第21話

 家の玄関先には夾竹桃の木があり、これまた鮮やかな赤い花が咲き乱れるそれに水をやると、次は家庭菜園といえば聞こえがいいが大雑把に庭にボーボー生えているニラの周りの雑草取り、全てニラの葉なのかと思ったら、一部は水仙なのだそうだ。

「葉っぱが似てるから紛らわしいんだよねー」と言いながらも別の場所に植え替える気はないらしい。

 そして、泥だらけになったジャージを洗濯機に放り込み、風呂に入ってからスリップ一枚に戻り、座敷でグーグー寝る。

 昼ごはんができたと起こすまでてこでも動かない。

 勿論汚れたジャージを洗い、帽子の泥を払うのも洋平の役目だ。

 はっきり言って、小学生の弟よりも手がかかる。

 希だって日曜日には母の皿洗いを手伝うことがあるくらいなのに。

 我がままで面倒くさい手のかかる大きな子供。

 とても母親だとは思えない。

 けれど、やはりどこかで何かの繋がりを感じざるを得ない。

 数日一緒に時を過ごしただけなのに、ずっと離れて暮らしていた年の離れた姉と弟のようなそんな奇妙な関係性が二人の間に出来つつあった。

 些細なことで反目しあう、けれど打ち解け始めている。

 そう感じていたのは洋平だけではなかったようで、ここに来て一週間が経とうとしていたころ、小原涼子は自分のことについてぽつぽつと語り始めた。

「今はね、長い休息期間なの。洋平と会った日のケーブルテレビ、あれが終わってから三か月仕事はいれてない」

「何で?」

「うーん、次の映画の役作り期間かな」

「へー、どんな映画?」

 何気なく尋ねてからその返事を聞いて、洋平は後悔した。

「あー、子供をね、置いてっちゃう母親の話、育てていた父親が事故で亡くなって結局数年後に引き取るけどその娘が懐いてくれなくてとかそんな感じ」

 あぁやっぱり、この女は自分を利用するためにここで呼んだんだ。芝居のために、似た環境の自分を連れてきて役作りの参考にするつもりなんだ。そのことが分かってしまったからだ。

「でもさぁ、アタシ娘いないじゃん、わっかんないわー」

 当の本人は洋平の心を全く思いやることも無く、あっけらかんとそんなことを言うもんだから、怒る矛先は何処に向いたらいいのやらわからなくなってしまったが。

 そして、洋平の生まれるきっかけ、血縁上の父親である村田明との出会いと別れも、まるで物語のようにその口紅を塗っていなくても血のように紅く染まった唇から滔々と語られた。

「あの人ねードルヲタだったのよ、分かる?アイドルオタクね。そんでアタシのいたグループ、にゃんにゃんプリン5、あー今思うとすごい名前だよねぇ、ってそれは置いといてそこのいわゆるセンターの子が好きでさぁ、ライブに毎回毎回来てはCD何枚も買ってねぇ、毎度毎度サイン貰うんだけどさ、いっつもあがっちゃって全然会話になんないの。さ、さいんくだっ、そんなでさぁ。それでこっちは暇だから会話の通訳してやってたらさ。地元が一緒ってのが分かってね、送ってもらっているうちにまー、そんな感じになっちゃったわけよ」

 記者から聞いていた話とずいぶん違う。

「何か、付きまとわれて強引に付き合うことになったって聞いてたんだけど」

「あーどうせ山辺に訊いたんでしょ、あいつさぁコレだから」

 小原涼子は口の前でパッパッと掌を握ったり開いたりする。

 お喋り、もしくは嘘つき、とでも言いたいのだろうか。

 今一意味が分からなかったが、取りあえず放っておく。

「まー一応さ、情みたいな感じはあったわけよ。アイツ知り合ったときは高3でさ、でもまるで子供みたいでさ」

 ここもちょっと違う、確か大学生と言っていたような。まぁ記者、山辺の髭にこびりついた砂糖のことが気になって内容はイマイチうろ覚えなのだが。

「子供のこともさ、知らないままアイツ死んじゃったんだ」

 あぁそうだこれは覚えている。

「何かニンニクと間違えて毒草食っちまったんだろ」

「そ、行者ニンニクとね、実はさ、キャンプアタシも一緒に行ってたんだよ」

 これは初耳だ。

「えっ、一人で行ってたんじゃ」

「死んじゃった時は一人だけどね、一緒に行ってたの。でもさぁ、今思えばつわりだったんだろうけどもー気分が悪くて悪くてゲーゲー吐いちゃってね。近くの駅まで送ってもらって帰ったんだよ」

