第17話

「あのさお母さん、そのパーティーに呼びたい人がいるんだけど」

「ん?誰」

 母が訝しがるのも無理はない、小中学校で一番仲の良くてちょくちょく放課後に遊びに来ていた中川は、便所の息子騒動が起きてから一度もこの家を訪れてこないし連絡も一度もない。でも洋平が呼びたいのは中川ではない。

「ゆーちゃん」

「ゆーちゃんて、洋ちゃんあなた連絡先知っているの?今どこにいるの」

 そういえば、ゆずり葉が横浜のおじいちゃんに引き取られたことをすっかり言いそびれていた。

「あー携帯の番号教えてもらった。今、横浜の、えーっと産みの?お母さんの方のおじいちゃんのとこいるって」

「もうっ、そういうことは早く言いなさいよ!で、番号は」

「あ、部屋にメモがある」

「暗記してないの!いいわ、すぐとって来なさい」

 母に急かされて枕の下にしいていたあのメモを取り出す。何度も何度も眺めていたこの番号、こんなときにいきなりかけることになるとは。

 プププププ…

「ゆーちゃん元気?」

 まだ呼び出し音なのに、横で母が五月蠅い。

「だからー、まだ」

「もしもし」

 大声をあげたところで、ゆずり葉が出てしまった。

「あっ、ゆーちゃんごめん、さっきのはゆーちゃんに言ったわけじゃなくて」

「えっ、ごめんって何?洋ちゃん?」

「洋ちゃん、早くお母さんに替わってよ、早く早く」

 まともに会話をする前に、母に受話器を引っ手繰られてしまった。

「あー、ゆーちゃん?そう、おばさんよ。うんそう洋ちゃんママ、うんうん、おばさんはとっても元気よーそう、そうなのね、ゆーちゃんも、あら、バスケ部に入ったの。うんうん、それは良かったわー」

 洋平をよそに、楽しそうな二人の会話が続いている。

 ゆずり葉がバスケを再開したとか、洋平もまだ知らなかったというのに。

「そうそう、それでね、明日洋ちゃんの誕生日パーティーで、うんそう、ゆーちゃん良かったら来られない?あらあらそうよね、うん分かった。じゃあ元気でね。うん、勿論いつでもおいでーパンケーキ焼いて待っているわね、じゃあまたねー」

 あろうことか、そこで母は電話を切ってしまった。洋平が横でいまかいまかと順番を待っていたというのに。

「ちょっと、母さん」

「あっ、洋ちゃんもしゃべりたかった?ごめんねー、またかけようか?」

「いいよ……」

 そんな恥ずかしいことことが、出来るわけがない。そこまでして自分と話したいのかと思われてしまうではないか。

 不機嫌そうに唇を尖らせる洋平に、母はさらに追い打ちをかける。

「洋ちゃん、がっかりしないでね。ゆーりゃん明日学校なんですって。放課後も部活があって遅くなるから明日は来れなさそうなんだって」

 そういえばそうだ。一人ぼっちの夏休みに突入している洋平と違って、普通の中学生にとって明日は平日、それも週の初めの月曜日だった。

 このところすっかり曜日感覚が狂ってしまっているようだ。

 自分から誘う前に断られてしまう羽目になってしまったが、意気揚々と電話をかけて直接断られるよりはまだダメージが少なかったかもしれない。

 散々電話をかけるのを迷って結局このざま、俺ってつくづく格好悪いよなぁ。

 ぷすっと鼻で笑ったら勢いで鼻水まで出てきてしまって、チーンと鼻をかみながら洋平はがっくりと肩を落とした。


 それから翌日のパーティーまでの時間、小瀬川家は久しぶりに穏やかな空気に包まれた。

 役所の地域振興祭で駆り出され休日出勤していた父も振り替え休日で休みが取れ、弟の希も一時的にとはいえ帰ってくる。

 一家そろっての楽しい誕生日パーティーだ。

 中学二年生になってまで家族で誕生日パーティーなんて恥ずかしい。ほんの数か月前までの洋平だったら、そう思っていただろう。

 でも今は楽しみたい、家族との時間を存分に味わいたい。そんな気持ちでいっぱいだった。


「兄ちゃーんおめでとー!」

 朝も早々に祖母に連れられて帰宅し、飛びついて来た弟に洋平は面食らう。

 小学校低学年まではいつも後ろをちょこちょこついて来ていた希だったが、洋平が中学生になり自身もが高学年になると同じ子供部屋にいてもなかなか口を利かず、球に洋平がちょっかいを出しても「もう小さい子じゃないんだから」とぷいっと外方を向いてしまっていた。会いたいと泣いていた話を聞かされても、ホームシックによるものでここまで強烈なスキンシップがくるとは思っていなかったのだ。

「お、おう、のんたんありがとな」

 戸惑いつつもそんな弟の体中からあふれ出る喜びのオーラに、お兄さんぶってぐっと胸を張ってみる。

「じゃあ、また明日迎えに来るから」

 一緒にパーティーに参加してと母が誘ったが、祖母は玄関先で靴も脱がずにそそくさと帰ってしまった。

 この状態だ。気まずいのも仕方がない。正直参加されてもこっちがどうしたらいいか分からない。

断ってくれたことに少しほっとしている自分が嫌になってくるが、折角のパーティーもやもやを振り払うように洋平は率先して明るい声を出し、家族の祝福に笑顔で応える。

「兄ちゃん、これやるよ」

 希は大事にしていた鉄道模型を、さっと洋平の胸元に突き出す。

「えっ、これのんたんがずっと大事にしていたものだろ」

「うん、でも俺もう大きいから兄ちゃんにやる」

「ははっ、兄ちゃんもっと大きいけど」

「だから-、やるって言ったらやるの!」

「あぁ、とう。ありがとう、うれしいよ。大事に大切にするからな」

「うん!」

 えへんと胸を叩く希の様子が可愛らしくて、思わず顔がほころぶ。

 後で「やっぱりあげない。返して」って泣かれたときのために大事に綺麗にしまっておかないとなとも思いつつ。

「ほら、お父さんからはこれだ」

 父からは、電子辞書。

「高校生になったら、役に立つぞ」

 何に使ったらいいのか正直不明だが、その気持ちが嬉しい。

「お母さんからは……」

 母は、もぞもぞとポケットから真新しい携帯電話を取り出した。

「お父さんとお母さんの番号が入っているから、何かあったらすぐ連絡するのよ。プリペイド式だけど、夏の間の分は持つと思うから」

 あぁそうだ。自分は来週ここを去るのだ。

 知らない場所で、血がつながっているらしい、でも二度しか会ったことのないあの女と夏の間一緒に暮らすのだ。

 そのことをまざまざと思い知らされるような気がして、そうなるとこの誕生日プレゼントたちがまるで餞別の品のように思えてきて、少し物悲しくなってくる。

 夏の間だけと分かっているのに、まるでここに二度と戻ってこられないような、この家族の笑顔を見られなくなるようなそんな気がしてしまうのだ。

「みんな有難う」

 鼻の奥がツーンとしてきて、とても前も見ていられない。

 皆の笑顔が滲んでくる。

「わー、兄ちゃん泣いてるーもう大きいのにへんなのー」

「あらあらら、そんなに嬉しかったの」

「電子辞書は、実に便利だからな!」

 父の的外れな言葉が可笑しくて、家族の笑顔が目に滲みて、洋平は大口を開けてけらけらと笑いながら大きな目元からぽろぽろと雫を零し続けた。


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