第11話 おれたち付き合わない?
「ちょっと待った! なんで帰るの」
「夕方になればもっと寒くなるだろ。お前の悩みも解決したみたいだし」
さも当然のように山宮がそう言ったので、朔也は鞄から取り出したカイロを押しつけた。
「寒いならこれ使って! まだ、肝心の話をしてないだろ」
するとカイロを手にした山宮の顔が歪んだ。
「肝心の話って……俺は言うこと言ったし、お前には謝ってもらったし、もう話すことなくね」
山宮の手の中でカイロがぎゅっと握り潰される。
「それとも、まだ文句あんのかよ」
「文句だなんて一言も言ってないだろ。おれ、山宮が言ってくれたことに対してちゃんと答えてない」
「聞きたくねえわ」
山宮が即座に言い切った。口調から拒絶感がひしひしと伝わってくる。
「それについては、求めてねえ。……いや、本音を話せと言っておいてそれはねえな。ちょっと待て。心の準備三十秒前」
大袈裟でなく山宮が深呼吸する。その口から漏れる白い息を見つめていると、自分の頬を撫でていくきりりと冷えた風を感じた。
なんて言えばいい? 好きだと思ってくれてありがとう? 話を聞いてくれてありがとう? やる気を出させてくれてありがとう? 大切なことに気づかせてくれてありがとう? ……だから、これからも隣にいてほしい?
そこまで考えて朔也は答えにたどり着いた。驚きに息を呑むと、冷たい空気が肺の奥まで入り込んで自分の内側から澄んでいく。山宮に付き合う人ができたらどう思うのかという今井の言葉が蘇った。
「……準備オーケー。ではドーゾ」
山宮がそっとベンチに浅く腰掛ける。ぴりっと封を開けたカイロを両手で挟み、その横顔を強張らせた。
「まず質問なんだけど、山宮はおれに気持ち伝えてどうしたかったの」
朔也の言葉に山宮が口を開きかけては閉じ、なにか言いかけては黙るという行為を繰り返した。じっと待っていると、ぼそぼそとした声を出す。
「……全然伝わんねえから言ってやろうと思った。そうすりゃ、気持ち悪がられても俺だけ特別になれるかもと思って」
「山宮は特別だよ。おれが本音を話せるのは山宮だけだし」
すると山宮が少し照れたように目を瞬かせる。朔也は先ほどよりもはっきりと言った。
「さっきはひどいこと言ってごめん。甘えてた。山宮なら分かってくれるはずだって」
「それはいいけど。……全部言うとな、他のオトモダチと一緒にされたくねえんだわ。放送部だって書道部の役に立ってるって知ってほしかったし、放送室で喋れるのも嬉しかった。勉強ができねえってバレるのは恥ずかしかったけど、教えてもらえるのは嬉しかったわ。とにかく、特別でいたかった。そういう自己中な考えでお前といた」
「自己中なのはおれのほう。山宮の気持ちも考えないで、放送室を逃げ場にしてた。委員長に、今井に言われたんだ。山宮のことを考えるなら行動を変えろって」
朔也の台詞に山宮が弾けるように顔をあげ、少し嫌そうな顔つきになった。
「あいつめ。余計なことを」
「今井は山宮のことを思ってそう言ってたよ」
「それは違くね。委員長が好きなのは折原だろ」
山宮が簡単にそう言ったので、朔也は内心気づいていたのかとため息をついた。
「……山宮も知ってたんだ」
「最初の試験前にな。『山宮君の好きな人を知ってるよ。いつも見てるよね』とか言われてよ。『あたしと好きな人一緒だね』って。驚きすぎて否定するタイミングを失ったわ」
「でも、その今井がおれに言ったわけ。自分の気持ちに素直になれって。だから提案なんだけど」
「なんだよ」
朔也は大きく息を吸い、思い切って言った。
「おれたち付き合わない?」
ぴたりと山宮が動きを止めた。が、次の瞬間「はあ⁉」と大声をあげる。
「冗談キツいわ! 簡単に言うんじゃねえよ!」
「冗談じゃない。真剣に提案したんだけど」
すると山宮はもう聞きたくないとばかりにふいと顔を逸らし、頭を抱える手がその表情を隠した。だが、負けじとたたみかける。
「おれは山宮が特別だって言ったじゃん。山宮は特別でいたいって言ったじゃん。それならおかしくないだろ」
