乞食の歌
なすのにくみそ
The Thrill is Gone
音を聞いた。西の方角、山の上から見渡せる平野の先に広がる海、そのまたはるか彼方から、微かに音が聞こえてきた。それは甲高く、倍音を含まない無機質な音であったが、まるで誰かを呼び寄せるように長く響き、次第にフェードアウトしていった。
シーグラムは目を開け、身を起こした。西の空はまだ暗かったが、東の方ではすでに日が入り始めており、西の空を徐々に照らしていった。彼は黄金の鱗に覆われた重い体を起こし、鋭く太い爪が生えた四本の足で立ち上がり、何本もの牙を生やした大きな口をわずかに開け、朝の山の冷たい空気を吸い込んだ。暗く落ち着いた赤色をした瞳は、音がした方向を見つめている。額に埋まった白い結晶は、陽光を受けて輝き出した。だが、表面がいびつに欠けているため、反射した光があたりに散乱した。
そのチカチカした光を受け、傍で寝ていた若い人間の男が起きた。男はあくびをしながら、先ほどまで毛布代わりにしていた深緑色のコートを着た。陽の光が男の銀灰色の髪を照らし出す。
「起こしてしまったか? ルート」シーグラムは男に話しかけた。
「いいや、もう日の出だ。そろそろ起きなきゃいけない頃だ。でも、相変わらずお前のその頭と鱗は眩しいな」と、ルートと呼ばれた男は返した。
「しょうがないだろう。我々ドラゴンは皆、自分の体の色や額の結晶を自由に選べるわけではないのだ」
「そんなこと分かってるっての」ルートは頭を掻きながら、体を動かし始めた。そんな彼に、シーグラムは西の空を見つめ続けながら訊いた。「先ほど音を聞かなかったか?」
「音?」ルートは、相棒のドラゴンが何を言っているのか分からないといった風に返した。
「ああ。ピーという聞いたこともない甲高い音で、生き物の鳴き声などではなさそうだった」
「そんな音してたか?」
「つい先ほどのことだ。あの海の向こうから。微かにだったが……」
「じゃあ、お前の聞き間違いとかじゃないか? 寝ぼけて鳥の鳴き声を聞き間違えたとか」
「そんなものではないと思うがなぁ……」
「それよりも火起こすの手伝え。朝飯だ」ルートとシーグラムの二人は、昨晩使った焚き木に木と新聞紙を加えた。ルートはマッチで火をつけ、シーグラムは火が絶えないように、二十メートル余りはある大きな体で風を遮った。
火が点いたところで、シーグラムは狩りに出かけた。ルートの持っている食料では到底足りないので、山に住む山羊なり熊なりを捕らえに行くのだ。相棒のドラゴンが出かけている間、ルートは冷えたパンを温めて食べ、ブランデーを飲んで温まった。朝食を終えると、彼は新聞を広げた。昨日、街で手に入れたものだ。記事をチェックしていると、腹ごしらえを終えたシーグラムが戻ってきた。
「何か目ぼしい情報でもあったか?」シーグラムが新聞を覗き込んだ。
「この間、小耳に挟んだ情報なんだがな、レイノルズギャングが今夜、列車強盗をしようとしてるらしい」ルートは、新聞にはおよそ書かれていないことを話し出した。
「レイノルズギャング?」
「リメアから渡ってきた無法者集団さ。向こうで居場所が無くなったから、こっちの大陸に渡ってきたんだと」
「よくそんな情報を掴んだな」
「ああいう集団はいつか瓦解する。裏切り者が出てな……」
「しかし、お前のところに情報が流れるということは、官憲も掴んでいるのではないか?」
「大丈夫大丈夫。それはないぜ」ルートは、その筋から仕入れた情報だということを暗に示した。
「それで次の仕事なんだけどよ……」ルートは話しを続けようとした。
「その強盗の横取りだろ。この話しの流れで分からないはずがない」シーグラムがルートの言葉を継いだ。
「その通り。お、そろそろコーヒーが温まってきたな」ルートは、焚き火で暖めていたヤカンを持ち上げ、薄汚れたカップにコーヒーを注いだ。
「お前、また目覚めに酒を飲んだな。そんなんで、この山を降りれるのか?」シーグラムは、昨晩よりも量が減った酒瓶を見つめて言った。
「酒ならすぐ飲めて、すぐに体も温まる。起きてすぐ、コーヒーができてりゃいいんだけどなぁ……。お前はそんなことできないし」
「悪かったな、人間のように手先が器用でなくて。文句ばかり言うのなら、私はいなくなったほうがいいかな?」
「悪かった! 悪かったって! お願いしますよ、シーグラム先生。あなた様がいないと困ることがたくさんあるんです~」意地悪く返したシーグラムに、ルートはおどけたように懇願した。シーグラムは、仕方ないという顔をして、相棒がコーヒーを飲み終わるのを待った。このやり取りも果たして何度目だろうか。
