前編

2月の終わり頃。まだ雪の溶けない時期。

いつも通りの帰り道で、ほんの少しだけ寄り道をする。行先は雪の積もった公園。

目的はほんの少し雪遊びがしたいから。そんな軽い気持ちで立ち寄った公園は、既に足跡だらけでとても遊べる状態ではなかった。


「なんだ、残念。少しくらい遊びたかったのにな」


小さなその呟きは、突然の強風に掻き消されて消えた。と、同時に被っていた帽子が風で飛ばされる。


「キャーッチ!」


思わず身を乗り出してしまったが、運悪く飛ばされた先は小さな池だった。

やばい、落ちる。とそう感じた瞬間、後ろから何かに引っ張られ、事なきを得る。


「助かったー」

「助かったじゃ無いですよ!何してるんですか、こんな寒い日に池に飛び込もうとするなんて。風邪引いちゃいますよ」


後ろから聞こえたその声の主へ振り返ると、そこには自分と同じ制服を身に纏った小柄な少女が立っていた。


「もう、びっくりしましたよ。散策してたら池に飛び込もうとする人に出会うなんて」

「あははー、ごめんね。帽子が飛ばされちゃってついつい」

「つい、じゃないですよ。ほんとにもう、心臓に悪いです」


やれやれ、といったふうに溜息をつく少女は、首元に自分と同じ赤色のリボンを着けていた。


「助けてくれてありがとね。ところで、同じ制服と同じリボンってことは、同学年なんだろうけど、なんか見覚えない気がするんだよね」

「え、あ、そっか。リボンの色って学年で変わるんでした。まぁ、見覚えなくて当然ですよ。僕は3月から転入する予定なので」

「ああ、通りで見覚えないわけだ」


うんうん、と納得したように頷く。それにしてもこの子僕っ子なんだ、とかどうでもいいことを考える。


「そうだ、3月から転入するんだよね?それなら、その時になったら校舎の案内しよっか?今日のお礼ってことでさ」

「別にお礼されるほどのことはしてないですけど…。でも折角なのでお願いしようかな」

「じゃあ決まりだね!任せてよ、校舎内なら探索しきってるから自信あるし」

「探索するほど広いの…?」


眉を八の字に下げて少女はそう言った。


「そんな不安そうにしなくても平気だよ、そんな広くないからさ」

「まぁ、それなら良かったですけど…紛らわしいなぁ、もう」

「ごめんごめん、ところで君の名前は?知らなきゃ案内なんて出来ないしさ」

「そういえば名乗ってませんでしたね。えっと、僕は冴木陽星です。陽だまりの陽に星でひなせです」

「陽星ちゃんね、覚えとくよ。それじゃあ、その時はよろしくね〜」


そう言うと、帰路につくため踵を返す。すると後ろから引き止める声が聞こえた。


「ま、待って!あなたの名前をまだ聞いてないじゃないですか」

「あー、私の名前ね。すっかり忘れてたよ。私は…」


名乗ろうとしたその時に、ふと昔の記憶が頭をよぎった。

生まれつき低い体温をからかわれた際に言われたあの言葉。


「………雪女」

「え?」


思わず口にしてしまっていたことに気づきハッとする。


「っていうのは冗談で、私は雪。御薙雪。雪って書いて読みはせつね」

「御薙さんですね。覚えときます」

「苗字呼びなんて堅苦しいからやめてよ、雪でいいって」

「じゃあ、雪さんで」

「さん付けも要らないけどまぁいっか。それじゃあまたね」


そう言って今度こそ踵を返した。

3月が楽しみだ、なんて気持ちを抱えながら。



そして時が経ち、3月の初めが訪れる。あの話が本当ならば、冴木陽星が転入してくる予定の日。

