コーヒーと死にたがり
HAYASHIDO
コーヒーと死にたがり
・中学時代
中学校の教室で、僕たちは本を読んでいた。
僕たちの学校は、ホームルームの前に読書をする時間、通称「朝読書」を設けている。
しかし、読書の時間だから教室は図書館のように、静寂に包まれているかと言えばそうではない。
クラスの中には読書に身を入れず、空気を読まずに教室内で談笑に花を咲かせているグループもいる。
あからさまに「朝読書」にふさわしくない行動ではないにも関わらず、担任の教師は注意をする素振りを見せずに読書をしている。
僕は彼の行動に対して、教師としてどうなのかと考えたこともあったが、今になってはもう「そういう教師なのだから仕方がない」と考えることにしている。
僕が今読んでいる小説は、 いわゆる「ライトノベル」と呼ばれるものだ。
このジャンルを選んでいる理由は容易だ。
他のジャンルの小説より比較的に読みやすく、苦痛にならないからだ。
僕は今日、本を読みながら少し考え事をしている。
この本はキャラ視点で話が進む「一人称視点」だ。
一方、第三者の視点で話が進む「三人称視点」といったものがある。
今こうして、朝読書の時間でお構いなく談笑しているグループと、それを無視する教師を俯瞰する自分は、まるで第三者の視点のようだと感じる。
その三人称視点は「神の視点」と呼ばれるのだが、この状況だと自分がその神に当たるとなると苦笑したくなる。
なにが神だ馬鹿馬鹿しいって。
そんな余計なことを考えていると朝読書が終わり、ホームルームが始まる合図のチャイムが鳴り響いた。
担任の教師は自身の本をしまい、事務的に出席を取る。
余談だが、僕の名字は「
「
教師は出席を取る途中で、たった一つ空席になっている席を眺めながら呟いた。
彼女のことは僕は詳しくない。
少なくとも、朝読書で平気で談笑するグループのように目立った存在ではない。
かといって、クラスの中でできた女子グループの輪に入っているため、孤立して浮いている存在でもない上にイジメられているという話も聞かない。
言葉を選ばずに悪く言うと、印象に残らない存在だ。
また第三者の目で物事を見てしまったなと心の中で苦笑し、担任の出席を取る声をずっと聞いていた。
こうして上の空のまま教師の話を聞いていると、いつの間にかホームルームは終わっていた。
「なあ、鈴木!」
甲高めな男声の主が僕の名字を呼んだ。
「鳴海って奴が休みなんだけど、理由はなにか分かるか?」
僕に声をかけた主である
向こうが僕のことをどう思っているのかは定かではない上に興味もないが、少なくとも僕は彼と親密な関係になる気は起きない。
「なぜなら鳴海は昨日、自殺未遂して入院してるらしいからなんだよ。まあ、噂なんだけど」
彼と親密な関係になれない理由、それは人の噂話をいちいち誰かに話すからだ。
よく口癖で「まあ、噂なんだけど」という台詞を使うのも鼻につく。
特に今日は、自殺という生死に関する話題を躊躇いもなく提供するあたり、彼は品性に欠けた人間なのだと改めて実感させられる。
「鳴海って別にイジメみたいなのないわけじゃん? じゃあ、自殺する理由ってなにだと思う? 鈴木の意見を聞かせてよ!」
篠山の悪趣味な質疑に対してどのように応答すべきか悩んでいると、一時限目の始まりを告げるチャイムが鳴り響き、一時限目の科目である国語の教師が教室に入ってきた。
その教師は担任とは真逆で私語に厳しいタイプのため、篠山はそこで会話を中断した。
日が経てば彼はその噂話に興味が薄れるだろう、と予測がついた。
・現在(一)
またしても仕事が終わった。
僕は職場で帰り支度を済ませ、こうして家に帰った。
あらかじめ買いだめしておいたカップ麺に熱湯を入れ、それを食した後にスマホで動画サイトを開く。
見たい動画は特に決めていない。
ただ単にサムネイルで面白そうなものを見つけ、それを見るといった形だ。
思い返せば僕はこんな日常を繰り返していた。
これが社会人としての生活なのかと実感させられる。
僕はそんな生活にため息をつきながら、動画の視聴を一旦中断し、SNSのアプリを開く。
そこにはとあるグループのDMだ。
「そういえば今週の土曜日はオフ会をすることになっていたな……」
メンバーは僕含めて五人。
割合は男性が三人で女性が二人。
とあるアニメが好きな人で集まったメンバーだ。
こんな繰り返しみたいな日常の中で、こうして誰かと出かけられるのは救いなのかもしれない。
僕はオフ会で使う予定である、グルメサイトで見つけた居酒屋のURLを、そのDMに貼り付ける。
反応の方は良好だったが、行ったことない店だったので心配は拭えない。
『土曜日楽しみだね!』
僕は一人の女性の返信を目にする。
HNは『にぼし』。
一ヶ月前に同じアニメを見ていたからという理由で、彼女からフォローされた。
その後SNSを介して、彼女とそのアニメについていろいろ語り合いをしたのもそうだが、日常的な会話もしてきた。
そのやりとりは毎日といってもいいくらいの頻度で、勝手ながら親睦が深まったような気がしてくる。
「もしかしてにぼしさんって俺に気があるんじゃ……」
僕は首を大きく横に振り、邪な感情を振り払おうとする。
しかし、にぼしさんに対する期待感が増すばかりで消え去らない。
僕は人生で今まで、恋人ができたことはない。
原因は、積極的に女性のいるコミュニティに参加しなかったからだと自負している。
他に彼女ができない要素があるかもしれないが、そんなことは考えたくない。
その影響なのか、女性にこうして積極的に絡まれるとどうしても期待してしまう。
おそらく僕は人より女性免疫がない方なのかもしれない。
このオフ会を機に彼女の思惑が分かりそうな気がしてきた。
「とっ……、とりあえず集合場所とか諸々決めないと……」
僕は期待感を必死に胸の奥へと押し込み、DMのやりとりを再開した。
僕は今、繁華街の駅で待ち合わせをしている。
今日はSNSで知り合った仲間とのオフ会があるのだが、早く着きすぎたせいでメンバーが誰も来ておらず、一人で待つことになっている。
僕は誰かが来るまで暇を持て余す展開になっていることに後悔しながらスマホでSNSを眺めている。
そうやって時間を潰していると、一人の女性が近づいてきた。
黒髪ベースで赤色のインナーカラーが入った女性だ。
「お待たせ! 待った? アタシだよ『にぼし』だよ!」