この世界で歴史が語り継がれるようになって約二千年。人間とドラゴンは姿こそ違うが、同じ知能を持ち、同じ言葉を話し、共に文明を作り上げてきた。両者はこの世界の頂点に共に立つ種族だ。ドラゴンはどこででも生きることができ、何でも口にでき、長き時を生きる最強の生命体。人間は、生命力こそドラゴンに劣るが、圧倒的な数と団結力、そして技術力で世界の半分ほどを占有している。
しかし、姿形の違う同程度の知能の持ち主たちがいると必ず争いが起こる。有史以前は、人間が絶滅に追い込まれたこともあったという。しかし、今日まで両者が生きているということは、調和を望む者がいたからに他ならない。
紀元元年――今から千九百と五年前、「星海文書」というものが成立した。人間とドラゴンの平和協定であり不可侵条約だ。この協定が成立した後も紛争は後を絶たなかったが、人間とドラゴンとに対立して争うことは無くなった。「星海」という名前は、ある地に眠る、あるドラゴンの名前に由来しているという。そのドラゴンがこの文書成立に関わっているであろうことは窺えるが、この文書を人間用に書き起こした者の名は伝わっていない。そして、この文書がいつ頃から書き始められ、どのような経緯を経て完成したのかは、現在でも謎だという。そして、この世界の中で重要な存在の一種であるドラゴンは、その姿を徐々に消しつつある。
この世界には四つの大陸がある。その中でも特に大きいのが、今、ルートとシーグラムがいる「エウローサヴァ大陸」。そして二番目に大きな大陸が「リメア大陸」だ。
約五十年前、この二つの大陸間で大きな戦争があった。それ以降、ドラゴンの数は次第に減少している。いや、それ以前からも、この世界の空を飛ぶ影が少なくなっていることに気づいた者はいた。そして、彼らの寿命が昔に比べて短くなっていることも。
ドラゴン学の研究者も、当のドラゴン自身も、その原因を調べたのだが、結局謎のままである。だが、ドラゴンが姿を消すという点において、ある事例が上がっている。
兄弟のドラゴンが共に過ごしていた時、弟の方が突然「行かなければならない」と言い残して姿を消したのだ。弟は兄の目の前で飛び立ったので、兄は当然追いかけた。兄は、どこに行くのか頻りに尋ねたのだが、弟はそれに応えることはなかったという。ただ一心不乱に西の空を見つめ、飛び続けた。兄は途中で体力の限界が来て弟を見失ってしまった。決して兄の体力が無かったわけではない。むしろ弟の方が劣っていたのだが、その時ばかりは、弟は息を乱すことなく飛び続けたという。
他にも似たような事例は報告されている。中には、不思議な音を聞いたと言って去ってしまった者もいるという話しだ。いずれにしろ、彼らが何を聞いたのか、どこへ行ってしまったのか、なぜ世界最強の生命体が姿を消そうとしているのか、誰も知る者はいない。
そんなこともあり、今ではドラゴンの姿を見ることの方が珍しくなってしまった。とはいえ、ここ五十年で減少が加速したので、まだまだドラゴンの姿を知る者、ドラゴンを親しく思う者は多くいる。だが、珍獣の類と同列に扱う者も出てきてはいる。そういう者たちは大抵、狩る対象に軽くあしらわれてしまうのだが。
ルートとシーグラムはおよそ一年前に出会い、その時から共に各地を巡っている。といっても、目的のある旅ではない。ルートは長らく宿無しの生活をしている青年で、食うために小狡い盗みや強請り、詐欺などを働いている小悪党だ。年の頃は二十歳前後だろうと思われるが、正確な年齢は、彼自身も知らない。親族もいないであろうこの浮浪者に、教養あるシーグラムが同行しているのは、単にルートの行うことがおもしろいからということと、この世界のあらゆるものを見て回りたいという知的好奇心によるものだ。その点においてはルートも同じだ。きっと、彼がみなしごでなかったら、民俗学か考古学でもやっていたことだろう。育ちも性格も種族もまったく違う二人だが、変に気が合ったのは、世界への興味という点において似ていたからであろう。
そんな彼らは今、列車強盗の横取りを目論んでいる。
ルートは、コーヒーを飲みながら地図を広げた。今回の仕事をシーグラムに説明した。
「奴らが襲おうとしているのはエルベ鉄道のハンブルグ行き。あれは途中、山間の無人駅に止まるから、そこを襲うだろうぜ」と、ルートは言った。
「奴らが列車に乗り込んだところを割り込む、というのか。しかし、一体何を狙っている。列車強盗の横取りなんぞ聞いたことがないぞ」
「実を言うとな、今回の件は知り合いからの頼み事なんだ。俺の知り合いが、南のチュムンって街の美術館からとある彫刻品を盗んで、その列車に積む。それを俺がこっそり列車の外まで持ち出して然るべき場所へ運ぶってわけだ」
「おいおい、私は無闇な盗みには加担しないと言っているだろ」シーグラムは反論した。