朝のホームルームで、担任が話があると切り出した。


「お前ら静かにしろー。えーと、今日からうちのクラスに転入生が来ることになった。もうすぐクラス替えだから1ヶ月だけだけど、仲良くしろよなー」


そう言って、ドアの外にいるであろう転入生に向けて入ってくるように合図を送る。

ガラ、とドアが開くと見覚えのある少女が入ってくる。


「えっと、冴木陽星です。1ヶ月だけですが、よろしくお願いします」


そう言うとぺこりと頭を下げた彼女は、確かにあの日出会った少女だった。まさか同じクラスだとは。


「はいはーい。先生、提案があるんですけどー!」

「うるさいぞー御薙。で、提案って一体なんだ?」

「校舎案内ってまだですよね?なら、私やります」

「おお、それは助かるな。じゃあ頼んだぞ、御薙」


すると担任はああそうだ、と陽星に視線を向ける。


「ちょうど空いてるから席は御薙の隣でいいか?」

「あ、わかりました。大丈夫です」

「だ、そうだ。じゃあ後は頼んだぞ、御薙」


そう言うと陽星は隣の席に座る。そしてこちらに視線を向けて言った。


「まさか同じクラスで、しかも隣の席だとは思わなかった。改めてよろしくお願いします、雪さん」

「堅苦しいから敬語じゃなくていいよ。敬語のが楽ならそれでもいいけどさ」

「じゃあ、よろしくね、雪さん」

「はーい、よろしくねー」


いつまでも喋っている2人に痺れを切らした担任が言う。


「おーい、お前らいつまで喋ってるんだ。そろそろ授業始めるぞー」

「あ、ごめんなさい!」

「すみませーん」

「あ、でも冴木は教科書ないんだったか。なら御薙に見せてもらえ」

「わかりました」


そして教科書を見やすくするために机を隣同士にくっつける。

陽星は近くで見ると、小柄な上に目が大きめで童顔寄りなため、とても可愛らしく思えた。


「………雪さん?」

「ん?」

「えっと、なんだか見られてる気がしたから…勘違いならごめんなさい」

「ああね。いや、私と違って可愛いなぁって思ってさ」

「………可愛い、ね」


可愛い、という言葉を口にした瞬間、陽星の表情が翳ったような気がした。

もしかすると、何かしら嫌な思い出があるのかもなと考え、以降は口にしないでおこうと心に留めた。

そうして時間が経ち、いつの間にか放課後になっていた。


「陽星、この後って予定ある?」

「特にないよ。雪さんが良ければだけど、案内お願いしたいかな」

「オッケー、じゃあ案内するね」


そうして一通り校舎内を散策し、案内する。

気づくと結構な時間が経過していた。まだ日が沈むのが早い時期のため、外は暗くなっていた。


「外、暗くなっちゃったね。陽星、1人で帰れる?」

「小学生じゃ無いんだから、さすがに帰れるよ。暗いのはちょっと怖いけど」

「もしかして怖がりさん?」

「いや、ちょっと嫌な思い出があるだけだよ」


陽星の表情は暗かった。それがどうしてか心配になって、気づいたら声が出ていた。


「それなら、途中まで一緒に帰ろうよ。例えば、この間の公園までとかさ」

「……いいの?」

「いいよ、もう友達みたいなものだしさ」

「……ありがとう、雪さん」


そう言った陽星は、先程と違って安堵が伺える表情をしていた。

2人、教室に戻り鞄を手に取ると、下駄箱まで向かう。蛍光灯が照らす薄暗い廊下を歩いて、ようやくたどり着く。靴を履き替え外へ歩き出したとき、ふとずっと無言だった陽星が口を開いた。