SNSのプロフィール画面開いたスマホを見せびらかしたHN『にぼし』の彼女は、気さくに僕の肩を叩きながら挨拶した。
インナーカラーが入った髪型を始めとした、原宿系を彷彿させるファッションを含めて、婉曲的な言葉を使わずに言うと『ドストライク』といったところだ。
しかし、初めてのオフでこのようなことを直接言うのは流石に彼女に引かれそうだ。
だから僕は今日、この本音は心の奥にしまって冷静な立ち回りをしようと決意した。
「こんにちは。僕は『ベル』って言います。あらかじめ服装の色をSNSのDMで共有しといてよかったですね……」
彼女がしたように僕も自分のHNを公表した。
僕は赤と黒のチェックシャツにジーンズを穿いているが、待ち合わせ場所に被った服装の人がいなくてよかったと安堵している。
「まあ、アタシは結構服装をSNSに投稿しているから分かりやすかったか……」
にぼしさんは髪を弄りながら自身の服装を見回している。
「いや、こうしてオフできてよかったです!」
「なんで?」
「だって、ずっと前からにぼしさんに会いたかったですから」
「なにそれ告白?」
「えっ?」
僕は自分が発した台詞を思い返しす。
言われてみれば『会いたかった』なんて言葉は、告白と捉えられても仕方がない。
引かれないように、冷静を装って立ち回ろうと決意したばっかりにも関わらず、杜撰すぎる対応をしてしまった。
「いや、あの……、それは……」
「あははっ、なに焦ってんの? 冗談だって! ほんとウケるんだけど!」
「ああ、冗談ね……」
「本当にベルくんって面白いよね! なんか見てて飽きなさそうな感じだしっ!」
「そ、そうかな……」
「そうだよ! まあ、アタシも一度ベルくんに会ってみたいって思ってたし」
「えっ?」
「あと、ベルくんに言いたいことがあるんだけど聞いてもらえる?」
「聞いてもらいたいことって?」
「それは……」
にぼしさんは僕から目をそらしながら話そうとすると、二人の男性と一人の女性が僕たちの元へ駆けつけた。
この人たちもオフの参加者だ。
「じゃあ、この話はまた後でね」
にぼしさんは僕に手を振り、後から来た参加者へ足を向けた。
彼女が僕に言いたいことはなにだったのだろうか、と考えてみる。
もしかして、愛の告白?
僕は首を大きく横に振り、ありもしない仮説を脳内から追い出そうとする。
しかし、その仮説が頭から離れることはなかった。
(どうしてもその思考になるでしょ……)
僕は先ほどのにぼしさんとの記憶を脳の片隅に追いやりながら、オフ会を楽しむことを決意した。
僕たちはオフ会を一通り楽しんだ。
今日は、参加者の皆が追っていたコンテンツのショップが期間限定で開店されており、そこでグッズをいろいろ購入した。
その後にカラオケ店に行き、アニメソングを中心に皆が歌い、まるでライブでも行っているかのように盛り上がった。
そして、僕が予約した居酒屋に訪れた。
五千円を払っておつりが出る値段で飲み放題が付き、あらかじめ決まった料理が出る居酒屋を選んだ。
自分が予約した店が外れだったら嫌だなという不安はあったが、その不安は杞憂に終わった。
むしろよくこんな美味しい店を引き当てたな、と自画自賛しても問題ないレベルだった。
特に出された唐揚げは衣がしっかり揚がっており、肉の方も素人の観点からでもタレをしっかり浸けていることがよく分かるくらい、味がしっかりしていた。
ただ一つ問題があるとするならば、僕が少々酒を飲みすぎたことだ。
この時間になっても、待ち合わせの出来事が頭から離れなかった。
むしろ解散のときが近づくたびに、にぼしさんが放った「また後」という言葉に真実味が帯びてきたせいで、段々と意識してしまった。
だから僕は、お酒の力を使って余計なことを考えないようにした。
しかし効果はなく、意識が朦朧としていく一方だ。
オフの参加者と酒の力で高揚した状態で談笑していると、いつの間にかお開きとなった。
僕は目を覚ました。
オフ会の疲れで重くなったまぶたを開くと、薄暗い空間が視界に広がる。
「昨日は飲みすぎたな……」
僕は酒が原因で、割れるような痛みを発している頭をさすりながら身体を起こす。
すると、今の僕は何も着ていなかったことが分かった。
「着替えずに寝ちゃったのかな……。僕は寝間着を着る派なのにな……」
僕は着替えを探すために周囲を見渡す。
僕の隣あたりを見ると、部屋にいるはずではない人がそばにいた。
黒髪に赤いインナーカラーが入った女性が自分と同じような姿で寝ていた。
その光景を見た瞬間、おぼろげだった薄暗い空間が鮮明になった。
「えっ?」
空間はワンルームマンションより二回りくらい大きく、高級物件のような豪奢さはないものの、少し小洒落た雰囲気を醸し出していた。
僕が寝ている場所は自分の部屋ではなく、ホテルの一室だと言うことが分かった。
「あっ、起きた」
異変に気づいた途端赤いインナーカラーが入った黒髪の女性、にぼしがが目をこすりながらこちらを見てきた。
「あっ、なんか成り行きでこんな感じになったけど気にしないで」
僕はどう考えても気にしてしまう状況であることに突っ込みたくなる。
「すみません、どういう過程になったのか説明してもらえますか? 昨日飲みすぎて記憶無くて……」
「あははっ! なにそれ! ほんとウケるんだけど! まあいいや。事の顛末くらい教えてあげるよ」
にぼしは近くに落ちていた衣類を拾い上げて、着替えを始める。
僕はその光景を見て後ろへ振り返って、着替えを見ないようにした。
「アタシの身体なんかあのときずっと見てたじゃん。まあいいや、飲みが終わったあたりからでいい?」
「それは助かる。待ち合わせのとき後回しになった話も気になるし」
「あー、やっぱ気になってたんだ。じゃあもう一回言うね。あなた、『鈴木孝一』でしょ?」
「えっ?」
僕は思わずにぼしさんの方へ振り返ってしまった。
幸い、彼女は下着を身につけていた。
「あっ、ごめん……」
「いいって。下着は着替えたし。最初に言ったときと違って結構驚くんだね。まあ、一回目は酔ってて事の重大性を理解してなかったっぽいけど」
「なんで僕の本名が分かったんだ?」
「分かったも何も、前にSNSで写真あげてたときに免許証が映ってたし」
「え?」
理由が初歩的なミスだと気づき、自分でもため息をつきそうになる。
「まさかそんなミスを見られてたなんてね……」