「まあ待て。その彫刻品の元々の持ち主ってのはな、隣国の資産家でな、件の物はその昔、不当に盗まれた物なんだ。元の持ち主に返すだけだし、それにうまくいったら報酬だってあるんだ。いい話しだろ」ニヤリと笑って、ルートはコーヒーを飲み干した。シーグラムは、この都合のいい話しに何と返すべきか迷ったが、今回は何も言わず、ただルートの言うことに従うことにした。
そもそも、彼らはケチな盗みに詐欺、強請りを幾度も行っている。そんな身で善人のようなことは言えないことなど双方理解しており、ルートは何年も前にすでに開き直っているし、正義感の塊のようなシーグラムも、ここ最近はすっかり悪党が板についてきた。
「もう少ししたら出るぞ」とルートは言いながら二杯目のコーヒーを注いで新聞を折りたたんで地面に置いた。その時に一面の見出しがシーグラムの目に入った。「おや、この歌手は……」シーグラムはある記事に目を留めた。ルートもそれを見て言った。
「稀代のコロラトゥーラ、ララ帰国。ああ、ここ最近有名な歌手だろ。リメアに遠征してたのが帰ってきたらしいな。これがどうかしたのか?」
「いやなに、いつか彼女の歌声が聴けたらと思ってな」シーグラムは、ぼうっとした表情でつぶやいた。
「この歌手のこと、知ってるのか?」ルートは訊いた。
「以前、お前が持ってきた雑誌や新聞で何度か目にしたことがある。とても素晴らしい歌手だそうで、今世紀最大のソプラノ歌手だと評されているらしい……」
「確かに、お前好みの美人だな」
「そういうことを言っているのではない。彼女はきっと歴史に残る。そういう音楽はぜひとも生きている内に聴いておかねば」
「お前はいつもそんなこと言うよな。昔は音楽家の友達がいたんだろ。また、そういう繋がりを作ればいいじゃねぇか」
「この時勢では、若い人間と簡単に交流はできない。ドラゴンに慣れている者が少なくなってしまったからな。それに、運良くララと巡り会えるわけでもあるまい。その内、彼女のレコードでも手に入れられたらな……」
「その前に新しい蓄音機が必要だろ。まったく、いくらかかると思ってるんだか。電気が通っている所に住めるわけでもないし」
「そのための金稼ぎだ。私の金はどのくらい溜まっている?」
「まだまだ全然。小さい金庫が作れるくらいだよ」
「なかなかうまくいかないものだなぁ」シーグラムは嘆息した。
「お前の寝ぐらにある大量の宝物と蓄音機を収めて寝そべれる新しい寝ぐらか……。こりゃ相当、泥棒家業をしないといけなさそうだぜ」ルートはニヤニヤしながら言うと、シーグラムが不満げに「まったく、金稼ぎの方法を犯罪でしか思いつかないのか。お前という奴は」と言った。お前も人のことを言えないだろう、とルートは心の中で反駁した。
ルートがコーヒーを飲み終えると、二人は火の始末をして荷物をまとめた。山を降りるのだ。岩場が多く緑の少ない地だが、彼らはそれほど高くない標高でキャンプを張っていたため、すぐに降りれる。緩やかな傾斜となっている岩場をしばらく歩くと、草地が見えてきた。辺りに木はほとんど生えておらず、眼下には一面緑の平原が広がっている。草原では鹿が草を食んでいたが、シーグラムの姿が見えると逃げ出してしまった。どの動物もドラゴンを恐れる。凶暴な熊や狼ですらも。
ドラゴンは体格だけでなく、その鋭い爪や牙、強靭な筋力、知能、どれをとっても世界で最強なのだ。どの動物も、そのことを本能で知っているからこそ、誰もよりつかない。ルートにとって、野宿する時にこれほど頼りになる相棒はいないのだが、この世界の動植物を愛しているシーグラムにとっては孤独といえるだろう。それでも、彼にはドラゴンの友達も人間の友達も多いわけだが。
彼らは平原を東に向かって歩いた。ルートはシーグラムに乗って移動はしない。シーグラムだけでなく、人間がドラゴンに乗ること自体が難しいのだ。ドラゴンの鱗は鋼のように硬く、おまけに小さな棘が点在している。これでは、人間の衣服はおろか皮膚も傷つける。鱗の形はドラゴンによって様々だが、シーグラムの場合は一枚一枚が大きく、後方に向かって少し浮いており、向かってくる敵を寄せ付けない鎧のようだった。首元は鱗が変化したのだろうか、鋭く針のようにとがった金色の立髪が首を覆っている。
昔は、人間はドラゴンに乗るのに鞍をつけていたわけだが、ドラゴンの数が圧倒的に減った今となっては、流通している鞍の数も職人の数も少なくなった。何より、シーグラムが鞍をあまり好まない。つけたくない時は外していればいいだけだが、根無草の生活では持ち運ぶのも億劫だ。だから、彼らが移動する時は基本的に徒歩だ。早く移動しなければならない時は、ルートは交通機関を使うし、シーグラムはその大きな羽で飛ぶ。
