこか親目線のような目で見ていた。


「似合わないな」

「うるせ。んなことわかってんだよ」

「是が非でも頭を下げない姿勢は喜一らしいけどな」

「ほっとけ」


 眉根に皺を寄せるが、小さくため息をついてすぐに神妙な面持ちを取り戻す。


「本当に悪いと思ってんだ。俺の一方的な押し付けから始まったのに、お前は俺や紗耶さんのために奔走してくれたんだろ。裏で色々と根回しして、俺たちがちゃんと付き合えるように解決してくれたんだよな。それなのに、俺たちのせいで祈織は停学になっちまった。お前は何も悪いことはしてねえのに」


 何を言い出すかと思えば、とんだ勘違いをしているらしい。


「俺が停学処分を受けたのは俺が郷田先生に嘘をついたせいだ。俺が勝手に転んで勝手に怪我をしたに過ぎない。喜一が謝ることじゃないだろ」

「でもよ」

「謝罪は必要ない。当然、感謝もな。俺は俺の目的のために動いた。お前はお前のために神条先輩に近づき、契約を結ぶという目的を果たした。それだけの話だ」


 謙遜でも強がりでもない。

 俺は神条先輩を退学させるつもりでいた。美能が金星の女神の残党として活動を続けるのなら、いずれ神条先輩に近付いてくるだろう。万が一にも彼の駒を増やさないよう、その芽を摘み取っておくつもりだったんだ。