「僕、友達と一緒に帰るのなんて初めてだ。いつもひとりぼっちだったから…」

「へぇ、陽星って喋るの苦手でも無さそうだから、それはちょっと意外だな。気が合う人がいなかったとか?」

「まぁ、そんなところかな。いつまでも逃げてちゃだめだって、分かってはいるんだけど」


再び、陽星の表情に影が差す。雪はどうしてか、それを放っておくことが出来なかった。


「気が合う友達がいないのって、そんなに悪いことなの?」

「……え?」

「正直さ、友達っていてもいなくても変わらないじゃん?結局自分は自分で、他人は他人なんだから。それに、苦しむくらいなら逃げたっていいんじゃない?」


少し考えるような仕草をとった後に、陽星は言う。


「………そうなのかな。でも、正直僕は何から逃げてるのか分からないんだ。自分自身から逃げてるのか、他人と関わることから逃げてるのか、どっちなんだろうって」

「今はまだ分からなくても、いつか分かればそれでいいじゃん。私には陽星の事情は分からないけど、でも焦る必要はないと思うよ」


なんだか柄にもないアドバイスなんてしてしまったな、なんて内心考える。そっと陽星の表情を伺うと、先程の思い悩んだ表情よりは明るく見えた。


「そっか、そうなのかな。雪さん、ありがとう」

「私は何もしてないよ。だからお礼も要らない」

「なら、僕が言いたかったから言っただけ。それならいいよね?」


そう言う陽星の表情は、少し嬉しそうに微笑んでいた。

そうして気づいたら目的地の公園まで辿り着いていた。自然と言葉が口から零れる。


「じゃあ、また明日ね」

「うん。またね、雪さん」


手を振って別れると、2人はそれぞれ帰路に着く。


雪にとって陽星は、初めて興味を持てた人物と言っても過言ではなかった。しかし、何故そう感じたのか、このときの雪にはまだ分からなかった。



あれから数日が経った。席が近いのもあって、2人は仲のいい友人同士になっていた。

雪にとって陽星は、初めての友人と言っても過言ではなかった。あまり他人に興味を抱くことの無い自分が、どうしてここまで陽星に惹かれるのかは、分からなかったけれど。

などと考えながら教室へ足を踏み入れると、既に陽星が席に着いていた。


「おはよう、雪さん」

「おはよ、陽星。今日も早いね〜」

「僕が早いんじゃなくて、雪さんがギリギリなんだよ…」


半ば呆れ顔で陽星はそう言った。確かに自分がギリギリであるのは否めない事実だった。


「まぁ間に合ってるからいいじゃん。細かいことは気にしない気にしない!」

「細かくないよ……。聞いたよ、次遅刻したら雪さん単位落とされるんでしょ?最悪進級できなくなっちゃうよ」

「まぁあと一週間だしなんとかなるでしょ」

「なんとかって……雪さん適当だなぁ」


そんな他愛のない会話をしていると、担任がやって来て朝のホームルームが始まる。

いつの間にか、こうして同じクラスで隣同士で会話をするのも、残り一週間となっていた。

クラス替えの後、違うクラスになることも、違う席になることも、まだ想像できないけれど、もしそうなったらそれはとても退屈なんだろうなと思った。

それほどまでに、雪にとって陽星は大事な存在となっていた。


あっという間に一日が終わり、帰りの時間になる。いつも通り、雪は陽星に話しかけた。


「ひーなせ、今日も一緒に帰ろうよ、もし寄りたいとこあるなら寄り道してさ」

「うん、勿論。僕は寄りたいところはないけど、雪さんはどこかあるの?」

「うーん、強いて言うなら何か食べたいかな。何となくお腹すいててさ」

「じゃあ、公園までの道にあるカフェでどうかな?と言っても僕は行ったことないんだけど…」

「ああ、あそこね。静かで過ごしやすいからいいと思うよ。あとおすすめはコーヒー」

「そうなんだ。じゃあそこにしよう」


そうして教室を出て、お店まで歩いていく。

他愛ない雑談をしながら歩けば、すぐに着いてしまった。

中に入るとチリン、と入口のベルが鳴る。カウンターに立って食器を磨いていた店主が出迎えた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」