ルートは道々、今回の作戦を教えていた。「俺はこの先のブレーム駅で乗る。お前は例の無人駅の辺りで待ってろ。見つからないようにな」
「その駅というのは、あの南にある山の中だな。それで、ギャングどもが襲ってくるのはいつ頃なのだ?」シーグラムは南方にある深い緑に覆われた山を見やった。
「夜二十時過ぎだ。その時間は一本しか列車がない。それに乗ってれば、確実にかち合うだろうぜ」
「しかし、そんな時間まで分かっているのであれば、品物を載せる便をずらせばよいではないか。なぜそんな手間をかける」
「まあまあ。混乱に乗じて俺が品物を列車の外に持ち出すんだ。強盗のせいにでもしておけば、積載リストにある物が無くなってても誰も不審がらない。そういう筋書きだ」
「なるほどな。だがしかし、お前の目論見は他にもありそうだがな」ルートはシーグラムの疑いの目には反応せず、歩き続けた。
昼にもなろうかという頃、彼らは人里に近づいてきたため、別行動に移ることにした。シーグラムは無人駅のある山へ飛び、ルートはそのまま駅の方向へ歩いた。
さらに一時間ほど歩いた頃、目的のブレーム駅が見えてきた。平原の中にポツンと佇む侘しい駅だ。その向こう側には牧場が見えている。この辺りを取り仕切っている裕福な農家が経営している巨大な牧場だ。面積だけでいえば、小さな町二つを擁するほどの規模がある。広すぎるせいか、周りの風景とよく溶け込んでいる。ルートは、ここで腹ごしらえをすることにした。牧場は、その規模を利用して直売所や食堂も経営している。店自体は非常に小さいが、牧場の取引相手や鉄道職員などがよく利用している。旅人も、まれにだが訪れる。ルートは、その辺の馬や牛を見物したり、食堂で昼飯を食べたりして時間を潰した。
日が沈み始め、汽車に乗る時間になった。その時間は、帰路につく牛追い男や農夫が目立った。ルートは駅のホームで汽車を待ちながら「ここの農場に帰る者がこんなにいたのか」と意外に思った。その内に汽笛の音がけたたましく鳴り響き、汽車が到着し、彼は乗り込んだ。
ルートは貨物車に一番近い車両の最後方にひっそりと座った。品物は高さ四十センチメートルほどのヒノキの箱に入れられているということだ。
ルートは以前、一度だけ列車強盗に参加したことがある。その時は十人ほどで行った。ルートは下っ端の役割で、ひたすら盗品を袋にいれる作業しかやらなかった。強盗自体は成功したのだが、下っ端の報酬はスズメの涙ほどしか貰えず、すぐにそのグループを去った。グループ自体もゴロツキの集まりみたいなものだったから、下っ端の若造一人がいなくなったことなど誰も気に留めなかった。
その時、押し入った列車の貨物車の構造を思い出そうとしたがすぐにやめた。車両など、どれも単純な間取りなのだから。あとはアドリブでなんとかなるだろう、と、ルートはいつものように考えていた。
列車が動き始めると、次第に景色は平原から森の中へと移った。列車は南下し、山の入り口のトンネルへと入った。ここからひたすら山道を登りながら山の外周を周り、山脈の反対側へ出るのだ。例の無人駅はその方面にある。奴らが待機しているとすれば、そこだろう。次の駅に着くまでには、まだまだ時間がある。
トンネルを抜け、山道へ出た。左手には鬱蒼とした木々が立ちはだかっている。そして右手には宵闇の空が広がっている。どちらにしろ外は濃い藍色しか広がっていない。列車という安全圏にいながらも、夜の山というのは、街に住む人間の心をざわつかせる。客車にも静かな緊張が漂いつつも、どこか身を委ねたくなるような安心感があった。
発車してからというもの、非常に静かな時間が続いたため、ルートは船を漕ぎ始めていた。まだ目的の駅に着くには時間がある。このまま仮眠をとるのもいいだろうと思っていた矢先、汽車のスピードが上がった。車内が一気にざわつく。ルートは「やっと来たか」と思い、目が覚めた。仕事の時間が来たのだ。
外から銃声が聞こえてきた。窓を見ると、汽車と併走している馬が何頭もいた。右も左もだ。汽車は今、山間の谷間に来ていた。谷の両側から攻め込まれたのだ。後ろと前の方で、人が乗り込む音がした。馬からこちらに飛び乗ったのだろう。まだシーグラムとの合流地点には遠い。ルートは無駄だと分かりつつもシーグラムに呼びかけた。
ドラゴンは古来より念話を使う。離れた所にいる者と交信できるのだ。元々、言葉を持たない種族で、念話によって自らが見た風景や体験したことを伝えたり、感情や意見といったことも伝えていた。だが、人間が竜族に言葉を教えたことにより、彼らも人間と同じ言葉を繰るようになったのだ。だが、念話の文化はいまだに残っており、ドラゴンたちはこれを用いて交信する。