だが、山宮はゆるゆると首を横に振る。
「お前、好きって言われたら好きって返さなきゃと思ってね? お前って他人に合わせるの得意だもんな。特別でいたいって思う俺に合わせようと思ったんだろ」
「おれは自分から山宮を特別だと思ったんだけど」
「そもそも勉強もできるお前と俺じゃつり合わねえわ」
「なんで成績で卑下するの。山宮の下校放送も教科書の音読もすごいよ。おれには真似できない」
「……だとしても、お前と俺の気持ちは違えんだよ」
「最初から同じ人なんていないだろ。なんで山宮はおれの気持ちを決めつけるの」
強い口調で言うと山宮は黙りこくった。屋根の下に入り込んだ風が彼の黒髪も自分の髪も揺らしていく。
沈黙が下りた東屋の横で明かりがついた。いつの間にか空が青とオレンジに二分されていて、公園に夜の足音が迫っている。風にざわめく葉の音を聞きながら朔也は彼のほうへ向き直った。
「山宮、言って」
寒いはずなのに顔が熱い。自分でも顔が赤くなっているのが分かる。それでも朔也は山宮から目を逸らさず繰り返した。
「いつもみたいに言って。おれ、返事するから」
すると山宮が口をへの字に曲げて、頭をがしがしと掻く。
「俺から言わせようとすんの、ズルくね」
「だって、お守り渡そうとしたときに言おうとしたけど、冗談の二文字なのにすっごく難しかったし……」
「その難しい言葉を既に四回、いや、今日入れて五回以上発言した俺を褒め称えろ」
「山宮君ってすっごく勇気あるんだな! 尊敬しちゃうなあ」
「折原、お前な」
紺色のコートからにゅっと伸びたこぶしが、朔也のキャメル色のコートにぽすっと音を立てた。泣きぼくろの目元が笑って山宮がちらりと歯を見せる。小さな花がほころぶような笑みに、朔也の心がぎゅっと締めつけられた。――ああ、おれ、山宮のこと。
朔也は山宮の頭に手を回してこちらに引き寄せた。わっと声をあげた黒髪の頭が右腕の中に収まる。ぬくもりのある髪と冷えた耳に当たる指先が熱い。手を引き剥がそうとする細い指がやめろとこちらの腕を掴んだが、朔也は更にぎゅっと小さな頭を抱え込んだ。
「山宮、言って」
朔也は繰り返した。
「もう一回、言って。ちゃんと答えるから」
すると暴れていた山宮が大人しくなった。自分のコートの下から彼の吐く白い息が細く漂う。
「……お前、マジで、ズリいわ……」
コートに当たる声がくぐもる。山宮の体温が、息遣いが、分厚い布越しに伝わってくる。それを感じながら空を見上げる朔也の鼻がまたつんとした。
こんな気持ち、初めてだ。胸がどきどきして、目の奥が熱くて、神経が研ぎ澄まされて、全ての感覚が彼に向いている。この小さな体を、もっと引き寄せて抱きしめたい。
「……折原」
腕の中の山宮が息を整えるように息をつく。
「お前が、好きだった」
明瞭な声に息が止まる。
「好き、だった。もう、好きじゃない」
次の瞬間、彼の両手がどんっとこちらの胸を押しやった。腕からすり抜けて手ぐしで髪を整え、なにも言わずに立ち上がる。ポケットから出てきた白いマスクが表情を隠した。
なんで、どうして、山宮、なんで。
ベンチに座りっぱなしの朔也が彼の顔を目で追いかけると、山宮はポケットに手を突っ込んで吹いた風に寒そうに首を縮めた。
「それでは折原君は恋愛ごっこから卒業デス。本日までお疲れサマデシタ」
「……山宮、どうして」
朔也の震える声に、こちらを見た寂しそうな目元が笑った。
「思い出したわ。委員長が言ってたぜ。お前、普通じゃねえって思われるのが嫌いなんだってな。男と付き合うなんて折原の普通に入ってねえだろ」
こちらの肩にぽんと手を置き、屈み込む。伏せられた山宮の黒い睫毛が目の前に迫り、くちびるへマスクの布越しに一瞬温かいものが当たった。
キス、された。
驚きにひゅっと息を吸い込むと、マスクの中でふっと息をつく音が聞こえた。
「……卒業記念授与。じゃあな」
じゃあな。
