1990年8日間ロンドン日記 ~QUEEN聖地巡礼+αの旅~
安明(あんめい)
第1話 1990年1月9日(1日目) イギリスに感動の第一歩を印す
ロンドンはずっと前から私の憧れの地だった。 私は中学2年の時から今(※本稿執筆時の1990年現在)まで、つまり私のこれまでの人生の半分の間、 イギリスのハードロックグループ “QUEEN"の大ファンとして過ごしてきた。 彼らを産んだ、この地ロンドンをいつかは訪れて、彼らのゆかりの場所に立ってみたかった。
ツアー料金が最近バカみたいに安くなっている(私たちのは、往復の飛行機代とホテル6泊朝食付き料金と半日観光込みで、158,000円だった)のと、まとまった休みがとれたのとで、やっと念願がかなった。
さて、本題に入ろう。普通の観光もしたが、普通でない部分を主に書こうと思う。
同行者は職場の友人E君。
1990年1月9日(1日目)
13時22分、車輪が滑走路を離れる。いよいよ日本を離れるのだ、とやはり感慨深い。航空会社は就航したばかりのヴァージン・アトランティック航空。サービスが良いと評判らしいが、私は国際線に乗るのは初めてである。エコノミーでも酒類が無料だろうと、ヘッドホン・セットをただでくれようと、特に驚かない。 機体が新しい訳でもないしねえ。無事に飛んでくれたからそれで十分である。
あ、ひとつ文句あり。途中で足の下が濡れてきたのだ。水がしみているらしく、スチュワーデスが下に敷く新聞紙を配った。それと、住所と名前を書いて下さいと紙が回ってきた これはきっと後日おわびの品を送ってくれるのだろうと、楽しみに待っていたが、何ヶ月もたった今も音沙汰がない。どうなっておるのだ。
いいかげん飛行機に乗っているのもイヤになった頃(東京23時16分、モスクワ17時16分、ロンドン14時16分)、モスクワに着く。これが今揺れ動くモスクワかと、感動のひとつでもしたいところだが、あたりは真っ暗でなにが見える わけではない。しかし、毛皮の帽子を被った空港作業員が見えた時、「おお、 あれがロシア人だ! ここは確かに外国だ!」と実感したのであった。
ロンドン時間19時49分、東京から約16時間でやっとロンドン・ガトウィック空港着。イギリスに感動の第一歩を印す。
ホテルは、いろんなツアーのパンフレットで実によく見る「ノボテル」。 中心街から西にちょっと離れたハマースミスにある。ホテルから歩いて数分のところに、「ハマースミス・オデオン」というコンサート・ホールがある。東京だと、中野サンプラザぐらいのステータスだろうか。
QUEENが超ビッグ・ネームになる直前の1975年12月24日、ここでクリスマス・コンサートをやっている。その模様はBBCで放送され、日本でもNHKのFMで2度放送されたので、私はテープに録って持っている。だからハマースミスというととっても 懐かしくて、うれしい。
しかしこのホテル、日本人がやたらに多く、滞在中、エレベーターで乗り合わせたのはほとんど日本人だった。 なのに、フロントには誰も日本語のわかる人はいない。私は着いた早々、磁気カード式の部屋のキーをなくしてしまい、再発行してもらうのに一苦労した。 定形的な会話はなんとかなるが、相手が予想外のことを言い始めるとアウトである。
知人で、日本企業の現地支社に勤めるO氏に電話をし、明日朝ロビーで会う約束をする。この晩は寝着けずに困った。人並みに時差に苦しんだのである。
※第2話(2日目)は1月18日朝8時に公開します。ロンドン市内観光をします。
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