人間がこれを使うことは滅多にない。元々、そのような素養が備わっていないからだ。ルートも最初は念話を使うことに戸惑っていたが、シーグラムの教えもあり、すぐに使いこなせるようになった。といっても、念話で話す相手はシーグラムだけだが。以前、他の人間に念話を試そうとしたが、全くうまくいかなかった。ドラゴンとしか使えないのだ。
思った通り、シーグラムとの交信はうまくいかなかった。まだ距離が遠いのだ。だが、このままのスピードで行けば、そう時間がかからない内にシーグラムと連絡がとれる。それまで時間稼ぎをするしかなかった。
前方からはすでに銃声が何発か聞こえた。ギャングが脅しのために撃ったのか、それとも誰かを撃ったのかは分からない。ルートのいる客車でも悲鳴が上がり、パニック状態だ。ルートは、このまま客車にはりつけになってしまうのを危惧して、すぐにその場を離れることにした。フードを被って襟巻きで口元を隠した。そして姿勢を低くして貨物車に移動した。
貨物車は三両ある。一つ目と二つ目には誰も乗っていなかった。二つ目の貨物車には、例の荷物があった。一人で楽に持ち運べる物かと思いきや、子供一人分くらいの重さがあり、これはますますドラゴンの力が必要だと思った。相変わらずシーグラムに念話を送っているが、いまだ反応は無い。
三つ目の貨物車には賊が二人いた。最後尾にいた見張りを殺して乗り込み、そのまま荷物を漁っている様子だ。ルートは物陰に身を潜めながら出方を伺った。その時、シーグラムから反応があった。念話ができる距離まで近づいたのだ。
「ルート、どうした。アクシデントか?」シーグラムの声が頭の中に響いた。
「ああ、そうだよ。予定よりも早く賊が乗り込んできやがった。お前も早くこっちへ来い。さっさと荷物を運びだすぞ」ルートは口を開かずにシーグラムと会話をした。
「分かった。まあ、予定通りにことが運ばないだろうとは思っていたがな」シーグラムの口ぶりはどこか楽しげだった。
列車はトンネルを抜けて山間の鉄道橋に出た。賊たちはこの後どうやって逃げるのだろうかと思ったが、恐らく馬を率いている仲間とどこかで合流するのだろう。そこでルートは、その合流地点はあの無人駅なのだと思い当たった。てっきり列車を止めて強盗を働くものと思っていたから、奴らがこのような無茶苦茶な作戦で来るとは思わなかったのだ。
ルートはシーグラムと交信を続けていた。
「今、貨物車両に賊が二人いる。こいつらをなんとかしなけりゃな」とルートは言った。
「お得意の〝影の力〟でも使ったらどうだ?武装しているギャングとはいえ、〝慧(けい)〟の前ではイチコロであろう」
「簡単に言ってくれるけどな、〝アレ〟がそこまで強いわけじゃないのは知っているだろ。奴ら武装してるんだぜ」
「だが、使いようによっては強い。それはお前が一番分かっているだろう。おや、汽車が見えてきた。あれか」シーグラムが合流したようだ。それをきっかけにした。
ルートは物陰に身を潜めたまま、一本の黒い帯状の紐を出した。出したというより、にょろにょろと賊の方に向かって伸びていった。それは蛇のようでもあり、生きている影のようでもあった。賊はそんなことに気づかず家探しを続けていた。影の紐が賊の一人の足を掴むと、ルートは身を起こし、渾身の力をこめて腕を振り上げた。すると賊の体は車両の外に投げ出された。叫び声と人間が線路に叩きつけられる音がした。もう一人の族はあまりに突然のことに呆然となったが、すぐにルートの存在に気づき、リピーターライフルを撃ってきた。ルートはすぐに連結部に飛び出し、弾丸から逃れた。賊は「くそっ。何をしやがった」などと悪態をつきながら銃を構えている。ルートはよく狙いを定めて、また賊に向かって右腕を振るった。影の鞭が男のライフルを弾いた。男が腰の短銃に手を伸ばす前にルートは素早く近づいてタックルした。少々揉み合いになったが、ルートが男を車両の外に投げ飛ばした。これであの二人は追って来れない。
「片付いたようだな」ルートが最後尾のデッキに出てくるとシーグラムが顔を出した。貨物車の屋根に体を預け、顔だけ垂らして覗き込んでいる。不意に現れるものだからルートは少しビックリした。
「よし、早いとこずらかろうぜ。例の荷物はお前に運んでもらわなきゃならねえんだ」ルートが言った。
「それよりも、残りの賊が気になる。前の方で何発か銃声が聞こえた。そこの見張りを殺しているところも見ると、他の乗客に手を出しているやもしれぬ」
「あのなあ、そんなこと気にして何になるってんだ。時間の無駄だ」
