第30話
洋平が証人としての供述を終えてから数週間後、小原涼子は主演映画のクランクインを迎えていた。
初めての主演映画、そして初めてここまでの注目と期待を一身に浴びてのスタート、天にも昇る気持ちだった。
けれど、ここで終わりじゃない。
雲を突き抜けて、天に駆け上って、まだそこで終わりじゃない。
アタシはもっと上、その先へと上がっていく。
どこまでも、どこまでも、誰も届かないような場所にまで。
「カーットォ」
離れていた娘をぎゅっと抱きしめ、もがいて逃れられてしまうファーストシーン、涼子は、あの日の洋平の茫然とした焦点のあっていないきょろりきょろりとあちらこちらに動く目を思いうかべて演じた。
愛を疑う子、でもアタシはきっちり抱き留めてあげる。
「いやー、小原さん名演技でしたね。抱きしめた手の震えから葛藤が伝わってきました。流石名女優」
「いやだわ、弓丘監督、まだ始まったばかりよ」
「わっはは、その調子で最後までバッチリよろしくね」
「勿論ですわ」
思ったより役立たずだった息子、でも演技のちょっとした肥しくらいにはなってくれた。
上手くいったファーストシーンにご満悦でハンドバッグ片手にメイク直しに行こうとする涼子の行先を、スタッフではないスポンサーでもない見覚えのないスーツ姿の壮年男二人が遮る。
「小原涼子さんですね。ちょっとお話をお伺いしたいんですが。同行していただけますか」
他の人には見えないようにちらりと見せられたのは、刑事ドラマに端役で出演した時に見たことのある令状と警察手帳。
あぁ、あの小道具って良くできてたのね。そっくりだわ。
役に立たない息子。あの洋平が、目を覚ましたのだろうか。
母親の盾になるどころか、どうせ不利になることでも言ったんだろう。
あの山の家での共同生活の中で、すっかり丸め込んだと思ってたんだけどなぁ。最後に余計なこといっちゃったかしら。
とりとめのない考えが、次から次へと頭の中に浮かんでは消える。
あぁ、これでパーか。
アタシの天までの道は、水泡に帰してパチンと消えちゃうのかな。
いや、まだ、まだ終わらない。これからが第二幕のスタートよ。
「えぇ、もちろんです。ご一緒させていただきますわ」
何事かと周辺に集まって来た週刊誌のカメラマンたちが涼子と刑事の周りに集まり、パシャパシャと写真を撮り始める。
「ちょっと!撮らないでください。やめてやめて」
異変を察知した女性助監督がカメラマンたちを制止するが、シャッター音は止まらない。
「あぁ、まぶしい。やっはりアタシはこの光が好き、こうして輝くのが好き」
刑事に連行されながらまるで見えないレッドカーペットの上をゆくようにしゃなりしゃなりと小原涼子は優雅に歩を進め、カメラのレンズに向けて嫣然と微笑みかける。
まるで、主演女優賞を受賞したハリウッドスターのように。
そして、ハンドバッグの中から深紅の口紅を取り出すとぐるりとひと塗りし、蠱惑的に舌でぺろりと唇を嘗めた後、ばったりと倒れた。
その最後をおさめた写真は、翌日の新聞各紙の一面を飾った。
スポーツ紙だけでなく、一般紙も。
週刊誌のカメラマンたちからどうにかして写真を手に入れ、衝撃の瞬間を伝えたのだ。
エキストラの携帯動画ではあるが、ニュースでもその映像は流れた。朝も、昼も、晩も。
小原涼子一色、それはあの日の記者会見をも上回る規模であった。
小原涼子が最後に塗った口紅には、トリカブトの毒が含まれていた。
あの山の家の雑草の中にトリカブトも含まれていたことから、覚悟の自殺だろう。 いずれ殺人が発覚することは、うすうす気づいていたのだろう。
各局そのような反応であり、警察もまた自殺と断定した。
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