第11話

「死んだと思った?」


 ぱちっと目を開けた瞬間に、太陽より明るい声が瞳を焼いた。

 だけど世界は薄暗くて、声の主の姿は判別できない。

 莉奈は起き上がることもできず、ただただ低い声を出した。


「なんで……どうしてちゃんと死なせてくれなったの」


「いやー、約束は叶えるつもりだったんだけど、やっぱりなんか、うーんって思って。だって莉奈って私と同じ顔してるし、そういうのを死なせるのはちょっと、嫌だな~とか、やりにくいな~、みたいな気持ちがね」


「……マジで馬鹿。最悪。ほんとに」


「えー!? ひどっ!」


 顔かたちだけではなく、おつむが足りないところまで自分に似なくてよかった。

 そう吐き捨てかけたとき、莉奈の脳内にユエの言葉が音色まで寸分も違わず蘇った。


 ――人魚は自己愛の塊なんだ。


 水槽生まれ水槽育ち、親の人魚を生後二カ月で喪ったとしても、人魚の本質は揺るがない。

 莉奈は己の顔を震える手で触った。

 感触を確かめた。

 額から目、鼻、頬、耳、顎のラインを通って口、そして喉へ。

 生きている感触に、微かな笑いと嗚咽が零れた。


 誰かに愛されていないと、生を実感できない人生だった。


 自分だけでは、自分一人の生きざますら肯定できない人生だった。

 本当に夢見るべきだったのは、成すべきだったのは、ユエが願ったのは、莉奈が莉奈自身を愛することだった。


 それから逃げた罰が今、目の前にいる人魚の行いだ。


「莉奈ぁ~、そんなに怒んないでよぉ」


「バカ、怒ってるんじゃない、泣いてるんだよ……」


「泣いてるの!? 泣くってどんな!? ほんとにナミダってやつ出てるの? 見たい!」


 薄らと、夜闇より濃い影が視界を遮った。

 まるでリナを祝福するように、雲の隙間から月がのぞく。

 それはそれは大きな満月だった。

 見事に照らされた己の姿に反抗するべく、莉奈は顔を覆い隠したまま、必死で身じろぎをする。

 ごつごつした岩肌が体の接地面を痛ませた。


「どうすんのほんとに……これじゃ、私バカ丸出しじゃん……あんな恥ずかしい文章世の中にばらまいておいて、これであっさり見つかったら……」


「えー? 見つからなきゃいいんでしょ? どっか遠いところ行けばいいよ。社長もそんなようなこと言ってたじゃん、一緒に海外行こうって」


「今さら社長の船呼び戻すの? 無理でしょ」


 どのくらい時間が過ぎたかは不明だが、近くに船影も光も見当たらない。

 今いるのはどこかの岩礁のようだが、海岸線ははるか遠くに思えた。

 月に照らされた海の向こうに、人の世界は感じられない。


「や、それは無理だけど、でもなんとかなるって! 海には島とかけっこうあるでしょ? 私が上手に運ぶから、そういうとこで休みながらさ、私と一緒に遠いとこ目指そうよ」


「その間に死んだら?」


「え、それはそれじゃない? もともと莉奈は死にたいって言ってたんだから」


 けろっとした態度であっさり莉奈の命綱を手放したリナに、思わず渋面を向けた。

 人魚は自己愛ばかりが強くていけない。

 この辺りの言語化ができているかは怪しいが、大方、「自分に似た存在を殺すのは忍びないが、自分の手以外で死んだ場合は自然の摂理」とでも思っているのだろう。


 だが、このドライさが妙に小気味よくて、怒気も悲しみも吹っ飛んでしまった。


「他の人魚いたら? どうすんの? 私のこと」


 そう意地悪に尋ねながらも、莉奈の心は動いていた。

 海水に半身をつけているらしいリナが、尾びれでちゃぷちゃぷ海水を弄ぶ。


「どうするって言われてもなぁ、人魚語よく分かんないしな」


 恥じらうように頭を掻くその姿はあまりに人間臭くて、莉奈はその日二度目の大笑いをした。

 笑う端から、涙がぽとり、零れ落ちる。

 どうしようもなく、この世にわたしは、たった一人だ。


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