「私のやることに協力しないと言うのなら、私もお前のやることに協力はせぬぞ。そういえば、他にもまだ返してもらっていない借りがあったな……」シーグラムは考え込む顔つきになった。ルートは慌てた。
「ああ、分かった分かった! ギャング供を追い払えばいいんだろ。くそ」シーグラムにこんなことを言われてしまうとルートは返す言葉が無かった。ここ一年、ドラゴンの強大な力に助けられたことは何度もあった。人間の非力な力では、その借りを返しきることなどとてもできないということは、ルートもシーグラムもよくよく理解していたが、二人はあくまで種族は関係ない対等な間柄として付き合ってきた。だから報酬は折半するし、対立した時は喧嘩もする。もちろん死なないようにだが。
「で、どうすりゃいい?」ルートはシーグラムに言った。
「私が姿を現して脅かしてやればいい」
「そんな簡単にいくかねぇ」
「お前はせいぜいそこで待っていればいいさ」シーグラムはそう言いながら前の車両へ飛んで行った。ルートは「勝手にしろ」と思いながら例の荷物をデッキまで運んだ。すぐにこれを持って逃げられるようにだ。そして貨物を漁っていた時、前方から銃声と悲鳴が聞こえてきた。シーグラムが人間たちを脅かしたようだ。だが、それまでよりも騒ぎが大きくなった。
ギャングがドラゴンの登場に驚いたのはもちろんだが、それまで極限状態にいた乗客たちが見慣れぬ巨大な生物の登場に、さらにパニックになったのだ。前方にいた乗客たちが次々に後ろの車両に集まっている。車掌が客たちに、後ろに行くように呼びかけている。「やっぱ、そうなるよなぁ……」と、ルートは一人ごちた。
ルートは、シーグラムだけでは何ともできないことを悟った。それに、この混乱に乗じて前の車両になんなく行けると思った。ルートは目立たないように前方へ移動した。座席と乗客たちの間に身を隠しながら行くと、ギャングたちが外に向かって発砲しているのが見えた。外からはシーグラムの咆哮が聞こえてくる。シーグラムの鱗は銃弾さえも跳ね返す。だから真正面から向かっていけるのだ。
ルートはさらに先へ進んだ。乗客の集団から外れると怪しまれてしまうため、座席の下をくぐって、前方へ向かった。ギャングたちは前方三両ほどに集まっている。乗客には目もくれず、シーグラムを追い払おうとしているのだ。
ルートは、ドラゴンに気を取られている男たちの足元を影の紐で払ってやった。車内にいる者は頭をぶつけて気絶し、連結部にいた者たちは外へ投げ出された。ルートは賊の武器を車外へ放り投げた。
「おい、無駄な殺生はするなと言っているだろう」シーグラムの念話が聞こえてきた。ルートのやったことにケチをつけてきたのだ。
「あのなあ、このくらいしないと奴らを退治できないだろうが。それに、俺はただ突き落としただけで、案外助かってるかもしれないぜ」と、ルートは笑って返した。
それからはドラゴンに怯えた賊をルートが車外に投げ出すか気絶させるかして、ギャングの数を減らしていった。汽車は渓谷の鉄道橋を抜けて再び山路を走り出した。運転室では二人のギャングが銃を携えて運転士を脅して走らせていた。一人はこのギャングの親玉らしかった。仲間が倒されている現状を察した親玉は、二両目に位置する、屋根の無い貨物車両に出てきた。そこをシーグラムが咆哮を浴びせた。それでも親玉はボスらしく怯むことなくリボルバーを構えて弾丸を浴びせた。ドラゴンが脅かしてくるだけで決して襲ってこないことに気づいたボスは手下のライフルを奪い、狙いを定めた。シーグラムはまた脅しをかけようと顔を荷車に向けた時、ボスは物怖じせずライフルを向け、シーグラムの頭目掛けて撃った。弾は彼の額の結晶をかすめた。結晶の欠片が飛んだ。「くそ。あやつ、私の頭を……」シーグラムの念が飛んできた。彼はよろめいて車両を離れた。そこにボスが追い討ちのように弾丸を浴びせる。運良く、鱗に当たったらしいが、頭に当たったダメージが大きくて、シーグラムはそのまま後方車両まで下がった。
「まったく、だから放っとけって言ったのに」ルートが念話で返したが返答はなかった。
ドラゴンの額の結晶は脳みそだと言われている。と言っても、頭蓋骨に収まった脳みそは別にあるわけだが。しかし、結晶を壊されると彼らは手痛いダメージを負う。怪我の具合によっては何日も動けなかったり、そのまま死んでしまうこともある。傷ついた結晶は時間が経てば元通りになるが、損傷が大きいと、それだけ治る時間が遅くなる。世界最強の生物として恐れられる彼らだが、致命的な弱点が剥き出しになっているのだ。
