他人のために自分が犠牲になるなんて馬鹿げているって幼馴染に言ったら憎まれた

マノイ

本編

「|茉奈(まな)ちゃんありがとう、助かったよ」

「どういたしまして」

「でもごめんね、用事があったんじゃない?」

「大丈夫だから気にしないで」


 |佐々木(ささき) 茉奈が帰宅しようと思った時、クラスメイトの友人にちょっとしたお手伝いを頼まれたので喜んで引き受けた。

 父子家庭の茉奈は高校生になってから料理を担当するようになり、学校帰りにスーパーに立ち寄って安売り食材を購入するのが恒例となっていたが、手伝いで遅くなったため今からだともうお目当ての商品は売り切れてしまっているだろう。

 だからといって彼女は手伝いを選んだことを決して後悔することは無い。彼女にとって誰かのために行動することは当たり前のことだから。


「(う~ん、じゃあメニューを変更して……)」


 友人と廊下を歩き教室に戻りながら脳内で夕食のメニューを考え直す茉奈。すると、会いたくもない人物が向こうからやってきた。


「チッ」


 その男子学生は茉奈と友人を一瞥すると不機嫌そうな顔を隠そうともせずに舌打ちしてすれ違おうとする。

 その露骨なまでの嫌悪感を、茉奈はスルー出来なかった。


「文句があるならはっきり言いなさいよ!」


 両手を腰に当てて、般若のような形相で茉奈は相手を睨みつけた。

 献立を考えていた時の、のほほんとした穏やかな姿からは想像出来ない程の豹変ぶりだった。


「言わなくたって分かっているだろうが、正義のミカタさん」

「馬鹿にして!」

「ああ、馬鹿にしてるぜ。他人のために自分を犠牲にするなんて馬鹿げているからな」


 男子学生は再度チラりと茉奈の友人を見た。

 彼は茉奈が毎日帰りにスーパーで買い物をしていることを知っていて、茉奈の友人がヘルプを求めたことでその予定が狂ったことに気が付いていた。


「犠牲になんてなってない!」

「ハイハイ、そうですかそうですか。そういえば今日は卵の特売日だったっけ。残ってると良いな」

「ぐっ……」


 犠牲という言葉はあまりにも大げさかもしれない。

 だが、茉奈が友人の助けに答えたことで自分の都合を変えてしまったことは事実であり言い返せない。


「マジで馬鹿馬鹿しい。正義のミカタ気取りしたって救われないだろうに」

「そんなことない!」


 茉奈の都合は悪くなってしまったが、少なくとも友人を手助けして力になることが出来た。

 だが彼が言いたいことはそうではない。


「自己犠牲ばんざーい。救いようのない馬鹿だな」


 救われないのは茉奈本人の事だ。

 自分が不利益を被ってまで誰かを助けることは絶対に間違っている。


 それが彼の主張だった。


「それでも私は困っている人を絶対に見捨てない!」

「ふん、くっだらねぇ」


 何度口論しても茉奈が意見を変えないのはいつものこと。

 彼はこれ以上は無駄な時間だとでも言いたげな顔をして、心底不機嫌そうに茉奈に侮蔑の視線を投げかけながらその場を去った。


 今回の茉奈の友人を手助けするという行動は傍から見れば極ありふれた行為であり、自己犠牲だなんて大げさに思う人は殆ど居ないだろう。

 だが彼らはこの口論を通して全く別のものを見ていた。


 命を懸ける程の自己犠牲を。


「茉奈ちゃんごめんね。私のせいで困らせちゃって」

「|亜里沙(ありさ)は悪くないよ。悪いのはあいつだから」

「でも……」


 茉奈は自分の事を心配そうに見つめる友人の視線に気が付き、冷静でないことを自覚した。顔を真っ赤にして血が出るのではないかと思える程に強く拳を握っていたが、その激しい情動が徐々に収まってゆく。


「ふぅ、心配かけちゃったね」

「あはは、いつものことだから」

「はぁあ、どうしていつもムキになっちゃうのかな」

「茉奈ちゃんが良い人だからじゃない」

「ありがと」

 