 どうせ神条先輩は学校には残れない。本人も退学するつもりでいたのだから、彼女が学校を去るのが一番の解決策だと思っていた。

 しかし、喜一はそんな彼女を救った。彼女の傍に寄り添い、彼女の罪を共に背負う決心をした。俺の元を離れ、独り立ちする決意をした。

 神条先輩と付き合えたのは喜一の想いが伝わったからに他ならない。

 こうなる未来を求めていたのもまた事実ではあるが。


「話は終わりか? 誰かに見られるとお前も処罰を受けるぞ」

「あ、ああ。そろそろ戻る」


 停学中の生徒との面会は暗黙のタブーだ。厳しく叱責されることはないだろうが、無意味な問答のために喜一まで停学となれば本末転倒だ。

 早々に話を切り上げようとしたが、喜一にはまだ話があるようでその場を去る様子は見られない。


「なあ」

「……何だ?」


 頭の中にある言葉を口にすべきか悩んでいたようだったが、踏ん切りがついたらしく軽く頷く。


「俺はもう、お前に憧れるのはやめる。お前に頼ってばかりってのもかっこ悪いしな」

「俺に憧れ、か。頭でも打ったか?」

「いいから最後まで聞けよ」


 喜一が俺に抱いていた感情を憧れと呼ぶべきかは疑問だが、それに類似した感情があったことは知っていた。

 俺に対する劣等感。心のどこかで俺に服従している節があった。

 今回の一件も俺なら解決してくれる、俺を頼れば楽に神条先輩と付き合えると勝手に期待して、言われるがままに動いていた。

 しかし、今は違う。


「俺はもう、お前を頼らねえ。お前に甘えたりしねえ。紗耶さんとのこれからは、俺と紗耶さんで決めていくつもりだ」


 俺は黙って彼の言葉を聞く。

 そして、喜一が言わんとすることを察し、答えを決めた。


「だからさ……俺がちゃんとできるようになったら、今度こそ祈織のことを親友って呼ばせてくれねえか」

「よくそんな恥ずかしいことが言えるな。聞いている俺が恥ずかしい」

「は? んだよお前。俺はずっと悩んで、お前と本当の親友になれたらって」

「今更だろ。友人関係にノルマも評価も必要ない。俺が喜一を親友だと思うように、喜一もそう思っていてくれるならそれで充分じゃないのか」


 知人。友人。親友。恋人。

 それらの関係性に明確な定義はない。親密度によって勝手な区切りを設けるだけだ。

 そこにあるのは互いの感情と気持ち。互いにそうだと言えばそれが正しい関係性なんだ。

 俺たちは他の誰かよりも少しだけ互いのことを詳しく知っている。他の誰かよりも少しだけ付き合いが長く、少しだけ互いを信頼している。

 きっとそういう関係は親友と呼ぶに相応しいと俺は思う。

 嬉しそうに無邪気な笑顔を見せた喜一を見送り、俺は再びベッドに戻った。


「それにしても、早くも下の名前で呼んでいるんだな」


 進展が見えた2人の関係に多少の期待を寄せながら、俺は明るい未来を想像して頬が緩ませた。



※※



 喜一が俺の部屋を訪れて、およそ1時間後。

 またしても来客を告げるべく、扉をノックする音が部屋に響いた。

 今はちょうど午後の授業が行われている最中だ。こんな時間に来客があろうとは想像していなかった。

 授業中に自由に出歩ける人物となれば、授業が入っていない教員か各店舗の従業員くらいだ。

 その中で面識がある人物となれば、郷田先生か担任の先生くらいのものだ。

 或いは……いや、その可能性は低いな。彼女が1人で俺の部屋を訪れることはないだろうし、何より彼女も謹慎中の身。もしも出歩く姿を第三者に見られでもしたら、その罰則は喜一とは比にならない。

 覗き窓からその姿を確認する。と、全く想定になかった人物がそこに居た。

 どうしてここに居るのか。どうやって学校を抜け出してきたのか。疑問はいくつもあるが、一先ず彼女を招き入れることにした。


「まさかお前が来るとはな。東雲」


 俺の反応がお気に召したらしく、彼女は口元を押さえてクスクスと笑った。


「びっくりしましたか?」

「ああ、驚いた。今は授業中じゃないのか?」

「そうですね。体調不良で早退させていただきました」

「らしくないな。生徒会ともあろう人間が、生徒の指針に背く行為を働いていいのか?」

「ふふっ。そっくりそのままお返しします。生徒会に入りたいと仰る割に、非合理的なことをして謹慎処分を受けたそうですね」


 そう言われてしまうと返す言葉もない。

 この謹慎は生徒会への入会からも神条先輩の退学からも遠のく行動を取った結果だ。好奇心が勝ってしまったと言えばそれまでだが。

 あっさりと俺を言い負かした東雲は、もう一度楽しそうに微笑む。


「冗談です。午後の授業はどれも私の得意科目ですから、数回休んでも成績には響きません。多少の評価よりも天沢くんとお話がしたい好奇心が勝ってしまいました」

「光栄とでも言うべきか?」

「いいえ。警戒したままで結構ですよ」


 やはり読めない。表情に出ないよう注意を払っていたつもりだったが、彼女の前では無意味だったようだ。

 美能が裏で糸を引いていたとは到底思えない逸材だな。一体どこまで俺の真意を理解していることやら。


「上がるか? 大した持て成しはできないが」

「では、少しお邪魔します。長居はしませんので、お茶でもいただけるとありがたいです」

「ちゃっかり飲み物を要求するな」


 丁寧に靴を並べた彼女は軽く一礼して部屋に上がり込む。

 思えば、こうして異性を部屋に上げるのは初めてだな。見られて困るものもなければ普段からある程度掃除もしているため、特に緊張もしないが。

 グラスに麦茶を注いで背の低いテーブルに置くと、彼女はお礼の言葉を述べて口をつける。


「神条先輩と岩下くんの話は生徒会の耳にも入っています。どうやら生徒会長の介入もあったとか」

「ああ。生徒会長が休みの日にも校舎に足を運んでいたことは確認済みだったからな。利用させてもらった」

「本当にそれだけですか?」

「それだけ? 何を探ろうとしているかは知らないが、美能に聞き及んでいる通り、俺が駒として使えるのは蘭華だけだ。生徒会長まで手篭めにできるほどの逸材ならよかったんだけどな」


 そうはぐらかすと、東雲は薄く目を細めた。

 不気味に釣り上がる口角が彼女のそこはかとない暗闇を窺わせる。


「天沢くんもまだまだですね。嘘をつくのが得意な人は少しだけ真実を混ぜるものです。そして、余計な会話を繋ぐことで話題のすり替えを目論むこともしばしば。今の発言は些か早計でしたね」


 やられたな。掛けられたカマにまんまと引っかかったわけだ。

 もしやとは思っていたが、どうも東雲は俺よりも余程洞察力と直感に長けた人物らしい。


「そうか。じゃあ堂々と話を変えさせてもらう。お前はそれほどの能力がありながら、何故美能の下についていたんだ? 美能は俺にも遠く及ばない小物だった。お前が見抜けなかったとは思えないんだが」