幸い、ボスはルートに気づいていない。何とか隙をつけないものだろうか。「おい、俺は後ろに行ってくる。もうすぐ駅だ。そこでちゃんと止まらせろ」と、ギャングの親玉は手下に言いつけて、客車に向かった。ルートはこれ幸いとばかりに、残った下っ端に近づいた。置いてあった角材を手にして。背後から忍び寄り、思い切り殴りつけると、下っ端は気を失って倒れた。機関士には拝まれるほど礼を言われた。しかし、例の駅に着く前にここをズラからなければいけないのだが、その前にあの親玉をどうにかしなければいけない。
後方車両の屋根を見やった。飛ぶ体力を失ったシーグラムは車両の上にうずくまっている。彼の額の結晶は元々、中心が欠けている。何故、治らないのか訊いてみたことがあるのだが、本人でもよく分からないらしい。そして、何故そんな傷を負ったのか訊ねてみても話したがらない。元からそんな大きな傷を負っているだけに、一度頭にダメージを受けると立ち直るまでに他のドラゴンよりも時間がかかるのだろう。
シーグラムの様子を見に行くためにルートも屋根に登った。さっきの機関士には、スピードを少し落とすように言っておいた。ただの人間が登っても多少問題はない。それでも、ちょっと気を抜くとすぐに振り下ろされてしまいそうだが。シーグラムの元へ歩き始めた時、ルートの前方でも屋根に登る者がいた。先ほどのギャングのボスだ。手にはライフルを持っている。少しよろめきながらも確実にシーグラムに近づいている。トドメをさすつもりだ。
ルートはシーグラムの名を必死で念話で呼びかけた。「シーグ、いつまで寝てやがる。さっさと起きろ。狙われてるぞ」
ドラゴンが起きる気配はなく、男は片膝をついて狙いを定めた。見ていられないと思ったルートは影の紐を繰り出して、男の右腕を掴んだ。腕が少し後ろに引っ張られた男は振り向き、ルートの存在に気づいた。ルートはそのまま男を放り出そうとしたが、向こうの方が力が強く、こちらの体勢が崩れてしまった。その刹那、紐の拘束がゆるくなった。男がルートに向かって発砲してきた。強風で狙いが定かではなく、ルートには運良く当たらなかった。
男は次の弾を装填し、狙いをこちらに向けてきた。ルートはまた影の紐を繰り出そうとしたが、車体が揺れたため、また体勢を崩した。それは向こうも同じだったが、男は体勢を立て直した後、直接こちらに向かってきた。ライフルだとまどろこっしいと思ったのか、手にはリボルバーを携えている。大男にしては身軽な動きで距離を詰めてくる。ルートもすぐに迎え撃とうと思ったが、男の発砲によってまたよろけた。そして、「この小僧!」と男が叫びながら襲いかかってきた。男が勢いよくルートを押し倒した。力の差で言えば、ルートが圧倒的に不利だった。もうどうにもならないと思ったルートは思わず叫んだ。
「シーグ! いい加減に起きろってんだ! このでかいだけの役立たずが!」その瞬間、咆哮が聞こえた。次の瞬間、ギャングの親玉は宙に放り出された。ルートの右手の木々が折れる音がした。ギャングの親玉の姿は目の前から消えていた。
ルートは息を切らしながら、ゆっくりと起き上がった。あの男に押し倒された時の衝撃がまだ残っており、背中がジンジンと痛む。
「誰がでかいだけの役立たずだと?」真上からシーグラムの声がした。
「だってそうだろ。銃弾がかすめただけで気絶しちまいやがって」
「だが、お前は私が助けなければ死んでいたぞ」
「あいつは最初、気絶してるお前にライフルを撃ち込もうとしてたんだ。それを俺が注意を引いてやったんだよ。それにしても、俺には殺生するなとか言っておきながら、自分だって結局やってるじゃねえか」ルートは、男を森の中へ放ったことを指摘した。
「あれは草木がクッションになると思ってな。骨折くらいはしていると思うが、死にはせんよ。これは長年の経験というやつだ」
「はっ。もう七十のジジイだからな」
「おい、今のドラゴンの平均寿命は二百年ほどだ。そりゃ、お前ら人間の年齢では年寄りだが、ドラゴンにとっては……」「分かった分かったって」ああだこうだと言い合いながら二人は最後尾に移動した。
最後尾のデッキに置いてあったヒノキの箱は倒れていた。中の物が傷ついていないか多少不安だったが、一回倒れたくらいならば大丈夫だろう。ルートは箱をシーグラムの手に預けた。ドラゴンの手には小さすぎる物なので、勢い余って壊してしまう恐れもあるが、シーグラムはそういうことをやってしまったことはない。ルートは安心してシーグラムに預けた。
ギャングがいなくなったことで列車はゆっくりとスピードを落とした。しかし、まだ危険があるかもしれないので、次の駅までは止まらずに進むようだ。ルートはタイミングを見計らって列車を飛び降りた。誰にも見つからないようにその場を去ったのだ。
翌日、ルートは馴染みの古物商を訪れた。古物商といっても、町の片隅にあるとても小さな店で、裏では故買屋を営んでいる。ルートはごちゃごちゃした店の中から小柄な年寄りを見つけた。この店の主人のピルツェルだ。