 今考えるべきなのは先程の不愉快な男子のことでは無く夕飯の献立なのだと思い直し、茉奈の顔は笑顔に戻った。


――――――――


「めんどくせぇ」


 先程茉奈と口論をしていた男子学生、|濱岡(はまおか) |慧祐(けいすけ)は通学鞄片手に不機嫌そうに帰宅していた。


「でも後二年ちょっとの辛抱か」


 犬猿の仲である幼馴染の茉奈とは何の因果か同じ高校に進学し、しかも同じクラスに配属されてしまった。当然、毎日のように口論し続けることになり常に疲労感で一杯だ。


 だがそれはどれだけ長くても高校を卒業するまでの間に限られる話。大学へ進学すれば流石に会うことは無くなるだろう。


「たった二年だ。もう半分も過ぎているんだからあっという間だろ」


 茉奈と険悪な関係になったあの日から、もう四年以上が経過している。それまでずっと耐え忍んできたのだからと、暗く沈んだ気持ちを奮い立たせる。


「そういやあいつ、告白されたって言ってたな」


 茉奈が友人とそんな話をしているのを偶然聞いてしまった。


「どうせあいつのことだから、自分の都合で断ったんだろうな」


 相手はバスケ部の次期エースと名高いイケメン男子。さわやか系男子で性格も悪くないらしい。

 多くの女子達が喉から手が出るほど彼氏にしたい相手。だがそんな相手からの告白を茉奈は簡単に断ってしまった。


『ごめんなさい。今は恋愛する気は無いの』


 慧祐には茉奈が断る様子がありありと想像出来た。


「どうせ家庭のことで頭が一杯で相手の事を考える余裕が無いからなんて考えてるんだろうな。こんなにも大きな幸せを逃すとかやっぱり馬鹿だろ」


 茉奈の自分の幸せを望まない姿勢が、慧祐をこの上なく苛立たせる原因の一つであった。


「まさか可愛いからいつでも彼氏が出来るなんて思ってないだろうな」


 イケメンに見初められる程度の美貌を茉奈は持っていた。

 慧祐に対しては苛烈で鬼のような形相になるが、普段は穏やかで優しくて可愛らしい小さなおさげが似合う女の子だ。

 特に笑顔が可愛いと良く男子達から噂されているのを耳にする。


「はぁ~止め止め、気分転換にゲーセンでも寄ってくか」


 茉奈の事を考えると気分が悪くなるので考えるのを止めたかった慧祐は、ゾンビ共を撃ち殺して少しだけ気分をスッキリさせて今度こそ家路に向かった。


「げっ」


 しかし途中でゲームセンターに立ち寄り時間をかけてしまったがゆえに、会いたくもない人物と再会することになってしまった。


「手伝ってくれてありがとう」

「ううん、迷惑をかけたのは私だから」

「だ~か~ら~亜里沙は悪く無いって何度も言ってるでしょ」

「あはは、そうだったね」

「もう」


 スーパーで買い物を終えた茉奈が慧祐の少し前の交差点で左からやってきたのだ。


「ここまでで良いよ。それじゃあまた明日ね」

「うん、バイバイ」


 茉奈は友人と別れて慧祐の進行方向と同じ方向に向かって歩き出した。後ろにいる慧祐のことは気付いていない様子だ。


「めんどくせぇ」


 このまま茉奈の後ろを歩いていて気づかれたら何を言われるか分かったものではない。慧祐は仕方なく遠回りをして帰ろうと、交差点を曲がろうとした。


 その直前。




 ぐらり、と地面が揺れた。

 びゅう、と突風が吹いた。

 ガラン、と何かが鳴った。




 慧祐は音の出所が気になり、ふと周囲を見渡した。


「!?」


 その原因は上方向にあった。


 建設途中の建物の上、不安定な足場の上に置かれた鉄骨が傾いて通路側に落ちようとしていたのだ。


 少し大きな地震と突風、そして作業員のミスによる鉄骨の固定の甘さがもたらした悲劇。

 万が一以上にあり得ないミスが偶然起きてしまった。それでも通常であれば事故には至らなかったレベルでは固定されていた。しかし地震と突風の合わせ技が同時に襲ってくるというあまりにも不幸な偶然の重なりにより悲劇が起こってしまったのだ。


