三寒幸温

千桐加蓮

第1話 数えるべきものは、信じてくれた人

 黒船来航から数十年が経つ。

 繁華街にある牛鍋屋からは、お客と男の店主の声がしている。

「あれ、想夜そよさんは?」

「すいません、想夜は娘の面倒で疲れ果てていまして。まだ、寝かせています。産まれて一年も経ってませんから」

 注文を受けた店主の男は嬉しそうな困ったような顔をして笑っている。

「なんだい、幸せそうで何よりだぜ、旦那。立派な父ちゃんじゃねいか」

肩をポンポンと叩かれる男。すると、十歳にもなっていない和服姿で真っ直ぐな髪をした少年が顔を覗かせる。

「おお、一作いっさく店主んとこの長男坊」

「こんにちは」

少し生意気そうな顔をしているが、挨拶は忘れないようにと両親に言われているためか、言いつけには従い、小さくお辞儀もした。

「どうだ、このはちゃんは可愛いか?」

おちゃらけたようにお客は言う。

「母ちゃん、このはに付きっきりだから」

少し間を置いて、小さい声で

「なんか腹立つ」

と言い放った。一作はやれやれとため息を吐く。

「長男坊、赤ん坊は母ちゃんがいないと育たないんだぜ」

お客はニコニコしながら言った。

「長男坊、歳はいくつだったか?」

「六歳」

「そりゃ、母ちゃんに甘えたいお年頃だろうが、一作父ちゃんだって我慢してんだろうからさ、今はこのはちゃんに譲ってやれ」

一作は、拳を上げそうになるが、常連のお客であり、多少の冗談ということで拳を収めた。

柊丞しゅうすけは寂しがり屋だなあ」

一作が鼻で息を吐いて、言った。

 すると、一作は少年の頭を片手でくしゃくしゃと撫で回し、少年を持ち上げた。

「少し重くなったな」

「うん!」

嬉しそうな顔をする少年を見て一作も嬉しそうである。

「ちゃんと食べてる証拠だな、母ちゃんに報告しておくからな」

「恥ずかしいからやめてよ、父ちゃん!」

そのやり取りを聞いていたこの店の創立者である十次郎じゅうじろう

「いい嫁さんに巡り会えて良かったな」

と言いながら、三人の元へ近づいて来る。

「柊丞、買い物ついて来てほしいんだけどいいか?」

十次郎が少年の柊丞に目線を合わせるため少し屈む

「うん、一緒に行く」

十次郎は頷き

「店、人足りるか?」

「はい、今の時間は昼時も終わった頃ですし」

「柊丞、準備するから待っててくれ」

と、店の状況を確認した後に買い物の支度をし始め、十次郎は柊丞を連れて買い物に出かけた。


 来月には雪も降り始めるだろうと母ちゃんは言っていた。外は寒いので、厚めの着物と羽織りを羽織って十次郎さんについて行く。

「父ちゃんは、今になっては幸せ者だな」

「今? 昔は違うの?」

そう言えば、父ちゃんから昔の話を聞いたことがない。母ちゃんは恥ずかしいからと、話を逸らすなどの手を使ってくる。

「柊丞の父ちゃんな、母ちゃんと駆け落ちしたんだよ」

「駆け落ち?」

「そうだ、いや、ちょっと違うかもしれないが……。でも、父ちゃんも想夜もお互いを好きになって夫婦になったんだ」

 父ちゃんと母ちゃんの昔の話を聞くのは新鮮である。恥ずかしがってあまり話してくれないから。

「今より、もっともっと貧乏だったんだけどよ」

と、十次郎さんが話してくれたのは僕の知らない父さんの姿であった。


 一作は、村では有名な豪農花井家の息子だった。息子とはいえ、当主の父親と下女との間に生まれた子で、一作が成人する頃には当主であった父親は亡くなり、下女だった母親も病死していた。

 その頃は飢饉になりかけていた頃で、食料難の問題に直面していた。農業をやっていた農家の者は次の年を越すこともできないと頭を抱えている者もいたという。

 そんな中、一作のことを唯一可愛がってくれていた父親が亡くなり、兄弟からはいじめられ、当主になった長男の兄さんからはの扱いは酷かったらしい。


 叛逆はんぎゃくを試みたのか、小さい頃から剣術を学ばせてもらっていたからなのか、剣の腕は立派でな。そこらのゴロツキをズタボロにするような悪ガキになった。

 それからは、兄弟からいじめられることも、長男の当主からも冷たく扱われることもなく、そこそこ良くしてもらったんだがな。

 恨んでもいたし、辛かったんだろう。家に帰らないで、ゴロツキと争ってばかりで、花井家当主の長男は手に負えられず、知り合いだった俺に引き取らないかと話を持ってこられたんだよ。俺はいいとこの息子でもなかったし、一作と似たような境遇で育ってたから、勝手に情が湧いてだな。一回会いにいったんだ。

 死神かと思った。目に光がない漆黒の目をした青年が、道場近くで自分より明らかに歳が上であろう人を斬り殺そうとしてんだ。

 着物はボロボロで、血塗れで。

 俺は止めに入った。周りの人は叫ぶだけ叫んでるだけだった。

「何してんだ! もういいだろ」

そう言うと、一作は振り切ろうとする剣をピタリと止めた。

「死神にでも見えたか?」

へらへらと笑いながらそう言ったのだ。それが、初めて会った時の一作の姿だった。今思えば、あの時には既に壊れかけてたんだろうなって分かるよ。あの歳で修羅場をくぐりすぎてるわけだしな。

 俺は、要件を端的に話した。長話は、あの時のあいつじゃ聞いてもくれないだろうと思ったから。

「今度、繁華街の方で牛鍋屋開こうと思ってるんだ。お前も良かったら来てほしい。雑用係になっちゃまうだろうが、給料はやるから」

謙って言い、一度考えてほしいと言うことと、自分の住んでる場所を言ってその場を去った。

 あいつは、糞食らえって目で去ってく俺を見てたよ。

 それから、ひと月後に俺の家に訪ねてきたよ。女を連れてな。それも、柊丞より三つくらい上だったかな、それくらいの歳の少女だった。

 一作に、その女はどうしたのかと聞いたらな、頭を下げて

「この女と一緒に牛鍋屋で雇って下さい」

って言ったんだよ。俺はびっくりしたぜ。剣ぶん回してた死神がさ、俺の前で頭下げてんだから。

 その少女の名前が想夜。柊丞の母ちゃんだったってわけだ。

 想夜は、行き着く先がない子でな。住んでた家の隣にご近所さんはいたらしいが、こっそりやって来たってさ。

 死神も、想夜も覚悟決めてる顔してたよ。俺はなんか感動っていうか、思わずもらい泣きしちまったんだよ。

 粉雪がちらほらと舞う夜だった。その日のうちに、俺たちは支度をして家を出た。

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