「あとにぼしさんって今更言うのあれだから本名で呼んでいいよ。あんたの本名知ってることと一緒にカミングアウトしたじゃん。記憶無い? アタシの本名は『鳴海未亜』だから」
僕は『鳴海未亜』という名前に覚えがある。
どこで知った名前なのか、記憶を辿る。
「まあ、無理に分からなくても当然か。アタシと孝一は中学の同級生だったけど、影薄い子だったし」
「あー……」
彼女に言われてようやく記憶が蘇る。
確かに鳴海未亜は中学時代の同級生だ。
当時の彼女とはほとんど関わりはない。
あと、自殺未遂したといった噂も流れていた。
「でもあの頃に比べたら雰囲気変わってるような……」
「あの頃から何年経ってると思ってるの? そりゃあお洒落の趣味趣向は変わるでしょ」
「それもそっか」
少なくとも中学の校則だと染髪は禁止されていたため、校則を破って染髪する人は少なかった。
当時の彼女も例外ではなく、髪は黒だった。
いても金髪や茶髪といった髪色であり、インナーカラーの染髪している者はいなかった。
「とりあえず、にぼ……鳴海さんは中学の同級生がいたから、SNSで近づいてこうしてオフ会で会うことになった、そういうことで問題ない?」
「そそ。つか、あのとき『未亜』って呼んでたのに今は名字なんだね」
「その『あのとき』がなんで起きたのかが理解できないんだけど……。どうしてこうなったんだ?」
「なんとなく」
鳴海さんの言葉に思わず言葉が出なくなった。
「ははっ! まさかあんたのこと好きだから、ああいうことになったと思ってるの? それは単なる思い上がりだよ! アタシはあんたにはそういう感情ないから」
「そうなのか……」
正直、鳴海さんが自分に好意を持っていることに期待していない、と言ったら嘘になったので苦笑したくなった。
「まあでも盛り上がったといえば盛り上がったよね? あっ、記憶ないから分からないか。もったいない」
「そんな気持ちでするもんなの?」
「別にいいじゃん。減るもんじゃないし。『アレ』もちゃんと付けたから大丈夫だよ」
鳴海さんは顔色一つ変えずに話した。
ゴミ箱を見ると、彼女の言っていた使用済みの『アレ』が捨ててあった。
「あと、アタシの過去ついてなにか気になることあるんじゃない?」
「過去って?」
「ほら、中学時代に流れた噂のやつ」
自殺未遂の噂について彼女の耳に届いていたのは初耳だ。
「とりあえず場所変えよっか?」
・高校時代
鳴海未亜が自殺未遂したといった噂が流れて月日が経った。
僕は中学を卒業し、高校に入った。
受験にそこまで力入れていなかったため、流れ作業のように近くの公立高校へ入学した。
僕にとっての高校生活は、中学時代とさほど変化はなかった。
高校から知った友達も増えたが、中学時代の同級生の大半がこの高校に流れ込んできたため、新鮮味は半減したかもしれない。
受験を頑張ってもう少しレベルの高い高校に入れば、もう少し新鮮味はあったかもしれないと考えてみることもあったが、今更考えても無駄だとすぐに気づいた。
そんな中で高校内にて事件があった。
高校二年の夏休み終わって少し経った日に、全校集会という名目で僕を含めた全校生徒が体育館に呼び出された。
内容は自殺をした生徒が現れた話だ。
この生徒は鳴海未亜のことではない。そもそも彼女の進路先も知らない。
自殺の原因は全校集会で知らされなかったが、後に取り上げられたニュース番組で自殺現場にあった遺書から、イジメが原因だと取り上げられた。
そのとき僕は鳴海未亜について考えていた。
彼女が自殺を計画した要因は、この生徒にされたイジメのようになにか追い詰められていたのだろうって考えに至った。
もし、鳴海未亜や自殺した生徒に何かしら救えるとしたら……。
僕はそんなことをふと考える。
しかし、答えは見つからなかった。
鳴海未亜に関しては同級生でありながら関わることが少なかった。
自殺した生徒に関しては、全校生徒でようやくその人の名前を知ったばかりだ。
そんな僕がいきなり手を差し伸ばしても、素直に手を取ってくれるのだろうか?
いや、取ってくれないだろう。
僕のような第三者にしかなれない人間には、救えることなんてないだろう。
特に鳴海未亜の自殺未遂は、学校の間で面白半分のように取り上げられた噂にすぎないことを改めて認識し、考えないようにした。
そもそも自殺なんて、軽い気持ちで考えるものではない。
僕は自分を戒め、高校生活を過ごすことを心に決めた。
所詮僕は第三者、見ているだけの『神』にしかなれないのだ。
そんなこと考えながら過ごしていると、僕の脳から彼女が自殺した記憶が奥深くまで押し込まれ、高校を卒業する頃には再び思い出すことがなかった。
・現在(二)
夜がすっかりと明けて明るくなった空の中で、にぼしさん改め、鳴海さんに連れられるように彼女の自宅に着いた。
マンションの一室かと予想していたが、年季の入った一戸建てに住んでいると知り、少し驚いた。
「この家はおばあちゃんの家なんだよね。まあ、そのおばあちゃんは今施設にいるけど」 僕と鳴海さんは家にあがり、リビングに向かう。
「なんか深刻そうな話をすると思ってる? まあ、深刻と言えば深刻かもしれないけど、もう過ぎた話だし」
鳴海さんは台所へ向かい、棚からインスタントコーヒーを取り出した。
まるで、来客に対するもてなしだ。
「結論から言うけど、自殺未遂した話は本当だよ。理由は父親の虐待」
「えっ?」
ただの噂話だった事柄が真実だということを認識し、思わず言葉に詰まってしまう。
「だから過ぎた話だって。あんまり深刻そうに受け取らなくていいよ」
鳴海さんはコーヒーを淹れながら話を進める。
「アタシ、昔はここじゃなくて別のところで両親と住んでたんだよね。で、父親が仕事のストレスで機嫌悪くして、いつも虐待されたってわけ。そんな生活が嫌で自殺を試みたけど駄目だった。まあ、行動したのを見た母親が事の重大さに気づいて離婚することになって、母親と二人でまた別のところで引っ越すことになったけど」
コーヒーを淹れ終わったのか、彼女はカップをリビングのテーブルに置いた。
「まあ、その母親も他の男作ってアタシを邪魔者になったから、こうして今の家に住むことになったんだよね」
「よくそんな話を淡々とできるね」
「言ったじゃん。過去の話だって」
鳴海さんは自分が淹れたコーヒーを啜る。
僕も淹れてもらったことに感謝し、コーヒーを啜る。