 鉄骨の落下地点には茉奈がいた。


「危ない!」


 声をあげながら慧祐は走り出していた。

 持っていた鞄を投げ捨て、全力で茉奈に向かって足を動かす。


「え?」


 地震でよろめていた茉奈が、慧祐の声に気付いてゆっくりと振り返る。

 必死な形相で自分に近寄る慧祐を見て驚愕で体が固まる。


「(間に合ええええ!)」


 必死で手を伸ばす。


 憎らしいはずの幼馴染を救うために。

 ほんの僅かな逡巡すら無く駆けた。


 そしてその手は確かに触れた。


 ふくよかで柔らかな胸元を強く押し、茉奈はよろめきながらも大きく後退した。


 だが全力で押し出すことのみに注力していたからか、慧祐は足をもつれさせてその場に倒れてしまう。




 その瞬間、無情にも辺りに爆音が鳴り響いた。




 あまりの激痛で意識が遠のく最中、慧祐の耳に悲鳴が飛び込んだ。

 それはこれまで何度も耳にして聞き慣れた人物の声だった。


「(なんで……)」


 きっと反射的に悲鳴をあげてしまっただけなのだろう。

 巻き込まれたのが慧祐だと分かれば茉奈は喜ぶはずだ。

 殺したいほどに憎んでいるはずの相手が死んだのだから。


 だからこれで良いんだ。

 などとは到底思えなかった。


「(俺は馬鹿だな)」


 例え茉奈が慧祐の事を憎んでいたとしても、この死に方だけは絶対にダメだった。

 茉奈を救って命を落とすなど、最も茉奈を傷つける方法だった。




 せっかく茉奈が母親の死を乗り越えたのに、そのトラウマが蘇ってしまう。




「(ほんと……他人の……犠牲……馬鹿げ……る)」


 その後悔を最後に、慧祐の意識は完全に闇に落ちた。


――――――――


 茉奈と慧祐が小学五年生の時だった。


 学校で授業を受けていた茉奈が先生に呼ばれてそのまま早退。その日の晩、慧祐は両親から茉奈の母親が事故で亡くなったことを知らされた。

 慧祐は茉奈の母親から可愛がられており大きなショックを受けたが、それ以上に衝撃だったのは葬式の時に見た茉奈の姿だった。


『…………』


 幼いころから笑顔が可愛いと評判だった茉奈の表情は絶望に染められ生気を感じられなくなっていた。今にも後を追って母親の元へと向かいそうな死臭が漂っており、親戚連中が彼女を決して一人にはしないようにと見張っていた。


 幸いにもそれは杞憂であり茉奈が自死を選ぶことは無かったけれど、葬式が終わった以降も彼女の表情は元には戻らなかった。


 彼女を慰めるべき父親も愛する者を唐突に失ったことによるショックからまだ立ち直れていない。


 慧祐はどうにかして茉奈の心を救いたかった。

 以前のような笑顔がまた見たかった。

 笑顔で無くても良いから生きる気力を取り戻して欲しかった。


 しかしまだ幼い慧祐は何をどうすれば茉奈が心を取り戻せるのか分からなかった。


 そんなある日、好んで読んでいた少年漫画に今の状況と似たシーンが登場したのだ。両親を失い心を閉ざした少年に、大人がある言葉を投げかけて奮起を促すシーン。


『これだ!』


 慧祐は天啓を得たかのような感覚を抱き、早速漫画の中と同じことを実践した。




『なぁ茉奈。他人のために自分が犠牲になるなんて馬鹿げているよな』




 これが劇的に効いた。


 何故ならば茉奈の母親は暴走車から幼い子供を守ろうとして亡くなってしまったのだから。


 暴走車の運転手も亡くなってしまったことで憎むことすら出来ずにただ悲しみに打ちひしがれるだけの毎日だった茉奈に、別の憎しみの芽を植え付けることで感情を激しく揺さぶったのだ。