 緋衣との繋がりを疑っていようとも、直接的な接触の少ない俺たちの関係性に確信を持つことはできない。

 それを逆手にとって切り返すと、彼女はすんなりと話題の転換を受け入れた。


「私も天沢くんと同じです。より面白そうな人についていくだけですよ。美能副会長は私の享楽に足る人物に成りうる人物でした。見当外れだったみたいですけどね」

「なるほどな。俺が美能に近付いた目的も筒抜けか」

「全てを理解したわけではありません。ですが、美能副会長が目論む改革に興味を持っていたと思っています。どうやら天沢くんのお気には召さなかったようですね」

「……そうだな」


 美能はこの学校の根底を覆す計画を企てていたと予想している。その内容如何によっては美能の下につくのもやぶさかではないと確かに思っていた。

 結果として、彼が金星の女神の残党であると判明し、その前提から崩れることにはなったが。

 東雲は美能が金星の女神と繋がりがあることを知った上で彼の指示に従っていたのだろう。

 目的は恐らく……面白そうだから。

 彼女も俺と同じ、変化と愉悦を求める享楽主義者なのだ。

 その享楽主義者は、新たな遊び道具を見つけた子供のような目で無邪気に言う。


「私と恋人契約を結びませんか?」

「……生徒会役員は同じ役員同士でなければ契約を結べないんじゃないのか?」

「生徒会も所詮は私の心を満たす場所に過ぎません。天沢くんが首を縦に振るのなら、辞めても構いませんよ」


 冗談です、と笑う彼女の姿を思い浮かべてみたが、今度は違うらしい。

 彼女は本気で俺と契約してもいいと思っている。生徒会という玩具を捨ててでも俺という新たな玩具を手に入れたい、と。

 彼女の秘密も目的もわからない今、契約を結ぶデメリットがどれほどのものか想像するのも難しい。

 東雲を味方に引き入れておく必要はあるが、まだその時ではない。

 彼女が俺に牙を向けた時、対処する術が俺にはないのだから。


「責任が取れない。保留にしておいてくれないか」

「ふふっ。仕方ないですね。私の気が変わるまでは待ちますよ」


 東雲は麦茶を飲み干して腰を上げた。どうやら契約の提案が真の目的だったようだ。

「お邪魔しました」と告げる彼女の姿を見て、俺も東雲に会う目的があったことを思い出す。


「そうだ。借りていた漫画、今返してもいいか?」

「もう読み終えたんですか?」

「ああ。案外面白くて、徹夜して一気読みしてしまった」


 神条先輩の裏の顔を探るべく、情報源として借りた漫画だったが、思っていた以上に役に立ってくれた。


「この借りはいずれ返す」

「では、良いお返事でも期待しておきます」


 ローファーを履いた彼女はまだ言い残したことがあるのか、足を止めて横目でこちらを見る。

 