キスとその言葉の意味が分かったとき、山宮の姿は公園から消えていた。糸が切れたように体が動かず、ベンチに座り込んだまま空を見上げる。いつの間にか辺りは薄暗くなっており、闇色に沈んだ木々でギザギザに切り取られた空に半月が浮いている。
寒さの増す中、真っ二つに割れてしまった心と同じ形の月をぼんやり見上げていると、たたたっと駆ける足音が近づいてきた。
「朔ちゃん!」
その声にそちらを見ると、口を開けて走ってくるオレンジ色のマフラーの今井がいた。東屋まで来ると膝に手をつき、はあはあと息を整えて額を拭う。
「今井、どうして……?」
大きく肩で息をついた彼女が息をあげ、戸惑ったような表情で手にしたスマホを見た。
「山宮君から電話がかかってきて、公園に朔ちゃんがいるから迎えに行ってやれって。自主練の片づけが終わったところだったから、急いで学校から走ってきたの」
今井が説明しながら再び手で額を拭った。本当に急いで来てくれたのだろう、額に張りついて前髪はばさばさで、何度も肩で息をついている。朔也の胸が先ほどとは別の意味で締めつけられた。
――今井はいい子だ。昔からそうだった。おれはそれを知っている。
不意に口から「ははっ」と乾いた笑いが漏れた。
「山宮ってバカだな。引導を渡して人のお膳立てまでして……本当にバカだ」
朔也の呟きに彼女がますます困惑したような顔をした。
「ねえ、どうしたの? 山宮君にかけ直してもつながらないし。なにかあったの?」
「……なんでもない。今井は遅くなる前に帰ったほうがいいよ」
だが、彼女は引き下がらなかった。
「朔ちゃん、ひどい顔してる。山宮君の声も変だったし、朔ちゃんも山宮君も絶対におかしい。あたしを巻き込むならちゃんと話して」
「……山宮の話はやめよう。今、話したくない」
次第に、朔也の体が芯から震え出した。
なんだよ、なんなんだよ。罰ゲームの告白で始めてあんなキスで終わらせて、ずるいのは山宮じゃないか。歩み寄った途端に離れていくなんて、そんなの、ひどいだろ。
「……だって、あいつ、ホント意味分かんない」
唾が飛ぶような勢いで言葉が飛び出した。
先ほど手に感じていた山宮の髪と肌の温度がいつの間にか消えている。何度握ってみても、もうなにも掴めない。ようやく共鳴した心の音叉がポキリと折れてしまった。
「あんなに何回も好きとか言ったくせに、今井には本命だとまで言ったくせに、おれのこと引っぱたいたし、お守り突き返すし、性格悪いとか字が下手とか……もう好きじゃないとか……今更、そんなこと言って……おれはちゃんと向き合おうとしたのに……」
必死に堪えようとしても口がわなないて、怒りが、悲しみが、目蓋の裏に押し寄せる。と、「朔ちゃん」と声がした。目を開けてみれば今井がくちびるを噛み締めていて、朔也にも彼女がなにを言おうとしているか分かった。
「朔ちゃんが山宮君と向き合ったなら、あたしもそうするね。……あたし、ずっと朔ちゃんが好きだったんだ」
いつもは明るい今井が声を絞り出すようにそう言った。
「……うん、知ってた。気持ちを無視してごめん」
「書道も勉強もなにに対しても、努力を惜しまず諦めないところがすごいと思ってた」
「……うん、ありがとう」
「同じ高校を志望してるって分かったとき、すごく嬉しかったよ」
「……おれも心強かったよ」
「罰ゲーム、山宮君がふられればいいのにって心のどこかで思ってたの。ひどいよね」
「……そう思っちゃうよね」
「でも、山宮君は諦めなかったし、朔ちゃんは山宮君に向き合うって決めたんだもんね。あたしも応援しなきゃ」
今井は目をこすってから笑みを浮かべ、レモン色のハンカチを差し出してきた。
「朔ちゃんは、どうして山宮君に怒ってるの? 好きじゃないって言われたから? 好きだって言ってほしかったの?」
囁くような優しい声色に感情が溢れ出して、コートに落ちた涙が玉を作って転がった。
「どうしよう今井」
おれ、山宮が好きなんだ。
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