見かけによらず丁寧に淹れていたのか、自分が淹れるコーヒーより豆の味が広がっていて美味しい。
「あっ、そうだ孝一。連絡先交換しない? SNSだけでやりとりだと不便だし」
鳴海さんはそう言って自分のスマホを差し出した。
「なんでそうなるの?」
「別にいいじゃん。あんたはなんか、見てて飽きない人だろうし。あと、都合よければうちに来てもいいよ。そんときはまた、ホテルの出来事みたいなことできるよ。得だと思わない?」
「冗談はやめてよ……」
異様に距離を詰めてくる彼女に僕は動揺している。
なんでこんなに接してくれるのだろうか……。
「ねえ、もしかして鳴海さんって……」
「別にそういう感情はないよ」
彼女は僕の質問を言い切る前に即答した。
鳴海さんと別れた後日以降、僕はいつもの日常に戻った。
朝起きて電車に乗り、会社に入ってまた会社から出る。
家に帰ったあとは夕食を食べて、動画を見て寝る。
そんな変わり映えのない日常。
僕はそんな日常に退屈していたのだと改めて実感している。
オフ会のきっかけである、アニメ鑑賞の趣味が楽しくないわけではない。
その楽しさは一過性のものであり、没頭した後にはその楽しさが薄れてしまう。
特に最も楽しいと感じない仕事をしているときには既に泡沫のようにすぐに消えている。
こうして惰性のように生活を迎えているのだと実感し、僕は思わず呆れてしまう。
しかし、今までの生活と比べて変わっていることがある。
僕は今、鳴海さんの連絡先を持っている。
それだけで、なんだか得した気分になる。
あれから一週間経ったが、今のところ連絡はない。
それでもいつか、彼女から何かしらのアクションがあるのではないかと考えてしまっていた。
そんな期待を頭の片隅に入れたまま仕事を終え、帰り支度にスマホを見ると、メッセージアプリに『夜飲みに行かない?』といった内容のメッセージが鳴海さんから届いた。
こうして僕は鳴海さんの誘いに乗るように、居酒屋に立ち寄ったのだ。
「なんでお酒飲まないの?」
「前みたいに失敗したくないからだよ」
僕はオフのときとは違い、酒を飲まずに烏龍茶を頼んでいた。
鳴海さんはお構いなくハイボールを飲んでいた。
「明日休みなんでしょ? また酔いに任せて、ね?」
「だから冗談はやめてよ……」
「まあ、いいけど」
僕と鳴海さんは、碌な会話を交わすことなく飲み食いをした。
オフのときのように、趣味の話で花を咲かせてもいいかと考えたが、SNSで知り合った子が実は中学時代の同級生であり、そんな彼女とホテルに行って一夜を過ごした後に連絡先交換したという、情報量が多すぎる関係になっていると思うと、なかなか話せる気分になれなかった。
「ねえ、幸せってなにだと思う?」
そうして黙々と食事をしていると、鳴海さんが話を切り出した。
「そう言われると……」
言われてみると、幸せとは何かと問いたくなる。
前に考えたようにアニメ鑑賞をしているときは楽しく感じるが、幸せとは正にこれかと言われたら腑に落ちない。
鳴海さんは考え込んでいる僕の耳元に近づく。
「あー、アタシとヤッたとき覚えてたら幸せをかみしめられたのに……」
僕はホテルでの出来事を思い出し、首を大きく横に振った。
僕の顔に熱くなっている感覚が現れてしまう。
「あっ、からかっちゃった。ごめんごめん」
「もうそういうのは本当にやめてほしいな……。幸せって言われると、あんまり考えてこなかったな……」
「そういうものなんだ……。まあ、聞いてみただけだから気にしないで」
「そういう鳴海さんはどうなんだよ」
「さあ?」
「さあって……」
僕は鳴海さんが過去に自殺未遂したことを思い出す。
彼女の過去に比べると、幸福指数はマシになっているかもしれない。
「まあ、これから幸せを作るのも悪くないかもしれないね」
「と言いますと?」
「とりあえず世間一般的に幸せな時間を過ごしてみる? 例えばの話、友達と遊んで幸せを得てる人がいるだろ? だからアタシたちも実行に移すとか?」
「友達ねえ……」
「まあ、言いたいこと分かるけど、気にしたら負けじゃない?」
「そうかな……」
「行ってみたら案外楽しかったりしてね。あと……」
鳴海さんは手に持っているハイボールをぐいっと飲み干す。
「あんたは現状好きな女の子とディナーできて幸せなんじゃない?」
「ディナーって……」
場所が居酒屋なだけあって、ディナーというより飲み会に近い雰囲気だ。
とはいえ、鳴海さんとこうして食事を取ることが楽しくないと言えば嘘になる。
「今日はディナーってことで、その次はどこか出かける?」
「どこに?」
「遊園地とか? ぽいでしょ?」
「それってデートじゃ……」
「そだよ」
僕は彼女の口から放たれた、デートという言葉に心が躍ってしまう。
「デートって言語自体、男女二人で遊ぶことだから普通じゃない?」
「そう言うけどさぁ……」
僕は少し期待してしまった自分に嫌気を指す。
「前も言ったけどさ。前が前だったから、今からでも幸せな瞬間迎えたいじゃん」
「でもその役割を担うの僕でいいの? 他に好きな人とかいないのか?」
「あんたは細かいこと気にしなくていいよ。中学からの知人と、今もこうして遊べることも貴重らしいよ」
僕は鳴海さんにうまく丸め込まれ、飲みが終わった。
一週間後、僕は鳴海さんとデートすることになった。
オフのときとは違い、完全に彼女と二人きりのため、待ち合わせのときの動悸が桁違いだった。
鳴海さんと待ち合わせ場所で合流し、ランチを取ることにした。
店は僕が一週間かけて探した店だ。
内装の清潔感とメニューのお洒落さを中心に選んだため、味の方に不安があったが、杞憂に終わった。
自分が頼んだチキンのソテーは、しっかり肉を楽しめるくらいの食感がしっかりしており、肉汁もしっかり入っているためなのか味も濃厚だ。
「別にかしこまらなくても……」
鳴海さんは自身が頼んだパスタを食べている。
彼女はこのパスタの味に満足している様子を見て、僕は胸をなで下ろす。
「なんか、必死にこういう店を探しているの想像したらウケてくるんだけど……」
「デートしよって言ったの鳴海さんでしょ?」
「にしては気合い入ってるけど……」
「引いた?」
「いや。つか、別に友達同士でもこういうところ行くでしょ? ドレスコートじゃないといけない高級店じゃあるまいし。まあ、あんたが必死に考えたデートプランってやつも気になるけど」