『それがどのような感情であっても、強い想いであるならば生きる糧となるものだ』


 漫画の中のその人物がこう告げていたように、茉奈は慧祐に対して激しい憎悪の念を抱き感情がむき出しになった。命をかけて子供を守った母親の行動を侮辱されたのだから当然だろう。


 茉奈もまだ子供であり自制が効かなかったことから、ありのままの激情が慧祐に叩きつけられた。殴り殺されなかったのが不思議なくらいな状況だった。

 

 だが結果としてそれが良い方向に転がってしまった。慧祐を憎むようになった茉奈は感情を取り戻したのだ。


 成長して理性が育まれることで憎しみは胸の中に抑えられるようになり、蘇った感情は憎しみ以外も表に出るようになった。


 だから慧祐はそれからも何度も何度も茉奈を煽り怒らせ感情を揺さぶり続けた。それは一年以上も続き、茉奈はついに笑顔を見せるようになった。


 それを一番望んでいた慧祐にだけは決して向けられなかったが。


『他人のために自分が犠牲になるなんて馬鹿げている』


 これは茉奈の感情を呼び起こすために口にした言葉であるが、自分に向けた言葉でもあった。


 茉奈が日常を取り戻せたのなら、邪魔なのは慧祐だけだ。憎むべき相手が傍に居るなど辛いだろうからと、茉奈とは別の高校に進学するつもりだったのだが彼女の進学先の予想を外してしまった。仕方なく慧祐は大学進学まで我慢することにした。


 後二年と少し。


 それだけ我慢すれば、茉奈はにっくき慧祐と離れ離れになり、完全に元の日常に戻って幸せになる筈だった。イケメン男子から告白される程に可愛い見た目で、頭も性格も良いのだ。きっとこれまでの辛い過去を塗りつぶすくらいの幸せな未来が待っているはずだ。


 そう信じて。


 それなのに慧祐は茉奈の母親と同じことをしてしまった。しかも今回は助けられたのが茉奈本人で目の前で死んでしまった。母親を失った時のトラウマが蘇って再び心が壊れてしまうかもしれない。


 こんな非道なことをするなんて間違いなく地獄行きだろう。




「(なのになんで俺は生きてるんだ?)」


 慧祐は地獄に落ちることは無く、病院で目が覚めた。

 尤も、これから待ち受けていることを考えると現実こそ地獄なのかもしれないが。


――――――――


「(体が動かねぇ)」


 麻酔が効いているのか、全身の感覚がほとんどない。

 目線を下にやると両足だけが固定されていて、他の箇所は見えている範囲では何も異常が無さそうに見える。


「(下敷きになったのは足だけだったってことなのかな)」


 それが何を意味するのか理解した慧祐は生の喜びよりも暗い気持ちの方が先に湧いて出た。今のところ切断はされていないようだけれど、もしかしたら二度と立つことが出来ないかもしれないからだ。

 尤も、鉄骨が降りしきる中で足以外に当たらなかったというのはとてつもない奇跡なのだが。


「(一生車椅子生活かもしれない……か。これも茉奈を傷つけた報いかもな)」


 果たして茉奈は今の慧祐の姿を見てどう思うのだろうか。


 憎い相手であっても生きてて良かったと安堵するのだろうか。

 あれだけ自己犠牲はダメだと言いながらどうして助けたようとしたのかと詰問するだろうか。

 死ねば良かったのにと思う気持ちを胸に仕舞い、普通に感謝を述べるだけだろうか。


 それともすでにトラウマが再発して狂ってしまったのだろうか。


「(めんどくせぇ)」


 茉奈を怒らせ続けるために長い間道化を演じ続けていたことに疲れてしまっていた。このまま目を閉じてもう一度眠りに落ちたら消えてしまわないだろうかと無責任に全てを放り投げたくなるくらいには。