「あ、はい。雪さん、どこにする?」

「じゃあ奥のテーブル席かな。私のお気に入り」

「わかった。じゃあそこにしよう」


奥の席に着くと、店主が水の入ったグラスとメニューを持ってやってくる。


「ご注文お決まりになりましたら、お声かけください」

「ありがとうございます」


雪は早速メニューに目を通す。そして直ぐに陽星にメニューを手渡す。


「はい、陽星は何にする?」

「雪さんもう決めたの?まだ数秒くらいしか経ってないのに」

「私はいつも頼んでるのがあるから、それが今日もあるか確認しただけ。陽星はゆっくり悩んでいいからね」

「ありがとう、雪さん」


うーん、と悩みながら陽星はメニューを眺める。少しして、陽星は決めた、と言いメニューを閉じた。


「決まったなら店主のおじさん呼ぼっか」

「そうだね。すみません、注文お願いします」


カウンターの方に声を掛けると、直ぐに店主がやってきた。


「お伺いいたします」

「私はホットのコーヒーと日替わりケーキで。ミルクと砂糖もお願いします」

「えっと、僕も同じコーヒーと、チョコケーキをお願いします」

「かしこまりました」


そう言うと店主はカウンターの方へ去っていった。すると雪が口を開く。


「ここのコーヒーは本当に美味しいから、期待してていいよ!」

「なんで雪さんが得意げなのさ…。まぁ、雪さんのおすすめだからコーヒーにしたんだけど」

「でも本当のことだしさ。ところで明日までの数学の宿題って終わってる?」


そんないつも通りの会話をしていると、直ぐに頼んだものが届いた。食べながら会話を続けていると、あっという間に日が沈んでいた。


「暗くなってきたから、そろそろ帰ろうか」

「そうだね、陽星は暗いのダメだし早いほうかいいよね」

「一応気にしてるんだから言わないでよ…」


陽星はじとりとした目で雪を見る。雪は軽く笑いながらごめんごめん、と謝る。

会計を済ませて外に出ると、辺りは日が沈んでいて薄暗かった。

そこで、雪は陽星の足が震えているのに気がついた。雪はそっと陽星と手を繋ぐ。


「大丈夫、私がいるから。怖くないよ」

「……ありがとう、雪さん。ねぇ、手、このままでもいいかな?」

「もちろん、家までエスコートでもする?」

「あはは、それはさすがに悪いからいいよ」


2人で手を繋いで歩いていく。公園に着くのはあっという間だった。

2人の足が止まる。目的の場所に着いたから。けれど、お互いに手は離せないままでいた。

ふと、陽星が口を開いた。


「……情けないよね、いつまでも過去のことを引きずって。今日だって、雪さんがいなかったらここまで来るのもままならなかったかもしれないし……」


薄暗い公園では、陽星の表情はよく分からなかったけれど、きっとまた暗い表情をしているのだろう、と雪は思った。

いても立ってもいられず、雪は声を上げた。


「別に、トラウマくらいあってもいいんじゃない?それを克服するのはいいことかもしれないけど、でも無理に慣れようとするのは、なんだか違う気がする」

「……でも、僕はいつも雪さんに助けられてばっかりで。雪さんには、迷惑な奴だって思われたくないんだ」

「迷惑なんて思ってないよ。それに、陽星は私の初めての友達なんだから、もっと頼ってよ」

「えっ、初めて、なの…?僕が……?」


陽星は大きな瞳を丸くして言った。


「そうだよ。意外だった?」

「うん、雪さんって友達多そうだと勝手に思ってたから…」

「そんなことないよ。だって私の昔のあだ名、雪女だったしさ」

「……あ、それって初めて会った時にも言ってたよね?聞いていいのか分からないけど、どうしてそんな風に呼ばれてたの?」

「ああ、それはね……」


昔の記憶を手繰り寄せるように、思考を巡らせる。そういえばどうしてだったっけ、どうでも良くて忘れてしまった気がする。なんて考えてようやく思いだす。


「そうだ、私がアイスだったからだよ。体温が低くて、目つきも悪いから、冷酷な雪女だってさ。今思えば、馬鹿馬鹿しくて笑っちゃうよね。」


嫌な気分をへらへらと笑って誤魔化す。誤魔化すのも、もう慣れてしまった。


