貴方に届ける恋心(検閲済み)

ゼン

1

 この世界は一つのAIによって管理されている。

 悪感情検出規制AI『エウゼーン』。

 2045年に開発されたこのAIはインターネットからあらゆるセンシティブな発言を文字化けさせ、規制した。

 人種差別、男女不平等、攻撃的な発言から被虐的な発言まで。人々はあらゆる有害なコンテンツをインターネット上で見る事ができなくなった。

 人類はクリーンなインターネットを手にしたのだ。

 日々聞こえてくる不快なノイズに頭を悩ませる事はもうない。


 だが、それを不満に思う人物もいる。

 高山唯もエウゼーン反対派の一人だった。

 「昨日本郷様のツイートに好きって返信したら文字化けされた~」

 唯は机にだらしなくもたれながら愚痴る。

 因みに本郷様というのは今人気のアイドルの愛称だ。唯の推しでもある。

 「あーそれはしょうがない、センシティブだから」

 そう返すのは幼馴染の和人。小さな頃から仲良しで、ずっと同じクラスの上高校も一緒という腐れ縁だ。

 「でもさー!好きっていうくらい良くない?貴方の事を応援してます頑張ってくださいってファンなら伝えたいじゃん。」

 「まぁそれはわかるけど。その好きがファンとしての好きか、一人の女性としての好きかはわからないから。エウゼーンに引っかかるのもしょうがない」

 「わかってるけどさぁ……」

 エウゼーンは実施当初こそエンジニアに操作されていたものの、すぐに自立して活動を始めた。最初は死ね、殺すといった直接的な言葉を、そして徐々にスラング等から来る差別用語などにも対応した。今では爆弾といった危険なものを指し示す言葉や、好きという好意を伝える言葉も規制されている。

 初めは危険視する者もいた。だがエウゼーンが齎す秩序はネット社会に根付き、ついには人の価値観まで塗り替えてしまった。今ではエウゼーンの稼働に異を唱える者はいない。

 それが作り出す秩序こそ、人類にとって最適化された環境なのだから。

 「でもさぁ。それってなんか違うんだよなぁ……」

 だが唯は言いようのない違和感を感じていた。エウゼーンが何故こんなことをしているのかは理解できる。自分が規制されたのも、そういった発言を発端にした事件が昔あったからだろう。人は言葉にすると変わる。言霊という言葉があるように口にし続けると本当になってしまう事は実際あるのだ。死ねと言い続けたら傷ついて本当に死んでしまうかも知れないし、好きと言い続けたら本当に好きになるのかも知れない。

 だがここ数年のエウゼーンはやりすぎなのではないか、と唯は常々思っていた。

 人と人のやり取りは関係性によって変わると思うのだ。

 他人と友人とでコミュニケーションの取り方は違ってくる。他人にはこちらの知らないパーソナルスペースがあって、そこを踏み越えないようにしなければいけない。

 だが、その距離感を測り合うのがコミュニケーションだろう。徐々に徐々に距離を縮めて、お互い遠慮がなくなって、居心地の良い雰囲気を作り合えるのが友達なんじゃないか。

 少しも踏み込むことは許されなくて、他人に触れることも許されないのなら。私の中にある色んな気持ちはどうしたらいいのか。

 唯はちらりと和人の顔を見る。

 椅子に座っている自分と比べて、立っている和人は随分と目線が高い。ふと、大きくなったなぁなんて親戚のおじさんみたいなことを思った。昔は自分の方が背が高かったのに今では体の大きさも走る速さも和人の方がずっと上だ。

 「それに比べて私は……」

 体の成長は中学二年生の時に止まってしまった。別に背が低いことは自体は嫌じゃないけど和人と同じ目線じゃないのは嫌だ。小さいころからずっと一緒だったのに体も考え方も和人がずっと先にいってしまった。

 「どうした唯」

 和人が心配した顔で覗き込んでくる。大事な幼馴染にあまり心配をかけてはいけない。考え事は家でしようと考え、唯は帰宅の準備をした。


――――――――――――――*


 高校からの帰路を唯と和人は2人で歩く。少し遅い時間のせいか人通りは少ない。道端のポスターが2人を見つめる以外には、沈みゆく太陽が道のりを淡く照らしているだけだ。

 特別お喋りが盛り上がっている訳ではないが不愉快な沈黙はない。お互いを知り信頼し合っているからこその心地よかった距離感がそこにはあった。

 小さな沈黙が生まれては消え生まれては消え、話題が盛り上がってはまた鎮まる。その繰り返しがしばらく続いた後、和人がゆっくりと喋り始めた。

 「…唯はさ」

 「うん?」

 「なんでそんな色んな人に好きって言うんだ?」

 「え……」

 改めて考えるとなんでだろうと唯は思った。

 アイドルや俳優の事は好きだ。だが恋愛的に好きな訳ではない。ただ彼ら彼女達に対する応援したい良いと思うという気持ちを形容する言葉をそれ以外に知らないだけだ。

 「和人は応援したいアイドルとかいないの?」

 「うーん、別にいないな……。特にアイドル系の番組を見る訳じゃないし、ドラマとかアニメも熱中した事はないし」

 「そっか。じゃあなんて言えばいいかな……」

 和人に好きなタレントでもいれば話は早かったのだが。

 「……勿論恋愛感情はないよ。でも頑張ってる姿とか心に響く曲とかを聞いてると頑張れ〜!って気持ちになる。病気とかせずに、頑張ってる分評価されて報われて欲しいし、幸せに生きて欲しい。そういう気持ちを一言で表すと『好き』じゃない?」

 和人は腕を組んで考え込む。

 現代に於いてアイドルを応援する事自体は珍しくもない。しかし唯のように『好き』を素直に伝えるのは少々品のない行為と見られる。

 和人はうんうんと一頻り唸ると唯の顔を見つめた。

 「正直言うと、唯の言ってる事を全部理解できるとは言えない。けど唯が『好きだ』って言ってるのを今まで見てきたから。まぁ信用はしてるし、何より慣れたよね」

 「……どういう意味」

 「そのままの意味」

 ぱちっと和人はウインクをする。キザな行動だが絵になる。惚れた弱みだ。

 ともかく和人に嫌がられていなくて良かったと唯は安堵した。和人はその様子を満足したように眺めている。

 とことことこ。足音が一定のテンポを刻む。やっぱり和人と過ごす時間が好きだ。唯はそう再認識した。

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