「(もう……いいや……)」


 これまでの全ての行いが無駄になり茉奈が再び壊れてしまったかもしれない。それは疲れ果てた慧祐の心を折るには十分な出来事だった。


 今はただ全てを忘れてこのまま寝てしまおう。

 この先のことは起きてから考えれば良いや。


 そう投げやりな気持ちで慧祐は目を閉じた。


 しかし現実は慧祐をそっとしておいてはくれなかった。


 それは慧祐の意識が正常に覚醒し、医者や家族と普通に会話が出来るようになった頃のこと。


「けい……ちゃん?」


 一瞬、幻聴かと思った。


 なぜならそれは、慧祐と茉奈がまだ仲が良かった頃に彼女から呼ばれていた言葉だったから。今はもう絶対に呼ばれることがないはずなのに、耳に飛び込んで来た。


 病室の入り口を見ると、茉奈が立っていた。


「(ついに来たか……)」


 茉奈がどうなったにしろ、彼女の性格を考えるとお見舞いに来ないとは考えられなかった。まさかお見舞いが解禁された初日に来るとは思わなかったが。


「助けてくれて……ありがとう……」

「っ!」


 彼女が慧祐を見つめる眼差しには、あの頃の澱みと同じようなものが含まれていた。程度は分からないが、ある程度トラウマが発症しているのは間違いない。


「どうして……なの?」


 茉奈はベッドの傍の椅子に座ると、慧祐に不親切な問いを投げかけた。その不親切さに気付いていたのか偶然なのか、彼女はより具体的にその問いを繰り返す。


「どうして助けてくれたの?」


 それは幼い頃の話なのか、あるいは今回の出来事なのか。

 茉奈の視線は怪我をしている足に向けられていた。となると今回の出来事について質問しているのだろう。あれほどまでに敵視していた自分をどうして助けてくれたのか。それこそ慧祐が大嫌いな自己犠牲を払ってまでも助けたその理由を知りたがっている。


「(こいつはまだ気付いていないのか)」


 問いの内容から、慧祐がこれまで茉奈に憎まれようと刺激し続けた理由にまだ気付いていないのだと分かった。分かっていたのなら助けてくれた理由など聞く必要がないからだ。


「(もう疲れた)」


 心が折れかけていた慧祐は、全てを洗いざらい話してしまおうと思った。

 茉奈も高校生だ、真実を受け入れられる程には精神こころが成長しているに違いない。

 なぁに、トラウマなんて近しい人達が優しく見守っていれば乗り越えられるさ。


 そんな都合の良い未来を妄想して、それに縋ろうとしていた。


「(でも……)」


 茉奈の壊れそうな表情を見ていると、どうしてもそれが出来なかった。ここで全てを正直に告白したら取り返しのつかないことになるのではという不安が払拭できない。


「(放って置けるわけがないだろうが)」


 青ざめる茉奈の姿が塞ぎ込んでいた幼い頃の姿と重なった。

 それと同時に当時抱いた想いが蘇って来た。


 大好きな女の子の笑顔を取り戻したい。


 ただそれだけの想いに突き動かされて慧祐はこれまで走り続けていた。それだけが慧祐の望みだった。そのためならば自分がどうなっても構わないという大っ嫌いな自己犠牲を貫き通して来た。例え方法が間違っていたとしても、彼女の笑顔結果を出し続けて来た。


 たかが一回失敗した程度のことで諦められる程、幼いころから抱き続けたこの想いはやわじゃない。


「(ああ、そうだ。俺は決めたじゃないか)」


 俺の言葉への反抗心からか、茉奈は母親の行動が正しいと証明するべく正義のミカタとなった。笑顔で誰かに手を差し伸べる茉奈の姿はとても眩しかった。


 その笑顔が守られるのならば、命だって懸けてやる。


 その決意通りに行動しただけなのに、たかが足を負傷した程度のことで、たかが茉奈のトラウマが再発しそうになった程度のことで、折れている暇なんてないだろう。


「くっくっくっ、はっはっはっ!」

「けい……ちゃん……?」


 突如顔を歪めて笑い出した慧祐の様子を茉奈は怪訝そうに見つめている。


「ばっかじゃねぇの。俺がてめぇなんか助けるわけがないだろうが」

「え?」

「なんだよ『けいちゃん』って。自己犠牲大好きお嬢様はお優しいこって。あれだけ侮辱された相手に良くそんなにフレンドリーに出来るな」

「そんなっ!」


 馬鹿にされたことが分かったのか、茉奈の血色が少し良くなり表情に僅かに怒りを滲ませた。だがその気持ちも助けて貰ったという大恩には敵わないのだろう、激しく反論は出来なかった。


