第99話 高見沢玲奈の決断


「振られてしまったのね、私」


 青生くんが帰ってから、おぼつかない足取りで座ったソファーの上で、私は小さくそう呟く。


 ――高見沢さんとは、付き合えない。


 最初にそう結論から言った青生くんは、そのあと心苦しそうに、私が告白した日から答えを出すまでの葛藤を語ってくれた。


 正直にいって、詳しいことはあまり覚えていない。


 事前に覚悟していたつもりでも、いざ気持ちを拒絶されたという事実を前にすると、どうしても青生くんの話に集中することができなかった。


 だから、私が覚えているのは――私が告白してから、彼が河島さんや真壁先輩、幼馴染の湖城さんという子たちと過ごして、その中で答えを出したということと。


 その答えが、告白を受け入れることで、今の彼にとって心地よい時間が失われるのは嫌だということ、ただそれだけ。けれど――


「ちゃんと、知りたかったことは知れたわ」


 高校に入学して来るまでの間、青生くんに何があったのかは、想像しかできない。


 ただ、青生くんがずっと異性からの好意を避けていたということだけは、普段の彼の振る舞いを見ればわかる。


 それなのに、私は青生くんに告白した。そんなことをすれば、拒絶されるのはわかりきっているというのに。


 理由は、青生くんと真壁先輩の距離が縮まったことに焦ったから――そして、それに加えてもう一つ。


 どうしてそんなに誰かの好意を避けるのか、純粋にその理由が知りたかった。


 よくあるのは、勉強に支障がでるからとか、純粋に恋愛に興味がないからとか、そんなところだけれど、きっと彼の場合は違う。


 加えてその理由は、今と環境が違った中学時代のものとは違うはずで、私が告白したときはたぶん、青生くん自身も明確な答えを持っていなかったはず。


 だから、私はすぐに答えを聞かなかった。あのとき聞けるのはきっと、理由はないけれど付き合えないという、漠然とした答えだけだから。


 そして今日、ちゃんと私は欲しかった答えを得た。


「今の心地よい時間を失いたくない――」


 本人は自分勝手な理由だと卑下していたけれど、私はそう思わない。


 本当に、私が好きになった青生春人らしい素敵な理由だと思う。


 むしろ自分勝手なのは、青生くんを自分のものにしたいと思う、私たち。


 青生くんは、何も悪くない。だから――


「決めたわ」


 私は自分の中で大きな決断を下す。


 えっ、どんな?


 それは、明日になればわかるから、今は何も言わない――いえ、今はとても言えるような状況ではない。だって――


「――っ」


 初めての失恋の痛みに耐えるのに、必死だから。


         ※※※


 翌日。私はいつも通り朝の6時半に目を覚ますと、洗面所へ向かう。


 鏡で顔を見ると、幸い、目の下に泣きはらした跡はない。


 私は安心して顔を洗うと、食パンを一枚トースターに入れて、焼きあがるまでの間にコーヒーを入れる。


 トーストが出来上がると、それにマーマレードを塗って、コーヒーを飲みながら一緒に食べる。


 この時点で時間は7時前。


 普段なら、ここからもう30分ゆっくりと過ごすところだけれど、今日は違う。


 食器をすぐに片付け、制服に袖を通してから、10分近く鏡の前で自分の顔とにらめっこをする。それから。


「行ってきます」


 普段よりも、20分早い時間に家を出る。今日は自転車ではなく、歩きで学校へ向かうから。


 いつもと違う時間に、違う方法で学校へ向かっていると、ずっと使っているはずの通学路も新鮮に思える。もしかしたら、8月が終わって9月に入ったのも関係しているのかもしれない。


 そんなことを考えながら歩いていると、見慣れた通学路の河川敷が見えてくる。その様子は、昨日祭りが行われていたとは思えないほどに、閑散としている。


 さて、そろそろね。


 少しだけ心臓の鼓動が早まるのを感じながら、私はきっと訪れるであろうその瞬間に備えてゆっくりと歩を進める。そして――


「おはよう、青生くん。偶然ね」

「――っ、高見沢さん……っ!?」


 いつかの日のように、青生くんと鉢合わせる。


 けれど、彼は前のときみたいに、取り繕うような笑みを浮かべるといったこともなく、ただ純粋に戸惑いの表情を浮かべている。


 昨日、振った相手が自然と声をかけてきたからではない。


 青生くんの伊達眼鏡に反射している私は、お下げでもなければ眼鏡もしていない。


「どうしたの? 青生くん」

「――っ、いや……」

「失恋した女の子が髪を切る。それと同じくらいのことだと思うのだけれど。これくらいは許されるわよね?」


 からかうように笑って見せる私に、青生くんが不安を表情に出す。


 こんなことを、青生くんが望んでいないのはわかっている。


 けれど、きっとこのまま何もしなければ、青生くんはずっと自分の望む時間を理由に、誰かからの好意から逃げ続けると、そんな予感がする。


 残念だけれど、私はそれを許さない。


 平穏で心地よい時間よりも、私が欲しい――そう思わせようと、決めたから。


 これが私の決断だ。だから――


 諦めなさい、青生くん。


 私は心の中で、いたずらっぽく笑うのだった。




 

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