寿命のドナー登録。

曲輪ヨウ

序章 命は軽い


命というものは非常に軽いものだ。

人は簡単に死ぬ。

病気、怪我、事故。災害、他殺、自らの意志での死。

近頃は特に死が軽く扱われている。

インターネットのせいだと言う人や、最近の若者のせいだと言う人。

どれが正解かなんてことは分からないし、別に分かりたいとは思わない。


俺みたいな人間が死んだところで、この世界は変わらない。

きっと、似たようなことを言って自身の死を正当化しようとする人間は俺だけじゃないはずだ。

そしてそのまま、本当に世界は変わらぬままで一人の人間が死ぬ。

地元の新聞に少し載る程度。誰も気には止めない。


「本当に死にたいって思ってる?」


そんな言葉に振り向いて、何も言わずに涙を流した。


「もうちょっと、生きることについて考えてから死んでもいいんじゃないの?」

「そんなこと、もう充分知ってます。ほっといてください。貴方には関係ないことですから」


たかが十数年生きただけの人間が、生きることについてもう充分に知っているだなんて、笑われて終わりだ。

最近の若者は深く考えすぎだと怒られるだけだ。どうせまた......


「知ってるだけか?」

「?」

「“知る”ってすごく曖昧な言葉だよな。それでいて便利な言葉だ」

「どういう意味ですか?」

「んー?そのままの意味だよ。若人特有の難しい言葉遊びじゃない」


女性の中では低い分類に入る、落ち着いた雰囲気の静かな声。

少し声が枯れているように感じるのは、お酒のせいだろうか?

左手にワンカップ酒、右手には煙草。

服はよれよれになったシャツと丈の短いジャージ。

くたびれたスニーカー。靴下は履かずに、スニーカーの踵を踏んでいる。


まるで駄目な大人の模範解答のような女の人だ。


「少年、医者って知ってるか?」


お酒をあおりながら、こちらに問いかける。


「馬鹿にしてるんですか?」

「いや別に。じゃあ、医者の仕事は知ってるか?」

「病気や怪我を治すこと...です」


そう言うと、女性は笑い出した。

酔っているのもあるのか、少しの息切れを起こしながら大笑いしている。


「何がそんなにおかしいんですか?」

「いやぁ、至極真っ当な.......馬鹿の一つ覚えみたいな返答だなぁと」


なんで俺はこんな人の声で立ち止まったんだろうと呆れた。


「もう一個だけ質問。少年、君は人の病気や怪我を治したことはあるか?」


急に真面目な顔つきになって、こちらを見下すように見つめる。


「ありません」

「ほら、知ってるって便利な言葉だろ?経験していなくとも、知ってると言えばあたかも経験したような口振りになる」


嗚呼、面倒な人に声をかけられた。

早く死ななきゃいけないのに。また怒られる。


「死にたいなら死ねばいい。でもここは“寿命のドナー登録”なんて、ふざけたことをしてる病院が近くにある。もし自殺に失敗したら......」


木の枝にくくりつけた紐。スマホで首吊りと検索したら、それ用の紐の作り方が出てくる。死を助長されている気分だった。


「失敗してあの病院に運び込まれたら、ドナー登録をするつもりです」

「そりゃなんでまた?」

「死んだら保険金が出ますから。死ねなくてもドナーになってすぐに死ねばいい」


そうすれば、皆喜んでくれる。


「簡単にドナーだなんて言うけど、君にその覚悟はあるのい?」

「ありますよ。僕がドナーになれば妹は死なずに済みます。保険金も入りますから、それで借金も返済できます..........こんなにも素晴らしいことはないでしょう?」