「(よし、まだ俺が嫌いな気持ちは残ってるな)」


 命を助けて貰ったからとはいえ、これまでに積み重ねた憎しみや怒りの気持ちは簡単には消えることは無い。茉奈ならばあるいはコロっと考え方が変わってしまうかもと思わなくは無かったが、ちょっと突いただけで隠し切れない慧祐へのマイナスの感情が垣間見えた。

 これならこれからやることも上手く行きそうだ。


「自分だって犠牲になって私を助けた癖に……」


 不貞腐れたようにか細くそう言う茉奈に、慧祐はきっぱりと反論した。


「誰がてめぇなんて助けるかよ」

「え?」


 自分は決して茉奈を助けてなどいないのだと凶悪な笑みを浮かべて告げる。


「何度も言ってるだろうが。自己犠牲の正義マンなんて大っ嫌いだってな。それこそさっさとこの世から消えて欲しいって思ってるわ」

「な……なに……を……」


 だからあの日のことは茉奈を助けたのではない。


「助けるフリをしてお前を消そう・・・としただけだ。目測を誤ってこのザマだがな。余計なことするんじゃなかったわ」


 むしろ突き飛ばして鉄骨の下敷きにして殺そうとしたのだ。そうあり得ない理由を茉奈にぶつけた。

 いくら嫌いな相手でも殺すだなんてことを普通ならばするはずがない。だがこれまで激しくぶつかり合って来たからこそ、僅かながら可能性があるかもしれないと考えてしまう。

 しかも茉奈は自己犠牲で助けられてしまいトラウマが蘇りかけている。それが自己犠牲で無かったのならばトラウマが抑えられるかもしれないとなれば、精神的な自浄作用によりありもしないことを無理矢理信じてしまう可能性がある。


 慧祐はそれに賭けたのだ。


 再び茉奈が慧祐を激しく憎み、強い感情を生み出させるために。


「あ……あ……ああああああああ!」


 そしてこれまた不幸にも慧祐の狙いは成功してしまった。


 茉奈は激情に駆られて慧祐に手を伸ばした。

 しかし精神が成長して理性が発達していたからか、幼い頃の時とは違いすんでのところでソレは止まった。


「ふっ、甘ちゃんが」

「っ!」


 後押しとばかりに侮辱をすると、茉奈は今度はすさまじいまでの憎悪の目で慧祐を睨む。


「まぁだが安心しな。俺はもうこんなだから何もしねーよ」


 慧祐の狙いは自分を憎ませることだが、殺されようとしたなどと言われたら恐怖心が上回って別のトラウマが植え付けられてしまうかもしれない。この程度のフォローでどうにかなるとは思えないが、今のところは憎しみの方が上回っていて恐れる気配は見られなかった。心の奥底では絶対にあり得ないことだと思っているからなのかもしれないが、慧祐には事の真偽など分かるはずもなく、出来る事と言えばひたすら憎まれるよう行動することだけだ。


「俺が居ないところで正義のミカタごっこでもして悦に浸ってれば良いさ」

「っ!」


 その言葉がトドメとなったのか、茉奈は握りしめた拳を振り下ろすことなく無言のまま逃げるように病室から出て行った。


「ふぅ……」


 これで茉奈との関係は完全に修復出来なくなっただろう。

 殺そうとした相手と復縁するなど絶対にあり得ないからだ。


 それに慧祐は障碍者の支援が充実している別の高校に転校することになりそうで、家族と一緒にその高校が近い場所に引っ越しするという話も出ている。

 つまりもう会うこともなくなるのだ。


「さようなら、茉奈ちゃん」


 せめてもう一度だけでも笑顔を浮かべる茉奈の姿を見たかった。

 湧き上がるその想いを強引に押し殺すかのように慧祐は枕に強く顔を押しつけ、しばらくの間肩を震わせ続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

他人のために自分が犠牲になるなんて馬鹿げているって幼馴染に言ったら憎まれた マノイ @aimon36

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