「あっ。私が口をつけたからとグラスを洗わずに保管してはいけませんよ?」

「俺を何だと思っているんだ」

「そうですね……信頼できるパートナーに成りうる人物、とでも言っておきましょう」

「それは……光栄な話だな」


 軽口とも取れる会話を交わし、彼女は部屋を後にした。

 俺の目的のために東雲が動いてくれるとすれば、リスクを負ってでもお釣りが来る戦力となるだろう。

 ただ、未だに彼女の底も読めない俺には手に余る人材であることも確かだ。

 彼女の存在は悩みの種であると同時に享楽を満たしてくれることに期待もしていた。



※※



 二度あることは三度あるとはよく言ったもので、その日の夜には本日三度目となる来訪者が扉を叩いていた。

 時刻は23時を回ったところ。生徒間の部屋の行き来はルールとして許容されてはいるが、俺が謹慎中ということを鑑みれば決して許される行為ではない。

 それに、男子寮の間でも原則として22時以降の不必要な外出は控えるよう言い渡されているはずだ。

 ともすれば、わざわざ人の往来が止んだであろうこの時間を狙って訪問して来たと考えるのが妥当だろう。

 学校のルールに背く愚か者はどこのどいつだろうかと覗き窓からその姿を確認する。


「……これはまた」


 まさか彼女が学校のルールを破ろうとは。余程の急用なのだろうと思い、急ぎ鍵を開けた。


「一体何の用だ? って、お前もか。蘭華」

「いいから早く入れて。見つかったらヤバいんだから」

「そうだそうだー! 早く入れろー!」

「ひーちゃん、声が大きいって!」

「お前もな」


 小さなドアスコープの死角になっていたらしく、そこには緋衣だけでなく蘭華の姿もあった。

 周辺を警戒する蘭華は緋衣の背中を押してそそくさと部屋に転がり込む。

 許可もなくテーブルを囲んで座った2人はほっと一息ついた。


「麦茶でいいか?」


 何の用か知らないが、せっかくの客だ。もてなしくらいはしてやろうと気を利かせてみる。

 しかし彼女たちは「ココアがいい」だの「私カフェラテね」だのと好き放題言っている。


「喫茶店じゃないんだ。そんなものはない」

「えー。準備がなってないわねー」

「こんな時間にアポもなしに来訪する方が悪い」

「そういうのはちゃんと準備してる方がデキる男子ってもんでしょ」

「そうだそうだー!」


 前から思っていたことだが、この2人が揃うと鬱陶しさも2倍だな。腹立たしいことこの上ない。

 早く要件を済ませて帰ってもらおう。


「で、何の用だよ。生徒会長が規則を破っていいのか」

「祈織くん知らないの? ルール違反もバレなきゃ問題にならないのよ?」

「生徒の指針に有るまじき発言だな」


 普段は聡明で温厚篤実な生徒たちの憧憬の対象である緋衣は、実の所だらしなく放漫な人物であることはあまり知られていない。

 俺が彼女の素顔を知っているのも体育祭の日にとあるきっかけで接点が生まれたからに過ぎない。

 あの日から俺と緋衣は蘭華を通して幾度かやり取りを通じてきたが、こうして直接話すのは随分久々な気がする。

 緋衣と繋がりがあることを隠すためには仕方ないことではあるが。

 麦茶を2人の前に並べ、再び同じ質問を繰り返す。


「で、何の用だよ」

「あら、もしかして怒ってる?」

「当たり前だ。バレなきゃ問題にならないってことは、もしも教師にバレたら問題になる行いってことだろ。これ以上目立つ行為は避けたいんだよ」

「相変わらずやってることと言ってることが矛盾してるよね、あんた」

「謹慎処分を受けたのは想定外だったが、それを除けば特に目立ったことはしてない。俺の素性を知る人間も最低限に抑えたはずだ」

「私たち3人だけの秘密って感じかしら? 祈織くんってばやらしい」

「すまん、蘭華。通訳してくれ」

「祈織は変態って意味だよ」

「翻訳サイトより役に立たねえな」


 幼馴染だか知らないが、この2人が妙なところで息が合うせいで一向に話が進まない。

 それに、緋衣の言うことにも誤りがある。


「今回、美能を叩き潰すためとはいえ、俺は少しばかり本性を晒した。アインスの連中には知れ渡ってしまっただろうな」

「そう言う割にあんまり問題視してるようには見えないけど?」

「丸山と同じで、美能は端から生徒会から追放する予定だからな。緋衣が何故そうも美能を警戒しているのかはわからないが」


 現在、生徒会の内部では会長である緋衣の派閥と副会長である美能の派閥とで水面下の抗争が行われているらしい。

 俺は緋衣に借りがあるし、最初から緋衣サイドの人間ではあったが、美能と接触してみて緋衣には遠く及ばないと感じた。

 緋衣は勝手にベッドに転がり、足をパタパタと揺らしながら答える。


「私も美能くん単体は敵じゃないと思ってるわよ。その裏にいる人たちにはちょっとだけ警戒してるけどね」

「……金星の女神か」