「プランというほど大したものじゃないけど……」
僕はデートで行く場所を彼女に伝えた。
鳴海さんを連れてきた場所は水族館だ。
この前彼女と飲んだときにデートの例として遊園地を挙げたが、僕は重すぎると感じた。
しかし今考えると、遊園地と水族館で重さの違いがあるのかといった疑問が生まれてしまった。
僕と鳴海さんは、様々なスポットに行った。
多種類ににわたる魚を見ることになったが、魚を見つけるたびに反応してくれた。
その反応ははしゃいでいるレベルのものではなかったが、喜んでいることは分かった。
特にイルカショーはいい反応してくれた。
イルカが芸をするたびに、彼女が何かしらのリアクションをしている様子がよく見えた。
僕と鳴海さんは、飼育員がエサやりをするイベントの時間になったとのことで、この館で一番大きい水槽へ向かった。
その水槽の中は海を表現されており、小さな魚から大きな魚まで泳いでいた。
小さな魚の一種であるイワシは、群れを作って水槽の中心を回るようにして素早く泳いでいる。
大きなエイやサメは、まるで自分たちがここの主であるかのように存在感を出しながらゆったりと泳いでいる。
こうして、様々な魚が泳いでいるのがこの水槽の特徴なのだろう。
「やっぱり水族館といえばこういう場所だよね。とはいえ、この水槽とか大きいなって思っても、海に比べたら小さいよね」
鳴海さんは飼育員にエサを与えられているエイを見ながら呟いた。
「なんて、嫌みったらしく言っちゃったけど、ここだけじゃなくていろいろな場所があっていろいろな魚が見れるこの場所はいいね。イルカショーとかも面白かったし」
「楽しんでもらえてよかったよ」
「まあ、デートとしてはよかったね」
「ありがとうございます」
「例として愛の言葉でもあげようか? まあ、今でも付き合う気はないけど」
「……虚しくなるからいらないです」
彼女のからかいに、僕は思わず苦笑する。
「そう……。でもこれだけは言わせて」
「なに?」
「アタシのためにプラン考えてくれてありがとう」
鳴海さんはいつもまとっているダウナーな雰囲気がなくなるような、陽だまりのような屈託のない笑顔を僕に向けた。
僕はその顔を見て、彼女とのデートが成功したと胸をなで下ろすような思いになった。
それと同時に僕が少しでも、彼女を幸せにできてよかったという達成感もあった。
「これでもう満足かな」
彼女が呟いた言葉を僕は微かに聞き取った。
その言葉が喉に入った魚の骨のように、僕の心に引っかかった。
彼女とのデートした一週間後、僕は職場でスマホを用いてメッセージアプリを眺めていた。
デートの後にアプリを通して、改めて鳴海さんと感想を言い合った。
レストランに出たメニューが美味しかった話や、水族館の楽しかった場所の話など様々な話をした。
そのやりとりをして高揚したのか、次のデートを誘ってみた。
しかし、そのメッセージは既読の表示が今になってもなかった。
仕事中の僕は、鳴海さんのことで頭いっぱいになっていた。
そのせいで、仕事のミスが前より増えてしまった。
上司と先輩には怒られるどころか心身の心配をされていたが、申し訳ない気持ちで胸が溢れていた。
(鳴海さんどうしたのだろう……)
そんなこと考えているとある言葉が頭でリフレインした。
「これでもう満足かな」
それは鳴海さんがデートの別れ際に言った台詞だ。
僕はその言葉に嫌な予感がした。
それはまるで、前のデートを最後だと言いたげな様子だ。
このままだと、鳴海さんが消えてしまうのではないのだろうか。
僕の脳内ではは、起きてほしくない未来予想がぐるぐると渦のように回っている。
鳴海さんには虐待された過去がある。
彼女が今もそのトラウマを拭いきれずにいるのかもしれない。
だから一回くらい楽しい思いをしたかったのかもしれない。
もしそうだとしたら僕が止めないといけない。
「こんなことしてるの引かれるよな……」
僕はいつの間にか、鳴海さんの家の前に立っていた。
そのくらい、あの言葉が引っかかったからだ。
ストーカーそのものな行動を、こうして取ってしまった自分に呆れている。
僕は震える手で、彼女の家のチャイムを鳴らす。
『はい』
チャイム越しに鳴海さんの声が鳴り響く。
『鈴木孝一です』
自分の名前を告げると、彼女に引かれて扉を開けてくれないだろうと考えていたが、あっさりと扉を開けてくれた。
「あっ、家まで来たんだ。まあ、一回家に呼んだもんね。立ち話もなにだし」
僕は予想外の反応に驚きながら、玄関に入った。
「で、話ってあれでしょ? なんでメッセージが未読のままスルーされたのか、みたいな話でしょ?」
「そうなんだけど……。あと、この前のデートでかっこ『満足した』みたいなこと言ってたから気になっちゃって……。それで家まで来るって引くよね……」
「別に。もしかしたら、家まで来るかなって思ってたりしてたから」
鳴海さんは慣れた手付きでコーヒーを淹れる。唐突の訪問でも丁寧にもてなしてくれるあたり、人の良さが出ている。
「まあ、気になってしまったのはしょうがないよね。とりあえずアタシがそうした理由が聞きたいわけね。アタシはもったいぶるとかそういうの好きじゃないから、結論から言うね」
鳴海さんはそう言って自分が入れたコーヒーを啜る。
僕はその様子を見て、唾を飲む。
「アタシ、自殺しようとしてるんだ」
一瞬自分の中の時間が、凍りついたように止まった。
僕がしていた嫌な予感が、まんまと当たってしまった瞬間だった。
「どうしてだよ……。だってこの前あんなの楽しそうにしてたのに……。もしかして、楽しそうに見えたのは僕がそう思ってるだけで……」
「楽しかったよ。この言葉に嘘はない」
「だったらどうして……」
僕は鳴海さんの過去を思い出した。
彼女は父親に虐待されていたのだ。
その記憶が今になってもフラッシュバックされるとしたら、自分の命ごと記憶を消したくなっても無理もない。
「過去は嫌なことがあったのかもしれない! でも、過去は変えられても未来なら変えられるかもしれないじゃないか! 僕じゃ力不足かもしれないけど! できることなら力を貸すよ!」
僕は鳴海さんを救おうと、ありったけの言葉をぶつけた。
こうしてぶつけていけば、彼女の気持ちが変わるかもしれないと。
「ふふっ、あはっ……あははははは!」
鳴海さんは唐突に笑い出した。
まるで、僕の言葉が面白おかしく感じたかのように。
