第3話 紫苑

「いや〜、本当ありがとうね。助かったよ」


男が礼を言う。


「いえ、逆に僕の方が助けてもらいましたし、こちらこそありがとうございました」


カルーナは男をなんとか一時間近くかけて助けたが、そのあと今度はカルが足を滑らせ顔から沼に入ってしまい逆に助けられた。


助けようとしたのに助けられるなど、とんだ笑い話だ。


まともに人助けもできない自分が急に恥ずかしくなる。


カルーナが下を向いていると男が「とりあえず、体洗わない?」と声をかける。


「あ、はい、そうですね。あっちに川がありますので、そこで洗いましょう」


カルーナは川がある方角を指差す。


「近い?」


「歩いて十分くらいです」


「結構近いね。それくらいなら我慢できるか」


カルーナも男も沼のせいで全身泥だらけでびしょびしょ。


服が肌に張り付いていて気持ち悪い。


靴の中は歩くたび変な音がなるし最悪。


「…ん?どうかした?俺の顔になんかついてる?」


「あ、いえ、なんでもないです」


カルーナは男の容姿があまりにも美しくて見惚れた。


さっきまで暗いところにいたので顔は見えなかが、今ははっきりとみえる。


気を抜いたら鼻血が出そうになる。


カルーナの人生でこれほど顔が整っている人をみたことがない。


「あ〜、もしかしてこの髪珍しい?」


男はカルーナが自分を見ていたのを髪の色のせいだと思い尋ねる。


男の髪の色は真っ白。


確かに珍しい。


人間、妖、鬼、エルフ、魔族、あらゆる種族が存在するが、真っ白な髪をしている者はごく稀で百年に一人産まれるか産まれないかの確率だと言われている。


「はい、初めて見ました」


髪だけを見ていたわけではないが、見ていなかったわけではないので男の勘違いに乗っかることにした。


顔があまりにも美しいから見ていたとは口が裂けても言えない。


いや、恥ずかしくて言いたくなかった。


「だよね〜。俺も自分以外で真っ白な髪の色してるのみたことないんだよね〜」


つい見ちゃうよね〜、珍しくてさ、と男がにこやかに言う。


真っ白な髪色のせいで人に見られるのは慣れているのか、大して気にしていないようだ。


「(髪の色だけじゃないと思うけど)」


カルーナは男の顔立ちが良いせいでもあると思ったが、わざわざ言う必要もないと思い口を噤む。


それに本人が気づいていないはずもない。


「すみません。ジロジロとみてしまい、嫌な気持ちにさせてしまいました」


カルーナが謝ると男は一瞬何を言われたのか理解できずきょとんとするが、直ぐに理解し大声で笑い出す。


「…….あの、僕何かおかしなこと言いましたか?」


男が何故笑っているのかわからず尋ねる。


「言ったよ。だから笑ってるんだよ」


相当面白かったのか男の目から涙が零れ落ちた。


「はぁ、そうですか」


カルーナ自身にはそんなに面白いことを言った覚えはない。


それでも目の前の男は未だに笑っている。


どうしたのものか悩んでいると男が「はー、死ぬかと思った」と言う。


ようやく笑いがおさまったようだ。


「ねぇ、君名前なんて言うの?」


さっきまでのふざけた様子から一変して聞いてくる。


「普通名前を聞くときは自分から言いませんか?まぁ、いいですけど。カルーナ・クレマチスです」


綺麗な人だけど変な人だ。


怪しいけど怪しくない、掴みどころのない人。


それが男の印象だった。


そう思ったから本名を教えた。


もし少しでも嫌な感じがしたら、嘘の名を名乗ったていた。


「珍しい名だね。特に姓の方」


男はカルーナの名が両方とも花の名だと直ぐに気づいた。


姓は基本貴族しかもたない。


カルーナはどうみても貴族には見えない。


服を見ただけでもすぐにわかる。


平民の中でも下の方だ。


それに姓は一族を表すもの。


どんな歴史や意味があるのか想像もつかない。


昔は貴族で落ちぶれたのか?


いや、それでもカルーナからは貴族特有の品の良さを何一つ感じない。


偽名か?と疑うも、カルーナの目を見て本名なのは間違いないと確信する。


なら何故性の名が?と、底なし沼にハマったみたいにどんどん抜け出せなくなり余計に混乱する。


「僕の姓はある人がつけてくれたんです」


カルーナは名をつけてもらったときのことを思い出し顔が綻ぶ。


尊敬する人から「君は将来この花の名のように素晴らしい人になるだろう。期待している」そう言われたのを思い出す。


「そう。その人はきっと素晴らしい人なんだろうね」


男は納得した。


何故カルーナのような人間に姓があるのか。


そしてカルーナに姓を与えた者はこれからそうなって欲しいという期待を込めて名付けたのだと。


底なし沼からさっきは物理的に、今は精神的に抜け出せホッとする。


「はい!僕が出会った人の中で一番です!」


つい興奮して男につめよる。


あまりの近さに男は驚いて後ずさる。


カルは直ぐに「すみません」と謝り距離をとる。


「気にしてないよ。ちょっと驚いたけど。じゃあ、次は俺の番だね」


男はコホンと小芝居がかかった動きをする。


「俺は紫苑。ただの紫苑だよ」


太陽の光、風で靡く髪、儚い笑み。


全て計算しているのかと疑うくらい完璧な美しさだった。


この笑み一つで国一つ崩壊させることくらい簡単にできる。


カルーナはそんな紫苑の笑みを美しいと思うと同時に怖いと感じた。


「シオンさんですか?」


「紫苑でいいよ?君のことはカルちゃんでいい?」


「カルちゃん!?」


ちゃん、とは蘇芳(すおう)の国の人間が女の子を呼ぶときに名の後につけると聞いたことがある。


カルは自分が紫苑からは女の子に見えているのかと、ショックを隠せなかった。


カルは今年で十九歳。


町の男達に比べれば背も低く細く頼りないが、それでも女に間違われるのはなんとも言えない屈辱だった。


「あれ?もしかして気に入らない?」


カルの反応が微妙でそう尋ねる。


「あー、その……ちゃんは女の子に使うのではないのですか、だから、その……」


紫苑の目に見つめられ嫌な理由をそれとなく伝える。


その一言でカルの言いたいことがわかり「そう言うことね〜」と納得する。


「そんなことないよ。現に俺は今男の君にも使ったし、結構男にもちゃんづけする人いるよ」


嘘ではないが、紫苑の周りではいないが国中を探せば後十人くらいは見つかるかもしれない。


それより、ちゃんの意味を知っていることに驚いた。


見た目からは想像できないが物知りなのか。


「そうなんですか?それは初めて知りました」


目をこれでもかというくらい見開く。


「そうそう、だからカルちゃんが女に見えたからちゃんづけにした訳じゃないよ。癖みたいなもんだよ。男でも女でも関係なく俺はちゃんづけするよ」


「そうだったんですか」


「うん。だからカルちゃんって呼んでもいい?」


「はい」


女の子に見えたからカルちゃんと呼んだ訳ではないとわかりその呼び方を了承する。


「俺のことも好きに呼んでいいよ〜」


「じゃあ、シオンさんと呼びます」


紫苑の方が年上なのは明らかだし、それにどこか近寄りがたい雰囲気がある。


さん付けをしといた方が仲良くなる心配はないだろうと思いそう呼ぶことにした。


「まぁ好きに呼んでいいって言ったし、さん付けでもいっか」


呼び捨てでいいと言ったが目の前の男は頑固なのかさん付けでまた自分の名を呼ぶので諦めて好きにさせることにした。

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