「そうね。祈織くんともただならぬ関係があるみたいだし、もう少し協力してもらわないといけないわね」

「それは構わないが……」


 彼女のことについて話すべきか悩んでいると、2人して続きを話すよう促してきた。


「東雲はどうなんだ? 正直俺は今、あいつを最も危険だと認識しているが」

「あー、千歳ちゃんね。確かに生徒会でもどっちつかずでふらふらしてるから私にもわからないのよね」


 悩ましげに眉根を寄せた緋衣だったが、俺の顔を見るやにやりと悪い顔をする。


「でも、祈織くんといい感じじゃない? そのまま懐柔しちゃえばいいじゃない」

「無茶言うな。あいつは恐らく俺よりも頭がキレる。裏を持って近付けば返り討ちだ」

「ふーん。祈織が認めるような相手なんだ」


 認めると言うと語弊がある。彼女がどれほど卓越した能力を有していようと、最終的には俺が上を行く自信がある。

 経験の差と言うべきか。普通の生活を送ってきたただの高校生に俺が遅れをとるとは思わない。

 しかし、そのためには情報が圧倒的に不足しているのも確かだ。

 彼女がどちら側の人間か。或いは、本当に享楽のみに生きる人種なのか。判断を誤れば、窮地に立たされないとも限らない。

 慎重に事を運ぶべきだろうな。結論、今打てる手はないと言える。

 現状、これ以上の進展はなさそうだと判断したところで、改めて最初の質問を投げかける。


「そんなことより、結局用件は何だ? もう時間も遅い。そろそろ本題に入れ。わざわざそんな話をするために人目を忍んでリスク覚悟でここに来たわけじゃないだろ」

「S級の美人が2人もいるのに、祈織くんってば全く動じないわよねぇ」

「当たり前だ。俺たちの関係は利害の一致で成り立っている。無駄な感情が介入する余地はないはずだ」

「うわっ、出た。ロボット祈織」

「そう褒めるな。流石にスパコン程の知能はない」

「褒めてないから。感情がなさすぎて人に見えないって言ってんの」


 俺たちの関係性を保つ前提の前にはそれも一種の褒め言葉だろうに。

 余計な感情は人間関係を壊す。

 俺はまだ彼女たちを手放すわけにはいかない。彼女たちにとっても俺を失うことは不本意だろう。

 無駄口が絶えない蘭華に鋭く視線を飛ばすと、彼女は「黙ってまーす」と言って目を逸らした。

 代わりにベッドに横たわっていた緋衣が体を起こす。


「そうね。私たちがここに来たのは、生徒会の入会について確認するためよ」

「だろうな」


 緋衣が自ら俺に接触する理由があるとすればそれくらいだ。

 しかし、今更聞くまでもないことは彼女も理解しているはず。


「俺はお前との約束を果たせなかった。聞けば俺は生徒会に入るには役者不足らしいしな。俺に選択権はないだろ」

「私のお願いは確かに果たされなかったわ。美能くんは上手く押さえたみたいだけど、神条さんは退学にならなかった……ううん、退学にしなかったわよね」

「俺が作為的に神条先輩を学校に残したと言いたいのか」

「そう言ったつもりよ」

「残念ながら違うな。残れば面白いとは思ったが、神条先輩が学校に残ると決断したのは喜一の影響だ」

「自分に責任はないって言いたいのね」

「そう言ったつもりだが」


 俺は体育祭の一件の後、緋衣ととある約束を交わした。

 俺に与えられた役目は、美能の監視と丸山及び神条先輩を退学に追い込むこと。

 その見返りとして、俺は生徒会へ入会できる手筈だった。

 神条先輩まで退学にさせる理由は俺の憶測でしかないが、やはり金星の女神が関係しているのだと思う。

 神条先輩は奴らが欲しがる人材だ。彼女があちら側についたところで大した懸念材料にはならないが、目立つ人間は人を呼び込む。神条先輩ほどの容姿の持ち主であれば、多くの生徒があちら側に惹き込まれるだろう。

 そのリスクを避けるため、神条先輩を学校というステージから下ろしたい。そんなところか。


「神条先輩を残したところで変わらない。金星の女神は俺が潰す」

「それは神条さんがいてもってことかしら」

「そうだ」

「じゃあ、岩下くんが一緒になってあっちに行っても同じことが言える?」

「何度も言わせるな。喜一が俺の敵となるなら、俺は喜一も潰す。お前ならわかるだろ」


 俺が即答すると、緋衣は納得したように頷く。


「そうね。それじゃあ本題に戻るわ」


 緋衣はそう言ってにこりと笑った。


「祈織くんには生徒会に入ってもらいます」

「……は?」


 蘭華は先に聞かされていたらしく、特段驚く様子もない。

 緋衣は人の意見も聞かずに勝手に先走る悪い癖があるが、今回は今まで以上に厄介なわがままに付き合わされそうだ。

 そんな予感に頭を抱え、俺は大きなため息をついた。

 まだこの生活は楽しめそうだと少しの享楽を抱きながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る