いや、実際に面白おかしかったのだろう。
「いやー、まさかそれなに熱弁されるとは思わなくてさあ! なんか可笑しくなって」
「なにが可笑しいんだよ!」
「いや可笑しいよ。だってアタシの過去のこと真に受けてるんだから!」
「真に受けてるって、どういうことだよ……」
僕は鳴海さんの言っていることが理解できなかった。
「だってアタシが自殺未遂した理由、本当は虐待じゃないからね」
僕は鳴海さんの言葉を聞き、思考が一瞬にしてフリーズする。
「どういうこと……」
「虐待受けてたこと自体が嘘ってわけ。両親が離婚したのは父親が虐待したからじゃなくて、不倫。ありきたりだよね。あの後母親が別の男作ってどっか行ったのは本当だけどね」
「じゃあ、なんで自殺未遂なんかしたんだよ」
「そうね、人生がつまらなく感じたからかな」
「え?」
自殺の理由が前に聞いたときよりあっけないもので唖然する。
「あのときは、生きてて何も面白みないだろうと思ってたわけ。これから生きてても、同じことの繰り返すような、味気ない日々が続くだけなんだろうってね。だから自殺しようとした。未遂に終わってからは、とりあえず生きてればなにかしら変化があるかもしれないって、期待して今まで生きてきた。でも変わらなかったね。それどころか、学生ときよりも味気なくなった。学生のときは三年か四年で区切りつくけど、社会人は何十年も地続きするのかなってね」
「じゃあ、もっとデートして新鮮な経験をたくさんすればいいじゃないか! 僕とじゃ不本意かもしれないけど!」
「最初のうちはそれでいいかもしれないよね。でも、それが長続きすればどうなる? また味気なくなると思うよ。味のついたガムだって、長いこと噛み続ければ味がなくなるでしょ?」
「それは……」
今の僕に言い返す言葉が見つからない。
「あー、でも今はちょっと気が変わったのかも。こうして心配してあんたが来てくれたから」
「それって自殺をやめてくれるってこと?」
「それはあんた次第かな。来週の土曜日デートしてよ。今週じゃなくて来週ね。今回のデートプランはアタシが決めておく。それまでにアタシを説得させるなにかを見つけてみてね」
「なにだよそれ……」
鳴海さんは僕を弄んでいる気がしていて正直苛立ってくる。
「それまでせいぜい頑張ってね〜」
鳴海さんはまるで他人事のように手を振る。
「でも、なんで僕に猶予を与えたんだ?」
「あー、それはー。なんかあんたを見てると、面白いしワンチャンぐっと来る説得してくれるかなーって。まあ、さっきの説得は全然駄目だったけど。ありきたりすぎて」
僕は彼女の言葉にため息をつきながら下を見ると、そこにはコーヒーが置かれていた。
そういえば、彼女はコーヒーを淹れてくれていたのだなと気づいた。
しかし、そのコーヒーの熱は冷め、生温くなっていた。
鳴海さんが指定した土曜日を迎えた。
今週の仕事も相変わらず集中できず、またしても上司や先輩に心配された。
流石に知人が自殺しそうだからなんてことは冗談でも口に出せず、体調不良を言い訳にした。
療養の一環で会社を休むことをすすめられたが、もし彼女が自殺をすれば仮にすすめられなくても会社行くテンションではなくなるだろう。
インターネットで、身内が自殺してPTSDになってしまうといった例も見たことある。 だから、できればそういった事態は避けたいところだ。
しかし、自殺しようとする彼女を止める術を今も見つかっていない。
先週必死に止めたけれど、彼女の意志は変わらなかった。
厳密には自殺の日を延ばしてはくれたが、いつか自殺しようとしていることに変わりはない。
どんな言葉をかければ、どんな行動を取れば、彼女を止められるのかは分からない。
それでも、彼女の自殺を止めることは諦められない。
「お待たせ」
自殺を止める術を無理矢理でも探そうと考えようとしていると、鳴海さんがそばにやってきた。
彼女の様子は、普段と変わらず淡々としていた。
僕が想像する自殺のイメージは、絶望に打ちひしがれて結果的にそういう決断に至るものだと思っていた。
しかし彼女の様子を見ると、そういった様子は見られない。
これから自殺する人間は、こうして開き直ってしまうものなのか……。
「それじゃあ、行こっか」
鳴海さんは僕の手を引き、デートの目的地まで誘導する。
まるで恋人のように握られた彼女の手は温かく、彼女の背景との温度差に風邪が引きそうになる。
この手を一生離さなかったら、彼女がここから消え去るなんてことはなくなるじゃないかと思考がよぎると、握られた手を強く握り返していた。
「いつまで握ってるの?」
鳴海さんは僕の手を無理矢理引き剥がす。
離れた手に冷たい風が当たり、より冷たく感じる。
「ほらここ……」
鳴海さんに連れて行かれた場所は、映画館だった
「……面白かった?」
映画を見た後、駄弁りながら鳴海さんの言われるがままの方向へと歩くことになった。
どうやら、鳴海さんが連れて行きたい場所があるらしい。
「面白かった……かな……」
鳴海さんに映画の感想を聞かれたが、正直内容は入ってこなかった。
何故なら、自殺しそうにしている彼女のことで頭がパンクしていたからだ。
「気を遣わなくてもいいよ。顔を見れば内容が入ってこなかったってことくらい分かるよ」
「ごめん……」
「いいよ。こんな状況で映画に誘ったアタシが間違っていたし。ちなみにさっき見た映画は恋愛映画だったけど、どんな結末だったか分かる? 内容が入ってこなくても予想くらいはできるでしょ?」
「男の人と女の人が結ばれた……とか?」
「そうね。どうせ結ばれても後々になってマンネリするだろうのにね……」
「映画にそんなこと言うなよ……。次はどこに行くんだ?」
「どこって?」
「まさか今日のデートは映画見て終わりってわけじゃないでしょ?」
先週鳴海さんは今日までに説得の謳い文句を考えるようにと言われた。
よって、今回は説得するチャンスが与えられるはずだ。
「なに? そんなに急かして。そんなにアタシが死ぬのを待ち遠しくなってるの?」
ふざけるなと怒鳴りたいところだったが、周りの人に迷惑になるからぐっとこらえる。
「まあ確かに本題はこれじゃないかな? さっきのはありきたりなデートを楽しみたかっただけだし。まあ、失敗しちゃったけど。ほら、本題の場所までもうすぐだから」
鳴海さんに連れて行かれたのは、映画館から離れた雑居ビルが立ち並ぶ区域だった。