ねえ?と付け足す。話しているうちに、無意識に笑っていた。

嬉しいから。家族の役に立てるから。妹もまだ生きられるから。


「なんだ。ただの現実逃避がしたいだけの臆病者か......安心したよ」


全てを理解したような顔をして、こちらを見下す。

さっきまでのどこか優しい雰囲気は消えていて、母さんが怒っているときみたいだなんて思う。


「ただ言われるがままに生きてきた奴が甘えんな。死にたいなんて、自分で考えて生きて苦しんで、苦しんで.......息すら吸うことが怖くなってからにしろ」

「どういう意味ですか?」


意味が分からず、問うとやっぱりと笑いながら女性は返事をする。


「せめてあと十年は自分で考えて生きてみな。知ってるを死ぬ理由にするには、まだまだ時間が必要だ」


ずっと人を見下して話す女性。

さっきまでは少し怖いと感じていたけれど、今はそう感じなかった。

他の人達と同じ、死にたいと言うことを否定してくる人なのに。

なんでこの人は優しそうだと思うんだろう。


「私は立花たちばなしのぶ。そこのたちばなクリニックの医院長だ。うちは自殺志願者だのそういうのが、うじゃうじゃ来る。だからそいつらを見て考えろ」



「お前の生きる意味と死ぬ意味を........」

「急にどうした、椿井つばい?」


偲さんと出会った頃のことを思い出していた。

少しだけ。ほんの少しだけ、昔の話。

偲さんに言ったらきっと、そんなのは最近のことだと片付けられる話。


「なんでもありません」

「噓つけ。お前がそう言うときは大抵、怒ってるときだ」


そう言って、何故か数歩下がる偲さん。


「そうですね。偲さんがまた服を脱いでそのままにしてましたから」

「ごめん」

「あと、昨日も夜遅くまでお酒を飲んでました」

「ごめんなさい」

「それと最近、煙草の回数が増えました。一日三箱でも駄目なのに、最近は四箱になってきてます」

「ごめん。これは無理だ」


善処できないと言い、譲らない偲さん。

これは強硬手段に出るしかないか。


「じゃあ、禁煙外来に行きましょう」

「やだ!!あそこの医者は人の心がない!!」

「では、自分でどうにかコントロールしてください」


やだやだと駄々をこねている。

最近考えて分かったことは、この人はかなり子供っぽい。

最初の印象とは想像できないくらい、かっこ悪い。


『あと80年以上もある人生をどう生きるか、それとも誰かに渡すか。最終決定権は誰が何と言おうと君にある』


自分で考えて生きることをあの日、偲さんと約束した。

考えても答えが変わらなかったら死ねばいい。


「偲さん、俺はまだまだ死ねそうにありません」

「そりゃあまだまだ寿命があるからね」

「そういう意味じゃありません」


不思議そうな顔をしてこちらを覗き込む。

本当に分かっていないようだ。


「偲さんは俺がいなかったら、完全に駄目な人になるからです」

「失礼だなぁ...」


事実でしょうと付け加え、部屋を見渡す。

俺が来たばかりの頃はゴミ屋敷と言っても過言ではない状況だった。

二階建ての病院。ちゃんと病院としての機能を果たしているのは、一階だけで二階は住居スペースになっている。

だからなのか、一階は非常に清潔で常に片付いているし、毎日掃除している。

一方で二階は足の踏み場すら無かった。

ベッドもソファーも物で埋もれていて、どこで寝ているのかと問えば、一畳の広さがあるかないかの僅かに空いた床を指差された。


「ま、椿井がいてくれた方が助かるのは本当だけどさ」

「.......俺、高校卒業したらここで正式に働きます」

「残念。うちは高卒は雇わないよ」


そういえば以前、最低でも准看の資格を持ってる人じゃないと雇う気はないって言ってたっけ。


「じゃあ、高校卒業して専門学校も卒業したら雇ってくださいね」

「頑固だなぁ。全く......」


流石の偲さんでも、もう返す言葉は見つからないようだった。

まだ先のこととはいえ、ちゃんと勉強しなきゃいけないな。




『そのときまで私が生きていたら.......ね?』

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