「そんなことない。確かに体温は低いけど、雪さんは優しくて暖かいもん。難しいことだろうけど、そんな記憶忘れられたらいいのにね」


真面目な顔でそう言う陽星に、思わず笑みが漏れてしまった。


「あはは。別にもう気にしてないけど、でもありがとう。陽星にそう言って貰えたら、きっといつか忘れられる日が来るのかもね」

「うん、少しでも役に立てたなら良かったよ。雪さんの嫌な記憶は、僕が忘れさせてあげたいから」


だから頑張るよ、なんて拳を握りしめで言ってみせる陽星に、つっかえていた何かが溶かされたような、そんな気がした。


「ありがと、陽星。じゃあ陽星の嫌な記憶は、私が忘れさせてあげる」

「雪さんにそう言って貰えたら、いつか乗り越えられるような、そんな気がするよ。ありがとう、雪さん」

「いーえ、こちらこそ。それじゃあそろそろ帰ろっか」

「うん、また明日ね」

「また明日」


そう言って、繋いでいた手を離す。そして別れ際に手を振った。

この時は分からなかったけれど。今思えば、これが感情の変化の始まりだったのかもしれない。


私が、溶けてしまう感情への。



3月の半ばを少し過ぎた頃。今日は終業式の日だった。

教室に着くと、相変わらず陽星が先に席に着いていた。


「おはよ〜陽星!」

「おはよう、雪さん。って、この会話も今日で終わりなのかな」

「まぁ、クラス替えあるからね。クラス変わっちゃったら無くなるのかも」

「そっか、そうだよね。なんだか寂しいな…」


しゅんとしたように陽星は目を伏せた。そんなに楽しみにしてくれていたのか、と少し嬉しくなる。と、同時にこの楽しみを他の誰かに奪われたくない、とも感じた。


「まだ別のクラスって決まったわけじゃないから、そんなに悲観しなくてもいいじゃんか」

「そうだけど……でも席は離れちゃいそうだから寂しいなって」

「ああ、冴木と御薙だから確かに席は離れるかもね。でも席が離れても先生が来るまでは話せるし」

「それなら遅刻ギリギリなの、直してほしいな…」

「まぁ、それは追々ね…」


痛いところを突かれてしまい誤魔化すも、じとりとした視線を向けられてしまう。


「ごめんって、来年からは頑張るから。多分」

「多分じゃないよ、もう。進級かかってるんだから頑張ってよ……」


やれやれ、と肩を竦める。そんな会話をしていると担任が教室に入ってくる。


「おーい、お前ら席に着けー。最後のホームルーム始めるぞ」

「最後、かぁ。1ヶ月なんてあっという間だったな」


ぼそりと陽星が呟く。その呟きは周りの騒音に掻き消されて消えたけれど、雪の耳には届いていた。

そうして、最後のホームルームと終業式が終わる。

いつも通りに、2人で公園まで向かう。今日は外が明るいけれど、最早日課のようになっていた2人は、自然と公園まで向かう。


「次は、3週間後だっけ?クラス替えがどうなるか、気になるね」

「そうだね…同じクラスだといいんだけど…」

「まぁ、例え離れても一生の別れってわけじゃないんだからさ」

「それならさ、雪さん。1つ提案があるんだけど、いいかな?」


意を決したように、陽星は雪に向き直る。そして言った。


「もしクラスが離れても、また一緒に帰りたいんだ!」

「もちろんいいよ、てか私もそれ言おうと思ってたところ」

「本当?嬉しいなぁ」


そう言って陽星は笑った。私も嬉しさと同時に、自分が特別な存在のように思えてほんの少し優越感を覚えた。


「それじゃあ、また新学期に」

「うん。またね、雪さん」


二人はいつも通りに手を振って別れる。

結局休み中は会うことは無かったけれど、連絡は取っていたため、3週間の休みはあっという間だった。

休み明け、クラス替えの表が貼られたボードの前に立つ。残念なことにクラスは別れてしまったが、帰る約束は変わらないまま。


だから、また同じ日々が続くのだと、まだこの時は思っていた。



新学期になってから一週間が経った。クラスは違くとも、二人は共に帰路に着いていた。

だから、それは今日も同じだと思ってしまっていた。


「陽星、帰ろうよー」

「あ、雪さん。ごめんね、今日は委員会があるからまだ残らなくちゃいけないんだ」