鳴海さんはその中でしばらく手入れが入っていない廃ビルらしき場所に入り、階段を上る。
僕は不法侵入を恐れつつ、彼女に連れられるように廃ビルの中へ入り、階段を上る。
階段のある場所は肌寒く、一歩一歩上るたびに処刑台に近づいているような気がして、足が萎縮する。
「着いたよ」
鳴海さんと僕は、廃ビルの屋上へ辿り着いた。
「もうこれでアタシが今からなにするか、察しがつくよね」
鳴海さんは僕に背を向けて、屋上のフェンス付近まで足を踏み入れる。
「やめろ!」
僕は即座に彼女の腕を強く掴む。
「邪魔なんだけど」
鳴海さんは掴まれた手を強く振りほどく。
しかし、僕は離さまいとより強く掴む。
「これ以上離さないと警察呼ぶよ」
「そんなことしたら鳴海さんも不法侵入で捕まるよ」
「もし捕まったら、釈放されたときにあんたが見えてないところで死ぬかもね」
「分かったよ……」
僕は渋々鳴海さんの腕を離す。
「分かればよろしい。それにまだあんたには説得するチャンスがあるよ。それまでは死なないでいてあげる」
「助かるよ」
「それじゃあアタシを説得してみてよ」
そう言われた瞬間、僕は口を開けなくなった。
先週説得に失敗し、説得する術を何度も考えてみた。
命の尊さ、知人の悲しみ、死生観。
様々な方向から納得いく回答が見つけようと、必死で考えた。しかし、これらの観点からは、納得できるものを見つけられなかった。
その後、僕は鳴海さんが言っていた『味気ない日々』について考えてみた。
考えてみれば、僕にもそんな日々に思い当たる節はある。
特に社会人やっているときがそうだ。
僕の日常は朝起きて朝食を食べ、仕事に行って仕事に帰って夕食食べ、そして動画サイトで適当に動画を見て寝る。
こんな生活の繰り返しだ。
僕自身の生活もかみ切ったガムのように、味気ない生活ではないかと言えば嘘になる。
彼女もそんな生活を送っているのだろう。
だからといって、『君の気持ちはよく分かる』って言ってあげたとしても、彼女が考えを変えてくれるとは到底思わない。
彼女はもう心に決めているのだ。
だから今でもこうして、何もかも開き直ったかのように普段通り振る舞っている。
今思えば、彼女のことをよく知らないのかもしれない。
中学校の頃のクラスメイトではあったが、関わりはなかった。
僕は彼女が自殺未遂したとき、当時読んだライトノベルのような『三人称』の視点で物事を見ていた。
聞こえがいい言い方をすると『神の視点』だが、そうでもない言い方をすると『他人事』だ。
僕は鳴海さんのことを、他人事のような目で見てしまっていた。
大人になって彼女に出会ったが、オフ会で一回だけ会って、今日含めてデートを二回したくらいだ。
要するに、僕は鳴海さんの全てを知らない。
もしかしたら、一割も知らないのかもしれない。
僕はそんな彼女を止める資格なんてあるのだろうか……。
「説得しないならもうこれで終わりね」
鳴海さんはため息をつきながら柵をよじ登り、ビルの屋上の端に立つ。
淡々と自殺の準備をする彼を止めるべきだったのだが、心の中で僕に止める資格はないという回答が生まれてしまい、僕の足はセメントで固められるような感覚になる。
しかし、そんな足を無理矢理動かし、落ちようとしている彼女の元へ近づき腕を掴む。
たとえ資格がなくても、彼女が落ちるところは見たくない。
「やっぱり……駄目だ!」
「なに? 本当に往生際が悪いね。どうして止めるの?」
何度も止める僕に彼女は呆れているだろう。
それでも彼女の腕は放さない。
「僕が……嫌だからだ!」
僕は掴んだ手に力を込める。
「確かに僕と君との付き合いは長くない。でも、僕は死んでほしくない! 命が尊いからだとか、知人が悲しむからだとか、死生観だとか、そんなの関係ない! 僕が嫌なんだ!」
がむしゃらに鳴海さんを引き止めているとき、ある記憶が流れる。
それは鳴海さんとデートした記憶だ。
水族館の最後に鳴海さんが浮かべた笑顔の記憶。
「なにそれ。ほんと自分勝手だね」
「ああ、そうだ! 僕がたった今思いついたのは自分勝手な理由なんだ! 僕はデートのときに見た鳴海さんの笑顔がずっと見たいんだ!」
僕は想ったことをありのままに伝えた。
僕自身も自分勝手な言葉だなと実感する。
こんなことで説得できるとは思えない。
しかし、言わないと後悔すると思った。
「ほんと終わってるね 離して」
僕の腕を力一杯に振り払った鳴海さんの反応は呆れていた。
やはりこんなこと言っても、納得してくれない。
そう思った瞬間、彼女は柵を再びよじ登り、屋上の内側へとまたがった。
「えっ、どうして……」
「そんなに驚かなくても。あんたはアタシを止めに来たんじゃないの?」
「だって、こんなことで納得するとは思ってなかったから……」
「納得? そんなことはしてないよ。アタシはただ、あんたの馬鹿な説得を見て今から死ぬって状況が馬鹿らしくなっただけ」
「馬鹿って……」
「まあ、必死なのは伝わったよ。前みたいに力を貸すー、とかありきたりすぎること言われるよりはマシかな……」
「でもいいのか? このまま続くと味気ない日々が続くんじゃないの?」
「現状そうかもね」
「それなら何も解決できてないじゃん……」
「現状、と言ったよ。あんたがそんな日々を変えてくれるんでしょ? アタシを生かそうとしたんだから、あんたにはその責任あるよ。アタシを退屈させない責任」
「分かった。鳴海さんを退屈させないようにするよ。その方が僕は楽しいし」
「ということで飛び降りるのは一旦保留で。ずっとアタシを楽しませてね」
鳴海さんは僕に向けて微笑んだ。
その表情はやはり陽だまりのようだった。
・プロローグ
あの件から一ヶ月後、僕と鳴海さんはデートをすることになった。
水族館や映画館に行った僕たちであったが、今回はもっと趣向を変えて観光のようにいろいろ回ることにした。
「なんか気合い入ってる感じして笑うんだけど」
「相手が相手だからね。気合いを入れないとね」
鳴海さんを退屈させないと言ったのは僕だ。だから手は抜けない。
「それはどうも」
今、こうして町中を歩いているが、もうすぐ『目的地』に着こうとしている。
「なんか凝ってそうなところに行って、もしかしてアタシのことがそんなに好きなの?」
「まあ、否定はできないかな。あんなこと言っちゃったし」
「それもそっか」
「ほら、ここだよ」
僕たちの視線の先にあったのは神社だった。