「よう、アレ持ってきたぜ」ルートは背中に担いできたヒノキの箱を下ろした。
「おいおい、こんな表から堂々と持ってこられちゃマズイ。裏から入れ」ピルツェルは言った。
「裏から入っていくのこそ怪しいじゃねえか。それに、今は誰もいないんだからいいだろう」
「まったく、しょうのない奴じゃ。どれ、こっちに持ってきておくれ」ピルツェルはカウンターを開け、奥の倉庫に来るよう言った。
倉庫の中で箱を開けてみた。すると、中身の彫像には縦に大きくヒビが入っていた。割れてこそいなかったが、これでは価値が無い。ルートはそれを見て固まった。
「な、なんで……」
「お前さん、よっぽど雑な仕事をしたな」店主はジロリと睨んだ。ルートにとって思い当たることと言えば、あの列車の中で倒れた時だ。まさかこんなことになっていようとは。箱の中をよく見てみれば、緩衝材の新聞紙が十分に入れられていなかった。そのせいでもあるだろう。
「なあ、これ、やばいか?」ルートは力無く訊いた。
「まあ、直せんこともないがな。別料金じゃぞ」
「まじか! いくらだ?」
「この仕事の報酬の半分、じゃな」
「うっ、そんなに……」この仕事の報酬で、一ヶ月は遊べるだけの金が手に入る予定だった。その半分でも結構な額ではあるが、この仕事の労力を考えたら見合わないだろう。だが、報酬が全く入らないよりはいい。
「仕方ねぇ。修理の方、頼むわ。ところで……」ルートはコートのポケットからジャラジャラと数々の装飾品を出してテーブルに置いた。
「これは金にならねぇかな」
ピルツェルは「ふむ」と呟きながら品定めを始めた。
しばらくして、「これとこれは売れそうじゃな。でも他はダメじゃ」と、翡翠のネックレスと純銀のブレスレットだけ手に取って他はルートに返してきた。
「それだけかよ」
「それらはどれも紛い物じゃよ。あとは曰く付きが一つ」
「曰く付き?」これじゃよ、と言って店主は琥珀色の結晶が嵌め込まれたシルバーの指輪を取り上げた。
「これは確か、何年か前にとある有名人がつけていたはずじゃ。なんでも、その石はドラゴンの額の結晶で、指輪の部分は鱗を溶かして鋳造したものだとかいう話しだったはずじゃ」
「へえ、そんなものがあったなんてな。で、そんなん作り話だから金にはならないってか」
「その通りじゃよ」
ルートは指輪をまじまじと見た。「ところで、これの元の持ち主ってのは?」
「ララとかいう歌手じゃったと思うが」それは、意外にも聞き覚えのある名前だった。シーグラムが気にしていたソプラノ歌手だ。何の得にもならないかもしれないが、この指輪とララという人物に興味が湧いた。
「それじゃあ、この金にならない奴らは、俺がてきとうに処分するか」ルートは返却された宝飾品を再びポケットに入れた。
「足がつかないようにやれよ。儂はもう、お前さんの尻拭いはごめんだからな」と言いながら、ピルツェルは店のカウンターから現金を持ってきた。
「そのネックレスとブレスレットも大した金にはならないんだな」ルートは札束を数えながら言った。
「それほど珍しい物ではないからな。それでも、あのでかい相棒を養うには十分じゃろうて」
「それもそうか。それじゃあ、また何か仕事あったら知らせてくれよ」店を後にしようとするルートに、ピルツェルは言った。「次の仕事も、あの図体のでかい相棒とするのか?」そう問いかける目と声は無表情だった。
「次の仕事は決まってないが、まあそうだな。あいつと組んでから、できないことも増えたが、できることの方が圧倒的に増えた。なんだ、俺があいつと仕事するのがまだ気に食わないと思ってるのか?」ピルツェルは六十代後半の老体だ。約五十年前に起きた大戦を経験している。その後に起こった細々とした紛争もだ。人もドラゴンも混じり合って殺し合った戦争に、思う所があるのだろう。
「別に、仕事が捗るのならそれでいい。今回のような仕事も、お前一人じゃできなかっただろうからな。だが、ドラゴンにとってはどんどん生きづらい世の中になっておる。いつまでも同じようなことはできないじゃろうて」
「まあ、それはそうかもしれないが。けどよ、確実にアイツよりも俺のほうが先に死ぬ。俺さえ食いっぱぐれなきゃそれでいいさ」と、ルートはのんきに笑った。ピルツェルも、これ以上は何を言っても無駄だと思い、余計なことは言わなかった。
「それじゃあ、また何かあれば例の私書箱にいれておくぞ」とピルツェルが言い、ルートもよろしくな、と返して店を後にした。
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