 今思えば?村田明が死んだのは洋平が生まれる二か月前だったと確か山辺は言っていた気がする。そのころならお腹はもう出ているはずなのに。

「妊娠気付いてなかったの?」

「あー、そうそう。何か食欲無くてどんどん痩せちゃって、生理もこないからさー、痩せちゃったせいかと思ってて、お腹がポコッと出てきたのも栄養失調かと思ってた」

 にわかには信じがたい。しかし、妊娠を気付かずに生まれたという話はニュースで見たことがある。その場合太っていて分からなかったようで逆だが。

しかし、目の前のこの人ならそんな素っ頓狂なこともあり得る気がしてしまう。

 こんなことが明らかになる前、洋平は超未熟児だったと母から聞いたことがある。

 予定日、などというものがいつだったのかは不明だし小原涼子も知らなかったのだろうが、それよりかなり早く生まれてしまったため、お腹もさほど目立たなかったのだろう。

 洋平はそう自分を納得させようとした。

「流石に半年以上生理が来ないのはおかしいからこっそり夜中に検査薬使って確かめてたらお腹がめちゃくちゃ痛くなってね、気付いたらさーもう出てたんだよ」

 まるで便秘が解消されたときのような表現だ。

 少々気分が悪い。

「それでびっくりして置いて逃げたって?」

 ついこんなことも言いたくなる。

「あー、そうねー、もうパニックになっちゃってさ、ふらふら歩いてそのまま倒れちゃったんだよね。気付いたら病院のベッドの上、状況からお医者さんも子供産んだのわかったみたいでさ、アタシが寝込んでるうちに親が色々手続してた。アタシはちょこちょこ名前書いただけ。何なのか良く確かめもせずにね」

 悪意はなかった。とでも言いたいのだろうか。

「小瀬川さん、洋平のお父さんとお母さんもお見舞いに来てくれたんだよー洋平のお母さんそのころ乳児院の手伝いしててさ、それで洋平の面倒もみててね、旦那さんと相談して引き取りたいって」

 訊きたくてもどうしても訊けなかった自分を引き取った理由、それを両親からではなく小原涼子から聞くことになるとは思っても見なかった。

 両親は自分がトイレに産み捨てられたニュースを見て、引き取りたいと思ったわけではなかったのだ。

 直接自分と触れ合って、それで欲しいと、家族に迎え入れたいと思ってくれていたのだ。

 小原涼子から発せられる情報は、大抵聞かなければよかったと後悔するようなものばかりだが、これについては知ってよかった。と洋平は思う。

 絶対に感謝の言葉などは告げるつもりはないが。


 一度も見たこともなく、これからも会うことは決してない父親の話を聞いてしまったからだろうか、その日の洋平はいつにもまして寝苦しさを感じていた。やっと眠れたと思いきや隣の部屋で寝ている小原涼子の寝息が気になって起きてしまうくらい眠りが浅い。

ここは山の中腹とはいえ、爽やかな冷たい風に吹かれて眠りにつくというわけにもいかない。冷夏ということもあり地べたよりはるかに涼しくあるはずなのに、締め切った雨戸のせいなのか何故かこの小屋の夜は蒸し蒸しとする。

エアコンになれた身としては、やはりその蒸し暑さが堪える

たらりたらりと汗がな流れるが、きゅるりと音を立てて止まった扇風機はそれを乾かしてはくれずリモコンは涼子の手の中、赤子のようにぎゅっと握りしめられた拳からそれを取り出すのは至難の業だ。

あきらめて眠ろうとするが、寝苦しいものは寝苦しい。汗でべっとりと張り付いたTシャツが何とも言えない痒さを肌に引き起こし、耐え切れずに背中を掻きむしった。

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