赤く塗装されているものの、目が痛くなるような色合いではなく、煌びやかな雰囲気を漂わせていた。
その建物はまるで、周りとは別の世界を彷彿とさせていた。
「なるほど、今回はこういう路線になったわけね」
「まあ、そういうことかな」
僕たちは神社の中へと足を踏み入れる。
すると、そこには赤々とした視界が広がる。
それは神社の塗装とはまた違った赤だ。
「紅葉……。綺麗だ……」
「確かに綺麗だね。ここを選んでよかった」
二人は紅葉の門をくぐる。
右を見ても左を見ても、鮮やかな赤が目に入る。
頬を染めた紅葉の間をくぐり、僕たちはゆっくりと歩く。
くぐり終わると、そこには大きな建物が姿を現した。
事前に調べたマップによると、そこは『本殿』らしい。
ここまで来ると、過去へタイムスリップしたのではないかと思うほどに、風情豊かな空間になる。
「なるほど、ここは見てて飽きないね」
「確かにね」
「あんたが本気だってことよく伝わったよ」
「当たり前だろ。僕は鳴海さんがいなくなるのが嫌だからね」
「それ、言ってて恥ずかしくないの?」
「……言われてみれば」
僕は自分が言ったことを思い出し、思わず顔を伏せる。
「ほんと、あんたって面白いよね」
「からかわないでよ……」
「まあ、いいんじゃない? そういう面白い人なら飽きないだろうと思うし」
「なんか腑に落ちないな……」
「でも、気がつかなかったな……」
「なにが?」
「ここってさあ、アタシたちが住んでるとこから県境を越えてないよね。宿泊を取らないと行けないほど、大した移動してないし。こんな場所にこういう建物があるなんてね……」
「本当だね。目の前にだって、こんな素晴らしい場所があるんだよ」
「まるで『幸せの青い鳥』だね」
鳴海さんは笑みを浮かべた。
そうだ。それが僕が好きな彼女の表情だ。
その陽だまりのような笑顔を、何度も見たいのだ。
あの後、神社の近くの公園にある古風な店で抹茶と団子を食べ合った。
店の外に茶屋を彷彿させる
その次に、公園から近い寺院に訪れた。
前に訪れた神社のように鮮やかな紅葉が見られたほか、自然に囲まれた池や枯山水も風情があって目の保養になった。
その二つを回った後に僕たちはバスに乗り、こうして今は観光地の一つであるタワーに訪れている。
展望室に登ると、窓からタワー周辺の街並みを一望できる。
夜とのことで様々の建物から照明が漏れ、その景色は前に訪れた神社や寺院とは近代的な印象を与える。
しかし、古い建物が多い地域なこともあり、そういった建物も眺められる。
「誘っておいてなんだけど、こうして見ると高いな……」
「確かにね……。あのとき登ったビルより高いね」
廃ビル登った際に周りの景色を眺めていたが、ここから奈落の底へ落ちたら破滅するなという絶望感を与えていた。
しかし、今のタワーの景色は違う。
この近代と古代の建物が交わる風景を見ると、まるで世界から一部を切り取ったように見えて壮観だ。
「ここよりかは低いけど、アタシは高いところから落ちようとしてたよね」
「落ちなくてよかった」
「さあ、どうだかね」
「なにだよそんな曖昧な答えは」
「冗談だよ」
鳴海さんはふふっと笑みをこぼす。
「落ちなくてよかったと思ってるよ。今のところは」
「今のところはって言い方が不穏なんだけど。まあ、鳴海さんとならどこへでも行くよ。今は近場になったけど、遠くへ旅に出るのもよさそうだね。先になにか予定があると、変わり映えない日々もその日のことが楽しみになって華やかになりそうだよね」
「それもそうかもね」
「世界はこのタワーから見れない場所まで繋がってるからね」
「ふふっ、なにそれ。あと、アタシから頼みがあるんだけど」
「なに?」
「そうだな……。ここだとあれかな……」
僕は周りを見渡す。
タワーの展望台の中は観光客がたくさん訪れており、『二人きり』とは言い難い環境だった。
「だからさ、もっと二人きりになれる場所に行かない? そこならいろいろ話せるだろうし」
「そうだね」
辿り着いたのは、鳴海さんの家だった。
鳴海さんが鍵を開けて入ると、誰もいないからなのか、そこには暗闇が待っていた。
タワーで見た町並みとは真逆の雰囲気があり、不気味さがあった。
鳴海さんは即座に電気を付けたため、暗闇はなくなったが、シーンとした静かな空気は残っていた。
僕が彼女の玄関にあがり、ベランダまで行く。
その後に鳴海さんがまたしてもコーヒーを淹れてくれた。
この光景はもう見慣れたものになっていた。
「いただきます……」
僕は淹れてもらったコーヒーを飲む。
前に飲んだときも美味しく感じたときも美味しく感じたのだが、今日飲んだコーヒーの味は豆の味が広がっているように感じる。
彼女の趣向なのか、豆に苦みをより感じられた。
その苦みは決して不快なものとは違い、心地よさを感じられた。
彼女がコーヒーを淹れる動作で特に変わった様子はなかったため、おそらく前よりコーヒーを味わって飲む心の余裕ができたのだろう。
「ところで鳴海さん、話ってなにかな?」
鳴海さんは椅子に座り、自分が淹れたコーヒーを啜る。
「そうね、まず『鳴海さん』って呼ぶのやめてほしいかな……」
「えっ」
「あんたはアタシを退屈させないと言った。アタシはそれを聞いてあんたに委ねようと思った。だから形からでも距離を近づけられたらって……」
僕と鳴海さんの関係は会って間もないときより距離が近づいているような気がしている。
だから、形を変えるのも悪くない気がする。
「そうだね。あと、僕からも言いたいことがあるんだ」
「なに?」
僕はこれから言う言葉に渾身の力を込める。
心臓が飛び出るのではないかと思うくらいに、アップテンポで動いていることを無視して、無理矢理でも言葉を引きずり出す。
「鳴海さん……、いや未亜! 僕と付き合ってください!」
この言葉が出た瞬間、息が詰まる。
まるで真空の中にいるようだ。
「……いいよ。アタシもそのつもりでお願いしたわけだから」
「やった!」
僕は彼女の言葉を聞き、歓喜がこみ上げる。
「ほんと、面白い人だね。これなら退屈しなさそう」
この陽だまりのような笑顔をあと何回見られるだろうか。
そう考えると、胸が高鳴った。
コーヒーと死にたがり HAYASHIDO @HAYASHIDO
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