「それなら待ってるけど」

「いや、それは悪いから大丈夫だよ。いつ終わるかも分からないし…」


残念そうに眉を八の字にして陽星はそう言った。けれど、いつ終わるのかも分からないのなら、帰る頃には暗くなっている可能性も高いのではないかと思い食い下がる。


「それなら尚更だよ。暗くなったらどうするの?」

「それは大丈夫だよ。丁度家が同じ方向の子が委員会にいるから、最悪その子に頼むから」

「あ、そうなんだ。ならいっか。また明日」

「うん、明日は一緒に帰ろうね。またね、雪さん」


もやもやとした気持ちを抱えながら、逃げるようにその場を立ち去る。

私じゃなくてもいいんだ、とか。その子は本当に信用できるのか、とか。色々変なことばかり考えてしまう。

……私は一番じゃないんだ。とそう考えた瞬間、形容しがたいどす黒い感情が、考えの全てを支配するような感覚に襲われる。

そこで漸く気がついた。これはきっと、嫉妬なんだと。


同時に、嫉妬するほどに陽星が大切な存在なのだと自覚する。

私は今まで友人なんていたことが無かった。だから確かなことは分からない。

けれど、この感情は本当に友愛なのだろうか?

そんな疑問が頭をよぎる。


答えなんて分からなかった。だから、この日はまっすぐ帰って何もかも忘れるように眠りについた。


翌日の放課後。いつものように陽星の教室へ向かう。声をかけようと思ったけれど、やめた。いや、正しくは声が出なかった。それは、陽星が他の誰かと楽しそうに話していたから。

それを見た時、昨日のような黒い感情が湧いてきて、思考が止まった。


「………せつ…ん。雪さんってば」

「え、あ、陽星?どうしたの?」

「どうしたのって、帰るんでしょ?そのために呼びに来てくれたんじゃないの?」

「あ、そういえばそうだった。そうだね、帰ろっか」


いつの間にか、目の前に陽星が立っていた。それに気づけないほどに、ぼーっとしていたようだ。

慌てていつものように返事をしたけれど、それも全て見透かされていたようで。


「……なんか今日の雪さん少し変だよ?もしかして体調悪いの?」

「いや、平気だよ!陽星は心配症だな〜」

「誤魔化さないでよ。何かは分からないけど、何かあったんでしょ?それなら話してよ。僕は話聞くくらいしか出来ないけど、それくらいならいくらでもするからさ」


真っ直ぐな瞳で陽星は言う。その瞳があまりにも眩しくて、綺麗すぎて。思わず全てを話したくなってしまったけれど、寸での所で飲み込んだ。


「本当に大丈夫だよ、心配してくれてありがとう。ちょっとぼーっとしてただけだから」

「……そこまで言うならいいけどさ。でも、もし何かあったら頼ってほしいな。だって、大切な友達だから」


友達だから。なんてことのないその言葉が、私の心を掻き乱す。

漸く分かった。分かってしまった。

きっとこの感情は、友愛じゃないのだと。

この感情の正体は、きっと___。

頭が、割れそうな程に痛む。


「ごめん、やっぱり一人で帰らせて」

「え、どうして?やっぱり体調が悪いの…?」

「そんなとこかな、ごめんね」


一方的にそう告げてその場を去る。

とてもじゃないけれど、いつも通りに振る舞う余裕など無かった。

悪いことをしたな、と思ったけれど。それでもこうするしかなかったと思う。


ああ、どうしてだろう。絶対に叶わない恋と知ってしまった。

だって、私も彼女も同じなのだ。男女で成り立つのが普通なら、私はイレギュラーだ。


絶対に叶わない恋なのなら。それは永久の苦しみでしかない。

結ばれることの無い想いが、ここまで苦しいものだなんて知らなかった。

それならば、アイスとしてジュースと結ばれて溶けた方がずっとずっと幸せだった。


もしも、アイスとジュースが惹かれ合う運命にあるのならば。どうか、彼女がジュースではありませんように、と願う。

もしも彼女がジュースであったのならば、きっと私はこれから先もずっと、永久の苦しみを味わうことになるのだから。

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